九十七個目
王都を離れた俺たちは、馬車でガッシャンゴッシャンと移動をしていた。
「ボス、馬車酔いは大丈夫ぅ?」
「うん、薬が効いてるね。心配してくれてありがとうフーさん」
「私に寄りかかってもよろしくてよ?」
「大丈夫ですよ、ありがとうございますハーデトリさん」
みんなに心配をかけたくないので言っていないが、実は少し酔っている。
薬の効果か、激しく酔っているわけではない。なんかこう、少しだけ酔っている状態が続いているのだ。
これはこれで嫌だが、まだ耐えられる範囲なので良しとしよう。
「もう少し行ったら、横道に逸れるぞ。そっちに温泉のある村があるからな」
「温泉に行くのは久しぶりだね」
「オレ初めて!」
「私も初めてよぉ!」
「キューン。キュン(温泉で傷を癒す。定番ッスね)」
相も変わらずキューンは、トンチキなことを言っている。
まるで湯治にでも行ったことがあるような言い方だった。だが、キューンならありえるかもしれない。よく分からない過去を持っていそうだからね。
それにしても、温泉か。初めて休暇っぽいことができそうだ。
普段はシャワーだったし、ゆっくり休めそうだ……。
村へと辿り着き、宿も無事にとることができた。
部屋でみんなゆっくりしていたのだが……。俺だけは横になっていた。
「馬車を降りた瞬間にくるとはな。まぁ、ボスは俺が見ているからお前らは温泉に入ってきたらどうだ?」
「いえ、私がボスを見て」
「私が見ているわぁ! ヴァーマさんもいるから大丈夫よぉ!」
フーさんの言葉に、ハーデトリさんがたじろぐ。
最近、なぜか少しだけフーさんがハーデトリさんに対抗している気がする。喧嘩でもしたのかな?
思い当たる節は……一つだけ、ある。
ハーデトリさんが抱き着きすぎたことだろう。悪いのはハーデトリさんだね。これはしょうがない。
「フーさん、そんなに気を使わないで大丈夫だよ? 少し外でも散歩して気分転換をしてくるよ」
「私も行くわぁ!」
「えっと、ヴァーマさんがいるから」
「私も! 行くわぁ!」
「あ、うん。じゃあお願いしようかな」
俺はヴァーマさん、キューン、フーさんと一緒に村を散歩することにする。
他の面々は温泉へと向かう。セトトルはとても機嫌良さそうに、セレネナルさんの肩へ乗っていた。
でもその目からは、絶対にハーデトリさんへ近づかないという、強い意志を感じたよ……。
村の中は、いくつか屋台が出ていたり、他にも温泉へ入りに来たような人たちがそれなりにいた。
あまり人が多くないので、こっちも気楽でいい。
ちなみにキューンは、言うまでもなく俺の体に張り付いていた。最近これに慣れていて、少し怖い。慣れてしまっていいのだろうか……。
「温泉って変わった匂いがするわぁ」
「これは、硫黄の匂いだね。ちょっと腐ったような独特な匂いがするんだよ」
「ボス、イオウってなんだ?」
ヴァーマさんの質問で、俺は止まった。
なんだと言われたら……なんだ? 元素の一つだと言えばいいのだろうか? いや、その説明じゃ伝わらない。こういうときにネットがあれば……!
俺がうーんうーんと悩んでいると、ヴァーマさんが言った。
「まぁ難しいことはいいな。おい、ソーセージを焼いてるぞ。小腹も空いたし、食べようぜ!」
「そ、そうですね! そうしましょう!」
話をそらしてくれて良かった。硫黄がなにか……説明すると難しいものだな。これからは気を付けよう。
それにしても、酔いが収まるとなぜお腹が減るのだろう。妙にお腹が減るんだよね。俺だけかな?
よく焼けたソーセージは、皮がパリパリで肉汁がぷしゅっと出てきた。あつっ!
おいしいけど、火傷に気を付けないといけないね。
「フーさん、火傷しないように気を付けてね?」
「そんなに熱いのぉ?」
「すごく熱いよ。肉汁で着ぐるみが汚れちゃうかもね」
「キューンがいるから大丈夫よぉ」
彼女は楽しそうに笑っていた。うんうん、こういうなんでもない時間っていいよね。
家族ってこういうものなのかな……。
「キュン! キューン! キューン!(ボス! 僕も欲しいッス! 一口欲しいッス!)」
「なんか色々と台無しだけど、はいどうぞ」
俺の首元から触手を伸ばしているキューンに、ソーセージを差し出す。
キューンはそれを嬉しそうに……あ! こいつ! 半分食べやがった!
うぐぐ……。まぁ、半分ずつならいいか。
俺が二口目を食べようとしたときだった。暗がりから唸るような声がする。
『ぐぐ……我ともあろうものが、空腹で……』
これは声じゃない。キューンの言葉が翻訳されているときに近い、頭に響く妙な感じだ。
ということは、違う言語? 俺は恐る恐る暗がりを覗きこんでみる。危険だったらすぐに逃げよう。
そこにいたのは……黒いシベリアンハスキーのような小さい犬だった。
『なにを見ている人間……!』
「お腹が減っているの、かな? これで良かったら食べる?」
『人の施しは受けん!』
おぉ……ちょっと気分が良かったのであげようかと思ったが、どうやらとてもプライドの高いわんちゃんらしい。
でも弱っているみたいだし、このままにしておくのもちょっと気分が悪い。
「ボス、どうしたんだ?」
「いえ、弱っている犬がいまして……うーん」
俺はヴァーマさんに答えつつ、案を考えた。
そして、一ついい案が浮かぶ。これでいこう。
「これはあなたへの貢物です。施しではありません」
『貢物……だと?』
「はい、それならどうですか?」
『な、ならば……受け取ってやらんこともない』
良かった良かった。納得してくれたようだ。
俺はわんちゃんにソーセージを差し出す。すると、かぶりつくように食べ始めた。本当にお腹が減っていたんだね。
「お腹が減っていたのねぇ。なら、私のも分けて……貢物としてあげるわぁ」
『む……ならばもらってやろう』
「ふふっ、どういたしましてぇ」
ここで俺は気づいた。あれ? フーさんも言葉が分かっている?
もしかして、この犬の声が聞こえているのは俺だけじゃないのか。
「悪いな。俺は食べ終わっちまった。もう一本買ってきてやろうか?」
『む? できれば水をもらいたいな』
「キューン(なら僕が水を上げるッス)」
キューンはそう言うと、ぷるぷるとした塊を犬の前に出した。
え? このゼリーみたいなの飲めるの? ゼリー飲料的な……?
『うむ、くるしゅうない。我へのその行い、お前たち見所があるな』
「面白い犬っころだな。随分偉そうだ」
「可愛くていいじゃない。私、嫌いじゃないわよぉ」
やっぱりそうだ。ヴァーマさんもキューンもフーさんも、言葉が分かっている。
どうやらただの犬っころじゃないようだ。一体何者……何犬だろう。
犬はソーセージを平らげ、キューンにもらった水を飲み、一息ついたようだった。
そして、つぶらな瞳でこちらを見たのだ。丸々黒々とした瞳が可愛い。
『貢物、感謝をする。なにか礼をしてやろう』
「はははっ、そんなに気にしないでいいよ?」
『それでは我が一族の名折れだ。……ふむ。ならばなにか礼ができるまで、お前たちに力を貸してやろう』
お犬様に力を貸してやると言われた。
なにか、釈然としない。最初は少し面白かったが、なぜこんなに下に見られているのだろう?
『我が人に力を貸すことなどはないのだが、感謝するがいい』
「偉そうな犬っころだな。どうするんだ、ボス」
偉そうだが、尻尾をフリフリしている……尻尾が可愛い。
親方の髭みたいにもふもふしている。尻尾の先だけ白いところも可愛い。
それに偉そうにしているが、尻尾を千切れそうなくらい振っている。本当は嬉しくてしょうがないみたいだ。可愛いやつめ。
「ボス! 私この子を連れて行きたいわぁ! 可愛いもの!」
『我を可愛いだと!? 我は、そのような愛玩動物では……』
「うん、そうだね。この生意気な話し方も、可愛いから許せるね。えっと、俺はナガレ。君の名前を教えてくれるかな?」
わんちゃんは眉間に皺を寄せながら、納得がいかないような顔をしつつ名前を教えてくれた。
『……我が名はガブリエル。犬っころと一緒にするではないぞ?』
「うんうん、よろしくねガブリエル。それでガブリエルに聞いておきたいことがいくつかあるんだけど……。大事なことなんだ」
俺の言葉で、ガブリエルの顔が少し険しくなる。
そして、頷いた。
『大事なこと、か。良かろう。なんでも聞くが良い』
「君は……オスかな?」
『うむ。……うむ? いや、確かに我はオスだ。それが大事なことか?』
「それはいいね! とってもいいよ! ちょうど番犬がほしかったんだ!」
『我は犬ではないと言っているだろう!?』
オスだと!? ついに……ついに、東倉庫に俺以外の男が!!
可愛い妖精、謎の生命体、可愛いシルフ、そしてオスのわんちゃん! やっと男が見つかった!
ガブリエルがなにか言っていたが、俺は気にせずにガブリエルを抱きかかえる。
おぉ、毛並みがもふもふ……していない! ざらざらしてる! 硬い! 後、獣臭い!
「ボス! 私も! 私も抱きしめたいわぁ!」
「いや、フーさん待ってくれるかな? まずは温泉で洗った方が良さそうだよ」
「汚れているのかしらぁ? 私もガブちゃんを抱きしめたかったわぁ」
『我を気安く抱きかかえるな! おい! 聞いているのか! 後、ガブちゃんとはなんだ!?』
俺はガブちゃんを抱き抱え、温泉へ向かうことにした。
まずはしっかり洗って、毛並みを整えてやらなければいけない。
「よく分からんが、この流れには俺も慣れたな。とりあえず温泉で洗うことにするか」
『待て! 我は温泉になぞ入らないぞ! 聞いているのか!』
「綺麗になったら、ガブちゃんを私も抱きしめたいわぁ」
『話を聞かぬか!?』
「キュン。キューン(諦めるッス。もう逃げられないッスよ)」
『逃げられないとはどういうことだ!?』
俺たちはガブちゃんの話を一切聞かず、意気揚揚と温泉へと向かうことにしたのだ。
……くっさ! 土とか獣くっさ! 早くゴシゴシ洗ってやろう。
ということで、新章をスタートしました。
よろしくお願いいたします。