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九十八個目

 温泉……疲れた人間を癒してくれるユートピアへと、俺たちは来た。

 ちなみに言うまでもないが、フーさんは女湯へ入るので別れている。

 でも、その後が大変だったよ。

 ガブちゃんが逃げようとすること数回、ここまで辿り着くのにすごく時間がかかった。


 湯気の立ちこめるこの空間。これこそ温泉だよ! 日本人として、これこそが癒しだ!

 俺はなぜ休暇で王都になんて行ったのだろう。最初から温泉に行けば良かったんじゃないか? いや、間違いない。最初から温泉に来れば良かったんだ!


「さて、ガブちゃん……」


 ビクリッと、先ほどまで偉そうにしていた子犬が震えた。

 ふふふ、そんなに怯えることはないじゃないか。温泉は気持ちいいものだよ? 大丈夫大丈夫……痛くしないからさ!


『すまぬ、急用を思い出した』


 ガシッと、俺とヴァーマさんがガブちゃんを掴む。

 くっさ! 自分の肌にも臭いがつきそうだ。だが仕方ない。ガブちゃんのためだ!


『待て! なぜ無言で笑っている! 離せ!』

「こら! 暴れるな! ちょっと気持ちよくなるだけだって!」

『なら、なぜそんな怪しげな顔で笑っている!?』


 知らないのかいガブちゃん? 人は相手が嫌がることをするとき、楽しくなるときがあるんだよ?

 そんなに抵抗されると、やる気が出てきちゃうのさ! 

 ……あ、逃げられた。


「しまった! おいボス逃げたぞ!」

「待つんだガブちゃん! 今なら痛くないよ!」

『待たなかったら痛いのか!?』


 温泉内で走るのは危ないので、俺たちもガブちゃんもゆっくり歩きながらの追いかけっこをしている。

 どことなくマヌケな姿だが、致し方ない。怪我はしたくないよね。

 俺たちがガブちゃんを取り押さえたとき、やり取りを見ていたキューンが溜息をついた。


「キュン……。キューン。キュンキューン(はぁ……。仕方ないッス。ここは僕の出番ッスね)」

「そうだな。ここはキューンにさくっと頼むか」

『待て! 凡庸なるスライムが我になにをする気だ!』

「キュ、キューン!(あっ、今の台詞で僕やる気出たッスよ!)」


 キューンがバスケットボールのような大きさから、空気を入れられた気球のようにどんどん大きくなる。

 いいぞキューン。それなら逃げ場も……待って? 俺たちの逃げ場も無い気がするんだけど……。


「キューン? 洗うのはガブちゃんだけで……」

「キューン!(みんな纏めて綺麗にしてやるッス!)」

「「『ぎゃあああああああああああ!』」」



 ――数分後。

 体は全身ぴかぴか、お肌はつるつる。俺たちは紛う事なき完全体へと進化をした。

 ガブちゃんは、まだ怯えている。尻尾を丸めながらキューンを見つつ、うわごとのように呟き続けていた。


『あれはスライムではない……断じてスライムではない……。温泉とは、かくも恐ろしきものだったのか……』


 どうやら、俺たちはガブちゃんに間違った温泉ライフを教えてしまったようだ。

 これはいけない。正しい楽しさを教えてあげなければ……!


「ガブちゃん、温泉っていうのはね……ゆっくりと温まり、日々の疲れをとるものなんだよ? なにも考えず、ゆっくりすることが大事なんだ」

『さっきまでのせいで、まるで説得力がないぞ!?』


 中々強情な犬っころだ。セトトルたちなら、この言葉でうまく騙せたのに……。

 とりあえず俺は怯え震えるガブちゃんを抱え、ヴァーマさんと共に温泉へとインした。


『や、やめろ! 我は温泉に入ったことがない! 離すではな……あつっ! やめてくれ!』

「大丈夫大丈夫。熱いのはすぐ慣れてくるから」

『な、慣れたくなどはない! やめろ! 我は出る! お、温泉など……ふぅ』


 熱さになれたのか、ガブちゃんは恍惚な表情を浮かべだした。

 よしよし、温泉の良さが分かってきたかな?


『これは……中々良いな。骨身に染みる感じがするぞ』

「お、犬っころの癖に分かってるじゃねぇか。温泉はいいもんだろ?」

『我は犬っころではない! だが、これは良いものだな……』

「「『あ゛ーーー』」」


 温泉で定番の声を出しつつ、俺たち三人は温泉で疲れを癒す。

 ……三人? キューンはどうしたんだろう?

 俺が辺りをきょろきょろと探すと、キューンは温泉の手前で止まっていた。まるで電池が切れたようだ。


「キューンどうしたんだい?」

「キューン(体を洗ってから入るッスよ)」


 なるほど。温泉に入る前に汗を落とす。大事なことだろう。俺たちは強制的に洗濯されたけどね……。

 問題は、キューンが汗をかくのか、汚れるのか、ということだ。それに、こいつはどうやって体を洗うんだろう?

 非常に興味深い! 俺は、じーっとキューンを見つめた。

 見つめたのだが……まるで動きが無い。その場で止まっている。


「ボス、キューンを良く見てみろ。ありゃなんだ?」

「え? ……えぇ!?」


 よく見ると、キューンの体の中が高速回転している。気泡?が回っていることで気づいた。

 な、何が起きるんだ……。

 俺とヴァーマさん、そしてガブちゃんが興味津々で見ていると、キューンの回転が止まった。ドキドキ……。


「キュッ(ぷっ)」


 キューンは、どす黒いなにかぷるぷるした物体と分裂した。

 なんだあれは? 黒いキューン? 腹黒になったの?

 その黒い物体を、キューンは普通に水で流した。ぷるぷるしていたのに、溶けるようにそれは消えていったのだ。


「キューン、今のはなに?」

「キュン? キューン、キューン。キュン、キューン? キュン(汚れッスよ? たまにこうやって、分解しきれなかったのを捨てるッス。あぁ、害はないッスよ? 処理済みッス)」


 処理済みってなんでしょうか。キューンだけでゴミ処理施設なの?

 人間とかも、キューンにかかればあんな風になってしまうのだろうか……。想像したら背筋がぞっとしたよ。

 キューンはそれで体?が洗い終わったらしく、温泉へダイブしてぷかぷかと浮いていた。

 こいつ、水に浮くんだ……。


 俺たちがキューンをつついたり、ガブちゃんにお湯をかけたりして遊んでいると、ヴァーマさんが俺へ話しかけてきた。


「なぁボス」

「ヴァーマさん、どうかしましたか?」

「そうそれだ。そろそろいいんじゃないか? そういう性格なのも、分かってはいるんだがな」


 俺は頭の上に疑問符を浮かべた。

 ヴァーマさんの言葉には主語が足りていない。一体なにを言っているのだろうか。


「ヴァーマ「さん」と呼ぶのは、そろそろやめないか。俺たちゃ色々やってきた仲だ。友達として、もっと気安く話してほしいと思ってな」

「友……達……」


 俺の全身に、稲妻が走った。

 頭のてっぺんから、つまさきまでビビビッっときたのだ。

 今、なんと言っただろうか? 友達? と、ととととと友達!?

 なんだその甘美な言葉は。一瞬、温泉に溶けてしまうかと思ったほどだ。

 と、友達……。

 俺は、バシャリと温泉へ顔を浸ける。

 王子と知り合いになったり、妖精と知り合いになったり、様々な出来事があった。

 だが、今……友達!? 友達だって!?

 俺はお湯から顔を上げ、ヴァーマさんを見た。

 ヴァーマさんは不思議そうな顔をしているが、こっちの方が不思議な顔をしていますよ!


「ヴァ、ヴァーマさん」

「お、おう。どうした?」


 俺は少しだけ溜め、ゆっくりと言葉を紡ぎ出した。


「お、俺たちは友達ですか?」

「ん? そりゃそうだろう。今さら何を言ってんだ! 水臭いやつだな!」


 ヴァーマさんが俺の背を遠慮無しに叩く。とっても痛い。痛いのだが……。心地よい。

 胸にこみ上げてくるものが……ある。あ、これやばいかも。


「どうした、なに黙ってんだボス……ボス!? お前、なんで泣いてんだ!?」

「……ず、ずびばぜん」

「キュ、キューン!?(ゆ、湯あたりッスか!?)」

『温泉とは、素晴らしいものだな……』


 あの犬っころ、親密度が足りていないからか全然心配していない! いや、まぁそれはいいけどさ!

 俺は情けないことに、目から涙が零れていた。友達というその言葉にだ。


「お、落ち着けボス! どうした! 辛いことがあったか!? そうだな! 辛いことばっかりだったな! で、でも楽しいこともあったろ!?」

「キュン! キューンキュン! キューンキューン!(そうッス! 僕たちと出会ったじゃないッスか! 僕たちはボスと出会えて本当に良かったッス!)」

『む、これはすごいではないか。タオルで泡を作れるぞ』


 キューンの言葉で、俺の目からはさらに涙がぶわっと出た。ガブちゃんの言葉にツッコむ余裕もない。

 ヴァーマさんに背を優しく撫でられ、キューンがガブちゃんにお湯をぶっかける。そんな中で、俺は少しずつ落ち着きを取り戻した。

 そして今の気持ちを、思いを、なんとか口から出す。


「は、初めてなんです……」

「初めて? なにがだ? 温泉がか? 泣くほど嬉しかったのか?」

「いえ……友達ができたのがです……」

「「『……』」」


 三人はシーンとしていた。

 いつの間にか、ガブちゃんまで俺の話を聞いている。あれ? 俺なんか変なこと言ったかな?

 そして三人は、俺から目を逸らす。なんで!? 親友・・じゃなかったんですか、ヴァーマさん!?


「そ、そうか……。俺が初めての友達か……。そうか……ぐすっ」

「キュン、キューン……キュッ(ボス、その気持ち分かるッス……ぐずっ)」

『ナガレ殿……いや、ボス。我にもその気持ちは分かるぞ……ぐすっ』


 なぜか三人は鼻をすすっているようだ。

 そして妙に優しく、俺の近くに寄ってきた。


「ボス、これからもよろしく頼むぞ!」

「キューンキューン!(僕たちのこともお願いするッス!)」

『うむ、我も急激に親近感が湧いた。これから長く世話になるぞ……ぐすっ』


 ガブちゃんは、まだ鼻をすすっていた。

 まぁガブちゃんのことはいい。俺は今日、初めての友達ができたのだ! 異世界にきて本当に良かったよ……。

 俺が感動していると、なにか声が聞こえてくる。


「ハーデトリ、すごいね……。オレなんて……」

「そうだね。でかいとは思っていたけどね」

「おーっほっほっほ! そういうセレネナルの腰もすごいですわね……」

「腰がキュッとなってる……。オレは……ぷにっとしてる」

「ふたりとも……お綺麗で、す」

「いやいや、フレイリスは神秘的な美しさがあるよ」

「そうですわね。フーちゃんにかかれば、男なんて一ころですわ!」

「オレだけ……」


 女湯から、声が聞こえる。これはうちの女性陣の声だ。

 そしてその声が聞こえた瞬間、ヴァーマさんが素早く女湯との仕切り近くに移動した。

 俺とキューンとガブちゃんは、この人はなにをしているのだろうという顔で見ていたのだが、親友が俺へ手招きしている。断る理由もないので、俺は親友へ近づいた。


「ヴァーマさん、どうしたんですか?」

「ボス、俺たちは友達だ。分かるな?」

「もちろんです!」

「男なら、こういうときどうするかも分かるよな?」


 ま、まさか……。これは修学旅行の男子とかがやって、朝まで正座をさせられるという、あれか?

 伝説のあれをやろうというのか!? そんな、駄目ですよ!


「ヴァーマさん! それは」

「馬鹿野郎!」


 俺はヴァーマさんに怒鳴られた。親友は過去一度も見たことが無い真剣な顔で、俺を見ている。

 その顔に、俺も神妙になってしまう。


「これは覗きじゃないぞ? ……そう、見張りだ。大切な仲間が、他のやつに覗かれていないかをチェックするんだ」

「なるほど……」


 親友が言うのだから、そうなのかもしれない。

 俺はその言葉を信じ、こくりと頷いた。


「よし、それでこそ男だ! 俺が先に、下になってやる。ギリギリ届くはずだ。すぐ変われよ?」

「分かりました! 任せてくださいヴァーマ・・・・!」

「おう! それでこそだ!」


 俺たちは固く手を握り合った。

 これが……友達! 今なら、なににも負けない気がする……!

 後、ヴァーマって呼び捨てにするの恥ずかしいね。顔が熱を帯びているよ。


 俺たちが仕切りの前へ立ち、ヴァーマがしゃがむ。そして俺を見た。

 顔がこう言っている。さぁ、行け! と。

 そのときだった。女性の声がしたのだ。


「ヴァーマ、馬鹿なことにボスを誘うんじゃないよ? 女湯の声が聞こえているということは、男湯の声も聞こえているんだからね?」

「ば、馬鹿野郎。なにを言ってるんだ! 温泉は気持ちいいな、セナル!」

「そうそう、それでいいんだよ」


 俺たちは、とぼとぼと温泉へ戻った。冷えた体に、温泉の温かさが気持ちいい。


「キュン……(馬鹿ッスね……)」

『こいつらは一体なにをしたかったのだ?』


 キューンとガブちゃんに、俺たちは返す言葉も無かった。

 というか、よくよく考えたら覗きはいけないよね? つい、友達という言葉に釣られてしまった。反省しよう。



 そして次の日、俺たちは温泉宿を旅立った。

 さぁ、ゆっくり休めたし我が家へ帰ろう!

さぁ……帰ろう!

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