そして伝説へ……
見慣れない天井に向けて、両手を伸ばす。
目が覚めたのに、その現実を認識出来ないまま時間だけが過ぎた。
血の滲んだ爪と、ひりひりと痛む皮膚と、ぎしぎしと鳴る膝関節と、青くなっている二の腕の痣と。
随分とボロボロになっているものだなと、何故か感心していた自分がここにいた。
「おお、迷える子羊よ。目を覚まされましたか」
薄蒼の髪が神官帽子から少しはみ出している、少し濁った黄色い瞳を持った若い男性が見下ろしている。
ベッドの上に寝ている俺は、心が喪失したようにその男の事もあまりよく認識出来なかった。
「目を覚ましたのでしたら、早く出て行って下さい。迷惑です」
脈絡もなく叩き出された。
……あれ?
「まったく、教会だからって何でもかんでも押し付けるなよな。慈善事業だけで食っていける世の中じゃねぇんだからよ」
この町の神父さんはどうやら神を見放しているようだ。
「あ~っと……とりあえず、ギルドに帰ろうかな。もう夜も遅いし」
きっと誰か親切な人が倒れた俺を運んでくれたのだろう。
一応、何か盗まれた物がないか確認しておく。
盗まれる物なんてお金以外無いけど。
うん、ある。
「よぉ、ぼうず。ちゃんと生きてたか。足は……うん、ちゃんとあるな」
ギルドに入ると、|隻眼のおやっさん《ギルド長のグレッグさん》の方から声を掛けてきた。
その声に反応して、ギルド内にいた人達の目が一斉に俺の方へと向く。
うぉ!?
「それにしても、いきなり町の噂を独占か。やってくれるな」
「え~と……なんの事やら」
なんか悪い予感しかしなかった。
何故なら、向けられている視線のほとんどは新しい玩具を見つけたと言わんばかりに笑んでいたため。
「しらばっくれるな。御前さん、西門を出たすぐの所でグラチュエイターと物凄い死闘を繰り広げたんだってな。今、この町はその話題で持ちきりだぞ」
「話題で持ちきりって……そんな。あいつは確かに強かったですが、そんな話題にされる程の事でも」
「あのグラチュエイターと30分以上も戦い続けるってのがいったいどれだけ凄い事かまるで分かってないみたいだな。おい、御前。今日は何匹倒した?」
「え、俺っすか? 今日は見かけてもいないっすね。見かけたらサクッと一撃でやっちまうんすけど」
ひょろひょろっとした青年が口元をにやけさせながら答える。
「そこの御前は?」
「無茶言わんでください。あいつらの危機察知能力は桁外れですからね。俺なんかが出会える筈もないですよ」
身長が2メートルは越えていそうな筋骨隆々の男がちょっと低姿勢気味に言う。
ガタイが大きくても気は弱いようだ。
「とまぁ、そろそろぼうずも分かってきたんじゃないか? あのグラチュエイターはな、この辺りにはごまんといるモンスターなんだが、危険察知能力はずば抜けて高いんだ。だから、ある程度強くなってしまうと出会う事が出来ない。その代わり、弱い奴がいるとやたら好戦的になって戦いを挑んでくるんだよ。ある意味、弱肉強食という言葉を体現しているようなモンスターだな」
「付け加えると、か弱い女子供しか普通は襲わないんだよな、ひゃっはー。成人した奴で稀に見かけるって程度か、うぁよっ。不意打ちでザックリいかないとまず間違いなく逃げられるけどな、ヤーハー」
モヒカン頭の柄の悪いにーちゃんが言葉を続けた。
そんな姿で恥ずかしくないのかな……。
あと、無駄にテンション高すぎ!
ひゃっはーとかヤーハーって……世紀末語か何かですか?
「喜べ、ぼうず。御前さんはあのグラチュエイターに認められた。そして30分以上も死闘を繰り広げるという伝説も作った。きっとこの話は後世まで語り継がれていくだろうな……くくくっ、あ~はっはっはっはっはっ!」
「ちなみに、グラチュエイターは雑魚中の雑魚だぜ。何しろ子供の遊び相手だからな!」
俺はどういう顔をしていいか分からなかった。
受付の方を見ると、ギルド長の娘達3人も営業用とは思えない笑みを浮かべている。
どうやらこの場に俺の味方はいないようだった。
「よし、ぼうず! 今日は御前さんの伝説の門出を祝って飲み明かすぞ! おい、今日の営業はこれで終わりだ! 飲みにいくぞ!」
俺は全然そんな気分じゃなかったが、力尽くで酒場に連れて行かれて酒の肴にされた。
……ああもう、途中から俺も自棄になって飲みまくったさ!
だってタダ酒だったし!
翌日、目を覚ますとギルドの床の上だった。
起こしてくれたのは俺のギルド証を作ってくれたギルド長の娘のベルちゃん。
邪魔だからさっさと出て行ってくださいね、と言われましたよ。
まぁ、ギルドの床で寝ていたのは俺だけじゃなかったので、その洗礼は全員が受けたようだったが。
「ぼうず、昨日も言ったがこれにめげずにもっと励めよ。そら、昨日御前さんが倒したグラチュエイターの売却金だ。取っとけ」
放り投げられた効果を危なげながらキャッチする。
ちょっと頭が痛い、二日酔いかな。
「大銀貨、1枚? そんなにですか?」
掌に握った効果を見ると、見た事のない柄の描かれた少し大きめの銀色の効果だった。
「言ったろ。彼奴等は強い奴の前には現れないんだ。それに、子供の前には姿を表すが彼奴等はやたらと根性があるせいでなかなか倒せないときてる。つまり、彼奴等の肉や皮などの素材は市場に全然出回っていない。雑魚モンスターだがレアなんだよ」
ちなみに、ギルド証を作った時にツケていた代金を差し引いてこの金額だった。
「ま、将来有望な御前さんに期待して、少しばかり色はつけてるがな。これは内緒だぞ」
「ギルティ。心にもないこと言ってる」
「こら、ベル! ありもしなねぇ能力をいつまで面白がって使ってやがる! そいつは新人をびびらせる時だけ使えば良いって何度言ったら分かるんだ!」
ああ、やっぱり適当に言ってただけだったのか。
その後は当初の目的である針と糸、それに蚕っぽい幼虫も売っていたので、それらを買えるだけ買ってそそくさとビザンテの町を後にした。
人の噂は広がるのが早い。
今日はちゃんといた東門を守っている門番さんに「よぉ、これからまた鼠退治か?」って気安く声を掛けられたが、苦笑いだけ返して先を急ぐ。
それにしても……あの鼠野郎の強さは、どう考えても雑魚とは思えなかったんだがなぁ。
いくら俺が弱いからといっても、あの強烈な稲妻キックや空中軌道力は雑魚の域を出ていた。
それとも、この世界ではあれぐらいが標準なのか?
ユキさんもやたら強いみたいだし、熊とかジャガイモとかもやたらでかかったし、スケールが色々違うのかも知れない。
尚、帰りの道中もモンスターは一匹も出てこなかった。
ビザンテの町の西が栄え、東が廃れている理由にも関係しているのかもしれないな。