百五十個目
ふと視線をあげると、窓から映る景色が黒く染まっていた。どうやら、もう夜らしい。時間が無いのに、時間を忘れて書き続けていた。
周囲には何枚もの紙が投げ出されており、ひどい有様となっている。しかし、今はそんなことはどうでもいい。俺は書き殴った内容を一枚の紙に纏めた後、地図を持って立ち上がり、部屋を出た。
一階へ降りると、ちょうど店を閉めるために全員が後片付けをしていた。だが俺を見て、全員が手を止めて見ている。今日一日降りて来なかったのだ、心配をかけてしまったのだろう。
「ナガレさん、大丈夫ですか? 店のほうはこれから後片付けです」
「ありがとうございます、仕事を任せてしまいすみません」
俺がダリナさんへ深々と頭を下げると、周囲は笑っていた。気にしないでいいと、そう言ってくれている笑いだ。しかし、それを受け入れて同じように笑う余裕が、今の俺には無い。
頭をあげ、全員を見回す。そして俺は全員に話し出した。
「これから大事な話をします。全員聞いてください」
「大事な? セトトルの嬢ちゃんの穴埋めだろ? 心配するな、任せておけって!」
ヴァーマはどんっと強く胸を叩いて答えてくれた。心強いが、事態はそんなに単純では無い。俺は紙を見直し、言うことを纏める。
言うべきことが纏まり、ゆっくりと一番大事なことを告げることにした
「セトトルが、このままでは助かりません。もって十日ということです」
『ボスよ、その冗談は笑えないぞ?』
俺がガブちゃんを一目見ると、それで冗談じゃないことが伝わったようだ。顔が引き締まり、真剣になっていた。他の人も理解したようで、先ほどまでの雰囲気が無くなり、俺の話に集中しだす。
時間との勝負なので、ありがたい話だ。
「俺は、セトトルを助けるために動きます。これから商人組合へ話をしに行きますが、倉庫のことはみなさんに任せます。ではそのための計画を先に話します」
カウンターに俺は地図を広げる。みんなが覗き込む地図には、赤い丸で覆われた部分がある。そこがなんなのかが分かっているのは、恐らく俺とキューンだけだろう。
そしてその予想通り、キューンが最初に反応をした。
「キュン、キューン……(ボス、この場所は……)」
「妖精の村がある場所。まずはそこに行く」
「待ってくれるかい? さっき十日って言っていたよね? そこまでは馬車をぶん回して行っても、十日以上の時間がかかる。妖精の村で薬を手に入れたいのは分かるが、間に合わないのじゃないかい?」
セレネナルさんの言葉は、間違いなく事実だ。普通に行けば確実に間に合わない。なので、その対策も考えてあった。
俺はじっとキューンを見る。今のところ、他に案は浮かんでいない。ここに頼るしかなかった。
「キューン、俺はずっとなにも聞かなかった」
「……」
「言ってくれるまで待つつもりだったし、ずっと言わないのならそれでもいいと思っていた」
「キュン(ッス)」
キューンは、短く返事をする。どう考えているのかは分からないが、話を聞いてくれている。それだけで、今の俺には十分だった。駄目なら、どんな手を使ってでも言うことを聞いてもらう。
俺には、それだけの覚悟があった。
「やりたくないことはやらないでいい。俺はそう言った。そして、それを曲げる気もなかったよ。仕事では、しょうがないところもあったけどね」
「キュン、キューンキューン(必ず、やりたくないときは言ってくれって言っていたッスね)」
「うん、でも今回は違う。どうしても言う通りにしてほしい。キューンなら、どれくらいで妖精の村へ行ける?」
ぷるぷるとスライムもどきは震える。周囲にも言葉はなく、全員が事のあらましを見守っていた。俺は、ただ真っ直ぐにキューンを見る。時間は惜しいが、今は待つことが必要だった。
キューンの震えがぴたりと止まり、ため息をつく。どうやら答えが決まったらしい。
「……2,3時間ッスかね」
「え? キューンが、喋った……?」
「はっはっは、そんなわけないだろフレイリス。幻聴だ幻聴」
驚き、事態を認めない人たちがいるが、俺は驚いていなかった。当然、話すことくらいはできるだろう。それくらいのことは予測していた。
他の人がついていけていない中、俺とキューンだけはじっと見つめあう。真剣に、お互いの気持ちをぶつけ合うように。視線を、合わせていた。
「すぐに行くッス?」
「いや、商人組合で話をしてからだね。セトトルのことを、ウルマーさんやおやっさんにも頼む必要がある。急いで戻って来るから、そうしたら行こう」
「了解ッス。僕は混乱しているみんなに、説明でもしておくッス」
「頼むよ」
俺は混乱している面々を残し、倉庫を出た。おやっさんの店へ行き、商人組合に向かわなければいけない。夜、暗い中。俺は走った。
おやっさんの店は、今日も盛況だ。だがそんなことを全て無視し、俺はおやっさんとウルマーさんを捕まえた。
「すみません、急ぎの話があります。少しだけ時間をください」
「あぁ? おいおい、今は大混雑だ。ちょっと待て」
「ごめんねボス、もうちょっとだけ待ってね」
「待てません。すみませんが、今すぐお願いします」
仕事に戻ろうとする二人を、俺は手に力を込めて止める。相手の事情を考慮している余裕が、今の俺には無い。数分で終わる話だし、数分待てばいい。だが、その10分程度の時間が致命的になる可能性がある以上、譲ることはできなかった。
俺のただならぬ様子に気付いたのだろう。おやっさんは唖然とした後、真剣な顔になり俺とウルマーさんを連れて厨房へと入った。
「どうした」
「お願いがあります」
「分かった。聞いてやるから用件だけ言え」
「え? ちょ、ちょっと父ちゃん。そんな安請け合いしちゃ……」
「ウルマー、ボスをよく見ろ。こいつがこんな顔をするか? こっちのことも考えずに話を通そうとするか? それだけ切羽詰まってんだ」
「あ……ごめん。分かった、なんでも言って!」
頭が上がらない。本当に感謝の言葉しか思いつかなかった。しかし、今は感謝の言葉を述べる時間すら惜しい。お礼は、セトトルを助けてからにしよう。
俺は、必要なことだけを告げた。
「セトトルの命が危ないです。助けます。だから力を貸してください。時間の許す限り、セトトルの面倒を見てもらえないでしょうか? 倉庫の人たちにも手伝ってもらいますが、できるだけ一人にしたくありません」
「分かった。後は任せておけ」
「セトトルが……!? 父ちゃん!」
「分かってる、すぐ行け。店は俺がなんとかする」
「ありがとう!」
「すみません……」
頭を下げる俺の背中を、おやっさんがバシンッと叩いた。
顔を上げると、笑顔で二人は俺を見ている。心強く、とても嬉しかった。
「謝るな、頭を上げろ。うちの店が繁盛してるのも、アキの町が活気だったのも、お前のお陰だ。恩返しなら、いくらしても足りない」
「……ありがとうございます」
無意識に頭を下げようとしたが、俺はそれをやめた。そして背筋を伸ばし、足早に店を出る。俺と一緒に店を出たウルマーさんは、俺の肩へ優しく触れた。
「大丈夫、ナガレならなんとかできる。だから、できることを全力でやって!」
「はい、任せてください」
ウルマーさんはそれだけ言うと、走って東倉庫へと向かった。
俺も急いで商人組合に行かないといけない。