百四十六個目
俺は広場で注目を浴びながら、必死の説得を続けていた。せめて東倉庫に移動したい。でも、聞いてくれません……。
「とりあえず、うちの店で話をしませんか?」
『罠でも仕掛けてあるのか? 罠どころか家ごと潰してくれる!』
「勘弁してください……」
話を聞いてもらえない以上、身動き取れない。ガブちゃんはもう少し物分りが良かった気がする。なのに、この狼……特に父親のほうは聞く耳もたない状態だ。こうなったら、ここで説得するしかない。目的が分かればなんとかなるはずだ!
さっきまでぴくぴくと痙攣していて心配したが、今は元気一杯なガブちゃんのお父さんを見る。……物凄い目で睨まれた。
話しかけづらい状況になってしまい、無言となる。困っていると、セトトルが俺の頬を突いた。
「ボス、ガブちゃんに頼めばどうかな?」
「いや、ガブちゃんの話も聞いてくれていないしね。ガブちゃんが説得しようとすると、息子になにをした! って言われるし……」
「うーんうーん……なら、お母さんは?」
それも考えはしたのだが、ガブちゃんのお母さんは今、ハーデトリさんと談笑しているんだよね。そりゃもう楽しそうに二人で話していて、全然混じれない。というか、会話的に混じりづらいよ。
「やはり強引に行ったほうが?」
『えぇ、後は徹底的に縛り付けてしまえばいいのです。他にメスがいないと分かれば、自分から離れられなくなりますわ』
「なるほど、確かにそうかもしれませんわね」
どう考えても軟禁一歩手前みたいな話を嬉々としながらしている。これに割って入ると確実に藪蛇だろう。つまり、頼ることはできない。困った……。
ガブちゃんは俺が悩んでいる間も、頑張って説得をしてくれている。だが、逆にお父さんに説得されかかっている。やっぱり子供は親に逆らえないのか。
何か対策を考えねばと、俺はガブちゃんとの出会いを思い出していた。どうやってガブちゃんと仲良くなったんだっけ? 確か温泉街で……。
俺は、ピンときた。
「セトトル、ちょっとだけここを任せていいかい? そこの店に行って来るから」
「え? うん、構わないけど、早く戻って来てね? オレには説得できないよ!」
「大丈夫、本当にすぐ戻るから!」
走って近くの店へ向かう俺の背からは『逃げる気か人間! 女を残してか! 情けない!』と、ガブちゃんのお父さんの言葉が聞こえてきていた。
逃げる気は毛頭ないが、この扱いの悪さはなんなのだろう? どれだけ息子を可愛がっていたのか……。家族愛が悪いとは思わないが、いき過ぎるとこうなるのかな?
俺はガブちゃんのお父さんを無視し、店へと入り込み買い物をした。
戻って来ると、ガブちゃんのお父さんが倒れてぴくぴくと痙攣していた。一体なにがあったのだろう。いや、多少想像はつくけどね。
一応事情を把握しようとセトトルへ話しかけると、大体想像通りの答えが返ってきた。
「なにがあったの?」
「えっと、お父さんがお母さんに声をかけたら、うるさいって吹っ飛ばされて……」
「うん、ありがとう」
あの会話に入り込むとは、ガブちゃんのお父さんの勇気には感服する。女性が揃うと怖い。俺は、つい先日それを実感した。あの三人の誰かの尻に敷かれるのかと想像したが、にこやかに笑ってくれている姿が浮かぶ。
うん、俺は大丈夫そうだ。……いやいや、婚約を認めたわけじゃ……無理だよね。とても破棄できる気がしない。
はぁっと溜息をついた後、俺は倒れているガブちゃんのお父さんへ近づいた。
「すみません、ちょっといいですか?」
『ほう、戻って来たか人間』
バッっと飛び上がり格好よく地面に着地するお父さん。これが奥さんに吹き飛ばされた後じゃなければなぁ……。
まぁ今はそのことは置いておこう。俺は買ってきた物をガブちゃんのお父さんへ差し出した。
「こちら、お近づきの印に……」
『人間よ、私を愚弄しているのか? 焼いた肉を出した程度で……もぐもぐ、ごくん。私が言うことを聞くとでも……うまいな、もぐもぐ』
めっちゃ食べ始めた。ガブちゃんのお母さんにも渡すと『これはどうも』と言いながら喜んで食べてくれた。ガブちゃん、俺の隣で涎を流すのをやめてくれないかな。今はガブちゃんの分は買ってきていないよ?
俺は物欲しそうに見ているガブちゃんの首元をわしゃわしゃと撫でながら、二匹が食べ終わるのを待った。セトトルとハーデトリさんも、俺と同じようにガブちゃんを撫で始める。ガブちゃんの顔は恍惚としており、満足そうだった。
二匹は食べ終わり、機嫌が良さそうな顔をしている。やっぱりお腹が減っていたらイライラしちゃうよね? それにガブちゃんもそうだったけれど、食事に弱い感じがしていた。どうやらドンピシャだったようだ。
「お話をするために、場所を移動してもいいですか? 誤解も解きたいですし、一緒に昼食でもどうでしょうか?」
『食事にダイアウルフが釣られるとでも思っているのか?』
「いえ、話をするために落ち着いて話せたほうが良いかと思っただけです。決して食事で説得しようとは思っていません。お話だけでも聞いてもらえればと……もっとおいしい料理もご用意できますし」
『ほう……』
ピクリとガブちゃんのお父さんの耳が動いた後、目は険しいままだが尻尾がぶんぶんと動き出す。うん、仲良くなれる気がしてきた。
お母さんのほうは決してそんな素振りを見せないが、食事には歓心があるようだ。よしよし、いい感じじゃないか? とりあえず晒し者状態な、この場所だけでも避けよう。
「では、移動しましょう」
『仕方ない。話くらいは聞いてやろう』
「ありがとうございます」
「やったねボス! やっぱり誠心誠意伝えればなんとかなるんだよ!」
俺は嬉しそうに笑顔を向けるセトトルの頭を撫でつつ、心の中で謝罪をした。
ごめんよ、セトトル。これは誠心誠意伝えたのではなくて、餌で釣ったって言うんだ……。
セトトル、ガブちゃん、ご両親、そしてハーデトリさんを連れて俺は東倉庫へと帰っていた。三匹の魔獣を連れて歩くことは、周囲を威嚇してしまうかもしれない。そう心配していたのだが、ぼそぼそと噂話をされるくらいで済んでいた。
「管理人さんが、ガブちゃんを三匹連れていますわ」
「もしかして、東倉庫で働くのかしら? 頼んだら撫でさせてもらえます?」
「もふもふしていますわね」
特に悪い噂は無い。大丈夫そうだ。むしろ好評ではないだろうか? うちで働いてもらう考えは今のところないが、悪い噂が立つよりは数倍いいだろう。
俺はほっとしながら、ご両親を東倉庫へと連れて行った。
扉を開くと、中の人が全員俺を見る。いきなり見られてドキッとしたが、どうしたのだろう? ヴァーマとセレネナルさんは険しい顔をしている。というか青筋を浮かべていた。怒っているようだ。
「ボス、いいところに帰って来てくれた。このお客様が話を聞いてくれなくてな」
「お客様が? 分かった、俺が対応するよ」
何かトラブルがあったらしい。俺はカウンターの前でイライラとしながらフーさんを見ているお客様に近づいた。……フーさんが涙目じゃないか、なにがあったんだ?
とりあえず横へ立ち、俺は少しだけ頭を下げて話しかけた。
「なにかありましたか?」
「いや、割符を出しているのに荷物を渡してくれないんだ。あんたが管理人か? さっさとしてくれ、こっちは急いでいるんだ」
「少々お待ちください」
俺は涙目のフーさんの頭を撫でた後、周囲を見回してキューンを探した。キューンを見つけて見ると、俺に向かって首を振るようにぷるぷると震えている。
ふむ、どうやらなにか問題があるらしい。お客様を前にしてひそひそ話もあれなので、俺は普通にフーさんへ話かけた。
「どうしたの?」
「あ、あの……割符はあるのですが」
「うんうん、大丈夫だからね」
「はい……サインが、違うんです」
フーさんがおずおずと差し出した書類を見ると、預かったときとは違うサインが書かれていた。なるほど、それで受け渡しが出来ずに困っていたのか。
とりあえず、今のところ対応に不備があったようには思えない。なので、俺はお客様に話を聞いてみることにした。
「事情を聞いたのですが、サインが違うようです」
「だから何度も言ったが、頼まれて受取に来たんだ」
「なるほど、しかしその場合はご本人のサインが入った書類が必要です。他の人が受取に行きますという証明がいります」
「忘れただけだ。時間が無いので早くしてくれ」
男は俺から目を逸らし、早く荷物を出せと言う。しかし手順に沿わない以上、渡すことはできない。さて困った。一度出直してもらうしかないのだが「忙しい、早くしてくれ」これしか言わない。
若干の怪しさを感じつつも困っていると、苛立ったヴァーマがお客様に言ってしまった。
「盗んだ割符なんじゃないのか?」
「は、はぁ!? そんな証拠がどこにある! 侮辱しているのか!」
「ヴァーマ!」
俺はキッとヴァーマを見て、手を向けて黙らせた。言っていいことと悪いことがある。これは、当然悪いことだ。ヴァーマ自身も、それには気づいていたのだろう。だから、素直に口を噤んでくれた。
ヴァーマへ近づき、俺は小声で伝える。彼は頷き、その場を後にした。
そして俺はお客様へ向き直り、頭を下げた。
「うちのものが失礼をいたしました。ですが、規則ですので渡すことはできません」
「渡せないじゃなくて、うちの荷物だぞ? さっさとしろ!」
「預けたときの方にお願いし、サインをもらって来てください」
「時間が無い!」
「押し問答しているよりは、早いと思います」
「なんだこの倉庫は! 喧嘩を売っているのか!」
俺はその後も渡せないということを告げ続けた。そして苛立った男は、もう我慢ならないとばかりに、俺を突き飛ばす。いてて……。
少し痛かったが、俺はそれを顔を出さないようにし、笑顔で頭を下げた。
「申し訳ありませんが、渡すことはできません。お引き取りを」
「……もういい! くそ!」
男が振り返った瞬間、店の扉が開いた。やれやれ、やっと来てくれたようだ。
そこにいたのは、ヴァーマと副会長と衛兵だ。倉庫内の窓から外に出て、呼んで来てもらえるように頼んでおいた。
明らかに狼狽している男は、俺の後ろへ回り込み、首元へナイフを突きつけた。あー……うちの倉庫でこれは、通りませんよ。
「動くな! こいつがどうなっても……なんだこの緑のは? は? ナイフが消えた!?」
『雑魚め』
土の塊飛んで来て、男の頭に命中する。今、外したら俺に当たっていたんじゃないだろうか? 不安に思ったが、ま、まぁ気にしないことにしよう。
四倉庫で、こういった話は増えている。そしてその中で一番拿捕率が高いのが、東倉庫だ。武闘派が多すぎるんだよね……。
まぁなにはともあれ、男は副会長と衛兵に引きずられて行った。やれやれ、困ったものだ。俺が他のお客様に頭を下げて説明をしていると、ガブちゃんのお父さんが近づいてきた。
しまった、完全に存在を忘れていた……やらかした感じがする。
しかし、お父さんは満面の笑み? いや、顔が歪んでいて怖いが、たぶん笑っていた。
『ナイフを突きつけられても動じぬ心、やるではないか人間』
「ありがとうございます……?」
どうやら、ダイアウルフの基準は食事と強さらしい。よく分からないが、俺はガブちゃんのご両親に認められ、問題なくその日を終えた。
ちなみに、ご両親は数日経ってもうちに泊まっている。居座るのだろうか……。