百五十八個目
早朝、眠れずにセトトルを見ていた俺は、店の前が騒がしいことに気付き窓から外を覗いた。そこから見えた景色に、俺は度肝を抜かれる。
慌てて一階へと降り、扉を開いた。
「あの、一体なんの騒ぎでしょうか? 苦情でしょうか? 今取り込んでいまして、明後日以降に……」
「管理人さん! 力が必要なんだろう!」
「私たちの魔力が必要と聞きましたわ!」
そこでは、町中の人が行列となっていた。
人も、亜人も、冒険者も、オークも、兵士も。数えきれないほどの人たちが……兵士? それに気づき、俺は我に返った。やばい、騒ぎ過ぎて見に来たのかもしれない。
いや、それ以上の数がいる。一体どういうことだ? ……だが、その答えはすぐに出た。
「ナガレ殿」
「お久しぶりです、ナガレさん」
「ウォルフ王子と、ミシェルさん? なぜここに……」
「昨晩、例のドラゴンが王都に来てな。物凄い勢いで往復をして、私たちをアキの町へ運んでくれた。いやいや、大したものだ」
涙が、出そうだった。泣かないと決めていたのに、泣きそうだ。人との繋がりが、俺を助けてくれている。セトトルのために、集まってくれた。嬉しくて、でも泣くわけにはいかなくて……。
涙を耐えている俺に、ウォルフ王子が手を差し出した。
「力が必要なのだろう? 言ってくれ。君は我が国に必要な人材であり、友だ」
「ありがとうございます……!」
俺は差し出された手を、強く、強く握った。
人々は綺麗に並び、順番を待って中へと入る。そして水晶へと触れた。俺はフーさんの側で、額に汗を浮かべる彼女を応援するしかない。頑張れ……頑張れ……。
「次の……人を」
「大丈夫? 少し休んだほうがいいよ? 飲み物とか取って来ようか?」
フーさんは首を振る。俺は自分の無力さをまた感じていたが、彼女はじっと俺を見た。なにかほしいものが浮かんだのかもしれない! どんなものでも買って来よう!
そう思っていたのだが、違った。
「手……」
「手?」
「握って……ください」
「あ、あぁ。うん! ずっと握ってるよ!」
「はい……」
祈りを込めて、俺はフーさんの手を握る。小さく、白い手は、優しく、温かかった。
手を握っているだけなのに、彼女は笑顔を俺へ向けてくれる。こんなにフーさんは強かったのか……。なにも気づいていなかった自分が、少しだけ恥ずかしくなってしまった。
俺はなんの魔力もないけれど、フーさんへ頑張れと気持ちを伝えるように、手を握り続けた。
何人もの人が、店へ入り出る。そして温かな言葉をかけてくれた。
「頑張れ!」
「絶対大丈夫だ!」
「今までだって、管理人さんはなんとかしてきたろ!」
誰一人文句は言わず、応援してくれる。嬉しさと申し訳なさが、混じりあってしまう。ただ感謝をするべきなのに、どうしても悪い気がしてしまった。きっとこれは性分なのだろう。
並び続ける人々が、どうして何も苦情を言わないのだろう? 文句が出ないことが、俺には不思議だった。
しかし、その理由は耳を澄ませることで分かる。歌声が、聞こえきていた。
ウルマーさんが歌っている。少しでも力になろうと、みんなが不満に思わないよう、歌ってくれているのだ。
その歌声に混じり、他の人の声も聞こえる。ハーデトリさんたちが、列を整える声。おやっさんたちが、食料を渡している声。
きっと二階にいるセトトルにも、聞こえているだろう。セトトルを見てくれている、キューンや、ガブちゃんや、ヴァーマや、セレネナルさんや、ダリナさんにも。届いているはず。
起きたら、伝えてあげたい。妖精の村ではそうじゃなかったとしても、今はこんなに愛されているんだということを。
水晶にはたくさんの魔力、願い、祈り。そういったものが注がれていく。
その日、深夜まで行列は続き、フーさんは休むこともなく神石へ注ぎ込まれた魔力を制御し、全ての準備が整えられた。
朝、親方が店へとやって来た。
「ボス、話は聞いておる。これを受け取れ」
「これは……?」
親方に渡された小さな箱を開くと、指輪が二つ入っていた。こんなときに指輪とは、婚約のことを考えろということだろうか? 嫌味にもほどがある。
そう思ったのだが、実際はそうではなかった。
「それは、ドラゴンの素材を圧縮して作った指輪じゃ」
「キューンの?」
「そうじゃ! スライムじゃないことなんて、とっくに見抜いておったわ! ずっと取っておいたのじゃが、全部使ってしまったわい。少しでも力になれればと思ってな」
「ありがとうございます」
親方に別れを告げ、俺は指輪を持って二階へと上がった。そして眠っているセトトルの横に、指輪を置く。竜の力の入った指輪だ、もしかしたら助けになるかもしれない。
たくさんの人が助けてくれた。絶対に大丈夫だ。そう思いながらセトトルを見ていると、急に体が光り出す。あぁ、ついにそのときが始まったのだろう。賢者の書に書いてあったので、この後どうなるかは知っている。
光は部屋を包み込み、納まったときには、ベッドの上に人が入りそうな大きさの繭が残っていた。
明日には、この繭は孵る。俺にできることは、もう待つことと祈ることだけだった。
俺は眠らずに、ずっと繭を見続けた。枕元に神石を置き、語り掛け続ける。今までのことを、何度も繰り返し語った。どうか、どうかほんの少しでも伝わってほしい。この祈りが届いてほしい。そう願いながら、思い出を語った。
次の日、関係者全員が集まり繭を見ていた。昨日繭になった時間を考えると、そろそろ孵るころだろう。そう思い、声を掛けておいた。どういった終わりを迎えても、その結末を直視しなければならない。だから、声をかけた。
俺たちがじっと眉を見ていると、パリッとヒビが入る。そしてゆっくりと開きだした。
中には、腰まで届く青い髪をした裸の少女がいる。膝を折り曲げ丸まっている少女は、間違いなくセトトルだった。
そしてそれと同時に、枕元に置いておいた神石が割れる。なぜか嫌な予感がした。
俺は頭を振り、立ち上がる。
「部屋から出ています。服を着せたら呼んでもらえますか?」
「分かった。任せておけ」
アグドラさんの返答を待たずに、男連中は部屋を出た。だが、顔は明るくない。もう少し時間が経てば、記憶を失った彼女が目を覚ますかもしれない。その不安が隠せなかった。
声がかかり、俺たちは部屋へ戻る。ヴァーマがぽんっと俺の肩を触る。俺はぎこちなくだが、笑って返した。
ベッドの横の椅子へ座り、じっと待つ。なにを伝えるかは、考えてある。
そして、その時が来てしまう。ゆっくりと、セトトルは目を開いた。
「……え?」
「おはよう」
セトトルは上半身を起こし、きょろきょろと俺たちを見回した。状況も分からないだろう。本当なら驚かせないためにも、人を絞るべきだったのかもしれない。
だけど、誰もが目を覚ましたセトトルに会いたかった。だから、許してもらおう。
きょろきょろとセトトルは辺りを見て、なにも話さない。あぁ、そうか。届かなかったのか。祈りも、奇跡も、全てが……。
もしかしたら守れるかもと、思ってしまっていた。でも、そうはならなかったのだ。ならば、言わなければならない。
……さぁ、言おう。この言葉だけは、俺が伝えないといけない。彼女と一番付き合いが長い俺が、伝えなければならないからだ。
「はじめまして、セトトル。あぁ、セトトルというのは君の名前だよ。ここはアキの町、東倉庫の二階。俺の名前はナガレ。この倉庫の管理人だ」
はじめまして、と伝えるのがこんなに辛いとは思わなかった。だがそれでも、俺が言わなければいけない。この先彼女がどんな道を歩むかは分からないが、俺は全面的に支援することを決めていた。
またもう一度出会って、同じよう一緒に過ごせるとは思っていなかった。だからこそ、今までのことは何も伝えない。そのための、はじめましてだった。
俺は伝えることを伝え、ただ俯き返事を待つ。もう、俺に言えることは何も無かった。