百四十九個目
暑い……。愛が何かと考えさせられた後、俺は眠りについていた。しかし、いつも通り暑さで目を覚ます。原因は大体分かっている。恥ずかしがりながらも俺の横で寝ているフーさんとか、足元の湯たんぽガブちゃん。お腹の上のキューン……はひんやりしているか。
なら、顔に張り付いているセトトルが原因だろう。
やれやれと足元のガブちゃんから足を放し、フーさんを少し動かして布団をかけなおす。そしてセトトルを……ここで、俺は気づいた。セトトルの息が荒いことに。
「セトトル……?」
「はぁ……はぁ……」
暗がりでよく顔は見えていないが、明らかにセトトルはおかしかった。俺が慌てて額に指を乗せると、熱いことがすぐに分かる。熱が出ているようだ。日頃の疲れで風邪でも引いてしまったのかもしれない。
俺は申し訳と思いながら、気持ちよさそうに眠っているフーさんのことを起こした。
「フーさん、起きてくれるかい? フーさん」
「んん……え? だ、駄目です。そんな、まだ早い……です」
「うん、寝ぼけていてもいいや。悪いんだけど、セトトルが熱を出しているみたいなんだ。布と、水を少し器に入れて持って来てくれるかい? 俺は水を出せないからね」
「熱……本当です! す、すぐ用意……します!」
フーさんは急いで起き上がり、ばたばたと一階へと降りて行った。いやいや、俺も熱を出したときはこんなだったのかな? そんなことを考えながら、俺はセトトルの額についている汗をハンカチで拭いた。
拭いていると、セトトルの手が伸びて、俺の指先を掴む。うんうん、具合が悪いと不安になるよね。俺は優しく小さな手を掴む。
「大丈夫、俺はここにいるよ」
「ボス……」
セトトルは俺の指をぎゅっと握ったまま、動かなくなった。息も荒く、辛そうだ。朝になっても熱が下がっていなかったら、医者を呼んで来よう。妖精の病気については、俺じゃ分からない。
早く熱が下がればいいな……。俺は戻って来たフーさんから受け取った布を濡らし、セトトルの額に乗せる。なにも、心配はしていなかった。ただの風邪だと。
だが、セトトルの熱は朝になっても下がることはなかった。
朝早く、俺は医者を家へ連れて来た。そしてセトトルの容体を見てもらう。ハーデトリさんに紹介してもらっていた医者だし、信用できるだろう。元は王族専用の医者だったらしく、その腕は確かなものだ。
「はい、とりあえずこの薬を飲ませてあげてください」
「ありがとうございます」
部屋から出てきた白髪の老医者は、笑顔で俺に薬を渡した。医者が笑っていたこともあり、俺はほっとする。当分セトトルは休ませるとして、その穴埋めは俺がすればいい。人も増えているし大丈夫だろう。
そう考えながら医者を送ろうとすると、彼は俺の手を引っ張る。どうしたのかと振り向くと、彼は笑顔で俺に話しかけてきた。
「すみません、容体のことで少し話ができますか?」
「はい、大丈夫です。ではこちらの空き部屋で」
もしかしたら容体が良くないのかもしれない。長引いてしまうのだろうか? 入院が必要なのかもしれない。お金には余裕があるし、早く良くなるのならいいだろう。セトトルは寂しがるかもしれないが、毎日顔を出してあげればいいか。
部屋へ入り、俺と医者は椅子へと座る。すると、医者の顔から笑顔が消え、急に真剣な顔になった。その顔を見て、俺は少し身構える。
「……落ち着いて聞いてください」
「大丈夫、落ち着いています。なにかあったのでしょうか?」
「私は今までに多くの種族、症例を見てきました。その経験から、はっきりと申し上げさせて頂きます」
嫌な、予感がした。この前置きが、消えた笑顔が、俺の背中に冷たいものを走らせる。先を早く聞きたいのに、聞きたくない。手には汗がべっとりと浮かび、俺はそれを隠すように強く握った。
医者は少しだけ溜めを作った後、俺を見る。そしてゆっくりと告げた。
「セトトルさんは、このままでは長くありません。もって十日といったところです」
「は……」
我ながら、なんとも間抜けな声が出た。今、この医者はなんといったのだろうか? もって十日? 全く意味が分からない。
俺はきょろきょろと周囲へ視線を泳がせた後、震える声を押えながら聞いた。
「十日経つと……どうなるのでしょうか?」
「助かる見込みは、ほとんど無いかと」
「助からない……? で、でもこのままではと言いましたよね? なにか対策があるんでしょ?」
医者は力無く、首を横へ振った。
こいつは何を言っているんだ? なぜ、首を横へ振ったんだ? 俺の頭の中は熱くなり、飛び掛かって胸元を締め上げたい衝動が起こる。
しかしそれをなんとか抑え、俺は冷静に話そうとした。落ち着いて、事態を把握しなければならない。
「どうすればいいですか? 高い薬が必要ですか? 別の医者を呼ぶ必要が? なんでも言ってください! なんでもします!」
「……自分が世界最高の医者だとは言いません。しかし、妖精については分かっていることが少ない。妖精専門の医者がいるという話も聞いたことがありませんし、今のところ打つ手が」
ここまで医者が言ったところで、俺は立ち上がった。その勢いで椅子が後ろへ倒れたが、知ったことではない。我慢できずに医者へ詰め寄ろうとした俺を、緑色の触手が押さえ込んだ。
「な……」
「キュン! キューン!(ボス! 落ち着くッス!)」
「キューン、放してくれ! この医者がなにを言ったか分かっているのかい? セトトルが助からないって言ったんだよ!? 許せるわけがない!」
「キュンキューン!(姐さんに聞こえるッスよ!)」
キューンの言葉で、俺の全身から力が抜ける。セトトルに聞こえてしまったら、どうなってしまうのだろうか? ……考えたくもない。
触手が解かれたので、俺は倒れた椅子を直し座る。両手で顔を覆い、顔を見せないようにしながら医者へ、もう一度聞いた。
「なにか、方法が……」
「私も帰ってすぐに調べます。ですが……期待はしないでください」
「……分かりました。ありがとうございます」
医者は俺に頭を下げ、部屋を出て行った。普段なら世話になったのだから見送り頭を下げるのだが、動くことすらできない。ただ茫然と言われた言葉を頭の中で繰り返していた。
助からない、打つ手が無い。どうにもならない。震えが止まらず、ただ言葉だけが頭の中を回り、動くことも考えることもできない。
そんな俺に、近づいて来たキューンが言った。
「キュンキューン。キューンキューン(今日は仕事は休んだほうがいいッス。みんなにはボスは休むと伝えておくッス)」
「うん、よろしく……」
キューンが部屋を出る。音が聞こえたから、そうであろうと予想できただけで、そちらを見ることすらできない。
倉庫は、軌道にのった。町に人も溢れ、活気だっている。
これからだ。そう、これからなんだ。苦労した分、なんでもしてあげられる。欲しい物だって買ってあげられるし、休みだって作れる。休みを作って、またみんなで温泉に行ったり旅行をすることだって……。
全部、これからなんだ! やっと、ここまで!
俺は手を振り上げ机を叩きつけようとし……力を抜いてやめた。セトトルに聞こえてしまうかもしれない。そうなったら、心配させてしまう。だから、大きな音は立てられない。
力なく握った両手と額を机へ押し付け、俺は声を上げずに心の中で呻いた。
どれだけ時間が経ったかは、分からない。全く落ち着きも取り戻せないし、思考も纏まらなかった。だが、十日という言葉が俺に重く圧し掛かる。嘆いているだけでいいのだろうか?
……駄目だ。
答えはすぐに出て、俺は眼鏡を外し、両手で自分の頬を強く叩いた。
「助けるんだ……!」
机の上にあった紙とペンを手に取り、俺は書き殴り続ける。現状を、どうすればいいかを、助ける方法を模索するため、思っていることを全て書き続けた。