三十一個目
――あれから一ヶ月。
棚も揃い、箱も揃った。
ちなみにあの日の夜、俺は親方に怒られた。
意気揚揚と工房につき、出会い頭に言われた言葉はとても単純明快なものだった。
「お前のとこの仕事だけしてるわけじゃない! そんなにぽんぽん用意できるか!」
はい、ごもっともです……。
色々と怒られたが、親方は出来るだけ早く用意をしてくれた。感謝で頭が上がらないとはこのことだろう。
本当なら二ヶ月かかる予定のところを、一ヶ月で用意をしてくれた。お陰で一応の準備が整ったのだ。
棚や箱が入る度に冒険者が来て、すでに棚は一杯。中身を多少入れ替えたりはしていたが、契約も継続された。
むしろまだ棚や箱が足りないくらいだ。これから徐々に増やしていく必要があるだろう。
完全に倉庫業務は軌道にのった!
……そんな風に、考えていたときが俺にもありました。
一ヶ月経つと何がある? 一ヶ月働いた人は何がもらえる?
……そう、給料日だ。
余りにも二人にお金がかからなかったため、完全に失念していた。それはセトトルとキューンへの給料。セトトルはキューンよりも少し長いことも踏まえて、増やしておかないといけない。
妥当に考えると、17万Zくらいか? キューンは15万Z。非常に申し訳ないが、この辺りがギリギリのラインとなるだろう。
だが、ここで良くない方向へと思考がいく。
セトトルは元々食事が出れば良いといったスタンスで働いていた。
キューンはそもそもスライムだ。金が必要だろうか? 食事だけでキューンも良いんではないだろうか?
そう、もっと稼げるようになったらしっかり払えばいい。今回は5万Z辺りでうまく誤魔化せば……。
「ボス、どうしたの?」
セトトルにいきなり話しかけられ、俺は驚きのあまり立ち上がった。
振り向くと、俺の後ろではセトトルとキューンが心配そうな……。キューンは分からないが、心配そうな顔をしていた。
「うん? 今日の仕事は終わったから二人とも二階で休んでいいんだよ?」
俺は白々しい言葉で何とか誤魔化そうとする。
心配しているように見せて、給料を誤魔化そうとしているのだ。俺は悪いやつだ。
セトトルはそのまま俺の肩に乗り、優しく話しかけて来た。
「……でもボス、最近すごく疲れた顔をしてるよ? オレもっと頑張るからさ! たまには休んでよ!」
「(姐さん僕もいるッス! オレたちッス!)」
「そうだったね! オレたち頑張るから、無理しないで?」
「あ……あ……」
「ボス?」
「キュン?(ボス?)」
心配されていたのは俺の方だった。何てことだ。俺は目先のことに囚われ、二人を裏切ろうとしていたのだ。
俺は……俺は!
引き出しを勢いよく開け、封筒を出す。副会長に変えてもらったダイヤルロック式の金庫を開け、しっかりとお金を数えて出す。封筒の片方には17万Z、もう一つには15万Zを勢いよく入れる。
「これが! 今月分の給料だ! 受け取ってくれ!」
「お、お給料? わわっ! キューン見て! ちゃんとオレの名前が封筒に書いてあるよ!」
「キュンキューン! キューーン!(僕のもッス! 明細書も入ってるッス!)」
「ちゃんと用意しておいた! だからこんな俺を許してくれえええええ!」
俺は二人に頭を下げ、泣きそうになりながら懇願した。本当に何て情けないやつなんだ!
こんな俺なんかを心配してくれている二人を裏切ろうなんて! 死にたい!
「ボ、ボス? 良く分からないけど、許すことなんて何もないよ? ボスがいるから今のオレたちがあるんだよ!」
「キューン! キュンキューン、キュンキュンキューン!(そうッス! 最初は変なやつだと思ったけど、一緒に来てから毎日が本当に楽しいッス!)」
「ああああああああああ! 本当にごめんなさい!」
何て汚い大人なんだ。二人が眩しい……。本当に生きていてすいません。
……ちょっと待て、今なんて言ったこのゼリー状の生き物。変な奴? お前の方が変なやつだろ!
……いや、今日は許そう。今日はな! 次は許さん! ……いや、許すかも。くそっ、自分の意思の弱さが情けない!
「よし、せっかくの給料日だ! 今日ちょっと仕事の話をして、明日は休みにしよう! そのために少し早く店を閉めたからね」
「お仕事の話! ……わわわ、すっごいお金が入ってる! こんなにもらえないよ!? あっ、でも……。ボスのために何か買えるかな!」
「キュンキューンキュン。キューンキュン!(何かおいしいものが食べたいッス。ボスにもおいしいものを買ってきて恩返ししたいッス!)」
「俺に優しくしないでくれ! 俺は駄目なやつなんだ! うわああああああ!」
10分ほど、とても綺麗な二人に汚い俺の心は攻撃をされ続けた。もう大丈夫だ、俺は真人間になった!
さて、それでは今日は少しだけ仕事の話をしよう。二人とも5Sや報連相については、大分覚えたからな。
「今日からは二人にこの紙を書いてもらいます。はい、セトトル読んでみて」
「えっと……ひやりはっと」
「キューン?(どういう意味ッス?)」
紙を受け取った二人は、不思議そうな顔で紙を見ている。本当はキューンが知っているんじゃないかと、少しドキドキしていた。
でも知らなかった。この謎スライムに負けるわけにはいかないんだ……!
「分かった! ひんやりはっと! 冷たい帽子のことでしょ!」
「キューン、キュンキューン!(なるほど、頭を冷やすことで脳をよりよく働かせるッス!)」
あぁ、セトトルには和むなぁ。キューンは何か違う知識をまた披露していて、困っちゃうなぁ。でも、ぷるぷる具合が良い感じだから許そう。
「二人とも惜しいけど外れだね」
「んん……、ちょっと違ったんだね」
「キューン……(残念ッス……)」
「ヒヤリハットとは、ヒヤッとしたときやハッとしたときのことを、記録しておくことだね」
「全然惜しくない感じがするよ!?」
「キュン!?(惜しくないッスよ!?)」
はっはっは、俺は笑いながらセトトルとキューンをスルーした。
セトトルの驚いた顔がとても面白いから、イタズラくらいしたくなるよね! キューンは小刻みに高速で振動しているところが、とても面白いし!
「棚から箱が落ちてきそうになったりしたら、背筋がヒヤッとするよね?」
「ひゃっとするよ!」
「キューン(背筋ってないッス)」
「うん、そうだね。そういうちょっと危なかったときのことを記載しておく。それで、どうしたらそうならないかを考えるんだ」
「キュンキューン!(流されたッス!)」
キューンとの付き合いも長くなってきたが、こういう疑問をすごく投げかけてくる。しかも分かってやっている節がある。
でも、そんなやり取りも微笑ましくて楽しいものだ。
「えっと……。ひゃっとしたり、ひゃっとしたときのことを書けばいいの?」
「うん。……うん?」
どうしよう、俺にはどちらも同じに聞こえた。ひゃっとひゃっと……。真剣な顔をしてるから水も差せない。伝わってるっぽいから良いかな?
「ひゃっとひゃっと……」
「キューンキューン……(ひゃっとひゃっとしたときを書くッス……)」
完全にひゃっとひゃっとになってしまった。ま、まぁいいよね?
「えっと、それで同じような事故が起きないように予防するんだ。だから、出来る限り二人とも書くようにしよう」
「オレひゃっとひゃっと頑張って書くよ!」
「キュンキューン!(ひゃっとひゃっと書くッス!)」
何か面白くて可愛いし、ひゃっとひゃっとでいいか。深く考えるのはやめよう。
さて、仕事の話はここまでだ。
「よしそれじゃあ、それを書くのは明後日から! 明日は一日倉庫をお休みにします!」
「いきなりお休みにしちゃって大丈夫なの?」
「大丈夫! 昨日のうちに休みにするって、商人組合にも冒険者組合にも言ってあるからね!」
「キューン!(さすがボスッス!)」
久々の休みにうきうきしながら、三人で明日の予定を考える。みんなで買い物にでも行こうかな。
その時、店の扉がノックされる。もう閉まってるのに、誰だろう?
俺は扉に近づき、声を掛ける。
「すみません、本日はもう終わりました」
「ナガレさん、カーマシルです。少しお話があって参りました」
げっ。まさか何か厄介ごととかだろうか? 俺と副会長は、最近ではお互い小さな嫌がらせをしあう悪友のような仲になっている。
決して仲が悪いわけではないが、面倒なことじゃなければ良いが……。
俺は扉を開き、副会長を中へとお通しした。
「開けるまでに少し間がありましたね? げっとか思っていたんじゃないですか?」
「ははは、そんなまさか」
「こんばんはカーマシル!」
「キューン!(副会長こんばんはッス!)」
「はい、お二人ともこんばんは。本日もお疲れ様です」
副会長はこの二人にはとても優しい。俺にだけ優しくない。一体なぜだろうか……。まるで見当がつかない。
さて、そんな白々しいことはおいておこう。こんな夜に一体何の用だろう?
「それで、何かあったのでしょうか?」
「えぇ、すっかりご連絡を忘れていました。こちらを見てください」
副会長に渡された手紙を開き、三人で見る。ちなみにキューンも見たがったので、俺は座って見えるようにしながら見ていた。
えーっと何々?
『定例の四倉庫会議を行います。皆様、お忘れなきようご参加のほどをお願いします』
要約するとこんな感じだった。場所は商人組合内の会議室らしい。
四倉庫会議とは何だろう?
「では、確かにお渡し致しました。ナガレさんも管理人となって一ヶ月。商人組合でも高く評価をしています。色々とお話ししたいこともありますので、必ずご参加ください」
「はい、分かりました。ところで、四倉庫会議とは何でしょうか?」
「四倉庫会議とは、三ヶ月に一度行います。東西南北の倉庫の管理人と、商人組合の会長・副会長が集まって業務などの話を致します」
「なるほど……。分かりました、必ず伺います。いつ行われるのでしょうか?」
「明日となっています。確かちょうどお休みとお聞きしました。10時くらいに起こし頂ければと思います。では私はこれで」
「え、明日……。ちょ、副会長!?」
副会長は、足早に立ち去って行った。
このギリギリのタイミング。明日が休みだと知っていて、夜に手紙を渡しに来る。
ハメられた! 道理で休みの申請が簡単に通ったわけだ! こないだ休みの日だと知っていたのに、副会長を呼び出したことを根に持っていたに違いない。
俺は意気消沈しながら、その手紙を読み直した。忘れ物をしたら困るしね……。
三ヶ月に一回の会議だからしょうがないのは分かるけどさ! 状態が良くなっただけで、人件費を考えたら軌道にのっていなかったし! 誰だよ一ヶ月前に、うまく軌道にのるかもしれないとか言ったやつは!
なによりも、俺の休みを返してくれよー!




