下っ端として
痛みで目が覚めると、薄暗い木造の部屋の床に寝そべっていた。なんとか体を起こし、なぜ床に寝る羽目になったのかを思い出そうとしていると視界が揺れていることに気がつく。いや、この部屋自体が揺れてる。
室内には、食料が入った木箱が天井近くまで積み上げられており、床が見えているのは自分が寝転んでいた部分と後わずかしかない。そういえば、ここは俺の寝床だったな。
記憶がはっきりしてくると、俺は物心ついたころから海賊船の下働きとしてこき使われていたことを思い出した。
そして、それと同時に前世の記憶も思い出すが、自分の最期は思い出せなかった。
ふと視界の端に、向こうが透けて見えるメニューという文字に気がついた。以前はあんな文字なかったはずだ。メニューについて意識すると、何かが頭の中に流れ込んでくる感覚と共に自分の能力について理解した。
「なるほど…、しかしこれは酷い」
能力の使い方はわかったが、今はそれどころではない。視界に入った自分の腕が骨と皮だけだったからだ。
でも、それも当然だった。下っ端としてこき使われるうえに食事もろくに与えられない、船長や船員たちからの日常的な暴力、下っ端の俺はいつもそれに怯えていた。
下っ端としての境遇に心が沈むのを感じながらも、半ば無意識にメニューページから食料ページを選択していた。空腹の限界を超えていたからだ。なんでもいい、何か食べるものを! そんな願いを受け取ったのか食料ページにあったアイコンは二つ【ビタミン】と【カロリーの友達】であった。
確かに自分は、食べることが出来ればなんでもいいとは言ったが、そうは言いつつも米や肉を想像していたのでショックは大きかった。
「食べるけども」
贅沢は言わない。【ビタミン】と【カロリーの友達】の両方を選択すると、手の平の上にチーズ味のステックバー一本とコロンとした錠剤が三錠現れた。
錠剤を口に放り込み噛み砕くと若干の酸味が口に広がる、続けてステックバーも口にする、味は美味しいが水がないのが辛い。そもそも船員たちに虐げられているので水の配給も最低限、こんな時に自由に飲める水などなかった。
口の中の物をなんとか飲み下し、今までの自分と前世の自分が入り混じったなんともいえない感覚を味わいながら、部屋を出る事にする。
いつまでも部屋にいたんじゃ、またあいつらに難癖つけられる。
階段を上り甲板に出たが、湿気が多い潮風がうっとおしい。自分の事ながらこの伸びるに任せた髪の毛はいつから洗ってないんだろうか。天然のワックスみたいにぺったりとした感覚が気持ち悪い。
自分の髪の毛をつまみ、渋い顔をしていると、聞きたくなかった声が聞こえて来た。
「んん? 誰かと思ったらイエローじゃねえか、遅いお目覚めだな? おそよう。ぶっ! おもれえ!」
「ブルさん、次はもっと痛めつけてやりましょうよ」
「そうですよ! あいつ、きっとブルさんの事なめてますぜ」
そこまで大きくない船とはいえ会いたくない奴にほど、会ってしまう。なんなんだ呪いか。
声のする方へ視線をやれば、中央に【脳筋のブル】そして両脇を固める【口だけウンド】と【コバンザメのニック】がはやし立てる姿が目に入った。
さっきまで床に寝転んでいたのはこいつらのせいだ。口だけウンドにいいように使われた脳筋が、俺の命の糧ともいえる一欠けらの石並に固いカビが薄っすら生えたパンと海水と間違えるほどしょっぱいスープを横取りしようとしたので抵抗したらあのざまだ。
「なんだとイエロー、そりゃホントか」
「いや、そんなことないですよ」
咄嗟に、下っ端根性が出て敬語になってしまった自分に嫌気がさす。
「おいウンド、あいつ違うって言ってるぞ」
「騙されちゃいけませんよブルさん、あいつ嘘をついてるんですよ!」
「なんだと!」
この俺様に嘘をつくだなんて! と心底驚いたという表情で目を見開くブルを見て、つい前世の自分の影響か言葉を発してしまった。
「口だけウンドが……」
小さい呟きだったが、ウンド自身も気にしていた事だった為か聞き逃す様な事はなかった。
「なんだってイエロー。今なんていった!」
「いえ何も」
事態を悪化させた自分の呟きに焦りを感じつつも、腕力に欠片も自信がない自分の細腕を見つめながらなんとか回避を試みる。
「嘘つけ!口だけウンドと言っただろうが!」
しかし、当然見逃してくれるような事はなかった。
「はっきりとこの耳で聞いたんだ間違いない!」
「そんなことは言ってません、いつも強いブルさんの影に隠れて茶々を入れる事しかできない、チビで無能なクソ野郎としか言ってません」
「なんだとぉ! ブルさんこいつやっちゃいましょう!」
この時、ブルは事態が呑み込めないようでキョロキョロと俺とウンドを見ていたが、ウンドから声を掛けられて、大きく頷き号令を出した。
「わかった! ウンドやっちまえ!」
「了解! うおおおおぉ……お?」
勢いに任せて元気に飛びだしたはいいが、声を上げているのが自分だけだと気付いたウンドが後ろを振り返ると、ブルもニックもその場から一歩も動いてなかった。
ウンドの作戦だと三対一でタコ殴りにする予定だったんだろうが、脳筋のブルには理解できなかったらしくなぜか一対一の戦いになってしまっていた。
チャンス! そう思った俺は、振り返ったまま動きを止めているウンドに比較的すばやく近寄り殴りかかった。が空振り! くそっ避けられたかと思ったが、ウンドはその場から一歩も動いてなかった。俺は動いてない相手を殴る事も出来ない程、距離感の把握が足りてないらしい。
「あ、こいつこんな近くまで近寄ってきやがって」
「うるせぇ! 口だけ野郎が!」
「なんだと!」
近づいたことをウンドに気づかれ、そこから二人の泥沼の茶番が始まった。二人とも喧嘩などしたことが無かった為に、相手に掴みかかったはいいがそこからどうしたらいいかわからず、二人一緒にぐるぐると回転を始めてしまう。
相手を罵りながら、お互いの衣服を肌の延長とでも思っているのか、全力で握りしめてダメージを与えようとするが当然肉体は無傷だった。
「このやろっこのやろ! 口だけウンドが!」
「てめぇ! やっぱり言ってるじゃねぇか!」
興奮ばかり増して握りしめた手を離すことも出来ず、とうとう衣服を握りしめたまま甲板に引きずり倒そうと力を込めるが、腕力が良い勝負すぎてどちらも倒される様なことにはならなかった。
それよりも先に限界は他の場所に訪れた。突如何かが引き裂かれる様な音がしたので、その異音の正体に目をやると、俺とウンドはお互いのいつから洗濯してないのかわからないぼろ雑巾の様な衣服を握りしめていたのだ。
二人の喧嘩は、真っ裸のまま続いていく。後の歴史学者は何と言うだろうか、俺の黒歴史、真っ裸の乱だ。
「このやろう! 俺の服を破きやがって!」
ウンドが怒りと共に振り下ろしてきたグーパンチが肩に当たる。
「うるせぇ! 俺の服を破っといてなにいってやがる! くらえ!」
俺の握りの甘いグルグルパンチが、ウンドの両肩に多段回ヒットする。
荒い自分の息遣いが聞こえるが、ここが正念場と俺は力の限り両腕を回し続ける。
そんな俺の攻撃を両腕で防ぎ頭をガードするウンドを見て、俺は自分の頬が緩むのを感じた。狙い通りだ。
「奥義! 夜の繁華街ヤクザキッイィィィクッ!」
体の堅い俺の膝が伸び切っていない蹴りが、ウンドの鳩尾をえぐる。結果ウンドは胃液をまき散らしながら、甲板と仲良くなった。
そういう俺も、もう動けそうにない。重力に任せて前のめりに倒れ込むことしかできなかった。
かすかに、他の船員たちの真っ裸で何やってんだと、馬鹿にするような声が聞こえて来たが、やりきった感で一杯だった俺は意識を手放した。
こうして、真っ裸の男二人が甲板に寝そべる事によって、このレベルの低い喧嘩は幕を閉じた。