四個目
浮かぶのは愚痴ばかり。まさか夢の中でも愚痴を考えることになるとは思わなかった。
だがまぁ、そんなことを考えていても仕方ない。
カウンターの後ろにある時計を見る。時間は午前8時20分。あまり時間もなさそうだ。
俺は、いつの間にか肩に乗っていたセトトルに話しかける。
「なぁセトトル、ちょっと聞きたいことがあるんだけどさ」
「何だいボス!」
「うん、いい返事だなぁ。この店は何時に開くんだい?」
「ボスが起きたらだよ!」
うん。……うん? いや、確かに起きたら開くだろう。開かなければ店には入れないしな。
そんな大雑把でいいのだろうか? まぁでも仮店長みたいなもんだから、余計なことはしない方がいいだろう。
とりあえず、9時過ぎくらいに開くか。色々と調べてからの方が良さそうだしな。
「じゃあ顔を洗いたいんだけどさ、洗面所はどこだい?」
「こっちこっち!」
セトトルは俺の肩から飛び立つと、ふわふわと飛び出した。
そして階段の横にある扉の前で止まった。
なるほど、そこに洗面所があるのか。
「ありがとう、ちょっと顔を洗って来るよ。ここで待っていてくれるかい?」
「うん! 分かった!」
セトトルに教えてもらった扉を開くと、確かに洗面所みたいな場所がそこには有った。
さて顔を洗ってすっきりしてから……。
そこで気付く。
あれ? 蛇口はあるが、ひねる部分がない。水が出せないぞ?
スイッチでもあるのかもしれない。俺は洗面台を朝から隈なく見ることになった。
だが、水は出なかった。普通の洗面台とは違って、青い宝石のようなものがオプションで付いている。それしか分からなかった。
どうすんだこれ。
思考錯誤した結果、俺は仕方なくセトトルを呼んで聞くことにした。
まさか28にもなって、水の出し方が分からなくて人(妖精)を呼ぶことになるとは思わなかった。
俺は扉から顔を出し、セトトルを探す……必要はなかった。
セトトルは扉の前で、先程と同じようにふわふわと浮いて待っていた。
もしかして俺が待っていてくれるように言ったからか? 悪いことをしてしまった。
そんなセトトルと目が合った。
セトトルは俺を見てニッコリと笑った。俺もそれに釣られて、つい笑顔になってしまう。
「顔は洗い終わったの?」
「あ、いや、水の出し方が分からなくてね」
「水の出し方? 壊れたのかなぁ」
セトトルは洗面所に入り、洗面台の縁に降りた。
そして青い宝石に手を翳す。
蛇口からは、普通に水が出ていた。あれがスイッチだったのか? 俺が触ったときは反応しなかったんだよなぁ。
「ボス! 壊れてないみたいだよ! 良かったねぇ」
「うん、良かったねぇ。ありがとう」
「えへへ、オレ頑張るから何でも聞いてよ!」
こんなに嬉しそうにされると、こっちまで嬉しくなる。
この夢は俺の荒んだ心を洗い流してくれるようだ……。おっと、今は顔を洗い流さないとな。
俺はセトトルが水を出してくれたので、それで顔を洗った。
タオルは……ない! そういえば、さっき探したときも無かった。
俺は仕方なく、胸ポケットからハンカチを出して顔を拭いた。
お客様も使うだろうし、タオルを設置しなければいけないなぁ。
まぁとりあえず顔を洗ってスッキリした。水を止めよう。
俺は先程のセトトルのように、青い宝石に手を翳した。
ジャー……。
あれ? 止まらないぞ? 何度も手を翳すが、結果は同じ。
それを見たセトトルは、不思議そうな顔をしながら青い宝石に手を翳した。水はあっさり止まった。
どうやら俺は洗面台に嫌われているらしい。
セトトルはくすくすと笑っていた。俺が水を止めようと、あたふたしていたことが面白かったのだろう。
まぁ、彼女が喜んでくれたのなら良いだろう。
俺はセトトルと一緒に洗面所を出る。そして、今度は二階へと向かうことにする。
行き先は昨日泊まった部屋だ。正直お腹が減ったので、昨日買ったプリンでも食べようという算段だ。
階段の前には何故か扉が付いている。お客様が間違わないようにという、配慮かもしれない。今度STAFF ONLYとでも書いたプレートを下げておこう。
階段を登るために扉を開くと、なぜかセトトルはそこで止まった。どうかしたのだろうか?
俺はどうしようかと、困った顔をしているセトトルに聞いてみることにする。
「ちょっと二階に行くけど、セトトルも一緒にどうだい?」
「え、いいのか? 朝は許可があったけど、勝手に二階に行くとボスがすごく怒ったから……」
怒った? 俺はセトトルに怒ったっけ? ……あぁ、前のボスだったおじさんのことか。
二階に何かあるのかな。まぁ、そんなことは俺には関係ない。店と借金を残して逃げたやつのことは知らん。
「いいかいセトトル、これから俺と君は一緒に頑張る大切な仲間だ。だから、気にせず二階に来ていいんだよ? 用事か何かをしていて、来たら困るときは先に言うからね」
セトトルは目をぱちくりとしている。あれ、伝わらなかったかな……?
いや、大丈夫だったようだ。セトトルはそのすぐ後、俺に零れんばかりの笑顔を見せてくれた。それは、今日一番の笑顔だった。
彼女は嬉しそうに、今度は俺の頭へと飛びついて来た。何か良いことをした気持ちがして、こっちまで嬉しくなる。
俺は頭にセトトルを乗せたまま、部屋へと戻ってきた。
そして椅子へと座る。そして机に置いてあった鞄の中から、プリンとコンビニで貰ったスプーンを出した。今日の朝食はこれだな。
プリンを出したら、セトトルは俺の頭から降りてプリンの横に座った。
そしてプリンを凝視している。食べたいのかな?
「……? ボス? なにそれ?」
「ん? これはプリンだよ。セトトルは朝ご飯は食べたかい?」
「うん! パンを食べたよ! で、プリンって何? 食べ物?」
プリンを食べたことがないなんて、人生を損している! 俺はプリンを開けてスプーンに掬い上げる。
そして、セトトルの前に差し出した。
「とってもおいしいからね、一口食べてごらん?」
「え? え? でもこれ何かプルプルしてるし、見たことないよ」
「んー。なら、おいしくなかったら吐き出せばいいよ。でも一度は食べて見てほしいな」
「んん……、ボスがそう言うなら……」
セトトルは指先でプリンをつつき、指先に付いたプリンを恐る恐るだが、ぺろりと舐めた。
そして飛び上がった。あまりにもすごい勢いで飛び上がって、こっちが驚いたくらいだ。
彼女は両手で頬を押さえながら、辺りを飛び回っている。
も、もしかしてプリンって妖精には毒だったのか!? そうか、卵アレルギーとか!?
俺は自分の迂闊さを呪った。何てことをしてしまったのだ。
「ごめんセトトル! ほら! 出していいから! あぁ水もいるよな。とりあえず洗面所に」
「ボス! これすっごいおいしい! オレこんなにおいしいもの初めて食べたよ! すっごい甘くてプルプルしてる!」
……よ、良かった。どうやらお気に召してもらえたらしい。
俺はその後も、二人で仲良くプリンを食べた。
全部食べさせてあげたかったのだが、どうやらそんなには食べられないらしい。
とても悔しそうにしていたが、体が小さいからしょうがない。でも、喜んでもらえて本当に良かった。
そんな楽しい朝食を済ませて、俺とセトトルは一階へと戻って手と口を洗った。
さて、仕事の時間だ。
時間は9時ジャスト。
まだお客様を迎えられるほどに、俺はこの店に詳しくなっていない。
色々とやることはあるが、まずは預かった品物のことが書いてある管理票探しと、倉庫の確認からやろう。
一階の中央に立った俺は、そこで初めてしっかりと一階を見渡す。
左の壁には扉が二つ。洗面所に続く扉と、階段のある扉。
そしてその先にはカウンターといくつかの棚が見える。
後ろには玄関と思しき扉。
右側には何もなく、広いスペースがある。そして奥に扉が見える。あれが倉庫に続く扉だろう。
カウンター前と倉庫に続く場所が、広くとられているのは好感が持てる。非常に作業しやすい。
……うん、ここで見るべき場所はカウンターくらいか。
カウンターの中を見ると……ぐしゃぐしゃだった。なにこれひどい。
そのぐしゃぐしゃの中に、管理票らしきファイルがあった。これだけでも、倉庫のレベルが知れるというものだ。
カウンターの他の場所や、引き出し。棚については後にしよう。
俺は溜息をつきつつ、ファイルを持ってセトトルに確認をする。
「セトトル、倉庫はあそこの扉からかな?」
「うん、そうだよ! そういえばボスは、何でアグドラのことをアグドラさんって言うの?」
まさかの質問だった。これは仲良くなってきた証じゃないか!
俺は喜んでその質問に答えた。
「アグドラちゃんっていきなり言ったら失礼かな、と思って。初対面の人は、子供でも『さん』をつけることにしてるんだよ」
「へぇ、そうなんだ。オレのことも、セトトルさんって言ってたもんね。ボスは真面目だね」
真面目なのかな? そこには疑問が残ったが、まぁいいとしよう。さて、倉庫に入るか。
手にはファイル、頭にセトトルという状態で、俺はその扉の前へと立った。
木製で大した扉じゃない。しかも扉は普通サイズだ。倉庫の扉とは、荷物を出し入れするため広い方がいい。なのに、これは普通サイズの扉だった。
先程見た、カウンターのひどさが頭によぎる。
……だが、ここに立っていても始まらない。
俺は意を決して、ドアノブへ手を掛けた。