百五十四個目
兵士に囲まれ、両手を上げて敵意がないことを示す。しかし、意味がない。じわりじわりと包囲は狭まっていた。キューンめ、時間がないのに余計なことをしてくれるよ!
俺はそう思いながらキューンを睨むと、腰を突いて来た。ん? 短剣? あ、これって……。
ようやく意図が分かり、俺はその短剣を見せつけるように掲げた。
「この短剣は、ウォルフ王子より」
「ナガレ殿? 皆の者下がれ、怪しい者ではない。竜で飛来するとは、大胆な訪問だ。しかも、こんなに朝早くか。一体どうした」
「賜った……なんでもないです。すみません、緊急の要件がありこの様な形になってしまいました」
俺は顔を真っ赤にしながら、短剣を腰元へ戻した。キューンが笑っていることは凄く腹立たしいが、今は許してやろう。後先考えずに行動していたわけじゃなかったからね。
その後、王子の私室に通される。まぁ俺からしたらキラキラしていて落ち着かないのだが、王族の私室とはこういうものなのだろう。良い経験をさせてもらっているのかもしれない。
出されたお茶を飲みつつ、気持ちを落ち着かせて俺はウォルフ王子へ頼むこととした。
「お願いがあります。賢者の書を閲覧させて頂けませんか?」
「……これは驚いた。その話をどこで?」
「妖精から聞きました」
「セトトル殿が知っていたのか? どこで知ったのか興味深いな」
このままでは埒が明かないと、俺は全ての事情を手早く話すことにした。セトトルの容体。妖精の村へ行ったこと。そこで知った全てを。
全てを話した後、ウォルフ王子は目を瞑り、考え込んでいた。
「賢者の書の閲覧、か。あれは機密事項で、見れるものどころか、知っているものすら僅かだ」
「そこをなんとかお願いできないでしょうか? なんでもいたします」
「ふむ……」
ウォルフ王子は悩んでいた。しかし、俺も引くことができない。どんな手を使ってでも首を縦に振らせよう。もちろん、最終的には土下座だろう。
だが、とりあえずは彼の回答を待つべきだ。俺が大人しく待っていると、ウォルフ王子は頷いた後に口を開いた。
「分かった。ならば、我が王国に忠誠を誓ってもらおう」
「え……」
「そうなれば、今までのようにはいかない。この国のために働き、この国のために生きる。そういったことが要求される。よく考えて……」
「そんなことで、いいんですか?」
大した要求ではなく、俺は胸を撫で下ろす。それくらいお安い御用だ。
俺はそう思っていたのだが、ウォルフ王子は唖然とした顔をした後、笑った。
「は……はっはっは! いや、冗談だ。まさか即答とは思わなかった。賢者の書の閲覧だったな、ついて来たまえ」
「いいんですか?」
「前にも言っただろう。ナガレ殿とは良い関係を築きたい。なによりも、これくらい恩返しにもならないさ。まぁ……賢者の書だからな」
賢者の書になにがあるのかは分からないが、ウォルフ王子は少しだけ困った顔をしていた。どうやら、賢者の書自体がかなり厄介らしい。
だが、見せてくれるのならそれに越したことは無い。全部賢者の書を見てから考えよう。
城内を歩き、通された場所は厳重に警備をされている部屋。……のさらに奥の隠し通路を抜けた先にあった。
「ここだ。開けてくれ」
「はっ」
部屋の前にいた兵士が、ウォルフ王子へ頭を下げた後、扉を開く。重々しそうな大きな二枚扉は、ギギッと鈍い音を立てて開かれた。
そしてそこにあったのは……。
「なっ!?」
「これが、賢者の書だ」
視界に入る全てが本だった。何千冊、何万冊という本がそこには納められている。こ、この中から探すのか……。少しだけうんざりしてしまったが、俺は首を振り邪念を払った。
へこんでいる場合じゃない。ここから目当ての本を探し出すのに、時間がかかる。すぐに取り掛かろう。気合を入れなおし部屋に入る俺へ、ウォルフ王子が話しかけてきた。
「量にも驚いただろうが、それだけではない。見てくれるか?」
ウォルフ王子は手近な本を取り、俺へ手渡した。ぱらぱらと本を捲って見たが、俺には彼の言いたいことが分からない。一体どういうことだろうか?
頬を掻きながら、王子はため息をつく。んん? さっぱり事情が分からない。
「見ての通り、読めないのだよ。ここにある本は、何年何十年とかけて解読をしているが、遅々として進んでいない。それでも良ければ、自由に見てくれて構わない」
「あ……は、はい、ありがとうございます。とりあえず見させて頂きます」
「そうかい? なにかあったら、入口の兵士に行ってくれ。私もできる限り顔を出そう」
ウォルフ王子が立ち去り、扉が閉じられる。その場にいるのは、俺とキューンだけだ。キューンは辺りの本の背表紙を見て、ぷるぷると震えた。
そして俺の近くへと、ずりずりと鈍い動きで近寄って来る。
「ボス、読めないんじゃ駄目ッス。なにか別の方法を探すしかないッス」
「いや……読めるみたい、だ」
「……読めるッス?」
「うん……」
俺は色とりどりの本の背表紙を見た。確かに読める。なぜかは分からないが、この謎の言葉が俺には理解できていた。……いや、待て。一つだけ思い至る点がある。もしかして、この世界に来る前のあれか?
あの額をつん、っとされたあれだ。この世界の文字が分かり、モンスターの言葉を理解できた原因。それが、俺にこの本を読ませてくれているのかもしれない。
感謝しかなかった。今、この状況で一番ほしい力が、俺にはある。それが嬉しかった。
「キューン、まずは妖精について書いてありそうな本を探す。読むのは俺がやるから、手伝いを頼むよ!」
「まじで読めるッスか!? すごいッス! 手伝いは任せるッス!」
俺はキューンと一緒に、一つ一つ本棚を回る。そしてそれらしき本を棚ごとに引っ張り出した。ぐしゃぐしゃに並んでいるのではなく、どうやらしっかりと規則性を持って並べられている。
これなら、元の場所に戻すのも問題ない。俺は一冊ずつ、見落とさないようにしっかりと見ていく作業に入った。
三日が、経った。
毎日毎日、本を読んでいる。いや、見ているといったほうが正しい。ぺらぺらと捲り、それらしき文献を探し続ける。ただし理解できるのが俺だけなので、進みは遅かった。
「ボス、大丈夫ッス? どんなことが書いてあるッス?」
「うん……竜の魔法は竜属性で、竜しか持たない属性だとか、さっきの本にはあったね」
「そんなことまで!? 賢者はすごいッスね……」
「いや、どうでもいいことも多いよ。日記とかもあったからね」
焦るが、他の方法を今更探すわけにはいかない。というか、他の方法はアキの町の面々が探してくれている可能性が高い。俺にしかできないことなのだから、今はこの本の山を捲り続けるしかなかった。
それにしても、絶対に壊れない結界の作り方とか、一撃で山を吹き飛ばす魔法とかを載せられても困る。俺には魔力が無いから、なにも使い道がない。
空を飛ぶ機械の作り方などもあったが、キューンがいるので必要ないだろう。それに、この世界で機械を発展させるのは、俺の目的ではない。
はぁ……俺は少しだけ痛む頭を押さえながら、次の本を手に取り捲る。そして、あるページで手が止まった。
「これは……」
「見つかったッス!?」
「うん、妖精の成長と記憶を失うことについて書いてある!」
「それッス! 読んでほしいッス!」
「ちょっと待ってね」
俺は慎重に目を通し、一番大事な部分を探す。2ページ3ページと捲り、その記述を見つけた。ついに、辿り着いたのだ。求めていることが、そこには書いてある。
内容に目を通しながら、俺は読めないキューンへ聞かせるよう声に出した。
「妖精の記憶が失われることについて」
「うんうんッス」
「妖精は成長するときに、記憶を失う。その理由は大量の魔力を失って体を作り変えることにある」
「魔力ッスか」
「その大きな変化に、体がついてこない。なので、副作用として記憶を失うのだろう。これを解決する方法を考えた」
「そこッス!」
唾を呑み込み、文に集中する。ここからだ。一文字一句逃さず見ていこう。
今、俺はセトトルを助けるための場所へ辿り着いた!
「まず、魔力を補填する方法を考えた。しかし、これは難しいと判断を下す。多大な魔力を循環させた、特殊な場が必要だろう。さらに、これにはあらゆる魔力が必要となる。火、水、風、土、竜。全ての属性を備え、混じり合わせた場を用意することは、不可能だった。長く保つことができなかったのだ」
「駄目だったことはいいッス! 次ッス!」
「……なんだよ、これ」
「ボス……?」
俺はバンッと立ち上がった。本当ならばこの書を投げて捨ててやりたいところだったが、それだけはなんとか思いとどまる。決して、この本にも著者にも恨みがあるわけではない。
だが、そんなことって……。
「ボス! どうしたッス! 言ってくれないと分からないッス!」
どうにもならなくても、口に出して言わなければいけない。ここまで付き合ってくれたキューンへの、当然の義務だった。
俺は読みたくないその一文を、重い口を開いて読み上げる。
「……ならば、どうすればいいか? それを成し遂げられるとすれば、一つだけだろう」
「一つあるッス! 何ッスか!」
「……愛や絆といった、想いの力。つまり、奇跡が求められるのだ」
「……それって」
「駄目ってことだよ! 薬とかの方法はなく、魔法でも救えず、奇跡に縋るしかないってことだ!」
「ボ、ボス落ち着くッス……」
「くそっ! くそっ! くそっ! くそっ!!」
俺は頭を抱え、動けなくなった。今まで読んだ文献を考えても分かる。これほどまでに長く研究をしていた賢者が、奇跡に頼るしかないと言ったのだ。
つまりそれは……俺に、セトトルの記憶を守ることはできないということだった。