九十三個目
屋敷の高さは三階建てといったところだろうか。
高さよりも横の長さがすごい。一体何部屋あるのだろうか? まるで小型のマンションのようだ。でも、それだけならここまで驚くことはなかった。
なによりも驚いたのは……その庭の大きさだ。
屋敷の前には噴水、庭の大きさは野球ができそうな広さ。
そして……高笑いをするハーデトリさん。
「おーっほっほっほ! 夕食はオーガス家で用意をさせて頂きましたわ! みなさん今日はゆっくりおくつろぎくださいませ! 部屋も事前に用意させておりますわ!」
「あの、急に宿泊するわけには……」
「大丈夫ですわ! 部屋も用意してありますし、宿にも商人組合の方にも連絡を入れてありますわ!」
うん。なにが大丈夫なのかは、さっぱり分からない。
でも分かったこともある。
どうやら、ここで夕食を食べて一日泊まらせてもらうしかないようだ。
だってさ……ハーデトリさん、あんなに満面の笑みなんだよ? 友達が家に泊まりに来たみたいな、あの笑顔を裏切れないよね。
屋敷の中は、もうなにもかもが別世界だった。
入口の天井には大きいシャンデリア。高価そうなアンティークと思しき壺や置物。屋敷全部に敷き詰められているように感じるカーペット。
夢を見ていると言われても、なにも疑わない世界がそこには有った。
「あわわわわわ……」
「ひ、東倉庫がたくさん入りそうなお屋敷ねぇ」
「キューン(本当にお嬢様だったッスね)」
「こいつはたまげたね……」
「このカーペット、踏んでもいいのか? 俺の靴、かなり汚れている気がするんだが……」
「み、みなさん落ち着きましょう?」
みんな落ち着くように言ってはいるが、俺も物凄く慌てていた。
眼鏡を何度も直したり、襟元を正したり、髪型が妙に気になってしまったりと、全然落ち着いていない。
平然としているのは、ハーデトリさんだけだった。
「では、お部屋に案内をさせますの。まずは荷物を置いて、少し休憩にいたしましょう! 食事の準備ができましたら、呼びに行かせますわ」
ハーデトリさんが軽く手を挙げると、たくさんの執事とメイドが出てきて俺たちを囲む。
動揺している俺たちから、彼らは優しく荷物を取り上げた。
「御案内させて頂きます。こちらへ」
「オ、オレの荷物は自分で持つよ?」
「いえ、これも私たちの仕事です。セトトル様、どうぞお気遣いなく」
「セ、セトトル様!?」
セトトルはもうなにがなんだか分からないといった顔をしているが、それはセトトルだけではない。
俺含めた他のメンバーも、そわそわとして落ち着かない様子となっている。
とりあえず上に行ったり下に行ったり、ふわふわとしているセトトルを捕まえて頭の上へ乗せた。
彼女は頭の上で、へにゃっとなっている。フーさんも俺の腕を強く掴んでいて痛い。
フーさんの頭を撫でて落ち着かせつつ、俺たちは執事さんやメイドさんの後ろへ続き、屋敷の中へと入った。
入口すぐ正面の階段を登り、二階の……ながっ! なんだこの廊下は、ここで徒競争ができそうだ。
などと一々驚きながら部屋へと案内をされた。
部屋も当然のように一人一部屋用意をされている。そして部屋の中はというとだ……。
アンティーク調の机や椅子、家具。煌びやかな装飾が施された大きな鏡。そしてベッド。
このベッドがすごい。三人は軽く寝れそうな大きさがある。
なによりも部屋が広い! 5人は軽く泊まれそうな広さだ。
「では、夕食の準備が整いましたらお声をかけさせて頂きます。なにか御用がありましたら、そちらのベルを鳴らしてください」
「はい、ありがとうございます」
俺は平然とした顔で答えてはいた。だが心の中は違う。
ベル!? ベルを鳴らすってなに!? このハンドベルを鳴らしたら人が来るの!? どこのお貴族様だよ! いや、お貴族様だったけどさ!
無駄に広い部屋の中で、居心地の悪さを感じた俺のやったことは……。椅子にちょこんと座ることだった。
堂々とベッドにでも座ればいいのだろうが、完全に委縮していたのだ。
こんな部屋に一人残された俺の心境を考えてもらいたい。心細くてしょうがない。東倉庫の狭い部屋が懐かしいです……。
俺が落ち着かずにそわそわとしていると、扉が軽くノックをされる。
俺はその瞬間、ビシッと立ち上がっていた。誰!? 誰が来たの!? と、とりあえず扉を開けよう!
右手と右足、左手と左足を一緒に動かしながら、ロボットのように俺は扉へ向かった。
そんなことするやつ、いるわけないだろ! と、俺も昔は思っていた。
だが、同じ状況になってもらえば分かるはずだ。右手と左足を一緒に動かすということに違和感を覚え、右手と右足を動かしてさらに違和感を覚える。
どちらが正解か分かっているのに、分からない。それくらいテンパっていたのだ。小市民っぷり全開だよ……。
そんなことをやっていると、扉がまた軽くノックされる。そうか、まずは答えないといけなかったんだ。
「はい、開いていますよ。……開いているかな? いえ、開けますね」
よく分からないことを言いつつ扉を開けると、弾丸のように何かが飛び込んできた。全力で鼻に突っ込んできたので、俺は涙目だ。
だが、飛び込んできた人物はもっと涙目だった。
「ボスウウウウウウ! あ、あんな広い部屋でオレどうしたらいいのか分からないよ!?」
俺はセトトルを見て、急に安心した。
そうか、不安なのは俺だけじゃなかったんだ……ぐほっ!
「は、腹に……」
「ボスウウウウウウウウ!? な、なんなのあの部屋は!? どこに居ればいいのか分からないわぁ!?」
閉じていない扉から飛び込んできたのは、フーさんだった。
フーさんもテンパってグロッキー状態なのは分かる。
しかし、渾身の一撃を食らった俺はもっとグロッキー状態だ。腹筋を鍛えた方がいいかもしれない……。
「キュン、キューン。キューン(まぁまぁ、みんな落ち着くッスよ。夕食までゆっくりするッス)」
その声で振り向くと、キューンがいつの間にかベッドの上でボールのように転がっていた。
お前、さっき部屋に通されたじゃないか! 「スライムにも一部屋くれるとか、豪気ッスねー」とか言ってたろ!? いつ来たんだ!
「おう、ボスいるか? いや、なんか落ち着かなくて顔を見に……なんだ、みんないるのか」
ヴァーマさんは照れ臭そうにしつつ、俺の部屋へ断りもなく入ってきた。
いい大人が落ち着かないからって、人の部屋に来るのはどうなのだろうか。
そして急に落ち着いた顔をして、椅子に座るのもどうなんですか。
「ボスいるかい? ヴァーマやおチビたちも部屋にいなくてね……。なんだい、こっちに勢ぞろいかい」
セレネナルさんも、平然と入ってきてベッドに座ってキューンを撫で始める。
「あ、私もキューンを撫でるわぁ。キューンを撫でると落ち着くのよねぇ」
「おや、そうかい? なら、フレイリスもこっちに来るといいよ」
……こんなに広い部屋なのに、あっという間に息苦しい人数になってしまった。
そして、その……なんだ。俺もみんなが来て、落ち着いた自分がいるのに気づく。
どたばたと騒がしい日常に染まり過ぎているのかもしれない。
でも、これはこれでいい気がする。なんとなくだが、幸せを感じてしまった。
「ボス? なんで嬉しそうなの?」
「ん? みんながいるのって、いいなって思ったんだよ」
「うん! オレもみんながいると楽しいし嬉しいよ!」
半泣きだったセトトルも、いつの間にか笑顔になっている。
俺たちはその後、いつも通りに和やかな談笑を続けていたのだが……扉がノックされた。いや、ノックされてしまった。
「お食事の準備ができました。ご案内させて頂きます」
本番は、まだこれからだったようだ。




