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滅亡世界の果てで  作者: 漆之黒褐
第1章
17/52

   閑話 石包丁

 ビザンテの町の中央やや南東に、一件の武器屋としてアージェス武装具店がある。

 開店した数十年前から続く店構えは年季が入り、古ぼけた入口には斧と槍が交差する絵柄が掘られ、多くの戦士達を旅立たせた。

 それは半年前まで変わらなかった。


 店主が交代した半年前、先代の名の付いた古ぼけた看板が取り除かれ、店の面に真新しい看板が立てかけられた。

 寄る年波には勝てず、可愛い娘夫婦へと店を譲り渡した矢先に焚き火にくべられた看板。

 店を受け継いだ娘婿の強気な姿勢に、半ば呆れるも半分は期待してそれを受け入れた。

 それから半年。

 新米の店主に、世間の波は予想以上に厳しくうちつける。


 元々立地条件は良くなかった。

 西と東を繋ぐ大通りは数十年の間に大きく様変わりし、武器防具を扱っている店は増えた。

 町は西側を中心として栄えていったため、物も人もそちらに多く集まる。

 特にギルドの周囲は競い合うかの如く様々な店が現れ、宿もその近くに乱立した。

 結果、過疎化の進んだ東寄り、しかも大通りではなく3本ほど裏に入った狭い道通りに店を構えていたアージェス武装具店は、店主が変わった瞬間に人々の記憶より忘れ去られた。

 これまでは先代の名でどうにか客を引いていたが故の現実だった。


 剣や槍が広い店内に所狭しと雑居するなかで、一番奥に小綺麗なカウンターがある。

 看板と一緒に新注した、店の主と客とを隔てる境界。

 悪魔の瞳のような木目が浮き立つカウンターの上で、2代目店主アージェス・オン・ブラウンは、長椅子に座っていた。

 午後の最も暖かくなる一時を微睡みの中で過ごし、いつもならば店にある武器防具の手入れをしはじめている時間帯。

 今日に限っては、アージェスは手に珍妙な玩具を持ち、あれこれと眺め回していた。


「量産すれば、売れる……かな?」


 夢の中へと旅立とうとするのを堪えていた時分に久しぶりにやってきた客の気配に目を覚まし、興味半分落胆半分で買い取った品物。

 先端がやや尖った木の棒に、三角錐の物体を差した玩具。

 売りに来た客の言葉では"コマ"と呼ばれるこの玩具は、回して遊ぶ玩具だと聞いている。

 紐を巻いて勢いをつけて回せば、きっと楽しいという。

 これを小さくして作った物を中央が少しだけ窪んだ丸い台の上で2つ以上回せば、競い合わせて遊ぶ事も出来るという。

 今は手で回して見ているだけだが、その光景を浮かべる事は容易だったので、アージェスもすぐに客の言いたい事を理解した。


 要は、この"コマ"という玩具を売りにきたのではなく、その発想を売りに来たのだと。


「ただ、この町じゃ無理だな。ティードでもカターゴでも難しい。王都まで行って、あわよくばといった所か」


 南西にあるティードは、このビザンテと同等の冒険者ばかりが集まる町。

 西のカターゴは貧富の差が激しく、欲望と犯罪に染まっている。

 このコマが子供用の遊び道具である限り、売り出しても買い手の数と懐具合が少なければ商売には到底なりえなかった。


 他に買い取った蛇と積み木ブロックの玩具も、ほぼ似たような理由。

 木琴は趣味の一環として、木笛はもしかしたら酔狂な誰か買っていくかもという理由で買い取った。

 その中でアージェスでも作れそうなのはコマと積み木ブロックのみ。

 ウネウネ動く蛇もどきは滑らかに動く連結部を作るのが難しく、木琴と木笛は音の高さを正確に出せない。

 後者の楽器に関しては、どのように音の高さ調整したのかも聞いているが、そもそも音感がないアージェスには形は模倣できても細かな調整までは無理だった。


「やっぱ出しすぎたか。息子に与えると言っても、もう成人してしまったしなぁ」


 男も女も、成人は12歳。

 それは同時に、結婚も許される年。

 生憎と息子はまだ伴侶を見つけていないが、アージェス自身も嫁の心を射止めたのは20歳を過ぎてから。

 孫が出来るまで待っているには、少し気が長すぎるというもの。


「また暫くコレクション入りかな。ん?」


「なんじゃ、今日も閑古鳥が鳴いておるんか。……まぁ、この時間なら、儂が店を開いておった時も同じじゃったかの」


「お義父さん!?」


 我が物顔で店に入ってきた中年男性――妻の父親であるガランに、アージェスはぎょっとなって驚いた。


「元気そうじゃの、アージェス。儂の店の看板を燃やした時以来か」


「ええ……約半年ぶりですね。妻と息子は元気にしてますか?」


「何を惚けた事を言っておる。毎日のように覗き見しておって」


「あ、気付いてましたか。すみません」


「別に構わん。あいつらも儂の前では気付かぬ振りをしておるが、バレバレじゃ。離れて暮らしておっても御前達の仲が良好なままというのは良い事じゃ。そこだけは儂も安心しておる」


「どうも」


 店を継いだその日に勢いで看板を燃やしてしまった事をアージェスは悔いていた。

 何故なら、そのせいで目の前にいる男の機嫌を大いに損ね、愛する妻と息子から引き離されてしまったために。

 とはいえ、あと半年も経てばまた以前同様に同じ屋根の下で暮らせるようにはなる。

 1年間という期限付きで、アージェスは義父のガランからケジメの条件を出されていた。


「ばかもん、そこはムッとする所じゃろう。御前の眼を信じていない師匠に少しは腹をたてんか」


「そう言われましても。自分が不肖の弟子だというのは自他共に認めていますので」


「ならば何も儂の看板を燃やさんでも良いじゃろうに」


「それはその……前にも話しました通り、妻と息子がそれぐらいの気概で行けと言ってきましたので、つい」


「つい、で儂の30年を燃やすな! ああ……あの時は少し御前の事を見直したんじゃがの。やはり娘を御前の嫁にやったのは失敗じゃったか」


「当人同士の恋愛の末なのですが?」


「儂は交際を許した覚えはないぞ」


「あの頃の師匠はお店一筋でしたからねぇ」


 だからこその結末。

 家庭を顧みない師匠(ガラン)の代わりに、流行病で亡くなった奥さんの代わりに、娘さんの面倒を見ていたらいつの間にか互いに好きあっていたというだけの話。

 ガランはまだ気付いていないが、結婚すると決めた時にはもう身籠もっていた。

 愛の後には子供が出来る、しかし結婚の後でなければ子供は出来ないという訳ではないのだ。


「まぁ、その事は良い。それより、御前は何を熱心に見ておったんじゃ? いつもならこの時間は店の商品の手入れをしておる時間じゃろうに」


 師匠も師匠で、店と弟子の様子が気になって毎日のように覗いていた。

 少し抜けた所のあるアージェスは、半年経ってもその事には気付いていない。


「少し前に、珍しくお客が来まして。買って欲しい物があるという事なので買い取りました」


「ほぅ……珍しく、か。自分で言ってて少し悲しくないか?」


「まぁ少し」


「少しか?」


「……結構悲しいです」


「それで、それが買い取った品物か。はて、儂の眼にはどう見ても玩具にしか見えんのじゃがの。いつから御前の店は玩具屋になったんじゃ?」


「いつからもなにも、玩具屋にはなってませんよ。見た事のない珍しい物だったので、少し気になって買い取ったんです。お金に困っていたようなので」


「お金に困っておるのはこの店の方じゃろうが。……見せてみぃ」


「はい。あ、壊さないでくださいね。将来、孫にでもあげようかと思うので」


「その前に2人目を作らんかい。いつまで儂を待たせるつもりじゃ」


「頑張ってるんですけどねぇ……背徳感が足りないのかな?」


「御前……儂の娘と孫を悲しませるような事だけはしてくれるなよ? なんかかなり心配になってきたぞ」


「頑張ります」


「そこは頑張る所なのか!?」


 半年ぶりのお巫山戯もそのぐらいにして、ガランは手に取った玩具を見る。

 ためつすがめつ丁寧に一個ずつ見ていく師匠に、アージェスは内心ドキドキしながら言葉を待つ。


「技術はなかなかのもんじゃが、どれもガラクタじゃの。いや、玩具じゃったか。ならばクオリティが高すぎる気がするんじゃが……この色んな形をした木は合体も出来るのか。数が揃えば少しは楽しめそうじゃな」


「創造性を育むには良さそうですね。暇を見て数を増やそうと思ってます」


「暇しかないのにどこを見ると言うんじゃ。肝心の木材を買う金があるのか?」


「商品を売れば……」


「店の商品を他の店に売ってどうする……まぁ御前の店だ、好きにしろ。このウネウネ動くのは用途が分からん。見て楽しむだけか?」


「玩具としてはそうですね。ちょっと自分には作れそうにありません」


「これは儂にも作れんじゃろうの。この薄さもそうじゃが、先端を持っておるのに逆の先端までの重量を支えておれるのも不思議でならん。技術の無駄遣いにでも挑戦しておるのか?」


「見て楽しむ、という意味ではその技術の高さを自分達でも楽しめますね」


「逆に自信をなくすわい」


「まぁ自分達は職人ではありませんから気にしなくても」


 ポンポンポンっと今度は軽快な音が鳴り響く。


「音の鳴る木か。この木のハンマーで叩くと良い音が鳴りおる。しかし音の数が少なすぎるの」


「子供用の玩具なので。音がなるだけで十分かと」


「御前、これだけ良い音を鳴らす木を知っておるか?」


「?」


「恐らく、御前が買ったその胡散臭い鑑定眼つきのカウンターと同じ木を使っておるぞ」


「ええっ!? こ、これと同じ?」


「悪魔の目を持つ木で、天使の音色を奏でさせる、か」


「この安物の木で、その音色が……」


「なんじゃ、安物じゃったのか。てっきり儂は騙されて買ったのかと思ったぞ」


「ちなみに選んだのは妻です」


「まるで御前が浮気しないか見張っておるかのような目つきじゃの」


「なんかこの木目が愛おしくなってきた……」


「そっちにも目覚めるなよ!? ……この笛は、また手がこんでおるの。わざわざ中身をくりぬいて研いておるのか。他のもそうじゃが、削ったり研いたりして滑らかにするのが得意なんじゃな」


「本人は、ちょっと急いで作ったから粗いと言ってました」


「職人の言葉だ、そういうのはあまり参考にするな。奴等は平気で徹夜するからな。万全の体調で納得のいく仕上がりに出来なければ、急いで作ったとか何とかほざく。素人目にはまったく見分けがつかんというのにな」


「これは笛ですから、聞き分けでは?」


「どっちでも同じじゃろうに。んで、最後のこれじゃが……これだけなんか素朴じゃの。無駄にバランスが良く、面も滑らかなのは変わらんのじゃが」


「あ、それだけは発想を売りに来たみたいです」


「ならポイじゃ。そういうのはもっと大きな町にいる商人の仕事じゃ。儂らには向かん」


「内容を聞かないで……でも、自分もそう思います。そういうのはもっとどっぷりと金儲けの悪魔に取り憑かれた人がやる事ですよね。自分にはあいません」


「儂としては少しぐらいはその悪魔に取り憑かれて欲しかったんじゃがの」


「そこはそれ、師匠の弟子ですので」


「儂の弟子は御前だけじゃないぞ?」


「でもみんなすぐに町を出て行っちゃいましたよね。免許皆伝だって言って」


「ただ儂の名を利用しただけじゃろうな。ま、どうでも良い事じゃ。儂は儂、御前は御前という事と同じ事じゃな。ほんと……儂の店じゃなくなった途端、客足が遠のいたの、この店は」


「世の中そんなものです」


 大気に、重厚な老いた溜め息が響く。


「1年……御前、本当に1年以内に儂をあっと驚かせるような品物を用意出来るのか?」


「さぁ?」


 師匠の店の看板を燃やした時に、アージェスがガランから言い渡された仲直りの条件。

 それは、1年以内にガランが思わず驚いてしまうような武器もしくは防具をアージェスが手に入れ、店先に並べるというものだった。

 それが出来るまでは、愛する妻と息子には合わせないとも言われた。


「さぁ、って御前。儂の娘と孫に一生会えなくても良いのか?」


「え? あの2人に会えないのは1年だけでしょう? そういう約束です」


 アージェスがきょとんとした表情で言う。


「……ちょっと待て。なんか話が食い違っておる。儂は御前に、1年以内に儂が驚くような品物を店先に並べないと、2人に会わせないと言ったよな?」


「えっと……ちょっと違いますよ? お養父さんは自分に、1年間、お養父さんがあっと驚くような品物を店に出すまでは、2人に会わせないと言いました」


「何が違うんじゃ? 同じじゃろう?」


「あの……全然違いますよ。条件を満たせば1年以内に2人と暮らせるようになるというのは同じですけど、条件を満たせなかった場合の未来が全然違います。お養父さんが勘違いしている条件では永遠に2人に会えなくなりますけど、半年前にお養父さんが僕に言った条件では、条件に関係なく1年後には自分は必ず2人と暮らせる事になってますから」


「……儂、そう言ってた?」


「はい。あの時すぐにお養父さんの目の前で書いた紙にも書いてあります。見ます?」


「いや、いい。……そうか、それであの2人も特にこれといって焦っていなかったのか」


 半年も経つというのにまるで変わらない娘と孫の様子に、自分のしでかしてしまった事にかなり思い悩んでいた。

 ついカッとなってしまったからといって、娘と孫の幸せを奪っていい訳ではない。

 だからガランは毎日アージェスの店の様子を眺めていた。

 気が気でなかったために。


「やはり儂も老いたの。引退して正解じゃったか」


「目利きは今でも一級ですけどね」


 一気に老けてしまった師匠に、アージェスはまたちょっと看板焚き火事件の事を少し悔いた。


「出来れば御前にその目利きを伝授したかった」


「自分には才能がまるで足りませんでしたね」


「儂が生きておるうちはフォローしてやる。それで、その謎の珍客から買い取った物は他にないのか?」


「一応、ありますよ。でもあれは……」


「良いから見せろ。3級の目利きしか出来ない御前の目は、このカウンターから覗いとる悪魔の瞳と同じぐらい信じられん」


「2級ぐらいの自負は持ってるんですけど……はい、これです」


「これは、包丁か? 御前、いつから雑貨屋になった」


「一応、武器として使えるのでこの店にあっても不思議ではないんですけど。それに冒険に野宿はつきものですから。ナイフで調理するぐらいなら包丁でも良いじゃないですか。……ただ、材質に問題無ければ、の話ですがね」


「……石、か。なんとまあ前時代的な。じゃが、良く研がれているの。斬れ味は?」


「上々です。でも、石ですから」


「強度に難ありか。刃毀れしまくりじゃろうの。……うん?」


 刃の部分をつんつんと触って斬れ味を確かめていたガランの手が止まる。

 触れた瞬間に切れてしまうほどの斬れ味はなかったが、それ以外の重要な事にガランは気が付いた。


「これはまさか……火焰石で出来ておるのか!? となると……」


 言うが早いか、ガランは手に少量の魔力を込めてとある魔法を発動する。

 瞬間、石包丁は赤く燃え上がり店内に熱気を振りまきはじめた。


「お、お養父さん!? なにを……そんな事したら商品が……」


「まぁ見ておれ。もしかしたらこいつは掘り出し物かも知れぬぞ?」


「は、はぁ?」


 師匠の言葉に弟子は仕方なく固唾を飲んで見守る。

 大銅貨2枚で買い取った物なので懐もそんなに痛まない。


「まだ強いか。それにもっと制御する必要があるか」


 石包丁全体に広がっている火が徐々に小さくなっていく。

 取っ手の部分も同じ材質なので、握っている手まで燃えてしまわないようにするのが一苦労だった。


 それから暫くして。


「やはり出来たか。見ろ、アージェス。これはとんでもない代物だぞ」


「はぁ」


 アージェスの目には、ただ石包丁が赤くなっている様にしか見えなかった。

 先程まで包丁全体を覆っていた炎は消えているし、近くにいても熱さはない。

 ただよくよく見ると、刃の部分が一際赤く輝いているように見えたぐらいか。


「分からんのか。なら」


 ガランが近くにあった剣を一本掴んで、鞘から引き抜く。

 剣身を見た瞬間、それが青銅で作った粗悪品だという事を見抜くが、それは今は置いておく。


「それで何を?」


「ここまでして分からんか。まぁ見ておれ」


「え? いや、そんな! 剣がっ!?」


 ガランが石包丁を青銅の剣の刃に当ててスッと横に引いて起きた出来事を、後にアージェスは興奮と共に孫へとよく話す事になる。

 剣は、石包丁によってアッサリと斬られていた。


「こいつは魔剣じゃな。いや、包丁じゃから魔包丁と言うべきか」


「石、なのにですか?」


「言ったじゃろ。この石は火焰石じゃ。火の魔法を使えば燃えてくれる魔力を持った石じゃ。ただ、この石は加工が恐ろしく難しく、割ったそのままの形を使用する他ないと言われておる職人泣かせの石じゃ」


「え? だとしたら、この石包丁は天然の形……いやでも、そんな……」


「驚くのはそこだけではない。見ろ、この刃の部分。ここだけ強い熱を持っておるじゃろう? これは儂が頑張ってそうしたんじゃが、今はもう魔力を込めておらんのじゃよ。それがどういう意味か分かるか?」


「え~と……半永久的に使えるという事ですか?」


 永久的にといかないのは、火焰石自体が内包している魔力を使い切ればそれまでであるから。


「それだけじゃない。極細の刃を熱くした事で斬れ味が恐ろしくあがっておるんじゃよ。ヒートブレードの応用じゃの。普通はそんな面倒な事はせんが、こいつは特別じゃ。何しろ、継続して魔力を流す必要がないからの」


 ヒートブレードはファイアウェポンと呼ばれている【火】属性魔法の上位魔法である。

 簡単に言えば、武器全体を炎で包み込む魔法、それを刃に収束させて攻撃力を高める魔法である。

 但し全ての炎を収束させるのではなく、炎は武器全体にまだ残ったままである。

 熟練すれば収束率はあげる事が出来るが、その分永続性は落ちる。

 永続時間も計算して大量の魔力を使えば他人の武器でもかけられる魔法でもあった。


「半ば魔石扱いされておる火焰石を加工できる技術、それを極細の刃にしてしまう技術、そこから生み出される脅威の斬れ味。これは……物の価値が分かる貴族にでも売れば、金貨10枚はくだらんじゃろうの」


「そんなにですか!? いやでも……師匠のように火の魔法制御がうまい人じゃないと……いや、誰かが使えれば良いのか。いや、しかし……」


「惜しむらくはこれが調理するための道具じゃという所か。いや、だからこその一品か。剣や槍では石の方がすぐに割れてしまう。その点、調理に使用するならばそこまで心配はない。なるほどの、良く考えておる」


 実際には、ちょっと急いで作ろうとしたケントが間違って火焰石を手に取ってしまっただけだったのだが。

 火焰石は素人目には燃やしてみないと普通の石とは区別がつかない。

 石包丁の制作中、なんかやたらと失敗する事が多かったのだが、ケントはまぁそういう日もあるかと思って気にしなかった。


「あの……その石包丁、あと4本あるんですけど」


「なに!? 見せてみろ。もしかしたらこの1本だけという可能性もある」


「はい」


「ふむ……これも、これも。これもか。こいつなど長さが一番短い包丁に比べて倍近くもあるのにか。しかも全部用途が違う作り。5本セット品か」


「全部、火焰石包丁……最低でも、金貨50枚……」


「いや、その倍じゃな。5本セットで売った方が高くつく。それに……」


「まだ何かあるんですかぁ」


 もうアージェスの心臓はバクバク鳴りっぱなしだった。

 そんなものを、合計で銀貨1枚で買い取ってしまったとは、罪悪感どころの話ではない。

 今からでもあの客を捜し出して、追加で払う料金の話だけでもしたいぐらいだった。


付加(エンチャント)枠も相当にありそうじゃの。軽く3つはいけそうじゃ」


 魔法があれば強化も出来る。

 付加魔法は職人として技術と魔法士としての技術の両方が必要であり、付加数が増えるほど難易度も急激に跳ねあがっていく。

 付加魔法を同じ対象に3つかけても高い成功率を出せる存在は、そうゴロゴロ転がっているようなものではなかった。


 それ以前に、3つも枠を持っている武器というのもあまり多くない。

 魔王に世界が滅ぼされる以前なら兎も角、滅ぼされた後の世界では素材も職人もほとんどが魔王によって接収されるか殺された。

 2代目魔王の時代になった今、もっと時間が経てば世間に出回ってくるようになるだろうが、それまでは辛うじて難を逃れた掘り出し物が見つかるか、隠れた逸材が世にコッソリ出してくるのを待つしかない状態。


 付加枠3つ以上というのは今の所、失われしまった技術に該当していた。


 ただこの場合、付加枠は1つあれば十分でもあった。

 火焰石の魔力貯蔵量をあげたり、魔力消費量を抑えたり、高位の付加魔法であれば自動的に魔力を回復させていく事も出来るようになる。

 どれか一つでも付加出来れば実用性は大きく向上する。


 ちなみに、火焰石自体も勝手に周囲の魔力を吸収して魔力を溜めていく性質を持っているが、それは付加魔法で付加する回復量には到底及ばない。


「お養父さん!」


「む? なんじゃ?」


「それ、お願いします! 自分の手には扱いきれません! どう考えても争いの火種にしかならない気がします! お養父さんなら昔の伝手でそれを買ってくれる貴族も付加出来る職人も知っているでしょう? なので、処分をお願いします!」


「別に構わんが、持ち主には何と言い訳するんじゃ?」


「売れた金額の半分! それで納得しなければ7割!、いや8割! ちなみにそれを買い取った時の金額は、5本で銀貨1枚です」


「最低でも1000分の1の値段で買ったのか!? いや、火焰石でなければそんな所か」


「兎に角お願いします! あと、お養父さんが町にいない間に新しい子供を作っておきます! 楽しみしていて下さい!」


「……おい。儂はまだ御前を認めるとも旅立つとも言っておらんのじゃがの」


「帰ってきたら新しい店で祝盃を上げましょう!」


「この店まで畳む気か!? まぁ確かに金貨20枚もあれば西に引っ越す事は楽じゃろうがの。しかし、儂のこの店との思い出はいったいどうなるんじゃ……」


「それは半年前に焚き火の中へ行っちゃいましたね」


「そこはもうちょっと儂をいたわってくれ!? 悲しすぎるじゃろう!」


 アージェスが冗談半分で言っている事は分かっていた。

 残り半分は大いに疑っていたが。


「とりあえず、この火焰石包丁5本に関しては任された」


「宜しくお願いします」


 深々とお辞儀する弟子に見送られながら、ガランは店の外に出る。

 そして溜め息とともに愚痴を零す。


「グレッグの奴め、この店を新人の登竜門に利用したな。それとなく紹介してくれとお願いした手前、儂には奴に何も言えんが、随分と厄介な新人を紹介してくれおったの」


 客足がまったくない娘婿の店のためにガランはコッソリ一肌脱いだのだが、思わぬ事態を引き起こしてしまった事に少し悔やむ。

 うまくいけば大儲けではあったが、それには必ず罪悪感やら揉め事が付きまとってしまう。


「下手すればこの町が火に包まれるぞ」









 夜。

 ビザンテの町中にある、とある一件の宿屋では。


「女将! 今日の焼き魚定食はちょーうめぇな! これとビール、おかわりくれ!」


「あいよ。……おかしいねぇ、見た目には普通の川魚なんだけどねぇ。何が違うんだろうねぇ」


 やたらとおかわりの注文が相次ぎ、女将はてんてこ舞いだった。


「また売りに来てくれると嬉しいんだけど。しまったね、名前を聞くのを忘れてたよ。この町に住んでるようには見えなかったから、流れの商人さんかねぇ?」


 また、とある料理屋では。


「……おかしい。この伯爵イモは明らかにおかしい。なぜこんなにも美味いのだ。いったい何が違うというのだ?」


 2つの伯爵イモを横に並べ、それぞれの材料で作った同じ料理を食べ比べて唸っていた。


「おかしい。何かが間違っているぞ」


 次の日の昼。

 朝から煮込んだスープを前にした屋台主は頭を抱えていた。


「何故だ! 味が別物になってる! 美味いのは確かだが、これではただのワカブスープだ! 隠し味にワカブを使ってたのに、なんでこうも味負けしてるんだー!」


 ケントがビザンテの町に持ち込んだ品物が、玩具を除いてあちこちで悩みの種を振りまいていた。

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