百五十一個目
夜にも関わらず、商人組合では忙しそうに仕事をしている人が多くいた。その人たちを尻目に、俺は見慣れた会議室の扉を開く。中には都合の良いことに、三人の管理人とアグドラさん、副会長が揃っていた。
突然扉を開いて入ってきた俺を見て、一瞬驚いた顔をしていたが、誰かが分かり五人は笑顔となる。だが、険し顔を見せる俺に気付き、怪訝そうな顔に変わった。
「ナガレさん、いかがしましたか?」
「時間が無いので、手短に済まさせて頂きます」
「ふむ、どうやらなにかあったらしいな」
副会長とアグドラさんだけでなく、全員が真剣な顔に変わる。今まで頑張ってきた信用が、活きた気がした。そのことは嬉しいが、俺の焦りが消えることはない。早く戻らないといけないからだ。
話すことは、すでに考えてある。だから俺は一息に、用件を告げた。
「セトトルの命が危ないです。なんとしても助けます。そのために、力を貸してください。俺は東倉庫を当分空けますので、お任せします」
「……事態が切迫していることは分かりましたが、説明が足りなさすぎませんか?」
アトクールさんの言葉は正しい。だが、ハーデトリさんが割って入った。
彼女は立ち上がり、両腕を組む。そして平然と言った。
「分かりましたわ! お話はもう結構、行ってくださいませ!」
「ありがとうございます」
「おいおい、待てよハーデトリ。さすがにそれは……」
「話すことはありません。今私たちがしなければならないことは、東倉庫の対応。そしてセトトルちゃんを助けることですわ」
はっきりと、当然のことだと、言ってくれた。
ハーデトリさんの言葉で、他の人たちは戸惑いこそしたものの、頷いてくれる。叱責の言葉も、否定の言葉も、なにもない。それが嬉しく、泣きそうになる。……だが、我慢をした。
今は泣いている場合ではない。まだ話が済んだだけで、助けられたわけではないからだ。
助けられないかもしれない。そんな弱気を全て振り払い、俺は部屋を出ようとする。しかし、アグドラさんに声を掛けられて止まった。
「ナガレさん、一つだけ忘れないでくれ」
「はい、なんでしょうか」
「私たちはあなたに感謝をしている。常に力を貸し続けてくれた、東倉庫の管理人ナガレへ報いたい。必ず力になる。だから……」
アグドラさんは目を瞑り、頷き、目を開く。そして改めて俺を見た。
彼女の笑顔が、俺の弱っていた心に力をくれている気がする。
「大丈夫だ、思いつめないでくれ。必ず助けよう。私たちも事情を聞いた後、対策を調べて動き出す」
「……はい!」
俺は商人組合を飛び出し、東倉庫へと走った。胸の中には温かいものがあり、なんでもできそうな気がする。自分勝手な事情で仕事を投げ出そうとしているのに、誰も咎めない。悪い気がしながらも、それ以上に嬉しかった。
東倉庫へと戻ると、ダリナさん以外の全員が揃っている。どうやらダリナさんはセトトルについてくれているのだろう。
顔にも気合が入っており、心強かった。もう、言葉にする必要はない。俺は無言で金庫から短剣を取り出し、腰へつける。何かに使えるかもしれない。
そしてキューンを連れ、全員に見送られながら東門へと走った。
東門へ辿り着くと、門番に止められる。俺は焦りを隠しながら応対した。
「あれ? 管理人さん、こんな夜遅くにどうしたんだい?」
「出かけます、手続きをお願いします」
「はいはいっと。……あれ? 外出許可がないな」
「商人組合に事情を聞いてもらえますか?」
「いや、さすがにそういうわけには……」
まどろっこしい。ちゃんと仕事をしてくれている門番さんたちに、当たってしまいそうになる。
しかし、どうしようもないところだ。俺が苛立っていると、騒ぎを聞きつけて歩いてきた人物がいた。
それは冒険者組合の会長、サイエラさんだ。非常にまずいことになってしまった。
「まずいッスね。止められたら時間をとられるッス。強行突破するッスか?」
「仕方ないかな……」
サイエラさんは俺に気付き、不思議そうな顔を見せる。夜に門で揉めている人物が、俺だとは思わなかったのだろう。俺だって決して揉めたくはなかったのだが、事情があるので仕方がない。
「一体どうした?」
「いえ、東倉庫の管理人さんが町を出たいと……。しかし、許可証がないので出してあげられません。昼ならともかく夜ですからね」
「なるほど、それは……」
どうなるか様子を窺っていたが、仕方がない。俺がキューンに頷き強行突破を図ろうとしたときだった。サイエラさんと、目があったのだ。
じっと俺を見ているため、目が逸らせない。腰に手を当て、剣を握ろうとしている。もしかしたら、切りかかってくるのだろうか?
キューンを信じるしかない。俺がそう決めて目を逸らしたときだった。
「あ、あー! いや、すまない。連絡を忘れていた。ナガレさんにはちょっとダンジョンの様子を見て来てもらうことになっている。私のミスだ、サインをするので通してくれ」
「あぁ、そうだったのですか。夜遅くにお疲れさまです、通って大丈夫ですよ」
「え……」
俺がサイエラさんを見ると、彼女は何も言わずに手を振った。どうやら、見逃してくれるらしい。ありがとうございます。
胸の中で思った言葉を口にせず、俺は頭を下げた後、キューンを抱えて門を飛び出した。
「やれやれ」
「なにかダンジョンであったのですか?」
「さてな。とりあえず、東倉庫と商人組合に寄ることとしよう」
やり取りの声は聞こえたが、俺は答えずにそのまま走る。
走って走って、町から少しだけ離れたところで止まった。
「キューン!」
「了解ッス!」
緑色のスライムが、辺りを照らすほど輝きだす。そして徐々に大きくなりながら、その形を変えていく。
……光が収まると、キューンは家よりもはるかに大きい赤茶色の竜の姿となっていた。俺がよく知る、物語の挿絵で見たことがある竜が、そこにはいる。
「どうッス? 驚いたッス? ……怖いッスか?」
「いや、かっこいいかな。とりあえず、そういう話は移動中にしよう」
キューンはくっくっくっと笑った後、俺を摘み上げて背中へと乗せた。硬い鱗の感触が分かる。まさか竜に乗る日が来るなんて……まるで物語みたいだ。
俺が乗ったことを確認し、キューンの羽がばっさばっさと動き出す。そして、その巨体が浮き上がった。徐々に高度を上げていくが、不思議と恐ろしさはない。むしろ、感動すら覚えた。
「飛ばすッスよ」
「限界まで飛ばしてくれて大丈夫だ!」
「まぁ魔力で押さえてるから大丈夫ッスけど、気絶とかしても知らないッスよ?」
「あーもう! 気絶と命! 大事なのがどっちかなんて、言うまでもないだろう!」
「確かにそうッスね。ボスの腕や足の一本、些細なことッス」
「その通りだ! 行ってくれ!」
「……そこは大事にしようッス」
ため息をつきながら、空へ浮いていたキューンは猛烈な勢いで飛び出した。そ、そういえばGとかのことを考えていなかった! やばい、振り落とされる!?
そう思い慌てて身を低くしたのだが、景色が猛烈に後ろへ飛んでいくだけで、俺が落ちることはなかった。
自分の体をよく見ると、光る球体が包み込んでいる。どうやら、しっかりと守ってくれているようだ。少し安心していると、キューンが俺へ首を向けて聞いてきた。
「そういえば、僕が断ったらどうするつもりだったッス?」
「なんとしても言うことを聞いてもらうつもりだったよ」
「……竜相手にッス? 噛みつかれたら、一発ッスよ? 力尽くは無理ッス」
ガキガキと、キューンは自分の口を合わせる。確かにこんな口で噛みつかれたら、一発で上半身と下半身は泣き別れすることになるだろう。だが、そんなことは些細な問題だ。
やるべきことをやらずに逃げ出して、セトトルを死なせるほうがよっぽど怖い。
「頭を下げてかな! 後は、休みを上げるとかほしい物を買ってあげるとか! それでも駄目なら……」
「駄目ならどうするッス?」
俺はにっこりと笑う。
そして、当然のことだと言わんばかりにキューンへ告げた。
「土下座かな! 良い返事がもらえるまで、恥も外聞も捨てて土下座! それくらいは覚悟していたさ!」
キューンはきょとん、とした後、空に響き渡るほどの声で笑った。
真剣に言ったのだが、そんなに面白かっただろうか……。
「いやぁ、最初に頭を下げたり、物で釣ろうとするのはいいッス。でも脅すのではなく、休みをあげるとか、土下座ッスか? そんなことを言った人間はいないッス!」
「ぐ……悪かったな」
「褒めてるッスよ!」
満足気に竜は笑い、首を前へ戻す。そして、さらに速度を上げた。
必ずセトトルを助ける。今までずっと助けてもらったんだ。必ず助ける。
俺はそれだけを考え、流れ行く空を眺めた。