一個目
俺の名前は秋無 流(28)。
この度ついに……ついに……会社を辞めました。
電子部品などを取り扱う物流会社の商品管理課で、倉庫作業に従事していた。
その期間、何と派遣社員で8年!
ベテランもいいところである。
仕事も割と出来たため、社員にならないの? 社員にならないの? などとよく聞かれていた。
こちとら誘いがあったら社員になっている。
だが、ここでなぜ誘いがないのかということを、もっと深く考えるべきだった。
そんな自分にとある情報がリークされる。
そう、大した内容じゃない。自分は仕事ができた、そして色々と良くしようと口を出していた。
それが上司には気に入らなかったのだ。
結果、社員登用の話は全て潰されて、自分の出した成果も全て他の人の成果になっていた。
滑稽な話である。
しかもそんなことを知った後に、上司から覚えのないクレームだ。最初から怒鳴り口調で文句を言われたのだ。
その瞬間、怒りが頂点に達した俺は、その日のうちにぶちぎれて会社を辞めた。
勿論その後も、戻って来てほしいなど色々と言われた。謝罪も受けた。
だが、俺はすっきりしていた。
そう、今の俺は自由なのだ!
意気揚揚とコンビニに寄り、プリンを買って帰る。財布の中に金が入っていないことに気付いたが、明日下ろせばいいと思った。
この後のことなど、今日は知ったことではない!
そして家も近くなったところで、ふと気づいた。
財 布 が な い !
慌てて来た道を戻る。コンビニで支払いをしたときはあったのだ! どこかにあるはず!
……そう、すぐに警察に行けば良かったのだ。
その時の俺は、そんな冷静さも失っていた。
――1時間後。
財布を見つからないことに意気消沈しながら、警察へと向かった。
勿論届けられてはいなかった。
そして色々と届けをして、警察に言われるがままにキャッシュカードを止めるために電話をする。
「申し訳ありません、そちらの口座の残高は152円となっています。つい先ほど全額引き下ろされているようですが」
頭の中は真っ白だった。仕事を辞めていい気分となっていたら、帰り道に財布を失い貯金も失った。
色々と話しはしたが、貯金を取り戻すことは難しいらしい。
俺は頭が真っ白のまま帰宅することとなった……。
帰り道の途中、ビラを受け渡される。
普段ならこんな物は受け取らない。だが、頭の中が真っ白だった俺は言われるがままに受け取った。
そしてぼんやりと内容を見る。
『異文化交流もできる倉庫の管理人! 住み込み出来る方を募集しております。
あなたの経験を活かしませんか?
アルバイトも随時募集しております! 勿論住み込み可能です。
即日からの住み込みも可!
ご連絡は24時間受け付けております! 直接出向いて頂いても構いません!
是非お気軽にお越しください。』
何ともくだらないビラだった。
俺はそのビラを折りたたんで鞄にしまう。いや、その辺に捨てるわけにはいかないからね。ちゃんと家に持ち帰って捨てないと。
もうすぐ家に帰れる。今は寝たい。そんな疲労感のまま歩いていた。
だが、家の方が妙に明るいことに気付く。……いや、気付いてしまった。
けたたましいサイレンの音、向かう方向は俺の住んでいたアパートの方向だ。
「はははっ、まさかね」
そう、そんなに色んなことが同時に重なるわけがない。考え過ぎだ。
そう考え過ぎ……俺はダッシュで家へと向かった。
辿り着いた先にあったのは、燃え盛るアパート。周囲を囲む野次馬。火を消そうとする消防車。
俺は茫然と、鎮火するまでその光景を眺めていた。
火が鎮火し、アパートの住人は生存確認を受けた。警察にも行った。大家さんは泣いていた。
茫然としたまま、色々と手続きをし、自分は警察署を出た。帰る場所もないのに……。
たったの一日であらゆるものを失った。家と私物と貯金と職。
読みかけのライトノベルや漫画も、やりかけのゲームとパソコンも……。全部燃えた。
俺に残ったものは、どうせ作業着に着替えるのに着て通っていたスーツ、鞄、燃えたアパートの鍵。コンビニのプリン。
これだけだった……。
時間はもう夜中。
俺は公園のブランコでただ一人黄昏ていた。
……あれ? もしかして人生詰んだ? 実家なんてものはない、すでに天涯孤独の身だからな。
なら、今日辞めたばかりの会社に頭を下げるか? 確かに他に方法は浮かば無かった。
だがしかし、今日の怒りが俺に力をくれた。
ふざけるな! 何で頭を下げなければいけないんだ! 第一、俺は何も悪くないだろう! 財布を落とした? 届けてくれてもいいだろう!
力を入れ直した俺は、鞄を開き先程のビラを見直す。
間違いない、住み込み可能だ。アルバイトだって募集している! とりあえず必要なお金を稼いだら、辞めて違う仕事に移ることだって出来る! とりあえずは職に金に寝床だ!
24時間いつでも? 俺はすぐさま電話をした。
事情を話すと、今すぐ面接に来ていいらしい。場所も徒歩で行ける範囲内だった。
都合が良い、まだ何とかなる。
俺は急ぎ向かった。
到着した場所は、ただのビルだった。
ビルの灯りは当然のように消えている。
だが、ここの3Fに事務所があり、待っていてくれる予定になっている。
外からは灯りが点いているようには見えなかったが、俺はとりあえず向かってみることにした。
暗いビルの中、エレベーターに乗り俺は三階へと辿り着く。
そこは普通のビルにもかかわらず、真っ直ぐな廊下に扉は一つだけ。つまりこのフロア自体が貸切なのだろう。
扉は一つだけなのだから、迷うこともなかった。にもかかわらず、俺は戸惑った。
何だこの重厚な鉄扉は? 本当にここは事務所なのか? 銃弾も弾き返しそうなんだが……。
俺は威圧感のある扉の前で、申し訳程度に身だしなみを整える。
そして恐る恐るインターホンを……、ご自由にお入りください? セキュリティはどうなっているんだ? いや、普通はこんな鉄扉を見たら開こうとは思わないのかもしれない。
とはいえ、このまま帰ることもできない。仕方なく、軽くノックをする。
……反応は無い。というか、手が痛い。これじゃあノックが聞こえたかも分からない。
俺に残された選択肢は一つ、ドアを開けることしかなかった。
「失礼しま……!?」
何か、視界? 頭? が、ぐらりと揺れた。今日一日であんなことがあったのだ、疲れているのかもしれない。
だがそれは一瞬で、俺はすぐに立ち直ることができた。貧血だろうか。
俺は気を取り直し、改めて部屋の中を見る。
ドアを開けた先は、埃臭い部屋。事務所にしては異質な部屋だった。辺り一面が本で覆い尽くされていて、長机が一つだけ申し訳程度に置いてある。そんな部屋だった。
一見すると図書館のようなその部屋には、そこら中に本が積み上げられている。前職のせいか、落ち着かない。すごく整理がしたい。
だがまぁ、そんな苦情を言うわけにもいかない。というか、ここは本当に事務所か?
とりあえず声を掛けながら、奥へと進むことにした。
「すみません! 先程連絡したものですが、誰かいますか?」
「たすけてー……」
返事があった。どうやらちゃんと人がいるよう……助けて!?
俺は慌てて声がした辺りに向かう。崩れた本から、蠢く手が見えた。
恐らく積み上げていた本が崩れて、身動きがとれなくなったのだろう。
俺は本を片付け、机の上に綺麗に並べ直す。見たことがない本ばかりだが、今はそれどころじゃない。
数分かけて、やっと中の人を助け出す。
そこにいたのは、細くてモヤシみたいな体に眼鏡をつけている人だった。見るからに事務職といった感じだ。
「すみません、助かりました。えーっと、連絡をくださった方ですよね? ほうほう、身長は172。髪は黒髪。髪型は少し長めですが、サラリーマンっぽいですね。黒縁眼鏡もよくお似合いです。あ、僕も眼鏡なんですよ」
「はい、秋無 流と言います。お怪我とかはありませんでしたか? 眼鏡はよくお似合いですよ」
自分は返答をしながらも、落ちている本を拾い上げ、机の上に同じサイズのもので纏め直し整理をしていた。
正直、無意識だった。
「あの、すみません、整理までさせてしまって……」
「はっ! いえ、すみません! 勝手に片付けていました!」
「いえいえ助かりました。とても真面目な方みたいですね、では採用ということで」
「はい?」
え? 何だこれは? 採用? 面接もしていないのに?
……分かった、これはあれだ。
今、巷で噂の ブ ラ ッ ク 企 業 !
まずい、非常にまずい。何とか断らないといけない。よく考えれば24時間受け付け? こんな夜中に? そんな都合のいい会社があるだろうか? いや、ない(断言)。
俺は何とか断る旨を告げようとしたのだが、その前に眼鏡の人は俺の額を指先で突いた。
何だ今のは? お呪い? というか、初対面の人間の額を突くとか、失礼じゃないか?
「はい、それではそちらの扉から出て頂けますか。道は真っ直ぐですので」
眼鏡の人は、俺が来た道を指差していた。良かった、帰らせてもらえるようだ。後はこのまま上手いこと断ろう。
「あ、それともやっぱり穴がいいですかね!? 僕は穴の方が早くて良いと思うんですよね!」
穴? この人は一体何を言っているのだろうか?
とりあえず、穴という単語に不穏な感じがしたので丁重にお断りすることにした。
「いえ、良く分かりませんがドアからで大丈夫です。では、失礼します」
「最後までご丁寧にありがとうございます。では、また会えることを楽しみにしています」
……すみません、たぶんもう会うことはありません。
俺はそのまま踵を返し、ドアを開いてその部屋を出た。
……そう、出たのだ。俺は確かに部屋を出た。だが、そこはまた部屋だった。
あれあれぇ? 廊下はどこにいったのかな?
「kど、lqz;dこのzclじぇ? ……d? かpぜzw! mzpけんぞdな;xpb、えpdlskじ!?」
いきなり目の前にいたおじさんに話しかけられた。一体何を言っているかが分からない。
だがそこで、先程の眼鏡の人に突かれた額がズキリと痛んだ。
……そして、次の時にはいきなり言っていたことが理解できた。
「おや、こんな時間にお客さんかな? ……ん? そのチラシ! もしかして管理人をやりたいという人かね!?」
「え? え??」
俺の手には、いつの間にか先程のビラが握られていた。頭痛も一度だけで収まっている。
いや、そんなことはどうでもいい。今大事なのは、目の前にいる謎のおじさんだ。
部屋は木で出来た部屋のようで、おじさんはカウンターのようなところに座っている。
ん? 木?
慌てて後ろを振り向くと、閉じたはずの扉も木製の物に変わっていた。
……ナンダコレ?