百二十五個目
夜遅いにも関わらず、商人組合にはまだ人が大勢残っていた。忙しいことが、それだけでよく分かる。
「おや? ナガレさん? こんな夜遅くにどうしました?」
「副会長、丁度良かったです。アグドラさんはいらっしゃいますか?」
「えぇ、今は管理人たちと談笑しつつ仕事の話をしております。なにかありましたかね?」
「はい、少しお話したいことがありまして……」
「分かりました。どうぞ、こちらへ」
他の管理人たちもいるのか。都合がいい。
なんとかなるように、頑張って伝えよう。セトトルの笑顔を守るためなら、俺はもっともっと頑張れるはずだ。そういう気がする。
……その結果、あんな顔をさせてしまったわけだが、そういうことが今後は無いようにしないといけない。
俺は副会長に案内され、アグドラさんたちが集まっている会議室へと入った。
四人は俺を見て、きょとんとした顔をしている。それは当然の反応だ。さっき帰ったのに、また来たんだからね。
「ナガレさん、なにかあったのか? それとも忘れ物かな?」
「はい。ちょっとご相談したいことがありまして……」
おやっさんの店を出てから、俺はずっと考えていた。そう、ずっと考えていたのだ。
……休みをもらう方法をね!
忙しいのは分かっている。毎日休みなく俺も働いていた。でも、一日くらい……我がままを通させてもらおう!
ここに来るまで、言い訳を一つ一つ吟味した。
体調が悪いので、明日休ませてください!
……これは駄目だ。体調が悪いのに、東倉庫の面々と出かけていたら明らかにおかしい。
なら、定番のやつはどうだろうか? 身内に不幸がありました。急ぎ帰らないといけません。
……これも、当然駄目だ。
身内に不幸なんてないし、帰る方法も分からない。そもそも身内なんてものは、東倉庫の仲間くらいのものだろう。
私用があり休ませて頂きます、ならどうだろうか?
……これは悪くない。セトトルたちとの時間を作ることは私用だし、嘘はついていない。
しかし、この理由は通るだろうか? ……うーん、難しそうだ。忙しいときに、私用とはどんな用事かと聞かれてしまうはずだろう。
結局のところ、俺は正直に伝えることにした。
どうせ嘘をついても粗が出てしまうし、気付かれているものだと思うからだ。
まるでズル休みをしようとしているのを、正当化しているような気持ちで、俺は話を始めた。
「会長と総管理人に、お願いがあります」
「ナガレさんのお願いとは珍しいな、聞こうではないか」
「分かりましたわ!」
アグドラさんは俺を真剣な顔で見て、ハーデトリさんはにこにこと笑っていた。
ダグザムさんとアトクールさんも、俺のことをしっかりと見ている。厄介ごとだと思われているのかもしれない。
実際、厄介ごとに間違いない。
俺は緊張し、手を握る。手は汗でべたつき、俺はそれをズボンで拭った。
休みをください……! そんな簡単な一言を出すことが、すごく辛い。
心に圧し掛かるものがあり、言葉が中々出ない。でも、言うんだ。言わないといけない。休むことは労働者の義務だ!
……でも、それは元の世界の話だよね? やっぱり駄目かもしれない。伝えても、こんな忙しいときに何を言っているんだ、と一蹴されるだろう。
しかし、それでも言わないといけない。心臓が早鐘を打つが、俺は胸に手を当ててそれを押さえ込もうとする。
言え……言え……言うんだ! 言わなければ、なにも始まらない! まずは言うんだ!
駄目だと言われたら、その後で違う方法を考えればいい。頑張れ俺!
「あ……の……」
「うん」
アグドラさんも、俺の様子がただ事じゃないと思ったのだろう。先ほどよりも緊張した面持ちになっていた。
こんな忙しいときに、俺はなにを言おうとしているんだ。休みたいのはみんな同じじゃないのか?
そうだよ、帰ってセトトルに謝ればいいじゃないか。休みは落ち着いてからもらおう。それで解決だ。
でも……俺の脳裏には、セトトルの言葉が残っている。気付かせてくれたウルマーさんの言葉が、胸にある。
今、伝えられなかったら、いつ伝えるんだ!
「ナガレさん、何か大変なことがあったみたいですね。ぜひ話してください。我々はあなたの敵ではありません」
副会長は、俺の肩へ優しく手を乗せた。
それでやっと俺の決心がつく。言おう。ちゃんと伝えよう。それで悪い印象を与えてしまうかもしれないが、俺はセトトルたちとの時間を作りたいんだ!
喉はカラカラで、水を一口飲みたい。そんなことを思いつつも、俺はなんとか伝える。
「や……」
「「「「「や?」」」」」
五人が、俺を見ていた。続く言葉を、目で促している。
俺は荒い息を押さえ、本当にやっとの思いで言葉を出した。
「休みを、もらってもいいでしょうか? 明日、一日でいいので……」
言った。
俺はついに言ったのだ! やり遂げた! 例えこの後の結果がどうであろうと、俺はしっかりと自分の意思を告げたんだ!
今、自分を誉めてやりたい気持ちで一杯だよ。俺は……やったんだ!
五人は、そんな俺を唖然とした顔で見ている。当然のことだ、こんなに忙しいときに何を言っているのだと言う話だ。
だがそれでも、俺は伝えられたことを誇りに思っていた。休みをください。この禁忌とも言える言葉を伝えたのだから!
「え? 休み? 良いのではないか? ……もしかして、それだけか?」
……あれ? なんだこの、お前そんなことを言いたかったのかよって空気。
俺、勇気を絞り出して言ったんですが?
「あの、ハーデトリさん? 休んでいいんですかね……?」
「私は、最初から分かりましたと言いましたわ?」
「あ、あれ?」
俺の想像と、全く違う展開になっている。一体これはどういうことだろう?
ハーデトリさんなんて、最初からオールオッケーと言わんばかりの態度だ。信用されているということかな?
「そもそも、ボスには休むよう俺たちは言ってたよな?」
「……それになんて答えたか、ボスは覚えていますか?」
「え? えーっと……」
確かにダグザムさんとアトクールさんの言う通り、そんなことが有ったような気もする。
俺は、なんて答えたっけ……?
「今は忙しいです。余裕ができるまでは、しょうがないです。今日頑張らないと、明日が辛い。明日頑張らないと、明後日が辛い。毎日少しずつでも詰めていけば、休みがとれる日は必ず来ます。それまで頑張るしかないんです」
「ぷっ……くくっ。カーマシル、その物真似いいぞ。かなり似ている」
なぜ俺は笑われているんだ!? そんな眉間に皺を寄せながら、言いましたっけ!? もっと軽い感じで言いませんでしたか!?
なんだこの……なんだこれ!
「まぁそういうことなので、ボスは休むといいですわ。丁度、明日は東倉庫もお休みでしたわね。セトトルちゃんたちと、たまにはゆっくりしてくださいませ。……なんなら、私も」
「ハーデトリは無理だな」
「……先日、休んでいましたよね?」
ハーデトリさんの前に、ダグザムさんとアトクールさんが書類をどさっと置いた。
それを見て、彼女は半泣きだ。やっぱり、俺も手伝った方が……。
「ナガレさん、手伝おうとしていますね?」
「え!? いえ、その……」
「余計なことは考えず、休んでください。そしてまた頑張ってください。あなたが休まないと、他も気を使ってしまいます。いいですね?」
「はい……」
俺が休まないと、他も気を使ってしまう、か。確かに副会長の言う通りだ。俺もよく、上司帰れよ、上司休めよ、そう思ったものだ。
早く帰ったり休むことも仕事の内か……。
そうと決まれば、早く帰らないと! 俺は、室内の五人を見た。
「ではすみませんが、明日は休ませて頂きます。何かありましたら……」
「何かあったら、総管理人の私のところへ持ってきてください」
「もしくは会長である私か、副会長のカーマシルのところだな」
「と、いうことです。気にせず休んでください」
正直、感謝の言葉しかない。俺は深々と五人に頭を下げ、足早に帰路へついた。
次回は土曜に更新いたします。