60歳の選択
「なんか俺らだけ物々しいなぁ。ま、いいけどよ」
早足で歩くゲイリーを必死で追いかけてきた老人に返事をする余裕はなく、ぜえぜえと息を切らしていると、ほどなく篠宮道源が入室してきた。先ほどのように誰も聴いてないスピーチを、額に汗をかきながら丁寧な言葉で話していた面影はなく、厳格な雰囲気を漂わせ、ゆっくりと席についた。
「まずは現世での60年を労おう」
道源はゆっくりとゲイリーを見つめた後、老人に目をやった。
「はっ! 有難きお言葉!」
さっきまでしゃがみこんでいた老人は、いつの間にか立ち上がり、鮮やかな敬礼をしていた。
「知っておろうが、60歳の審判の日は他と違い、自身で道を選ぶ事ができる。このまま現世に残り、元老院に仕えるか、皆と同じく行くかだ」
「自分は元老院でお手伝いできれば光栄です!」
老人はほぼ即答だった。
「なんだよ、俺は何も考えてなかったぞ」
ゲイリーが事前の案内に目を通すわけもなく、すんなりと天上界に行くものだと思っていたので、この思いがけない展開に少し戸惑っていた。
道源は構わず話を続けた。
「もう一つ、60歳には他との違いがある。それはお主らが天上界ではなく、我ら元老院に入閣することを希望するならば、ある事実を知る事となる。その事実は非常に重く、決して口外してはならん。元老院に仕えた者は己の寿命を全うするまでそれを枷として生きていかなければならんのだ。その覚悟はあるか」
「それはどのような事でしょうか」
老人は身も蓋もない質問をした。
「元老院に仕えると約束した者にしか、話すことはできん」
「私は元老院に身を捧げる所存です」
老人が即答すると、道源はゆっくりとゲイリーに顔を向けた。
「もう一人の御仁はいかがか」
「それは天上界に行くと決めたなら、絶対に知ることは出来ねえのか?」
「できん」
「ヒントだけでも無理か?」
道源はじっとゲイリーを見つめたまま、微動だにしなかった。
「うーん、ようし! ここは俺も、元老院に入るぜっ!」
ゲイリーは大きな声で答えた。
「お主、今一度聞く。本気か? 元老院は60歳まで現世を生きた人が来る事を拒まん。だが、本当にそれで良いか?」
「二言はねぇっ!」
なぜかゲイリーは自信満々で答え、隣では老人が目を瞑り、深く頷いていた。
「うむ。では、これより元老院はお主らを向かい入れ、その枷を伝える。良いか?」
「おう!」
「はっ!」
二人が勢い良く答えた後、少し間を置いた道源は、ゆっくりと話し始めた。
「お主らは60歳まで現世で生き長らえた事を、少しは恥じておろう?」
「俺は今まで自由気ままにやってきたから、そんなに早く選ばれるわけねぇと思っていたし、それを恥だとは思ってねえ」
「私は恥ずかしかったです!」
「何も恥じる必要はない。世間では若くして選ばれる者が優秀という風潮があるが、実際はそうでもない。善人も悪人も、一定の割合で選ばれておる。
人は、生まれた時はみな純粋じゃ。しかし年を取るにつれ、傷つき、けがれ、様々な経験を通じて幼き頃に抱いた夢、希望などを少しずつ失い、妥協していく。
現状に満足するよう自らを促し、成功する者を妬み、自分より不幸な境遇の者を見て哀れみを感じつつも安心を得るようになっていくのが、世の常じゃ。
それを円熟とも言う見方もあるが、やはり希望に満ち溢れた若者が、既得権益にしがみつく年寄りのために、その可能性を摘み取られてはならん。
健全な社会を持続的に形成するためには、増えすぎた人間をある程度間引くことは、致し方あるまい。そしてその人選を行なうのが、我々元老院の真の生業である」
ここまで一気に話した道源は、用意してあった湯呑みの茶で口を湿らせた。