百四十個目
アキの町には連日、多くの人たちが詰めかけていた。だが少しずつではあるが、俺たちも多少は落ち着きのような安定を取り戻し仕事をこなしている。充実した日々だった。
その日、仕事を終えた俺たちは、いつも通りに店を掃除し片付けを済ませる。そしておやっさんの店へ夕食を食べに向かった。
最初のうちは自分で食事を作ろうと考えたこともあったのだが、気付けばあの店におんぶに抱っこだ。金銭的に考えれば問題あると思うが、付き合いもあるし……。
そんな言い訳を考えつつも、俺はみんなとおやっさんの店へ向かった。
おやっさんの店の前には、なぜか人だかりができていた。繁盛していてなによりと思っていたのだが、どうやら少し様子が違う。なにかあったのかな?
「妙にみんな慌てているね」
「うん、どうしたんだろう。オレが中を見て来ようか?」
セトトルとそんな話をしていたのだが、店に入ったら行けないわけではなさそうに感じる。むしろ店へ入るかどうかで、みんな困っているように感じた。
仕方なく俺は、周囲の人に聞いてみることにする。他に方法も浮かばないしね。
「あの、なにかあったのですか?」
「あら管理人さん! いいところに! あなたならなんとかできるわ! さぁ、入って入って!」
「え? あの、事情を……」
人ごみが割れ、俺が無理矢理通される。え? なにこの展開。いきなり厄介ごとに押し込まれている気がするんだけど?
……とはいえ、おやっさんの店でなにか起きているというのなら、力になりたい。普段あれだけお世話になっているからね。
なので俺は事情が分からず困りつつも、押されるがままに店の扉を開いた。
「お邪魔しま……」
「ほら! 早く!」
突き飛ばされた。いや、そこまで焦らなくても良くないですか!? 俺は倒れないようにしようと、少しだけ開いた扉を思い切り叩いてしまう。
そしてその扉が……中にいた人の顔へ、綺麗に命中した。ガンッといい音がする。やっちまった……。
「ぐへっ!?」
「あぁ!? すみません! 大丈夫ですか!?」
「ボス!?」
「ウルマーさん? すみません、すみません! わざとじゃないんです!」
扉の前で驚いた様子のウルマーさんへ謝りつつ、俺は扉に吹き飛ばされた人へ近寄った。そして謝りながら手を差し出す。……だが、俺の手は思い切り払われた。痛い。
いや、怒っていて当たり前だ。相手はもっと痛かったはずだろう。このくらい、仕方ない。
怒った顔をした人は、俺を睨み付ける。妙に派手な服を着ている。……そんなこと、今は関係ないか。本当に申し訳ないです。
「あの、すみませんでした。大丈夫ですか? 怪我をされたのなら、お詫びを」
「なんのつもりだ! 私を誰だと思っている!」
「えっと……俺が扉をぶつけてしまった相手です」
「そうではない! ふざけおって!」
ご立腹なのは分かるが、怒っている理由が少し違う気がする。扉をぶつけられたことではなく、なにか他のことで怒っていた。一体、この人は何者なんだろう?
俺が困りつつ頭を下げていると、派手な服を着た人が立ち上がる。そして俺を睨み付けたまま言ったのだ。
「私が貴族だと分かってやったんだろうな!? ただじゃおかんぞ!」
「貴族……?」
どうやら俺は、かなりやばい相手に扉をぶち込んでしまったらしい。わざとじゃないのだけれど、まずいことになった……。
困っている俺の前に立ったのは、ウルマーさんだ。庇ってくれるのだろう、申し訳ない。
「ボスはわざとそんなことをする人じゃないから! 第一、妻になれとか言って私を無理矢理引っ張り出そうとしたのは、あんたのほうでしょ! ……あ、もしかしてボスそれに気付いて助けてくれたの?」
ウルマーさんはなぜか嬉しそうな顔で俺を見ている。だが、俺はそれどころじゃない。妻? ……妻!? 全く状況が分かっていなかったが、予想の遥か斜め上の状況にぶち込まれてしまったことだけは分かった。
俺が困りながら後ろを見ると、アキの町の人々がぐっと拳を握って俺を見ている。なんとかしろってことですか!? 無茶振りですよ!?
今日も一日頑張ったなぁと食事をとりにきたら、なんだよこれ! 俺にも悪いところはある! 認めるよ! でも、どうしろって言うの!?
そんな俺と目があった東倉庫の面々は、気の毒そうな顔をしていた。しかし、すぐに拳をぐっと握る。目が言っている。「ボスならなんとかしてくれる!」ってね。
勘弁してください……。
とりあえず謝ろう。ひたすら謝ろう。妻とかはよく分からないが、ウルマーさんは美人だしそういうこともあるだろう。俺が口を出す問題ではない。謝って、場が収集すればいい。食事をして帰ろう!
俺がそう思いもう一度頭を下げようとすると、俺の胸元に何かが飛んできて当たり、地面に落ちた。
「許さん! けっと」
「あ、待ってください。手袋が落ちましたよ」
俺は相手の台詞を遮り、白い手袋を拾って相手へ返した。さすがにこれがなにを意味しているかは、俺だって知っている。もうちょっとで取り返しが尽かない状況になるところだった……。
手袋を受け取った男性は、顔を真っ赤にして俺の顔へ向けて手袋を再度投げつける。ちょっと痛い。
「決闘だ!」
やっぱり駄目ですよね……。俺はよく分からないまま、貴族の男性に決闘を申し込まれてしまったようだ。
もちろん俺に決闘する気なんて、これっぽっちもない。逃げてもいいだろうか? いや、逃げるのはまずい。ウルマーさんがこっちを見ている。後ろの人たちも店に入って来ないけれど、空いた扉から見ている。この状況で逃げるのは非常にまずい。
……なによりも、凄く大盛り上がっていた。
「決闘だ! 東倉庫の魔王が貴族をぶちのめすぞ!」
「俺はこいつが最初から気に入らなかったんだ! アキの町の歌姫にぽっと出が手を出そうとしやがって! やっちまえ!」
そう思っていたなら、代わってくれませんか!? 俺は心の底からそう思っていたのだが、誰も代わってくれる感じはない。店の中にいる貴族のお供らしき数人も、厳しい顔で俺を見ている。
誰か助けてください。俺がそう思っていると、体の上に謎のスライム状生物を乗せた犬……狼が、足元へ近寄って来た。
これは代わりに決闘をしてくれるのだろうか? 確かに、ガブちゃんなら負けやしないはずだ! よし、代理ということで一つ頼んだよ!
しかし俺のそんな望みは、当然の如く裏切られた。
『ふっ、貴族だか知らんがボスに勝てると思っているのか? 愚か者め!』
「こ、この犬っころが! 調子にのるなよ!」
『犬ではない! 我は気高き狼だ! よろしい、そこまで言うのならばボスが相手になろうではないか!』
「当たり前だ! ただでは済まさん!」
はっはっは……ガブちゃんは帰ったらお仕置きだからね? 勝手に決闘を引き受けやがって! ただじゃおかないよ!?
こうして俺は、全く事情が分からないうちに貴族の顔に扉の跡をつけ、決闘させられることになった。せっかく仕事が落ち着きだしたのに、最悪だ。
何かやり過ごす手は……。
貴族? そうか、貴族だ。ハーデトリさんなら仲介してくれるかもしれない!
そう思い至った俺は、きょろきょろと周囲を見る。……いない! 肝心なときには、あの人いてくれないんだ!
俺の怪しげな態度を見て、貴族も怪しんでいた。そりゃそうだよね。いきなりきょろきょろしているんだし、当然だろう。
とりあえず、決闘する気はないということに気付いて頂きたい。この不審な態度を見てください! どう見ても一般人ですよ!
……しかし、ガブちゃんがまた余計な一言を告げた。
『ほう、敵の数の確認か。さすがだな、ボス。なに心配するな。横やりを入れるやつは我に任せておけ!』
「ほう、やる気みたいじゃないか……。お前たち! 手を出すなよ! これは決闘だ!」
「「「はっ!」」」
完全に、俺の逃げ場が失われる。口から出てくるのは、乾いた笑いだけだった。