百十二個目
百十二個目
ウルマーさんの歌は、相変わらずの上手さだった。
それはオークたちも同じだったようで、先ほどまで騒いでいたのに、静かにその歌声を聞いている。
でも、なんだろう? いつもと少し違う。
いつもの彼女の歌は、心に沁み入るというか、すごく……くるのだ。
今日は上手いのだが、くるものがない。なぜだろう? 慣れてしまったのかな?
一人首を傾げていると、おやっさんがぽつりと言った。
「テンポが早い。あいつ……あがってんな」
「緊張しているということですか?」
「あぁ。店とは聴いている人数も違うから、そのせいかもしれん」
確かに、今日は店なんて目じゃない人数のオークが聞いている。
その視線が全部集まるというのは、想像もつかないほどのプレッシャーがあるだろう。
でも、頑張ってほしい。ウルマーさんの歌はこんなものじゃない。もっともっと凄いんだ。
それが、オークにも伝わってほしい。
頑張れ……。頑張れ……。
応援することしかできない自分が、とても無力に感じる。なにかしてあげれないのだろうか?
肩にいたセトトルの、掴む力が強くなる。左腕を掴んでいたフーさんも同じだった。きっと二人も同じ気持ちなのだろう。
ウルマーさん自身も気付いているのだろう。調子を取り戻そうと必死な表情だった。
いつも笑顔で歌う彼女が、あんなに苦しそうな顔で歌う姿は見たくない。
「頑張れ……!」
俺は口ずさむように、応援の言葉を口にした。
もどかしい、でもこれしかできない。俺はぎゅっと手を強く握り、ただ応援をする。
「ボス……」
「情けないね。俺はウルマーさんが困っていても、応援しかできないよ」
本当に情けない。悔しい。いつも世話になっているのに、なにもできない。
でもそんな俺を見たセトトルとフーさんが、立ち上がり……飛び出した。
「え?」
俺が呆然と見ていると、二人はステージに向かって弾丸のような勢いで進む。
ウルマーさんも二人が来ることに気づき、驚いた顔をしている。
セトトルはそのままウルマーさんの肩に座り……一緒に歌い出したのだ。フーさんはそれに合わせ、真っ赤な顔をしながら踊っている。
二人がきたことで、ウルマーさんに少しだけ笑顔が戻った。
少しずつだが、いつもの調子が戻ってくる。セトトルの歌は、ウルマーさんより弱くて小さい。
でもウルマーさんの歌と合わさり、とても優しかった。
フーさんの踊りも、多少たどたどしくはあるものの、早くなっていたテンポを遅くしてくれている。
あのフーさんが着ぐるみもない状態で、ウルマーさんのために頑張って踊っている。
俺もなにか……なにかしないと! いてもたってもいられず、考えた。必死に考えた。そこで思いついた。
フーさんの踊りに合わせて、手拍子をしよう! ライブ映像で見たことがある。あれをやってみよう。
誰もそんなことはしていない中、手拍子をすることは恥ずかしい。
でも、あの二人の勇気に比べれば、全然大したことじゃない! 俺は立ち上がり、歌や踊りに合わせて手拍子を始めた。
俺の手拍子はリズムが合っていないかもしれない。手拍子が三人に届くかも分からない。
でもなにかをしたかった。そんな俺の肩を、ポンッと叩いた人たちがいた。
おやっさんも、ヴァーマさんも、セレネナルさんも、アグドラさんも、副会長も、サイエラさんも……みんなが立ちあがり、手拍子を始めた。
そしてそれは、瞬く間に広がったのだ。
オークたちも気づけば立ち上がり、ほとんどの人が手拍子をしている。
俺一人ではリズムが合っているかも不安だったが、他の人に合わせてやればその心配もない。
精一杯、手を叩いた。気づけば、キューンとガブちゃんも俺の足元でぴょんぴょん飛び跳ねている。
一体感、というのだろうか。全員が同じ気持ちで動いている。そんな気がした。
ウルマーさんも調子を取り戻してきており、大きな手拍子の中、気持ち良さそうに歌っている。
これだよ! このウルマーさんが見せたかったんだ!
セトトルとフーさんのお陰だ。ウルマーさんの本当の歌を見せられた。嬉しい。凄く嬉しい。
そして……雪が、降り出した。
本当にパラパラと粉雪が降りだす。寒かったから、雪が降ってもおかしくはない。
でも、ステージが終わってしまうことが嫌だった。ウルマーさんが、セトトルが、フーさんが作ってくれたこのステージを、途中で終わらせたくない。
強く降らないでくれよ……!
そう祈っていると、雪の動きが変わった。
フーさんの手の動きに合わせ、雪が動き出したのだ。
「ブヒイイイイイ!(おおおおおおおお!)」
ステージが、オークの集落が、二人の歌と、一人の踊りに包まれていく。
フーさんが魔法で動かしているであろう雪に合わせ、セトトルが飛ぶ。
彼女の羽から出る光により、雪が、ステージが、三人が光る。
「すごい……」
「あぁ、こんなステージはもう一生見れないかもしれないな」
おやっさんも、俺の言葉に頷いてくれた。
俺は今、生きてきて一番美しい光景を見ている。頭の中がふわふわとし、足が地につかない。
自分も少し浮いてしまっているような錯覚すらあった。
ウルマーさんの歌に合わせ世界が動いているように見えて、俺は背筋がぞくりとした。
俺は、こんなにすごい人たちと一緒にいたのか……。
歌が終わると、周囲には地面が揺れるほどの大喝采が起きた。
俺はというと……情けないことに、ぼんやりとその光景を見ていた。言葉も出てこない。
だが、肩で息をしている三人と目が合った。
三人が歌っているときも、たまに目が合った。いや、合ったような気がしていただけなのだが……。
ガブちゃんの作った特設ステージから飛び降りた三人が、走って……こっちに来る!?
そして、俺に飛びついたのだ。
「キャアアアアアアアアアア! もう! ボス見た!? すごい! すごいでしょ!? 私歌ってきて、一番のステージだったんだから!」
「オレ……オレもう……ぐすっ」
ちょ、ウルマーさん抱きつかないでください! みんなが見ています! 後、胸が!
セトトルも、俺の頬にしがみ付きながら泣かないで! 感極まったのかな? 気持ちは分かる。
俺も泣きそうだ。それくらい良いステージだった。
だがそんな興奮冷めやらぬ二人と違い、フーさんは息を整えながら俺の手を握る。
目を逸らすことなく、じっと俺を見ているのだ。正直、ドキッとしてしまった。
「ボ、ボスは……」
「う、うん」
「ボス、は! 情けなく、ない、です!」
フーさんは俺の手を強く握りながら、必死にそう告げた。
「そうだよ! ボスは情けなくないよ! ボスが頑張って応援をしていたから、オレもフーさんも頑張れたんだよ!」
「私だって二人がきてくれたから、ボスが手拍子をしてくれたから……だから、歌えた! ありがとうボス!」
俺の首に手を回して抱きつきながら、ウルマーさんもそう言ってくれた。
セトトルも、フーさんも俺のために頑張ってくれたのか。俺の手拍子にも意味はあり、ウルマーさんの力になれた。
良かった。嬉しい。……でも、限界です。そろそろ離してください。恥ずかしいです。
俺の気持ちは全く気にせず、気付けばフーさんも抱き着いている。周囲はにやにやと見ているし……。
限界に達した俺は、三人を振り払い逃げだした。
三人は俺を追いかけようとしていたが、他の人に捕まったので諦めたようだ。
少し離れた森の中、俺は木に手をつき反省のポーズをとっていた。
「キュン、キューン? キュ、キューン!?(ボス、どうしたッス? って、顔真っ赤ッスよ!?)」
『酔ったのか? 大分飲まされていたようだったしな』
「キュン、キューン(ガブちゃん、ボスは酔わないッスよ)」
『酔わない? そういう人間もいるのか』
俺は二人に、なにも答えられない。
ただ暑くてしょうがない頬を早く冷やしたいと思い、両手で頬を覆った。
あぁもう! 三人はステージの後で感情が昂って抱きついてきただけなのに、俺はなに恥ずかしがっているんだ。
そう分かっていても、本当に勘弁してほしい。あんなことを気安くしたらいけないよね。
「はぁ……」
「キューン!(まだ真っ赤ッス!)」
「あぁもう、ちょっとステージで興奮しちゃっただけだよ!」
『良いステージだったな。我は歌などに興味はなかったが、格別だったぞ』
「うん、最高のステージだったよ」
俺は二人と一緒に、宴へと戻った。
三人はオークたちに囲まれて、しきりに声を掛けられている。
少し離れた位置から、俺はその光景を眺めていた。
『ボス、顔がにやけているぞ』
「そりゃ三人が大人気で嬉しいからだよ」
「キューン、キュンキューン!(どうなるかと思ったッスが、ステージがうまくいって良かったッスね!)」
俺はにやにやとしながら、キューンの言葉に頷いた。
ステージも、宴も、大成功で幕を閉じた。
俺たちは帰りの馬車の中でも、延々とステージの話を繰り返しつつ帰宅をする。
その後、東倉庫の前で解散し、俺たち全員すぐに眠りについた。特にセトトルとフーさんは早かった。でもその寝顔は、とても満ち足りた顔をしていたのだ。
俺も二人に布団をかけ直し、横になる。
目を瞑ると、ステージが目に浮かぶ。きっと俺は今日のことを一生忘れないだろう。
そう思いつつ、俺も眠りについた。
その日見た夢は、俺がセトトルと飛んでいる夢だった。
だがよく思い出すと、フーさんの手の動きに合わせて飛んでいた。フーさんの魔法で飛んでいただけじゃないか!
夢でくらい、気持ち良く飛ばさせてくれよ!