エルデ
家のドアを開けると、目つきの悪いゴブリン達の視線が一斉にこちらへと向いた。
その手には剣や盾、槍、斧、短剣、つるはしなどといった物騒な代物が握られており、既に臨戦態勢とも見て取れる様相。
中には杖を持った魔導士風の雌ゴブリンや、神官らしき優しそうな笑みを浮かべて棍棒を持っている雄ゴブリンもいる。
これから街を襲撃しに行くだとか戦争しに行くところだと言われても全く違和感のない、若干人に似た顔立ちを持つゴブリン達の集団が家のホールを埋め尽くしていた。
その数、ざっと見て50匹以上。
チョットマテ。
カズノボウリョク、イクナイ。
食事効果が切れている時にこの数は流石にやばすぎる。
俺の命運ももはやこれまでか。
「あ、お帰りなさいませご主人様。ご無事で何よりです。長旅ご苦労様でした」
「アクア!?」
などと覚悟を決めた矢先にかけられたその言葉に俺は驚いた。
「アクア、無事だったのか。しかし……これはいったいどういう状況なんだ?」
「実は……」
「それは儂から説明をさせてくだされ、サイ・サリス様」
「御前は……」
ゴブリンの群れが二つに分かれて道を作る。
その道の先で見た事のある老ゴブリンが杖をつき、緑顔で性別がまるで分からないゴブリンに支えられながら近づいてきた。
「初めに、サイ・サリス様に深くお詫びの言葉を申し上げます。大変失礼な事を致してしまい申し訳ありませんでした。もしサイ・サリス様の怒りが収まらないという事であれば、儂が責任を取ってこの首を差し出す所存で御座います。老い先短い老いぼれの命一つではありますが、どうかそれでお怒りを沈めてはくれませぬでしょうか」
そう言って老ゴブリンはとても丁寧に土下座した。
綺麗な正座をし、両手の先は床の上で揃えられ、頭は床にくっついている。
これで「頭が高い」と言って頭を踏んづけたらもうそいつは人じゃないだろう、そんな見事な平謝りの土下座だった。
ついでに言うと、周囲にいたゴブリン達は全員が直立姿勢から腰を90度曲げていた。
いや、なにこれ。
超低姿勢で謝られているのに、謝られているのはただただめっちゃ怖いだけなんだが。
「……まずは事の経緯を聞かせてくれ」
「分かりました。儂はこのマインエルダーゴブリンコミュリティ――今ではマインエルダーハイゴブリンコミュリティですが、その最長老マインエルダー・ハイゴブリンのマイルダー・ハイ・ゴブザッハと申します」
なんかゴブリンの癖に随分と格好良い名前だな……。
「そして、儂の隣におりますのが儂の孫娘であるゴブエルーデです」
「お初にお目にかかります。ゴブリンのゴブエルーデと申します。皆からはエルデと呼ばれています。サイ・サリス様に於いてはこのたびとてもご迷惑をおかけしてしまったみたいで申し訳ありません」
雄とも雌ともつかないゴブリンが優雅な仕草でお辞儀をし微笑んでくる。
事前にゴブザッハの紹介があった事と声のトーンが高かったので雌だと分かったが、それが無ければ雌だというのは分からなかった。
典型的なゴブリン、そんな顔をエルデはしていた。
「見ての通り、エルデはまだ幼く成長途上にあるためまだ普通のマインゴブリンでしかありません。あと5年も生きればエルダーの称号を授かり、儂等と同じ様な人に近い容姿となります」
「いや、そんな事はどうでもいい。何故ここにエルデがいる。エルデは何者かに浚われたんじゃなかったのか?」
「実はその事を謝りたいのです。いくら気が立っていたからといって何の罪もない見ず知らずの方を捕まえて濡れ衣を着せ、あまつさえ食べようとし」やっぱ食べようとしてたんだ「最後には人質を取ってエルデを救出させようとした。あまりにも身勝手で一方的な要求をサイ・サリス様につきつけてしまった事を儂達はとても後悔しております。本当に、何と言ってお詫びを申し上げれば良いか……老い先短いこの老いぼれの命一つではありますが、サイ・サリス様のお怒りが収まらないという事であれば、この首を……」
「エルデ」
さっきから俺の質問に答えてくれない老ゴブリンを見限り、隣にいるゴブエルーデに説明を求める。
「なにぶん慣れない土地でしたので、迷子になってしまい……」
「仲間には人浚いにあったものと勘違いされたと。何日ぐらい迷子になっていたんだ?」
「4日ほど」
ゴブエルーデは流暢な言葉で答える。
ゴブリンなんてのは知能が低くギャッギャッと叫んでいるだけの存在かと思っていたが、実はそうではないらしい。
……いや、それはおかしいか。
耄碌してそうな最長老ゴブザッハは最初にあった時、言動がかなり片言だった事を思い出す。
「ですが、サイ・サリス様が私達の住処を旅立たれる少し前に私は戻っています。あの時はとても疲れていて奥で横になっていましたので、サイ・サリス様が釜茹でにされているところには立ち会えませんでした」
「運悪くすれ違った訳か」
「はい」
苦笑したゴブエルーデの顔はちょっと怖かった。
女の子なのに、それはちょっと……というか、かなり可哀想な気がする。
早く成長して欲しい。
俺の持つ才能:支援効果でその時期を早められないだろうか。
ちょっとだけ実験してみたい気がする。
ウズウズします。
「まぁ、何はともあれゴブエルーデが無事で良かった。てっきり街で奴隷にされた後、火災に巻き込まれて死んでしまったものと俺は考えていた」
「火災……ですか?」
「過ぎた事だ。それよりも、何で俺の家にこれだけのゴブリン達が集まっているんだ? しかも物騒な物を色々持って」
「それは私から説明させて頂きます、ご主人様」
一度は説明役を奪われたアクアがずっと機を窺っていたかのように割り込んでくる。
文字通り、ゴブザッハとゴブエルーデの前に割り込んできた。
「ですがその前に、ご主人様は長旅で大変お疲れかと思います。一先ず汗を流し、一息つかれてはいかがでしょうか?」
アクアが濡れタオルを手渡してくれる。
「……そうだな。急いで聞く説明がないなら、食事を取った後にでもゆっくり話をすれば良いか」
寂しくてひもじい思いをさせてしまったホノカに早く美味しいご飯を食べさせてもやりたいし。
ちなみにホノカはいつの間にか胸ポケに隠れていた。
アクアが早速俺の服を脱がそうとしてきたので、丁寧に折りたたまれて閉じ込められる前に救出。
ゴブリン達の物々しかった雰囲気も薄らいだせいか、いったいどこに隠れていたのか森の動物達がワラワラと玄関ホールに姿を現していた。
その中には子狐、子犬、子猫といった面々もいた。
……そう言えば、森の動物達とよく一緒にお風呂に入っていた様な気がする。
俺も動物達もまるで意識してなかったから全然恥ずかしくなかったが、もしかして全部見られてる!?
「お背中お流し致します」
その申し出はゴブエルーデからだった。
本日のお風呂はアクア以外は全員シャットアウトさせてもらいました。
風呂で色んな汗を流した後、よく冷えているミルクを腰に手を当てながら飲む。
ミルクは毎朝アクアが羊から絞り取っている。
森に羊というのは何かとても違和感があるのだが、この森には自然の恵みが色々とあるのでまぁそういう事もあるのだろうと納得しておく。
まさか獣人……いや、それは考えないでおこう。
「ご主人様がお作りになるのですか?」
風呂に入る時よりも肌がツヤツヤしているアクアが聞いてくる。
別に温泉を掘り当てた訳ではないので風呂に入っても美肌効果は当然ない。
「良い食材が手に入ったからな。効果の確認も込みで今日は俺が作る」
一月余り俺の作る料理を度々食べてきたアクアは最近復活するのがとても早い。
加えて、俺が料理すると色々と予想外の効果が起きる時があるので、自然とアクアが台所に立つ事も増えてきている。
しかも今日は客もいる。
だから最初、アクアは自分が料理をするものと思っていたらしい。
「分かりました。手が必要になった時にはいつでもお申し付け下さい」
「ああ」
「では、私は口を減らしてきます」
「動物達まではいいからな」
「はい」
アクアがゴブリン達を家から追い出しているのを横目に、荷車から食材を一口分だけ切り取って台所に戻る。
手っ取り早くサッと焼いて、まずは味見と称して摘み食い。
予想通りというか予想以上というか、体感で分かるほど筋力が上がった。
ついでに副作用でムラムラっときたが、そこは頑張って耐える。
たかがリザードの肉一口で一晩は頑張れそうなほど強力な強壮剤。
街でもし売ったら大変な事になりそうである。
本能全快の無法地帯と化してしまいそうだ。
筋力を上げた後は一働き。
荷車に積み上がっている食材を冷凍庫へと運び、食材がこれ以上傷むのをまずは防ぐ。
ちょうどその時、巣穴に戻るためにか家を出てきたゴブリン達が俺を見てかなり驚いていた。
ただ、どちらかというと俺が持ち上げていたモンスターの死体の方へと視線が向かっていたのは、さて何でだろうな。
口をだらしなく開けて呆気にとられていた様が少し可笑しかった。
それはそれとして、食材を運んだ後でようやく料理開始。
客人はいるが、帰宅早々あまり凝ったものを作るのは気が乗らないので、ビーフシチューならぬリザードシチューを作る。
人参もどきを1本まるごとすり下ろし、もう一本を乱切り。
巨大なタマネギもどきを仮面を付けてみじん切り、トマトをざく切り、などなど。
肉は5センチ角で切って塩胡椒をかけ、植物油で炒めた後、一端皿に取りのけておく。
切った野菜を植物油とすり下ろした人参と混ぜて炒め、肉を戻し入れて果実を搾ったジュースを加えて沸騰。
川から汲んできた水を蒸留した水を更に加え、蓋をして弱火でコトコト煮込む。
途中で水や調味料を加え、隠し味としてリザードの血を数滴垂らした。
……んん?
なんか凝った料理になっている?
あまり気にせず、シチューを煮ている間にサラダを作る。
ついでに虎肉の塊を火で炙った後、薄くスライスしたものに特性ドレッシングをかけただけの一品料理を追加。
プリンは食後のデザートというよりオヤツ感覚なので今日の食卓には並べないのだが、時間が余ったので作っておいた。
「では、いただくとしよう」
食卓には俺とアクア、そして客人のゴブザッハとゴブエルーデが座る。
その周囲では大小様々な動物達がズラッと並び、床に置かれた皿に一皿あたり1匹から3匹群がっていた。
但し、どの動物もまだ口を付けていない。
別に躾けた覚えはないのだが、俺の料理を食べると何が起こるか分かったものではない事を学習でもしたのか、最近では俺とアクアが食事に口を付けて容態を確認してから食事をするようになっていた。
俺の料理は毒入りかよ。
ちなみに動物達にはリザードシチューも虎肉のスライスも振る舞っていない。
肉系料理には強壮剤などの危険な効果が現れる事がたまにあるので、筋力アップした状態で本能全快になるとあっと言う間に新築の家が壊されてしまいかねないからだ。
なので、基本的に動物達には野菜を食べやすい大きさに切って超薄口のドレッシングをかけたものを用意していた。
野菜はサラダのように混ぜるのではなく、種類ごとにちゃんと分けて置いている。
何故なら、動物によって食べられる野菜が異なるからである。
犬にタマネギや長ネギを食べさせると危険ですから止めましょう。
あと、野菜を切っただけのものだと食事効果は付かないが、ドレッシングをかけると効果が出る。
つまり、ただ飯食らいの動物達には食事効果の検証実験につきあってもらっていると……げふんげふん。
「味はどうだ? おかしくないか?」
「はい。とても美味しいです、ご主人様」
アクアが顔をとろけさせながら言う。
俺の作る料理をだんだんと食べ慣れてきているアクアでそうなのだから、初めて口にするゴブリン2人はというと……。
「……」
「……」
あまりのショックでそこだけ時間が止まっていた。
思わず苦笑が漏れる。
「やはり儂の考えは間違っていなかった!」
ゴブザッハが突然に叫ぶ。
「サイ・サリス様こそ儂等の救世主! エルデ、儂等にもついにツキがまわって……っ!?」
何やら物騒な事を言い始めたゴブザッハが隣にいる孫娘の方を見た瞬間、再びその時間が止まる。
但しその時には、対面に座っている俺とアクアの時間も止まっていた。
「あ、ああ……」
エルデがキラキラと輝いていた。
輝くと言ってもエルデ自身が発光している訳ではなく、エルデの周囲に蛍の光のようなものが下から現れては上へと消えていく。
まるでクラスチェンジのような……。
「お爺さま……私、どうしたら良いのでしょう。お爺さまから聞いていたものとは違う神託が降りてきてしまいました」
「おおぉ、エルデ……御前には儂等とは違う道が示されておるのか」
「はい、お爺さま。私には鉱山掘りマインゴブリンとしての道も、上位種のホブゴブリンの道も、お爺さまのようなハイゴブリンの道も示されませんでした」
「なんと! ハイゴブリンの道すらも御前にはないのか!? なんという事だ……儂も25年生きておるが、その様な事は初めてだ。ほとんどの者がマインゴブリンとなるか、儂等とは道を違えてホブゴブリンになるかだったというのに……例の件で儂のようにハイゴブリンとなる者が出たのも初めてじゃったが、御前はハイゴブリンですらないというのか!」
ゴブザッハは涙を流しながら喜んでいた。
「それはおめでとうございます。流石、私のご主人様です」
あ、やっぱりこれって俺のせいなのか。
まぁ俺が作った食事を食べた瞬間にキラキラ輝き始めたのだから一目瞭然と言えばそうなのだが。
ホブゴブリンになるとかハイゴブリンになるとか、俺の作る食事には一時的な能力上昇だけでなく進化促進の効果もあったりするのか。
成長促進の効果があるぐらいだから、そう言うのがあっても不思議ではない……?
いや、十分に不思議だろう。
クラスチェンジアイテムに料理って、俺は聞いた事が無い。
エルデを包み込んでいる光が徐々に増え、光も強くなっていく。
その光の中で、エルデの容姿が徐々に変化を帯びていた。
気持ち悪いぐらいに醜いゴブリンの顔が整い始め、緑色の肌も少しずつ褪せていく。
「神よ……」
エルデが祈るように手を前で合わせる。
そのエルデの姿が光に完全に飲み込まれ、そして……。
「私をネオゴブリン・フローレシアなる種に進化させていただき、まことに感謝致します」
どこからどう見てもゴブリンには見えない小さな女の子が誕生した。
……あれ、凄く小さい。
ゴブリンは元々背が低い種族なのに、更に半分ぐらいの背丈にエルデは変わっていた。
「ネオゴブリン……まさか新種か!? しかも固有名付きとは!?」
新しいを意味するネオがついたゴブリン、となると固有名とは後ろについているフローレシアか。
花の様な可憐な名前。
その名に相応しく、新しく生まれ変わったエルデは可愛いという言葉が良く似合う容姿へと変化していた。
3歳児ぐらいのちっちゃさも相成って、だが。
ちっちゃいって良い事だ。
だた、小さすぎるのはちょっと……。
「エルデ! よくやった!」
小さくなったエルデは大きなお爺さんによって抱き締められ、とても苦しそうにしていました。
色々あってすっかり冷めてしまったリザードシチューを平らげた後、食後のお茶を楽しみながらゴブザッハの話を聞く。
ネオゴブリンに進化したエルデは食器を片付けるアクアを手伝っているので、今この場にはゴブザッハと床で寝て聞き耳を立てていると思われる数匹の動物達しかいない。
聞かれて困る話ではない……訳でも無いのだが、なんか今更なので追い払うような事はしなかった。
ゴブザッハの話では、もともと彼等のコミュニティは安住の地――マイン種が多いので、鉱石が掘れる場所である事は必須とのこと――を求めて旅から旅の根無し草だった。
鉱山を見つける事は得意でも、所詮はゴブリンなので獲物を求めてやってくる屈強なモンスター達によって徐々に捕食され数を減らすか、鉱山を奪いに来た人の種によって追い散らされるかだったらしい。
この森を訪れたのもつい最近。
だからエルデが迷子になっても別に不思議ではなかった。
鉱山掘りのマイン種でもなく進化すらしていないゴブリンだったので、最も危険な周囲索敵兼素材取りという役目をエルデは課せられていたとのこと。
いくらこのコミュニティのトップであるゴブザッハの孫娘でも、弱すぎるゴブリン種が生きていくためには非情になる必要もある。
それは、知能が低いゴブリンであっても変わらない。
むしろ知能が低いからこそ弱肉強食となる。
まぁもう一つの理由として、ゴブリン達の全員がゴブザッハの血を受け継いでいるため、血の優劣などつけようがなかったが。
優れたリーダーは多くの妻を持ち、他の雄をコミュニティから追い出してハーレムを築きあげる……良くある事だ。
とはいえゴブザッハの場合は、他の雄が全員死んでしまったが故の結果だったそうだ。
長い時を生きエルダーの称号を得たゴブザッハでも、人の言葉は話せるようになってもそこまで知能は高くなかった。
エルデがいなくなった時、ゴブザッハも最初は森のモンスター達に捕食されたのだろうと思っていた。
だがゴブザッハは過去に姉が人に捕縛され連れていかれるという経験をしていたため、人を見かけたという報告を聞いた時、その記憶と結びついてしまったのだとか。
そもそも、これだけ森の奥深くに人が入ってくる事は滅多にない。
ここまで人が入ってくるということは、何か特別な理由以外には考えられない。
そして、ゴブザッハはこの地にはゴブリンがほとんどおらず、近くにある街では奴隷の売買が盛んであり、その中にはモンスターも含まれている事を知っていた。
当時エルダーマインゴブリンだったゴブザッハの容姿は人のそれに近く、尚かつ老人だったのでフードを被っていれば見た目で見破られる可能性は低い。
また、地域によってはゴブリンやオークという亜鬼種でも堂々と街の中に入って人と同じ様に暮らす事も出来るらしいので、臭いで分かってしまう獣人族がいてもそれほど問題は無いらしかった。
尚、エルダーマインハイゴブリンに進化し、より人との見分けはつかなくなっている。
兎も角、思い込みが激しかったりあまり良く考えないぐらいには低知能だったゴブザッハは、俺とアクアという人の種を見つけた事で勘違いを起こしたのだと言う。
しかもその感情は、俺を送り出した後にエルデが見つかっても変わらなかった。
その時点ではアクアが解放される可能性は皆無であり、むしろ俺との約束を破って繁殖の苗床にする気満々だったらしい。
では何故今、それが起きていないのか。
どうやらその原因は、俺が大鍋に落ちてしまったからの様だった。
「つまりですじゃ。儂等種族では年老いた一部の者しか人の言葉を話せなかったのですが、サイ・サリス様がお落ちになられたスープを皆で食した瞬間、皆の知能が急激に上昇し言葉を喋れるようになってしまってのです」
俺が大鍋に落ちてしまった事でスープに俺のエキスが混じってしまった。
言い換えればそれは、俺が料理に手を加えたと判定されたのだとも言える。
最後の隠し味として。
あの瞬間、あのスープは俺が料理した一品に生まれ変わった。
それも、飲んだ者の知能を大幅にあげるだけでなく一定値に達していない場合は一定値まで引き上げ、尚かつ進化促進の効果までついたスープに。
俺のエキス――というか、たぶん汗入りスープを飲んだゴブリンのほとんどが言葉を喋れる様になり、ある程度成長していた者は進化までした。
ただのゴブリンだった者はマインゴブリンかホブゴブリンもしくはハイゴブリンに進化し、マインゴブリンだった者も何名かがマインハイゴブリンに進化。
エルダーの称号を持っていた者で進化したのはゴブザッハだけだったが、いずれにしても異常な事態だというのは間違いない。
「すぐに儂達は理解しました。これはサイ・サリス様のお力によるものなのだと。その確信は解放したアクア殿の言葉により確かなものとなりました」
知能が上がった彼等はすぐに自分達の取っていた行動の過ちに気付き、アクアを解放。
そしてアクアに謝罪すると共に、その異常事態についての相談を行った。
その後は、流石にいきなり知能が急激に上がったため、ゴブリン達はかなり興奮し収集がつかない状態に陥ったらしい。
進化した者の中にはホブゴブリンとなった者も大勢いた上に、容姿が格段に良くなった者もいたため気の向くまま本能の赴くままに繁殖行為を始めた者も。
中にはアクアに襲い掛かってきた者もいたが、そこは賢明なエルダー称号持ちのゴブリン達が死守し事無きを得たらしい。
解放した後で襲われればぬか喜びも良い所だろう。
ただ、その混乱に乗じて何名か亡くなったとか。
落ち着きを取り戻したのは夜が明けてから。
興奮しすぎて夜通しで飲み食いし、蓄えを空にしてしまった事にようやく気付いた所でゴブリン達は我に返った。
いくら進化したとはいえ、所詮ゴブリンはゴブリン。
その頃にはスープの食事効果も消え急激に知能が低下し、知恵の働かなくなった彼等はこれからどうしようかとただ悩むばかりだったという。
そこをアクアがつけいり、俺に関してのある事ない事を色々とゴブリン達に吹き込んだ。
曰く、俺の部下になれば将来は安泰だと。
ちなみに後で確認を取った所、そういうクエストが発生したのだとか。
実行犯はアクアでも、裏では神が絡んでいたらしい。
いったい俺に何を求めているのだろう。
そんな訳で、ゴブリン達はアクアの口車に乗って俺の部下になる事を誓い、武装し始めた。
いきなり武装するとか話が飛んでいるが、要は街へ向かった俺を追うための準備だった。
しかもこの森を抜けるにはゴブリン総出であたらなければ難しいため、全員参加の強行軍。
これにはアクアも一枚噛んでおり、俺の家に蓄えられている食糧を提供する代わりに、いったいどんなトラブルに巻き込まれているか分かったものじゃない俺に早く合流したいという思いが込められていた。
いや……トラブル前提で考えられるとちょっと悲しいものがあるのだが。
「そしていざ出発しようとしたところにサイ・サリス様がお帰りになられたという訳です。いやはや危ない所でした。儂達がもっと早くに出発していたらと思うと……サイ・サリス様のお帰りが早くてとても助かりました。最悪、全滅すら覚悟していましたからな。いくら進化したとはいえ、森を抜けるだけでも間違いなく多大な犠牲を払う必要がありましたので」
案外、アクアは彼等を全滅させる算段だったのかも知れないとつい思ってしまう。
何しろ、俺を危険な目に合わせたのは彼等なのだから。
「ところで、一つお聞きしておきたい事があるのですが、宜しいでしょうか? サイ・サリス様がお持ち帰りになったあのモンスターのことなのですが……」
何にしても、今回のトラブルはこれで一応の終わりを迎える事となった。
最弱種のゴブリンに捕まるという為体から始まったこの一連の事件は、何故か街を火の海に変え、最後にはこの地域の勢力バランスまで崩すという大変な結果をもたらしたことを俺は後で知る。
この地域に安定をもたらしていたフレイムリザード・ワイバーンは、空という圧倒的優位による暴力によって他の地域からやってくるモンスターを捕食していた。
進化すらしていないノーマル種であっても、神への信仰を持ったモンスターは別格なのだという。
いずれ進化し固有名まで授かるのは確実だっただろうが、その前に人の手によって捕らえられ売り物にされていたというのはゴブザッハ達には黙っておく事にする。
巨大な虎であるグランドタイガー達にしても、縄張り意識が高いため勢力バランスを崩しかねない凶悪なモンスター達の流入を防いでいる大地の守り主的な存在だったという。
もちろん、大地の守り主と言っても問答無用で襲い掛かってくるし、数も多いので生きるために多くの命を狩っている。
まぁ天敵とも言える空の王者によってたまに捕食され数を減らされていなければ、却って勢力バランスを崩しかねないモンスターだったらしいが。
尚、彼等のトップである固有名持ちのグランドタイガー・エクシリオンはフレイムリザード・ワイバーンのライバルだったとか。
本人達(本蜥蜴、本虎?)がどう思っていたかは知らないが、周りの者達はそう思っていたらしい。
強者はもう一匹存在するらしいが、地中に潜んでいるエリア限定のモンスターの為、誰もあまり気にしていない。
触らぬモンスターに祟りなし。
どちらにしても、ナンバー1とナンバー3が消え去った事で、この地域の勢力バランスは大きく書き換わる事となった。
強力なモンスターがいなくなった事で、人の時代が……という訳にもいかず、前述の通り今までフレイムリザード・ワイバーンとグランドタイガー達によって流入を防がれていたモンスター達が少しずつこの地域に入ってくるようになったらしい。
なったらしいというのは、俺は相変わらず森の中でのんびり暮らしている上に、あまり外のことには興味が無いからである。
ただ、キロスの街がほとんど焦土と化してしまった事で、モンスター達だけでなく人の方にも動きが……。
いつまでも平穏な日々が続く……という訳には、どうやらいかないらしかった。




