百四十八個目
ガブちゃんのご両親の協力で、街道整備は遅れを取り戻さんと進み出し、町の治安の悪さへの対応も十分となり始める。
倉庫の仕事も同じ仕事を繰り返すルーチンワークとなり始めていたが、生活についてはそうではなかった。
店の二階部分には、居住部分がある。部屋もそれなりにあり、困ったことはない。
現在は俺とキューンの部屋、セトトルとフーさんの部屋、ヴァーマ夫妻の部屋、ガブちゃん一家の部屋。といった具合だ。まだ空いている部屋はあるのだが、その空いている部屋の一室が最近の問題だった。
その部屋は、通称女子会部屋。ちなみに俺が名付けた。その名の通り男子禁制と言わんばかりの部屋では、夜な夜な女性陣が集まっている。
具体的に言うと、セレネナルさんとガブちゃんのお母さんが講師。セトトル、フーさん、ウルマーさん、ハーデトリさん、ダリナさん、アグドラさんが生徒といった感じだ。
この二人が講師ということから、説明しなくてもなにが話されているかは分かることだろう。
そう、この部屋で話し合われているテーマは"愛"だ。すでに結婚している二人が、残りの女性陣に愛とはなんたるかを語る。
なんとも言えない空間だ。いや、別に悪いことではない。女性陣の仲が良くなることに悪いことはないだろう。問題はただ一つ。……俺も必ず出席させられていることだった。
「じゃあ、今日も始めるかい」
『今日は何を話しましょうか……』
講師陣の二人はでんっと椅子に座り、残りの女性陣は二人の話へ集中する。言うまでもなく俺は、居心地も悪く端の方で小さくなっていた。
なぜ参加させられているのだろう。最初は当然理由を問いただしたが、俺に拒否権は無いらしい。
女性関係について奥手過ぎるので、しっかりと学ぶようにとのことだ。勘弁してください……。
「旦那さんの落とし方とかをお願いします!」
ウルマーさんは目を爛々と輝かせて質問している。落とし方とはなんだろか。首をきゅっと絞めるのかな? もちろんそんなわけはないのだが、俺はなるべく違うことを考えて自我を保とうとしていた。
『首を絞めたり、殴り飛ばすのも大事です。オスというのは、すぐに他の女に目がいきます』
「なるほど……。強引にでも、自分を見させなければなりませんのね」
ハーデトリさんは、うんうんと頷き納得している。他の女性陣も「勉強になります」などと言ってメモを取る始末だ。首を絞められたら普通逃げられると思うのだが、恐ろしい考えをしていた。
というか、誰も疑問に思っていないところが怖い。首を絞めて気絶させ、監禁だか軟禁でもするの? そこに愛はあるのだろうか……。
「でも強引なだけじゃ駄目だね。こいつが一番分かってくれている。この人がいないと生きていけない。そう思わせることが大事だよ」
「なるほど……ずっと一緒、です」
ちらりとフーさんに見られたが、俺は目線を逸らした。早く部屋に戻りたい。キューンとガブちゃんと、だらだらと過ごして寝る。あの時間に戻りたい。
しかし逃げ場は一つも無く、俺は早く終わることを願いながら、ただ俯くだけだった。
『朝や昼は貞淑に、夜は積極的に。しかし初々しさを忘れない。そういったギャップが大事です』
「ギャップか……。普段強く見せても、好きな相手の前では弱さも見せる。そういったことだな」
アグドラさんもノリノリだ。やはりこういった話が女性は好きなのだろう。
ただし、男の前でやらないでもらいたい。そう、つまり俺を解放してほしい。女性が何を考え、意中の相手を落とそうとしていても構わない。
それでお互い幸せな生活が送れるのなら、過程は大したことではないだろう。……しかし、聞きたくなかった部分ではある。俺がこれを聞くことで、なにかメリットがあるのだろうか? 何一つ浮かばない。
「そういった女性の努力に男は気づかないものさ。でも、やっぱり気づいてもらいたいよね? 全部あなたのためにやってるんだよ、ってことをさ」
「身だしなみに気を付けたり、お洒落をしたり、そういったことですね。わたしが髪を切った後、なにも言ってもらえないと寂しさを感じます」
髪を切ったら褒めてもらいたい。そういった話はよく聞く。だが、それを口にすることは勇気がいることだとは思わないかな? 男だって、気づいていても言えないことがある。「髪切ったんだ、可愛いね」って、言える? 言えないよ……。
だが話は終わるところを知らず、いつも通りヒートアップしていく。
「やっぱり料理は上手なほうがいいですよね!?」
『おいしい食事が毎日食べられる。そう思わせることは大事です』
「料理の練習ですわね……」
「練習をしている、というところをさりげなく分からせることが大事だよ。お弁当を作ってみたりね」
「料理……ウルマーさんに教えてもらう」
オークに捕まったとき以上の異世界ぶりを感じる。確実にここは自分の居場所ではない。断言できる。なのに、逃げだすことができない。何も言わずに黙っている置物。無心になるんだ、俺。
ちらちらとこちらを見ている視線には気づいているが、絶対に目を合わせてはいけない。俺はただの置物! あ、こっちを見てため息をついている声がする。うぅ……。
「まぁでも一番大事なのは、一緒にいたいと思わせること。そして一緒にいたいと思っていることを、しっかりと伝えることだね」
『えぇ、好きになられて嫌がるオスはいません。愛とはお互いを成長させることです』
理解はできるが、分からない。お互いを成長させるとは、仕事みたいなものだろうか。それなら俺は東倉庫の面々を愛している? ……分からない。大事だとは思うが、少し違う。愛とはなんなのだろうか。哲学のようだ。
結局のところ、俺は話を真剣に聞いていた。そりゃ婚約者が三人もいる身だ。意識してしまうし、考えてしまうのも仕方のないことだろう。
ところで、婚約破棄ってどうすればできるのでしょうか? たまに口にすると、鬼のような顔で見られます。そして次に言われることが「私のこと嫌い?」です。
嘘もつけず、嫌いじゃないですと答えてしまう俺も悪いのだろうか……。
「愛……成長……」
ぽつりと、俺と同じく奥で小さくなっていたセトトルが言った。そういえば、セトトルにしては珍しく、この女子会で大きく意見を言ったり質問をするところを見たことがない。
誰よりも真剣に話を聞き、考え込んでいる。セトトルもそういうお年頃なのだろうか? 少し寂しい。彼女が嫁に行くとなったら、俺はたぶん泣くだろう。
この世界で俺に初めてできた仲間であり、大切な人であり、いなくては困る人だ。ずっと一緒に困難を乗り越えてきた。
今の東倉庫があるのも、一重に彼女のお蔭だ。そんなセトトルがいなくなることを、想像するだけで辛い。
俺は寂しさを隠すように、セトトルの頭を指先で撫でた。
「ボス?」
「うん、大丈夫。焦って考える必要はないよ。セトトルはずっと成長しているし、そういうことも分かる日が来るさ」
「オレ……胸がね、ぎゅっとする。前は分からなかったけど、今は少し分かる。だから苦しいんだ」
セ、セトトルが成長している。愛とかそういった曖昧なものを、理解しつつある!
え? もしかして、本当にセトトルはどこかに行ってしまうのだろうか?
殴られたような衝撃があり、俺は頭をくらくらとさせる。どうか、どうかお願いします神様。いるかどうかも分からないし、あまり信じてもいませんがお願いします。
俺の心構えができるまででいいので、セトトルを可愛い少女のままでいさせてください……。
そんな祈りは届かない。人の成長は止められない。なぜセトトルが妖精の村から出てきたのか。彼女の胸の痛みがなんだったのか。俺はそういったことを、すぐに理解させられることとなる。
俺にとって一番大切な人が誰かを理解し、全てを投げ売ってでもなんとかしたいと分かる事態が動き出す。
――その日の夜、セトトルは高熱を出して倒れた。