vsバレンタイン
もし過去に戻ることができるのならば、声を大にして言ってやりたい。
人の話はちゃんと聞こう。伝えるべきことはしっかり伝えよう、と。
それはそんなちょっとした後悔を含んだ、バレンタインの話である。
◇
バレンタイン当日、東倉庫は慌ただしかった。
理由は雑貨屋で販売されている、小さなバレンタイン用のチョコの袋を預かっているからだ。
このまま渡しても良し、手作りにしても良し。とても便利らしくアキの町でも評判の品らしい。
「え? 次は五十袋? すぐに出して数えて! 間違えないようにね!」
「分かったッス!」
バタバタと倉庫へ行ったりカウンターへ戻ったりを繰り返す。
目まぐるしく働いていると、肩がトントンと叩かれる。
顔を向けると頬に指が食い込んだ。そんな俺の様子を見て、セトトルは楽しげに笑っていた。
「ボスー、じゃあ午後はお休みをもらっちゃうけど……オレたちいなくて本当に大丈夫? 忙しいよね?」
「大丈夫大丈夫。前もって言ってくれていたんだから、気にしないでいいよ」
セトトルの頭へ手を乗せて撫でる。彼女はくすぐったそうな顔をした後に抱き着いてきた。
もう普通の人間と変わらない大きさなのに、彼女は妖精だったときと同じように行動する。正直、やめてもらいたい。
……いや、語弊があった。やめてもらいたいというのは、決して嫌だからではない。
まず第一に、周囲がニヤニヤとした視線を浴びせてくる。
第二に、嫉妬と憎悪に満ちた瞳を向けられるからだ。
特に今日はバレンタイン。うちへ来ているお客様からの視線は、そのほとんどが嫉妬だった。
まぁ、なんだ。つまるところ、俺は恥ずかしいのだ。嬉しいけれど恥ずかしさが勝ってしまっている、というところは理解してもらいたい。
こほんと一つ咳払いをし、冷静さを取り戻したフリをする。
そして俺はセトトルへと頷いた。
「ほら、なにをするのかは分からないけれど、気にせず休みをとりな」
「はーい! ありがとう、ボス!」
「ありがとう……ござい、ます」
そっとフーさんが袖を掴む。俺は彼女の頭も同じように撫でてあげた。
「やれやれ、それじゃ後はよろしくね。二人とも行くよ」
セレネナルさんに促され、二人が俺から離れる。
そして手を振りつつ立ち去って行った。
三人は軽快な音を立てながら階段を上り、二階へと向かう。
その音が聞こえなくなった直後、俺はお客様から色んな物を投げつけられた。幸せで申し訳ない。
なんでこんなに忙しいんだ! バレンタインだからか! そうだった!
積み重なっていく仕事に頭を回しながら、みんなに指示を飛ばす。
「ガブちゃん! 雑貨屋に届ける荷物を出してくれるかい! ヴァーマ! 確認が終わったら荷物を届けて!」
『我に任せるがよい!』
「よし来た!」
二人も忙しそうに動いている。えーっと、次はこっちの箱の中身を確認しよう。その後は在庫が目まぐるしく動いているから数の確認を――。
「ただいまー」
「おかえりなさい!」
確認はしていないが、声からするにウルマーさんだろう。
カウンターの上で紙に目を通していると、近づいて来るのが分かった。
しかし、忙しいので見ている暇はない。えーっと、この箱には三十個入っているのか。
「ねぇナガレ、×□〇△□〇△好き?」
ピタリと動きが止まる。今、彼女はなんて問いかけたのだろうか?
ほにゃらら好き? と言っていた。それは分かっている。
顔をあげると、ウルマーさんはなにかを期待しているような目を向けていた。
もう一度聞けばいい。聞き逃してしまったのだから、それが一番手っ取り早い。
だが、なんたらかんたら好き? と彼女は聞いた。聞き返したら、聞いていなかったことを咎められかねない質問じゃないだろうか。
にゃらほらふにゃらら好き……?
考えろ、考えるんだ。これは穴埋め問題。聞き返すリスクを冒すのではなく、答えを導きだせ!
――そして、その答えは導き出された。ウルマーさんとも長い付き合いになってきている。今の俺にかかれば簡単なことだ。
襟元を正し、ネクタイをキュッと上げる。少しだけ佇まいを直した俺は、背筋を伸ばして彼女に答えた。
「もちろん――好きですよ」
若干だが頬が熱くなっているのが分かる。後、お客様方の視線も厳しくなっていた。殺意が見え隠れしている。後が怖い。
ウルマーさんはなぜか少しだけ驚いた顔を見せ、口を開いた。
「そっかそっか。ならそうしよっかなぁ。……忙しいところありがとう!」
彼女は上機嫌な様子で二階へと上って行った。
あ、あれぇ? 今、かなり勇気を出して言ったよな? 顔とか真っ赤になるような台詞を、できるだけ平然と答えたはずだ。
なにか釈然とせず首を傾げていると、肩に手が置かれる。お客様方は、同情するような目で俺を見ていた。
終わらない、仕事が終わらない! 人手が足りないこともあるが、全然終わらない! ふぁあああああああああああ!
と、叫び出したい気持ちを我慢し、大丈夫大丈夫と慌てている仲間たちに言う。俺はここの管理人、トップだ。余裕がないところを見せたら仲間にまで動揺が伝播してしまう。
「落ち着いてやっていこう。大丈夫、忙しいのは夕方までだ」
「本当ッス?」
「さぁ張り切っていこう!」
キューンの質問には一切答えず、仕事にとりかかる。
チョコを夜に買う人は少ないだろうし、夕方には落ち着くさ、たぶん。
帳簿をやっつけてやろうと目を通す。数字を見ていると他のことが考えられなくなるな……。
「今、私が帰りましたわ!」
「おかえりなさい!」
確認はしていないが声だけで分かる。ハーデトリさんだ。……ん? さっきも同じようなことをやった気がする。まぁ気のせいだろう。
あぁパソコンがあればなぁ。なんて考えつつ数字を確認し続けた。
……ふと、気配を感じ顔をあげる。驚き、少しだけ後ろへ下がってしまう。
目の前には、白くて美しい双丘があった。
「ナガレ、ちょっと聞きたいことがありますの」
「は、はい」
近い、とても近い。カウンター越しなのに彼女が乗り出しているせいで、目と鼻の先だ。
これはよくないと視線を泳がせる。ハーデトリさんが腕を組み、何のことかは言わないが、たゆんと揺れていた。でかい。
「ナガレは大きいのと小さいの、どっちが好きですの? 中くらいのでもいいとは思うのですけど……やっぱり小さいほうがよろしくて?」
ゴクリと唾を飲み込む。この質問は危険だ。間違えたら、彼女はすごく落ち込む気がする。冷静になるんだ、俺。
一度、仕事のことを頭から振り払い、眼鏡を中指で押し上げる。
そして恥も外聞も全て投げ捨て、俺は告げた。
「大きいのも――大好きですよ」
「あら、そうですの? 少し意外でしたわ……。でも、そういうことでしたら任せてほしいですわ! おーっほっほっほっほっ!」
ハーデトリさんは上機嫌な様子で二階へとあがって行った。
パチパチパチパチと拍手の音が聞こえる。よく言った、と男性陣が頷いていた。
ちなみに、女性のお客様には冷ややかな視線をいただく。変な噂が増えないことだけを切に願おう。
慌ただしい仕事が落ち着いたのは、夕方よりも闇が深くなったころだった。
「今日は大変だったね。もうお客様も来なさそうだし、早めに閉めようか」
「賛成ッス!」
『我は疲れた……』
「あ゛ぁ゛~」
ヴァーマがおっさん臭い声をあげている中、本日の仕事を早めに切り上げる。
片付けも手早く済ませ、凝った肩を解しつつ部屋へと戻った。
「ふぅ……」
「ボス、お疲れ様ー!」
「そうだ、ここからが本番だった」
「え?」
「いや、なんでもないよ。今日はなにをしていたの?」
「えへへー」
セトトルはもじもじと恥ずかしそうにしている。なにをしていたのか? そんなことは聞くまでもない。バレンタインなのだからチョコを作っていたのだ。
だが、知らないフリをするのも甲斐性というもの。俺はさっぱり分からないなーという態度を貫くと決めていた。
「えっとね、オレからじゃなくて、ウルマーからだよ!」
「ウルマーさんから?」
「はーい! お呼びがかかりましたウルマーです! お仕事お疲れ様、そしていつもありがとうナガレ」
そっと机の上へお皿が置かれる。それは少し……いや、かなり……すごく大きなチョコレートケーキだった。
正直、やらかしたと思う。前もって小さいほうが助かる、とでも伝えておけばよかった。
しかしまぁ、四人の愛が込められたケーキだと思えば頑張れる。
俺は四人へと笑顔を向けた。
「ありがとう。早速食べていいかな?」
「もちろん! さぁどうぞ!」
ウルマーさんがケーキを半分に切り、別のお皿に乗せる。そして向かいへ座った。
「半分ずつ、ってなんか嬉しいじゃない?」
「なるほど、いいですね。でもそれなら――」
「はい、それじゃあ召し上がれ!」
五等分すれば、とか。他の人の分は、とか。
言いたいことは多少あったのだが、こんな笑顔で言われたらなにも言い返せない。
それに、大きいとはいえ半分ならいけるだろう。
俺は、今日の夕飯はケーキかぁ。なんて考えつつケーキを口へ放り込んだ。
瞬間、意識が落ちた。
ハッと気付く。目の前にある少し欠けたケーキを見て、自分がなにをしていたかを思い出した。
なんだ、このケーキは? 甘い、とてつもなく甘い。
どれくらい甘いかというと、ココアに砂糖を十杯くらいぶち込んだ甘さだ。
なぜ、どうして、こんなに甘くなった!?
「んー、おいしい!」
「……えぇ、すごくおいしいです」
「本当!? 良かったー」
同じケーキを食べていたウルマーさんが嬉しそうな顔をする。そうか、もしかしたら男性と女性の味覚の違いかもしれない。うん、大した甘さじゃ……あまっ!
このままでは食べきるのは困難極まりない。俺はフーさんへと顔を向け手招きした。
「フーさん、甘くない飲み物をもらえるかな?」
「分かり、ました」
彼女は俺の頼みごとを笑顔で引き受け、台所へと走って行った。
大きいとはいえ半分。さぁ気合い入れて食べていこうか!
三十分ほどの時間をかけ、俺はケーキを平らげる。甘くないお茶を注いでもらったことが功を奏した。
ウルマーさんがお皿を片付けるのを眺めつつ、一息ついたな、と考える。――しかし、それはケーキよりも甘い考えだった。
「次は私ですわね!」
とても、とても嬉しそうにハーデトリさんが机の上へなにかを置く。
俺はそれがなにかを分かっているのに理解できず、動きを止める。
そこには……今食べきったのと同じ……ケーキが……あった。
落ち着け、落ち着くんだ。落ち着いて……あれか!
全てが一瞬で繋がる。ウルマーさんと、ハーデトリさんの質問が!
ウルマーさんのあれは、甘い物って好き? と聞いていたんだ。
ハーデトリさんのあれは、ケーキが大きくないほうが良いかしら? と聞いていた。
あぁ、なんて迂闊に返事をしてしまったんだ。過去の自分へコブラツイストを決めてやりたい。
だって、分かるだろう? 次、と彼女は言った。それはつまり、さらに次とその次があるということに他ならない。
「では、召し上がってくださいませ」
「ありがとうございます! おいしいケーキがたくさん食べられて幸せです!」
「まぁそんな……私も頑張って作った甲斐がありましたわ! おーっほっほっほっ」
俺は、第二の難敵の討伐へと取り掛かった。
動けない。俯いたまま、視線をあげることすらままならない。
だが、三つ目のケーキが目の前に置かれた。逃げ場はない。
椅子の上で体を細かく動かし、腹ごなしをしている気分で食べたが、それも限界。言葉を発することすら億劫だ。
俺は、ゆっくりと、本当にゆっくりと立ち上がる。
そして笑顔を作り、震える唇を開いた。
「ちょっと、トイレに。ごめんね、フーさん」
「大丈夫、です。待ってます、ね?」
「うん、すぐ、戻る、よ」
軽く手を振り、俺は一階へと向かった。
そして洗面所へ入り、顔を注ぐ。それだけでは気が済まず、ネクタイを緩めて首や耳まで洗った。
どうする、どうすればいい。あの三体目はどうやって討伐すればいい。
「お困りみたいッスね」
「その声は……キューン!」
「僕にお任せッス!」
緑色の球体はピョンッと飛び上がり、俺の服の中に入り込んだ。ひんやりしていて気持ちいい。後、慣れている自分が少し嫌だ。
しかし、キューンが纏わりついたからなんだというのか。彼にこそこそ食べさせたりするようなつもりはない。相手に失礼だ。
「う、うぉぉぉおおおぉぉぉぉおぉ!」
「どうッス!」
体に纏わりついているキューンが急に振動し出す。いいい、一体なんだこれは!
「微細な振動で周囲には分からないッス! 効果は動いていなくても軽い運動をしているような状態ッス。つまり、腹ごなしが食べながらできるッス!」
「おおおぉぉぉぉおおおお、でもこれ、なんで気持ち悪くならないの?」
「調整してるッス」
一体どんな調整をしているのかは分からないが、うまくやってくれているらしい。
これなら……いける!
俺はネクタイを少しだけ戻し、舞い戻ることにした。いざ、戦場へ!
その効果は、ケーキを食べていて分かった。絶大だ!
「ゴチソウサマデシタ、オイシカッタデス」
「良かった、です」
とても嬉しそうにフーさんが微笑む。この笑顔を見れるだけで頑張った甲斐があったというものだ。
これで1ホール半のケーキを平らげた。全てキューンのお陰だ。しかし、もう無理。本当に無理。許してほしい。泣きたい。愛でお腹が破裂しそうだ。
だが現実は非常である。俺の前には四つ目のケーキがすでに鎮座していた。
産まれてから今まで、威圧感を覚えるケーキは見たことがない。いや、ケーキ自体に変哲はない。つまり……俺がケーキに怯えているのだ。
――それでも最後まで戦ってみせる。
俺は震えている腕を無理やり押さえ込み、最後のケーキへと手を伸ばした。
『我にも分けてもらえぬか?』
「え? ガブちゃん、食べたいの?」
「いいよー!」
セトトルはあっさりと了承する。恐る恐る目を向けると、全てを理解した顔をしたダイヤウルフが俺へ対して頷いていた。
ガブリエル! お前が、天使か!
口元を押さえ、浮かんだ涙をバレないように拭う。すると、肩に手が置かれた。
「せっかくだし俺にも分けてくれ」
「僕もほしいッス!」
「やったー! みんなで食べよー!」
セトトルはとても嬉しそうにケーキを四分割し、ガブちゃん、ヴァーマ、キューンに1ピースずつ渡した。
しかし、そこで気づいたのだろう。彼女の動きが止まる。残るのは1/4。彼女の予定よりも、遥かにケーキは小さくなっていた。
だが、セトトルは笑顔でケーキをさらに半分に分け、俺と自分の前へと置いた。
「どうぞ、召し上がれボス!」
「いただきます」
ケーキへ目を向け気付く。俺の前に出されたケーキは、セトトルがとった分よりも少し小さい。
そうか、俺がお腹いっぱいだと気づいて……。心遣いに申し訳なくて、涙が出そうだった。
「セトトル」
「なーに?」
「ありがとう」
「……えへへ、うん!」
次からはケーキは小さくしてもらおう。甘さも控えめにしてもらおう。
そんな反省点はあったが、終わってみればとても良い思い出ができた。
ちなみに翌日、俺は起きあがることができず仕事を休んだ。ケーキが襲ってくる夢はもう二度と見たくない……。
アグドラさんとダリナさんのチョコレート
バレンタイン前日、アグドラさんと副会長、そしてダリナさんがお店へと来た。
いや、ダリナさんはうちの店でも働いているから不思議ではないのだが、珍しい組み合わせだ。
「どうしました?」
「うむ、明日は忙しいだろうと思ってな。一日早いがバレンタインのチョコを持ってきた。いつもありがとう、ナガレさん」
「気を遣っていただきありがとうございます。ありがたくいただきます」
頭を下げ受け取る。
ピンク色の包装紙がとても可愛らしい、手のひらサイズの箱だった。
「ではわたしも。ナガレさん、いつもお世話になっています」
ダリナさんがチョコを手渡し、深々と頭を下げる。こちらこそと思い、同じように深く頭を下げた。
「休憩のときにでも食べさせてもらいますね」
「あぁ、好きなときに食べてくれ」
「もちろんわたしのもお好きなときにどうぞ」
用件は終わったのだろう。二人は東倉庫から出て行った。
しかし、なぜか一人残っている。言うまでもなく副会長だが、一体なにをしているんだろう?
他の用事があるんだろうか? 仕事のことかな? 不思議に思いつつ見ていると、副会長はわざとらしく咳払いをし、室内全部に聞こえる声量で告げた。
「今年、ナガレさんへ最初にチョコを渡したのは会長。次はダリナさんだったようですね。いえ、深い意味はありません。では失礼します」
たまたま、昼食を届けに来ていた居酒屋の娘さんがいた。
たまたま、仕事の打ち合わせに来ていた鬼の女性がいた。
当然、職場だから緑色の髪の精霊がいた。
背筋がゾクリとする。
後方からプレッシャーを感じる。
室温が下がった気がする。
「ボスー、オレも明日――っとととと、なんでもないよ! えへへ」
青い髪をした元妖精の言葉で助かる。
危うく涙目の女性三人に囲まれるところだった……。
さて、副会長への嫌がらせをしっかり考えておかないとな