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【ケンジ】メジャーデビュー

「みんなぁ! どうも有難う! また会おう!」


 シャツが透けるほど汗だくの春樹が右手を突き上げると、観客席から割れんばかりの大歓声が鳴り響いた。二度続いたアンコールに応えた後、スナッジのメンバーはステージを後にした。


「は~い、CDの手渡し販売と握手会があるからね、そのまま通路に行っちゃって~」


 くわえタバコで手をたたく富沢にまくし立てられると、メンバーは重い体を引きずりながらぞろぞろと歩き、通路横にあるCDが山積みにされた机の前の、それぞれの立ち位置に全員が揃ったところで、会場のドアが開かれた。


 会場から出てきた興奮冷めやらぬ観客がメンバーを見つけると、再び大きな歓声をあげて、一気に押し寄せてきた。ただ一部のマニアを除き、ほとんどがヒロやタケトの前は素通りして、春樹とケンジの前に殺到した。


 笑顔で握手に応じながら積極的に写真も撮る春樹に対し、ケンジは時々頭を掻きながら無愛想に手を出しているだけにも関わらず、ファンの数は春樹より若干上回っていた。握手会は、いつもと同じく最後のファンが会場から出て行くまで続けられた。


「は~いお疲れちゃんね~。じゃぁチャッチャと着替えちゃって。明日からは博多で3デイズだぞぉ。飯は車に弁当が置いてあるから、車内で食ってね~。あ、タケト、ほらよ。いつもの」


 放り投げられた唐揚げを受け取り、タケトはボソっと呟いた。

「あの人、鬼や」


 うなだれるタケトの肩を組み、春樹は頬を摺り寄せた。

「文句言うなよ。トミーさんのお蔭でやっとここまで来られたんだぜ。有り難いじゃないか」


「でも、ファンはお前かケンジばかり」

 ヒロが久しぶりに口を開いた。


「ヒロ、お前はしゃべんないと思ったら、そんな事を考えていたのか!」

 春樹は驚いたが、その後に笑いがこみ上げてきて、のけぞって大笑いした。


「でも、俺なんかよりケンジの方がすげえぜ。女だけじゃなく、ギター好きのヤロウからの人気も集めてやがる。うらやましいぞ、この野郎!」

 春樹に肩を組まれたケンジは照れ臭そうに、ポケットに手を突っ込んで歩いていた。


「俺は、人気が無くても上手い唐揚げがありゃあ、それだけでいい」

「ははっ! それなら心配しなくとも、ツアー中は毎日トミーさんが差し入れてくれるだろ!」


「お~い、お前ら、何やってんだ? 早く着替えろ、移動すんぞ」

 メンバーを呼びにきた富沢はタケトに渡した唐揚げの箱を開けて1つ頬張ると、車に荷物を積みに去って行った。


「やっぱり、あの人は鬼や」

 がっくり肩を落としたタケトを、ヒロが何も言わず連れて行った。


 デビュー当初はメンバーより少なかった観客も、1年以上も全国を巡ってライブを繰り返しているうちに少しずつ増え、今ではどこの会場でもチケットはすぐに売り切れるようになった。その頃には音楽系のメディアも話題の新人として注目し始め、ライブ会場に取材に来る記者も増えてきたが、取材対象はいつも独特の奏法でインパクトのある、ケンジにばかり集中していた。


 ツアー中はいつもリハーサルが終わると遅い昼食を取り、その後にある少しばかりの自由時間に、春樹はパチスロに行く事を日課としていた。ただその日はなぜか気分が乗らなかったので早めに会場に戻ると、ストライプが入った光沢のあるライトグレーのスーツを着こなし、艶のあるオールバックをした30代前半の、日ごろは見かけない男と富沢が話をしている姿が見えた。


 富沢への来客はよくある事だったので、気にもかけずサウンドチェックをしていると、そこにケンジが帰ってきた。それを見た富沢はケンジを呼び寄せ、しばらく3人で話をしていた。スーツの男がケンジの肩をポンッと叩くと、ケンジはうつむきながら歩きだした。出口のドアを開けると、そこには心配そうな表情を浮かべた瑞希の姿があった。


 何か嫌な予感がした春樹は、話しを終えた富沢に声をかけた。

「トミーさん、さっき、何を話していたの?」

「えーっ! あれ!? 春樹、いたの?」

 富沢は少し焦っているように見えた。


「チョットォ! 何だよトミーさん! 俺にバレちゃあまずい事でもあるのかよ!?」

 富沢は困った様子で眉の辺りを少し掻いた後、ポケットからくしゃくしゃになったタバコを取り出し、火をつけて一息ついてから、話し始めた。


「さっきのは椿原といって、今ではキャニックスのエグゼクティブ・プロデューサーさ」

「えっ!? キャニックスといえば、日本で最大手のレーベルじゃん! という事は俺らもついにメジャーデビュー? あ、でもケンジだけが呼ばれたって事は……」

 富沢は短くなったタバコのフィルターを親指と人差し指で挟み、最後にすうっと吸い込むと、ポケットから携帯灰皿を取り出し、火を消しながら大きく煙を吐いた。


「……あいつは元々うちで雇っていたヤツで、アーティストの才能を見抜く耳と嗅覚は俺以上だった。しかもどうやったら売れるのか良く分かっていたから、バンド内で才能がないメンバーがいると平気で入れ替えたり、逆に才能があるヤツだけ引き抜いたり。そういう合理的なところが、情に流される俺とは水が合わなかったんだなぁ。だからキャニックスにヘッドハントされたら、すぐに出て行ったよ」

「そんな人が今さらなんでトミーさんに会いに来たのさ?」


「ザクトって知っているだろ?」

「ああ、もちろん。キャニックスの看板アーティストだろ」

「最近は人気に陰りが見えてきたから、バンドとして新たに売り出そうと考えているんだとさ。それで、今若手で一番注目を浴びているケンジをギタリストとして加入させたいってよ」


「そうか……」

「でも、ケンジは断ったぜ。今のメンバーでやっていきたいってね」

 春樹は複雑な表情でステージを眺めた。


「そしたら、メンバー全員をザクトのバンドとして加入させてもOKだとさ」


「え、じゃぁ俺は?」


「お前も、少しはギターを弾けるだろ? バッキングぐらいは」

「ケンジがリードで、俺がセカンドって事か!?」

「そう言う事になるのかな。まあ、お前にとっちゃあさすがに酷な話だよな」

 春樹の肩にそっと手を置き、富沢はその場から去っていった。

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