3 坂の上のウワサ
「『銀の巫女』・・・ですか。」
伯爵は、紅茶のカップを皿に戻し、顎に手を添えて10秒ほど唸った後、
「ううむ、聞いたこと・・・あったかなぁ?」
と、発した。
「先ほども申し上げましたが、私たち2人は、女王陛下の勅命を受けて、不貞を働いた彼奴の行方を追っています。
どんな些細なことでもかまいません。
何か知っていることがあれば教えていただきたいのですが・・・。」
「わふ。なんでもいいからおしえろ、伯爵。」
「うーーーーーーーーん・・・。」
伯爵は唸るばかりで、なかなか明朗な返答を発しなかった。
ふと、伯爵夫人のほうに視線をやると、例の釣りあがった目を此方のほうに向け、怒っているのかそうでないのか、よくわからない表情であるのがわかった。
なんとなく気まずくなり、飲みかけの紅茶のカップを再び手にしようとすると、
「おお!思い出した!」
と、伯爵は手を叩き、部屋の空気を揺らした。
「ああ、いや、そのナントカという巫女の事かどうかはわからないのですがね・・・。」
伯爵はこう前置きし、さらに続けた。
「つい先日、ウチによく出入りしている商人から聞いた話なのですが、1月ほど前から、この城のすぐそばにある浜辺を歩いていると、不審な少女に話しかけられることが度々あるそうですよ。」
「不審な・・・少女?」
『不審者』といえば中年の男と相場が決まっているものだが・・・という台詞が喉まで出掛かったが、こらえることにした。
「・・・ええ。
なんでも、浜辺を歩いていると突然後ろから呼び止められて、こう尋ねられるそうですよ。
『願い事は、なぁに? なんでも叶えてあげるよ・・・。』ってね。」
「願い事?」
毛づくろいをしていたロッコの両耳の先が、ピクリと動いた。
「ええ、どんな願いも“タダで”叶えてくれるそうですよ。金持ちになりたいとか、モテモテになりたいとか。あるいは世界のすべてを支配してしまうほどの強大な権力を手に入れたいとか。あと、比較的マトモなところだと、生き別れの家族に会いたいとか・・・。とにかく、なんでもいいのだそうです。」
「にゃ! それ、ものすごくおかしい。」
ロッコが口を開いた。
「神が人の願いを願いをかなえてあげるには、それ相応の『対価』がひつよう。
・・・お賽銭とか、お供え物とか、祝詞とか。
・・・場合によっては、生贄とか。」
物騒な単語が出てきたが、ロッコの言うことはもっともだ。
神様だってボランティアでやってるわけじゃない。
お願いする側にもそれなりの覚悟と出費が必要なのだ。
「・・・それで、その少女の特徴は?
・・・もしその者が『銀の少女』だとすれば、長い銀髪だったと思うのですが。」
「うーーん、何て言っていたかなぁ?・・・確かに、特徴的な色の髪だときいた覚えが。」
伯爵は、再びうんうんと唸り始めた。
「・・・そういえば、銀髪だと言う者もいたと聞きました。
ですが他にも金髪だったり、黒髪だったり・・・。
兎に角、人によって髪の色は違って見えたそうです。
まあ、夜道ですから、明確な色の判別は付きにくいと思いますが。」
「なるほど。それで、実際に願いを叶えてもらった人はいるのですか?」
伯爵は、すこし申し訳なさそうに
「いや、流石にそこまでは・・・。」
答えた。
「もっとも、それ以前に、その少女が『神』だという証拠がありません。
今の段階では、子供の悪戯って可能性も、じゅうぶんありえますし。
・・・いや、失礼。今の話、大佐殿のお耳に入れるにしては、あまりにも稚拙な流言でした。
どうかお忘れください。」
伯爵は深々と頭を下げた。
その後、私と伯爵は、最近の景気とか次の議会の準備とか、跡取りがいなくて困るとか、巫女の件とは関係のない他愛のない会話を日の沈むころまで続けたのだった。