二個目
とりあえず一旦落ち着こう。
おじさんも怪訝そうな顔をしている。すまないおじさん待ってくれ、一番怪訝な顔をしているのは、たぶん俺だ。
こんな訳の分からない状況になっても、すぐに冷静になり状況判断をしてしまう。この時ばかりは、そんな自分に少し感謝した。
どうやらここは木製の建物、そして何かのお店。
先程のおじさんの話からすると、例の倉庫なんだろう。ということはだ、俺はさっき面接?を受けて帰ろうとしてドアを開いた。
そのドアの先がここに繋がっていたということだ。
なるほど、至極簡単な話だった。
はっはっはっはっは……。
落ち着け。そんなことがあるわけがない。トリックか? こんな大がかりなトリック……?
そこでハッと気づいた。
そうか、これは夢だ。どこからだ? 家が燃えたのも夢? 財布を落としたのは? 会社を辞め……。
俺は慌てて鞄を開けた。そして中を見る。
……鞄の中には、俺が買ったプリンが入っていた。
……。
プリンを買ったことも夢だ。俺は自分を納得させた。
よし、こうなればもう何をやっても構わないだろう。
腹を括った俺は、ようやくおじさんへと話しかけた。
「すみませんでした、ちょっと緊張していました。こちらで働かせて頂こうと思っています、秋無 流と言います」
「おぉ、緊張していたのはしょうがないしょうがない! そうか、胡散臭いやつに募集を任せたんだがね? こんなにすぐに見つかって良かった! 服装を見るに、君はこの辺りの人じゃないようだね? あ、とりあえずこの紙に手を載せてくれるかい」
紙に手? 特に何も書かれていない白い紙。自分の手にも何か朱肉などをつけたわけではない。
この夢の中では、こういう挨拶をするのが普通なのだろうか。
……まぁいいか、所詮夢だしな。
俺は深く考えずに、言われるままに手を載せた。
「うん、ありがとう。と言っても今日はもう夜も遅いからね、また明日来てもらってもいいかな?」
まずい、俺には(夢の中とはいえ)家がない。
何とか頼み込もう。
「すみません、即日から住み込みが可能と聞いたのですが」
「ん? あぁ、勿論その方が助かるよ! じゃあ部屋に案内するから来てくれるかな?」
俺はおじさんに促されるままに、二階の部屋へと通された。
「じゃあ、今日はここで休んでくれるかい? 詳しい話はまた明日ということで!」
「はい、お手数お掛けします」
おじさんはそれだけ言うと、部屋を出て行った。夢とはいえ、服装の違いなどにも一切のツッコミがない。良く出来ているようで手抜きだな。
とりあえず部屋を見渡すと、部屋の中は質素な作りだった。
むしろ、海外とかで見るような古い作りと言えばいいんだろうか? 味があるその感じに、ちょっとテンションが上がる。
自分はとりあえず鞄を小さい机の上に置いた。ついでに上着を脱いでネクタイを外し、近くの椅子にかける。
今日は疲れた。……疲れた? 夢なのに?
……まぁいいか。
俺はそのまま、眼鏡を外すこともなく木製のベッドへと倒れ込んだ。
布団は薄く、クッションも入っていない。すごく固い。
でも今はそんなことはどうでも良かった。
とりあえず寝よう……。
「おーい、起きろー! おーい!」
……うるさい。何かが顔の前で騒いでいる。
「頼むから、起きてくれって。……起きてくれないとオレが困るんだよぉ」
困る? 一体何が困るっていうんだ?
俺はぼんやりと薄目を開けた。
目の前には青髪の小さい少女。この子が俺を起こそうと騒いでいたのだろう。
……いや、小さすぎないか? 何か羽とかあるし。
「起きた! おはよう!」
「……おはよう?」
「寝ぼけてるな……。まぁいいや、この手紙を渡すようにって言われてたんだよ」
手紙? 彼女は俺の前に手紙を置くと、パタパタと飛びながら俺の肩に座った。
……座った!?
俺は急激に目が覚める。
なんだこの子は!? 身長はえーっと、15cmくらいか? どう見ても手のひらサイズだ。で、今は俺の目の前をパタパタとホバリングしている。
これはあれだ、ファンタジー物によく出る妖精ってやつじゃないのか?
ん? 妖精? そこで俺は昨日のことを思い出した。
……そうか、まだ夢の中か。
なら仕方ない、動揺していても意味がないからな。
「なぁ、手紙見ないの?」
「あ、そうだな。見ようか」
夢だと分かっていれば動揺もしない。俺は手紙を勢いよく開いた。
普段ならペーパーナイフとかカッターが欲しいところだが、夢でそんなことは気にしない。
『おはよう。
昨日は夜分遅くに来てくれてありがとう。
私はこれで隠居します。
ちょっとした理由があって、どこに行くかは言えません。
頑張ってください。
オルフェンス』
……最後には、見知らぬ名前が記載されている。というか、俺の名前すら書いていない。きっと覚えてすらいなかったのだろう。
で、俺に手紙を渡すような人は一人しかいない。昨夜会ったおじさんだ。
俺は一応確認のため、妖精の女の子に話を聞いてみた。
「この手紙は、おじさんに頼まれたのかい?」
「あ、うん。そうだよ! オレ、偉い?」
「(オレ……?)偉い偉い、ありがとね」
とりあえず頭を撫でて置いた。彼女はくすぐったそうに、嬉しそうに笑っていた。可愛い。
現実にも、ぜひ妖精を実装するべきだ。大人気だろう。
オレという口調から、もしかしたら彼女じゃなくて彼だったのか? まぁ可愛いし、彼女でいいだろう。
もし男の娘だとしたら、俺もとんでもない設定の夢にしたものだ。
さて、とりあえず分かったことはだ。
おじさんは店を俺に押し付けて逃げたらしい。最低だ。
とはいえ、夢の中でまで一々怒ってはいられない。俺は起き上がって眼鏡を拭き、身支度を整えた。
そして俺の周りを飛んでいる妖精さんを見て気づいた。
「あ、自己紹介もしないでごめんね。俺の名前は秋無 流。名前を教えてもらっていいかな?」
「オレはセトトルだよ! よろしくボス!」
「うん、よろし……え?」
今、この青髪の妖精は俺のことを何て言った? 聞き間違えかな?
……ま、まぁいいか。とりあえず気にしないでおこう。まずは一階へと降りるかね。セトトルは俺の周りをうろうろとしながら顔色を窺っている。
その視線の先が、肩や頭であることに気付いた。もしかして、乗りたいのかな?
「セトトルさん、肩でも頭でも好きなところに乗っていいよ」
「え、本当!? ありがとう! あ、でも俺のことはセトトルって呼び捨てで大丈夫だよボス!」
可愛い。変な呼び方をされた気がしたが、そんなことは一瞬で忘れてしまう可愛さだ。
セトトルは嬉しそうに俺の頭へ飛び乗った。柔らかい感触が頭に当たる。これは……恐らく胸だな、間違いない(確信)。
男の娘じゃなくて女の娘のようだ。どうやら俺はそっちの趣味に目覚めたわけじゃなかったらしい。少しホッとした。
1階へ降りて、まず最初に時計を見る。時間は8時半。仕事をしていたころなら遅刻だ。
2階から1階へ降りるだけだから遅刻にはならない、これは中々快適だ。
そうだ、顔を洗って朝食とかも何とかしたいところだが……。
そこで、扉がけたたましく開かれた。
「オルフェンスはいるか! む? 誰だお前は」
入ってきたのは、黒髪におかっぱで、THE・委員長といった見た目をした、小学生くらいの女の子だった。朝から扉を壊れんばかりに開いて入ってくるとは、親の躾けが悪い。しっかりと注意をしよう。
「お嬢さん、扉は優しく扱わないとだめだよ? 物は大事にしないとね。後、僕は秋無 流。昨日からここで働くことになったんだ」
「む、確かに扉はすまなかった。私はアグドラという。オルフェンスに用が会ってきたのだが、呼んでもらえるだろうか」
「えっと、オルフェンスさんなんだけど……」
「おはようアグドラ! 前のボスなら逃げたよ!」
部屋の中は、セトトルの一言で静寂に包まれた。もう少しオブラートに言ってあげようと思ったのだが、手遅れだった。
アグドラさんはわなわなと顔を真っ赤にして震えている。
今にも怒鳴りだしそうだ。いや、というか怒鳴る。
それを止めたのも、セトトルの一言だった。
「あ、でも俺がアグドラへの手紙を預かってるよ! これ、渡しておいてくれって」
「見せてくれ!」
アグドラさんは手紙を引っ手繰るような勢いで取ろうとし、止まった。
そして一つ咳払いをすると、優しく手紙を受け取った。さっき注意したことを覚えていたのだろう、とても良い子だ。
俺はアグドラさんの頭を撫でてあげることにした。
「な、何をする! 手紙が開きにくいし、恥ずかしい! やめてくれ!」
「偉い偉い」
「うぅー!」
先程とは違った意味で顔を赤くしたアグドラは、俺が撫でるのを止めるのを待ち、手紙を開き読み始めた。子供ってのは可愛いなぁ。
そして口を開いたまま固まった。一体何が書いてあったのだろう?
覗き見たいが、大人としてそんなことはできない。そんな俺に気付いたのだろう、アグドラは無言で俺に手紙を差し出してきた。とっても良い子だ。
俺は受け取った手紙に目を通す。色々と書いてあったが、内容的にはこんな感じだった。
『アグドラさんへ
後のことはその青年に任せてあります。
彼の手形入りの契約書を同封しておきます。
店も借金も全て彼に譲渡することになっています。
探さないでください。
オルフェンス』
今度は、俺が口を開いたまま固まる番だった。