ケンジとゲイリー
「ケンジ! 何やってんだ? 遅れるぞ!」
ゲイリーはいつものように大きな声で叫んだ。その声によって、築50年にもなる木造長屋のひび割れたガラス戸が、カタカタ震えていた。
「……俺はいいよ。行かねぇ。」
ゲイリーの地鳴りのような声に比べるとあまりにも対照的な小さい声で呟いたケンジは、一瞬殺気を感じて手を止めたギターを、また弾きだした。それは鮮やかなライトブルーのストラトキャスターで、父親がまだ一緒に住んでいた頃に突然持って帰ってきたが、すぐに押入れの隅にしまわれた物だった。偶然見つけたケンジは、初めは見るだけで自分をおいて出て行った両親を思い出して腹が立ったが、いつしか時間があれば弾くようになり、今ではネックが黒ずむほど使い込まれていた。
「バカヤローッ!! まず声が小せぇ! あと行かねぇっていう選択肢はねぇ!」
その小さな声を階下でも聞き取る超人的な聴力をもつゲイリーは、ドカドカと床が抜けんばかりの音を立て、ケンジの部屋にやってきた。
「またギターか! 他にやること無えのかよ!? ほら、とっとと行くぞ」
ゲイリーは今年で60歳とは思えない丸太のような上腕二頭筋に血管を浮き立たせ、ケンジの頭を鷲づかみにして、外に連れ出した。
「痛てぇっ! 爺さまだけ行きゃあいいだろ! 俺は興味ねえよ!」
精一杯の力で抵抗してはみたものの、米軍海兵隊あがりでUWWFプロレスを無敗のまま引退した伝説の元チャンピオン、ゲイリー・ユングの前では、なす術がないことは悟っていた。
ゲイリーは使い込まれたショベル・ヘッドのハーレー・ダビッドソンに跨り、後ろに無理やりケンジを乗せて、会場に向かった。
「お前の母ちゃんも父ちゃんも、ケンジは絶対に15歳で選ばれるって信じていたし、現実にそうなった。これで行かなくちゃあ俺みたいに、60歳になるまで地ベタでくすぶり続ける事になるぜ」
ゲイリーはさらにアクセルを吹かした。その腹に響く振動に辟易としつつ、ケンジは7年前の『審判の日』に、共に30歳で選ばれた時の両親の姿を思い出していた。
「カレンもあの時は寂しがっていたけど、15歳のときにお前が選ばれるって信じていた。だからそれまでの間だけ預かってくれって、俺に頭を下げに来たんだ。ヤツが産まれてから、今まで父親らしい事を何一つしてやれなかったからなあ。だから今日は這ってでもお前を会場に連れてくぜ」
そう言われてもケンジはあの時、周りから祝福され、困惑しながらも笑顔でいる両親が頭から離れず、にわかには信じられなかった。




