【ミゲルたち】セミファイナル
「シューイチ・ナカテガワ選手、準備してください!」
一呼吸置いて、ゆっくりとイスから立ち上がり、首にかけていたタオルを力強く握り締めた。
「行ってきます!」
勢い良くドアを開き、修一は出て行った。会場のアレナ・メヒコは定員の18,000人はもちろん、会場内にはダフ屋から買った人々、忍び込んだ人々などキャパシティを大幅に超えた観客でごった返していた。
――「今日は珍しくマノ・ア・マノの一本勝負、2試合が行われます。1試合目は大変珍しい日本人同士の対決です。日本とはアジアの東にある島国で、このあと登場するエル・ティグレ選手が現在活躍している国です。その日本の若者二人が、ここルチャの本場、メキシコでどのような試合を見せてくれるのでしょうか。そしてその後は今夜のメインイベント、現ILLGジュニアヘビー級チャンピオン、ラ・サント対前チャンピオン、エル・ティグレの一戦があります。果たしてどちらが本当の王者なのか、今から非常に楽しみですね!」
地元のテレビ局は久しぶりの全国生放送に張り切っており、放送席も自然と力が入っていた。会場は異様な盛り上がりを見せ、メキシコ中でみなテレビの前に釘付けになっていた。
「シューイチ・ナカテガワ選手の、入場です!」
場内アナウンスが響き渡り、皆がざわついている中、修一は一人で軽くステップを刻みながら入場してきた。
「リュージ・ヤガミ選手の入場です」
修一がリングに上がるとまもなく反対側の扉から、セコンドにILLGの若手を付け、龍次が登場してきた。先ほど会った時と同じグレーのパーカーを深々と被り、ゆっくりと歩いて、リングに上がった。
「龍次……」
修一は心配そうに龍次を見つめたが、自分の頬を2回叩いた後、腹を決めた。
龍次がリングに上って両者の紹介が終わり、レフェリーによるルール説明の時も、龍次はパーカーを脱がず、その表情はうかがい知れないままコーナーに戻った。
後はゴングを待つだけとなった頃に、ようやく龍次は背中を向けながらパーカーを脱ぎ、セコンドに渡した。その背中には前に見た時よりも傷跡が増えており、更に過酷なトレーニングを積んできたことは明らかだった。
修一がそうやって思いを馳せていると、ゴングが鳴った。
「さあ、いよいよ初の日本人対決、始まりました」
軽快な実況と共に、試合は始まった。
「さて皆さん、ルチャ・リブレでは選手のほとんどがマスクを被って試合を行いますが、日本ではこのように素顔で登場するルチャドールも多いようです。日本にはカラテやジュードーといった格闘技がありますが、彼らは一体どんな技を繰り出すのでしょうか」
賭博の掛け率は7対3で体格の良い修一が上回っていた。ゴングと同時に修一は飛び出したが、龍次は観客席を見ながらゆっくりと中央に歩いてきた。修一がやっと龍次の顔を見られて少し安心した次の瞬間、龍次は軽やかなステップからドロップキックを繰り出した。不意をつかれ、まともに食らった修一はよろめきロープにもたれたが、その反動を利用してプランチャを繰り出した。そのまま倒れこみながら龍次の右手を取り、関節技に持ち込んだ。
「ぐあああ!」
龍次は声を出して悶絶したが、体を左右に振り、その反動で抜け出した。
「驚きました! 日本人同士でどのような戦い方をするのか興味深く見ていましたが、繰り広げられているのは典型的なルチャ・リブレの技の数々で、しかもかなり高度なレベルです!」
初めは東洋人同士の試合という物珍しさだけで内容にはあまり期待していなかった観客も、次第に目の前で繰り広げられるクオリティの高い技の応酬に魅了され、場内は大きな、うねりの様な歓声に包まれていった。
龍次の繰り出す技はジルのストロング・スタイルではなく、どちらかといえばミゲルを彷彿とさせる華麗な空中技を多用した。修一も初めは驚いたが、その恵まれた体格をしならせ、ミゲルから体得した技を出し惜しみする事なく繰り出した。
息をのむような空中戦は互角のように見えたが、ただ時間が経つに連れて体格で有利な修一の技が決まりだし、徐々に龍次がマットに沈むことが多くなった。
「当初の予想通り、徐々にシューイチ選手が有利に試合を進めていきます」
「同じ技でも、リーチが長いシューイチ選手の方が先に届き、リュージ選手はダメージを多く受けていますね」
それまで一言も話さなかった龍次が、その解説を聞いて呟いた。
「へっ、そんなこと、ハナからわかってるよ」
リングに倒れて天井の照明が目に入ると、それを遮るように両手を広げて、空中に舞う修一の影が見えた。
「チッ、くそ!」
とっさに身をかわして背後を取り、龍次はスリーパーホールドを決めた。その腕を振り払おうと修一が龍次の右の肘を握ったところ、内側に大きな傷があり、えぐれている部分に触った。
「ぐっ」
龍次は痛みをこらえ、更に絞め上げた。
「龍次、何だ、この傷は? 筋までいってるじゃないか。お前、このままじゃ右手を失うぞ? どうしてこんな状態になっているんだ?」
「うるせえっ! 俺はな、お前らと別れた後、多くの犠牲を払いながら、この日まで生き抜いてきたんだ。それも、全てお前に勝つためにな。今まで、お前はいつも俺の前にいた。そして、いつも俺の方へ振り向き、俺を気にかけた。追いつこう、追い抜こうとしていくら頑張っても、お前はいつもその先を行っていた。どれだけ努力してもどれだけ頑張っても、お前には追いつけないという絶望感を、俺はずっと味わってきたんだ。そんな人生は、もう終わりにしたい。修一、俺は今日、ケジメをつけるぜ」
修一は体をひねり逃れようとしたが、龍次はさらに絞め上げた。口から泡が吹き出て、黒目がぐるんと上を向くと、無意識のうちに龍次の傷口に親指を深く突き刺した。
「ぐああああっ!」
悶絶する龍次をよそに更に指を食い込ませた後、力任せに振りほどいた。龍次はドクドクと赤黒い血が流れ出る右手を押さえながら、狂ったようにもがき苦しんで、リング上をのた打ち回った。コーナーに身を寄せて修一を見ると、そこには髪は振り乱れ、明らかに顔つきが違う修一が立っていた。修一はそのまま歩いてきて、龍次の顔を踏みつけた。
「随分と勝手な言い分だな。お前はそう言うけど、俺だって、ずっとお前が怖かったんだぜ。お前は何回負けても、何度も、何度も何度も立ち上がっては勝負を挑んでくる。体はボロボロになっても、目は死んでない。その諦めない、しつっこいところが、本当に怖かったんだ。いつかやられるんじゃないかって。だから、俺だってお前に追い抜かれないように、見えないところで努力してきた。俺だって必死に頑張ってきたんだっ! そこには絶対の自信がある! だから、今日も、これからも俺はお前に負けない!」
踏みにじられている足を、龍次が左腕でひねり上げながら起き上がると、修一は足を持ち上げられたまま不気味な笑みを浮かべていた。
「決着つけようぜ、龍次。本気出してやるからよ。その代わり、死んでも恨むなよ」
龍次の髪が逆立った。
「修一!」
傷口から血が噴き出している右手はだらんとしたままだが、龍次の顔には笑みがこぼれた。
「日本語でしょうか? 何やら会話をしていたようですが。いつのまにか、リュージ選手が右の腕から流血していますね。見た感じですと、かなりの重症です」
序盤のような空中技はなくなり、打撃や関節技の応酬になった。龍次は何度かダウンしたが、その都度立ち上がり、左手一本で向かっていった。地味な技の応酬にブーイングをする観客もいたが、ほとんどは目の前で繰り広げられる、真剣勝負に釘付けになった。いつしか二人とも顔は原型をとがめないほど腫れ上がっていた。
「そろそろ勝負するか」
龍次は目の前が白くかすむ中、無意識に右のフックを繰り出した。既に右腕は使い物にならなかったが、薄れていく意識の中で右の肩だけがまわり、右手はその反動で振り回された。その指先がロープにもたれかかっていた修一に触れると、肩から修一に向かって倒れこんだ。
「く、そういやあ右手は使えなかったな。やっぱ、修一には敵わねえのか」
そのまま倒れこむように修一にもたれかかった龍次は、もう自分で立っていられる気力も、体力も残ってはいなかった。目がかすんでくると同時に楽しかった思い出が溢れ出てこようとした瞬間、修一の体が少しずつ崩れ落ちて、リングに倒れた。いつからかはわからないが、既に意識を失っていたのだ。その上に覆いかぶさるように龍次も倒れた。朦朧とする中でも右腕の傷がズキズキと疼くお陰で、辛うじて意識を保っていられた。
「この腕の傷はな、名前も知らねえおっさんに付けられたんだ。ガリガリでさぁ、顔はまるで骸骨のようだった。でもそのおっさん、病気で寝たきりの妻に、栄養のあるものを食べさせたいって、諦めねえんだ。最後にはこの腕を噛みちぎって死んでいきやがった。そんなのがゴロゴロいて、俺はそんなヤツらの夢を毎日引き裂きながら、今日まで来たんだ。俺は、おっさんが死んだその日まで、迷っていた。修一に勝ちたいって気持ちは、この人たちの明日への希望を断ってまで、手に入れたいものなのかって。その覚悟の違いが、この右腕に刻まれた傷だ。だから俺はおっさんに誓った。いやその場にいた全員に対してだ。あなたたちの命と引き換えに、必ず勝つってな。その痛みが、今もこうやって、俺に意識を与えてくれている。だから修一、悪いけど俺は、勝たせてもらうぜ」
ガクガクする膝を押さえ、ロープにしがみつき、泣きながら龍次は立ち上がった。
「おーっと! 大半の予想を覆し、最後に立ったのはリュージ・ヤガミ選手だ!」
龍次の意識を確認した後、レフェリーが修一の顔を覗き込むと、ピクリとも動かなかった。ゴングが鳴り響き、壮絶な戦いが幕を閉じた。
一人で立っていられない龍次を若手が抱き抱え、レフェリーが左腕を持ち上げようとすると、龍次は右腕を差し出した。
「悪いけど、こっちにしてくれ」
「え? でも右腕は大怪我しているじゃないか」
「いや、こっちじゃないとダメなんだ」
「……わかった」
レフェリーは傷口に注意しながらも、龍次の右腕を上げた。
「勝者、リュージ・ヤガミ!」
会場が地鳴りのような大歓声に包まれると、すぐさま龍次も意識を失った。既に白目を向いて倒れている修一と共に、担架に乗せられて退場した。
しばらく目の前で繰り広げられた光景に言葉を失っていた実況席が、我に返った。
「壮絶な試合になりましたね」
「サムライ・スピリットを見せてくれました」
興奮冷めやらぬ会場のボルテージは最高潮に達していた。
――静まり返った控え室の扉が勢い良く開き、担架に載せられた修一が運ばれてきた。修一は既に意識を取り戻していた。
「俺、負けたんスか?」
「そのようだな」
「龍次はどうなったんスか」
「知らん」
「い、痛ってえ!」
修一は起き上がろうとしたが、体は何一つ言うことをきかなかった。
「お前が行ったところで、何も変わらない。生きていれば、いつかは会えるだろう。今は安静にしておけ」
また勢い良くドアが開き、もう一台の担架が運ばれてきた。
「あれ、龍次!?」
「ジルさんからの伝言で、コイツはもう使いモノにならんから返品する、との事です」
運んできた男は一礼をして、足早に去っていった。
「フッ、またゴミが増えたな。まあいい。俺は行くが、お前らはそこで大人しくしていろ」
「う、動きたくても、動け、ねえよ」
「龍次! 気がついたのか? よかったぁ!」
その様子を見届けた後、ミゲルは静かに部屋を出て行った。




