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少女は、魔術修行中!

作者: ぷい

 ぼんっという爆発音が聞こえた。


「うわっぁぁぁぁぁぁぁっっ!」


 静かな森の明け方に少女の絶叫が響いた。それも、かなりの情けない声が。


「どぉーっしてぇ!! なんでぇー!? ちゃんとこの公式に当てはめて開いたのに、何で爆発しちゃうわけぇ!?」


 ノヌンは薄汚れた板張りにしゃがみこみ、今回の魔術の失敗は何が原因なのかと少し焦げた魔術公式の術書に目を走らせながらぶつぶつ呟く。

 緋色のワンピースに簡素なエプロン。その姿も今は黒く煤け本来の色を失っている。彼女の顔や服から出ている手足も同様だ。頭の高い位置で結んだ薄茶の髪の毛もこの爆発で形が崩れているのは言うまでもない。毛先が焦げて縮れてしまっている。

 そのとき階段の軋む音が聞こえた。少女の背中に緊張が走る。それが自分へと向かっていることは既に確信していた。

 背後の木製の扉が、ばんっと勢いをつけて開く。

 少女はそろりと後を振り返る。寝癖のついた黒い長髪を無造作に足らした男と目が合った。


「……朝っぱらから、一体何だ? うるせぇ――……」


 掠れ気味の声である。明らかに今の爆音で起こされたに違いない。ぼさぼさの髪の毛と無精ひげが整った顔立ちを隠していた。

 ノヌンは何を言えるわけでもなく、赤茶色の瞳で男の濃い緑色の瞳を見つめた。だが、その場の空気は変わりそうにもない。


「あっ、親方おはよーございまぁす」


 そののんびりとした声は、男の怒気を含んだ口調を少しでも和らげようという意思が多少滲み出ていた。


「おい、何が『おはよーございまぁす』だ!? お前今何時か分ってんのか?」


 低く喉の奥から出すような声だった。


「今何時ですかぁ?」

「……現在朝四時十三分。鳥だってまだ巣の中だってぇのに……たくっ」

「でも、もう太陽昇りつつありますよぉ。今夏真っ盛りだし。この辺の鳥たちはお寝坊さんが多いみたいですねぇ」


 当たり障りのない方向に会話を持っていこうとノヌンは努力する。しかし、その努力も虚しかった。


「お前、いったい何やったんだ……」


 そう質問された途端、ノヌンの舌はうまく回らなくなる。


「いやっ、その……」


 男は黒焦げになった台と置かれている材料、配置、使われている道具を確認する。

「もしかして、昨日の夜からずーっと、あんな超簡単な公式開いていたんじゃないだろうなぁ? まさかなぁ?」


 魔術には公式があり、それは四大元素である地、水、火、風に大きく分類されている。それは過去の魔学研究者たちにより魔術はパターン化していることが発見されたものだ。さらに近年、公式を組み立てることにより簡単に魔術が使えるようにもなり常用化が進んでいる。


 人は誰でも魔術を使うことができる。

 しかし魔術を扱う職に就こうとする者だけは魔術研究委員会から認められた人物のところに弟子入りする仕組みになっている。魔術を扱うには多少の才能も必要で、日常生活で使う以上の魔術が使えるというのは基本、その他に年に一度の魔学学院主催の適正試験や魔術公式の筆記試験で高い得点を納める必要があった。


 誰もが魔術を使える世の中になった現在、五十年程前は受ければ誰もが合格していた時代と比べ、試験の難易度も上がり、現在の合格率は十人に一人と言われている。そして、これらの試験に合格出来た者は、さらに半年間魔学学院に入学することが義務付けられていた。

 一人の魔術使いに付くことの出来る弟子は二人までと規定されており、ノヌンは約一年と半年前にこの男のところに配属が決まったのである。また、魔術使いには一人前になるまで親元に帰ることはできないという規則――伝統もあった。


 ノヌンは上目遣いで自分より頭二つは高い位置にある男の顔を見上げた。


「だって……、親方ぁ。公式開いとかないと、夜、気になって眠れないじゃないですかぁ」


 しどろもどろになりながらも一応本当のところを答える。


「だっても糞もねぇんだよ。てめぇ、自分事で人と人の家を巻き込む気かよ? 冗談じゃねぇぜ。まだ、眠てぇってのによぉ。また、おれの実験室煤だらけにしやがって……」


 男は煤で黒くなってしまった実験室をぐるりと見渡した。実験室といっても名ばかりで、物置を改造したような部屋である。木製の台と魔術書が山済みに置かれた床に、試験管などの瓶や材料が置かれている棚。きれいとは言い難いが、男曰く魔術使いの実験室にしてはマシな方らしい。


「俺が《爆発自己防衛術》をお前にかけてなかったら今頃――ノヌン、お前どうなっていただろうな? 屋根が少し壊れているしなぁ?」


 爆発自己防衛術は、素人の魔術使いえるものではない。高度な術である。過去、爆発によって未来を期待された若い魔術使いたちが命を落とした。そういった理由で魔学学院は魔術使いを目指す者達を、この術を確実に扱える魔術使いの下に弟子入りさせるのである。この術を完璧に使いこなす魔術使いはそう多くない。


 ノヌンは男の発言に目を見開き、天井を仰いだ。


「えっ!? うっそ! 今回屋根壊してないはず――」


 見上げた先――天井はちゃんと壊れていた。夏の朝の冷たい空気が煤の付いた顔をしっとりと濡らす。

 ノヌンは立ち上がり、台の上に置いてあるビーカーの中を覗き込んだ。それからは黒い煙がまだ出ていた。


「魔術使い心得その一、爆発したビーカーを覗き込まない。二次爆発の恐れ、及び異臭の恐れ」


 一拍もおかずに注意が入る。


「そんなに、すぐつっこまないでくださいよぉ。何回も言われてるんだからそのくらいわかりますって」

「なら、すんな」


 男はぴしゃりと言う。そして物置もとい実験室に入り、材料棚からいくつかの材料を掴んだ。慣れた手つきで火を起こし、呪文が詠唱される。しかし詠唱するといっても、声に出す事はさほど重要とされていない。


 魔術は作り出される空気の型が重要なのであり、それによって初めて魔術は成り立つのである。人に聴き取れるほどの声量で唱えた呪文は他の型が入りやすくなり、結果失敗し爆発に繋がるのだ。


「《クリマリラの根、ラルビナの茎、バールの花を捧げ、炎の女神フーラからの愛しき吐息により回帰浄化》」


 ノヌンには聴き取れない、視認することのできない空気の型がそこに生まれる。


 材料を入れたビーカーから煙が立ち上がり部屋にまわる。天井を覆った煙が晴れる頃には、煤けて黒くなった部屋は爆発する前の状態に戻っていた。


「ああ、いっつ見てもスカッとしますよねぇ。汚い部屋が綺麗になる瞬か――」


 言い終えようとしたとき男からの拳骨が飛んできた。


「痛いなぁもう。すぐ暴力に訴えるんだから」


 ノヌンは頭を撫でながら男を睨む。


「お前、よくそんなこと言えるなぁ? 誰が爆発させたと思ってるんだ? えっ? 何で俺がお前の尻拭いしなきゃ、いけねぇんだよ」

「別に頼んじゃいませんけど?」


 こそりと小声で呟いたつもりだったが、少女の声は男の耳に届いていたらしい。


「ほう、お前にこの公式が扱えるとは知らなかったなぁ?」


 机の上に開かれた中級魔術公式が目に入る。ノヌンが何時間もかけ解を導き、失敗した公式だ。公式上に綴られた小さな魔文字を見るだけで、視神経を通って脳の機能停止を促している気がした。


「もう一回爆発させていいなら、やりましょうか?」


 再度頭に拳骨が降ったのは言うまでもない。


「――で、バトリスノの炎+雷系の超簡単な公式を徹夜して開いてたってか?」


 バトリスノというのはこの魔術公式の発見者だ。魔術を構成する自然界の存在成分は全て四大元素に連なっており、雷は四大元素のうち《火》に属するものである。


 ノヌンは決まり悪そうに頷く。だが、言い訳も忘れなかった。


「だって私の属性、水系なんですからぁ。どっちかというと火系魔術とは対立した立場に当たるんですよ? しかも、私の属性はただでさえ防衛系魔術が多いし……」

「でも、お前水系魔術、初級の初級もまだ使いこなせてないだろう?」

「親方、言わせてもらいますけど私は防衛系魔術が学びたかったんです。防衛系魔術使いは攻撃系魔術使いと認められてからじゃないと防衛系魔術が学べない規定があるでしょう? それに加えて水系攻撃魔術の初級は他の元素の中の上級にあたるんですよ?」


 魔術は主に攻撃系魔術と防衛系魔術に分けられ、これらの大きな違いは公式を開く過程において爆発するかしないかである。

 一般に防衛系魔術を学ぼうとする者の方が多い。生活に役立つからだ。防衛系魔術の大半は医療学や調合薬学に繋がる魔術であり、攻撃系魔術はその名のとおりである。

 しかし近年、攻撃系魔術使いの減少が続いている。世界が平和だということだ。ノヌンが生まれる前は魔物の出現が多く、攻撃系魔術使いが重宝されていたというのに。


 ノヌンはこの師匠のもとでの弟子期間を修了した後、防衛系魔術を習うつもりである。魔術を扱う仕事で攻撃系魔術のみを扱えたところで良い職にはつけない御時世だ。特に魔術関係に就職しようと思っているのであれば尚更である。


 ノヌンは失敗が多く言い訳も多い。だが自分の適性そして才能は分かっているつもりだ。恵まれた才能、運、そして実績。魔術のみで生活していくことはとても難しい。師匠である男のようになれるのはほんの一握りの人間だけである。


「爆発見てりゃ、お前の攻撃系魔術の威力は分かるがな。初級攻撃系魔術で、あの爆発の威力じゃ、お前は純攻撃系魔術使いで、防衛系魔術はかなり難しいと思うぞ? ま、俺は別だけどな。どっちにしても公式開くのに失敗して爆発させるくらいなら、いくら攻撃系魔術の威力が凄くても意味はない」


 少し呆れ気味の声音であるが、男がノヌンの攻撃系魔術の素質を認めてくれていることは判る。しかし同時に全くと言っていいほど防衛系魔術の素質がないと言われたのも同然だった。


 彼は若くして魔術研究委員会に認められた人物だ。それというのも十六年前の魔物氾濫戦争時の功績が認められたからである。

 

 この戦争を終結させたのは、わずか十三歳の少年だった。

 彼の攻撃系魔術に対しての勘、そしてその威力は凄まじいもので、一体五ハイール以上もの魔物十体を一回の魔術詠唱で滅すほどだった。その後、彼は戦後の復旧のために、防衛系魔術のほうでも才能を発揮することになる。


 委員会から認められた後は、彼は彼の好きな研究をしてここに住んでいるのだった。魔術研究委員会に一度でも認められてしまえば、その後十五年間は魔術研究費が支給される。それと同時に、魔学学院の生徒が独り立ちするまでの面倒を見るという仕事が義務付けられ、十五年間に最低一人の生徒を受け持つ必要があった。一人につきなかなかの補助金が学院から支払われるので、魔術使いの中にはこの補助金目当てで生徒を引き受ける者もいる。


 男が魔術研究委員会に認められたのは齢十四のときであるが、弟子を引き受けたのは今回のノヌンが初めてだった。なぜなら戦争時から十五年が経ち、今年で魔術研究委員会から研究費が打ち止めだからである。


 ノヌンは彼の元に弟子入りすることを魔学学院の教授から聞かされたとき、夢ではないかと思った。彼女の最も尊敬する魔術使いのもとへの配属であったからだ。

 男が初めて生徒を引き受けるということで、彼のもとに配属を求める魔学学院生徒は大勢いた。ノヌンもそのうちの一人であった。しかし、配属先の希望が通ることなど殆ど無い。生徒の実力を考慮し、学院が配属を決めるからである。だからこそ、ノヌンの同級生は彼女を羨んだ。当然である。


 この家についた初日、浮き足だって扉を叩いたノヌンは扉の前で半日待たされることになった。家の中からは明らかに人の気配がするというのに、である。


 彼と会った瞬間、ノヌンの彼に対するイメージは修復不可能なほどに完全に壊れた。

 想像と現実は違うものである。それが身に染みて分かった。扉から出てきた憧れの魔術使いは、開口一番こう言ったのだ。


「俺はお前を研究費用のために引き受けた。この家にいてもいいが俺の研究だけは邪魔すんな。ったく、魔学学院の教授どもも、こんなガキくせーのよこすこともねぇだろうに……。どうせなら、もっと俺の相手出来るような、マシな女寄越せってんだ。おいっ、分かったら荷物持ち込め」


 これを聞いた瞬間、ノヌンは耳を疑い何も言い返すことは出来ず、学院の教本に載っていた彼の記述と写真から描いていた理想の英雄像は崩れ去った。結局、何故半日も待たされることになったのかは今でもわからない。


 しかし、ノヌンはめげなかった。彼女は半年以上も魔術を教えてもらうという許可を得るまで毎日頼み続けた。


 そして、一九七日目、ようやく男がおれたのである。それから、名前を覚えてもらうまでに一ヵ月。結果、名前を確実に覚えてもらったのは彼女が彼のところに弟子入りして七ヵ月以上もたってからであった。


 ここ半年、これと言った魔術は教えてもらっていないが課題公式は出されるようになった。たまにヒントもくれる。そのヒントはこの上なく的確である。それまでは到底魔術とは関係のない家事、雑用のみをやらされていた。もちろん、今も家事、雑用はすべてノヌンがやっている。

 彼女が「魔術を教えろ」としつこく言えば、彼の言い分は「お前はまだ俺が魔術を教えてやるレベルまで達していない」である。

 ノヌンはそんないつものやり取りを思い出しながらも、同じことを言う。


「……私の魔術が上達しないのは親方が私に魔術教えてくれないからですよ」

「お前の魔術は俺が教えられるレベルにまだ達してないっての。何度言えばわかるんだ、お前は」


 机に広げている術書を手に取りさっと目を通す。そして「こんなの俺が五歳んとき開いたやつだぞ」と明らかに少女を馬鹿にした目で見下ろす。


「じゃあ手本見せて下さいよ」


 男はさも呆れたように深い溜息をつき、持っていた術書でノヌンの後頭部を小突く。


「お前、魔術の何たるかが、未だによく分かってないようだなぁ? 魔術とはな、自らで創造し、かつ空気の型を造り生み出すもの。人のを真似するだけじゃ、自分のためにならないのはもうみえみえ。しょうがない、ヒントをやろう。まぁ、ヒントを与えたところでお前に公式を開けるかどうかは別だけどな」


 彼は不敵な笑みを含みながら言った。


 ノヌンだって自分でやらないと何も始まらないことは百も承知している。しかしなかなか、思うようには出来ない。悔しいと思いつつ、それは表に出さず振る舞ってはいるが、最近魔術使いという進路は全く自分には向いてないのではないかと考えがちである。床に視線を落とし、少々考え込んでいると男の不機嫌そうな声が聞こえた。


「だからぁ……これを使うわけだよ。分かったか? って、お前俺の話聞いていたか?」


 男が自分の顔の前で手をひらひら振っていた。


「あ……当たり前じゃないですかぁ!」


 我に返った少女は男を見上げ反射的に答えたが、まずいと思いながらも彼の手元にある紙片を見た。少女が苦戦している魔術公式を開くためのヒントらしい。


 さっぱり理解できなかった。自分が考え込んでいるうちに一通りヒントについて教えてくれていたらしい。


 青ざめるノヌンをよそに男は先ほどよりも深い溜息を残しつつ、もう一度回帰魔術をかける必要があると確信しながらも告げる。


「これでヒント終了。あとは自分で考えな」


 全く聞いていなかった。もう一度紙片を見ても、わけのわからない記号の羅列が数本あるとさいか認識できない。

 そんな彼女を上から見下ろした男はニヤリと笑い言った。


「まぁ、ここに来たときはすげぇガキくさかったが、お前、顔は可愛いんだから爆発で傷つけるんじゃないぞ。先で仕事なくても――今のままじゃ無理だろうが、出るところ出てくれば、町の裏側では雇ってくれるところが見つかると思うぜ?」


 ノヌンは少し驚いた風を装い、満面の笑みを顔にのせた。


「えっ、親方、今頃私の魅力に気付いたんですかぁ? もし、そんなことになったら責任とって私のこと買って下さいね?」

「もちろん、安くしてくれるんだよな?」


 冗談もしくは本気交じりの会話が続く。


「でも、心配はいりませんよ。絶対そんなことにはなりませんから」


「はい、はい」男は大きな欠伸を一つ、おざなりに答えた。


「俺はもう一度寝るから……。いいかぁ? これ以上、睡眠妨害されちゃかなわねぇ。爆発させんなよぉ? 昨日は寝不足の上に疲れているってぇのに」


 少女に見えない重圧がかかる。しかし彼女は表面には出さないように努めた。


「昨日はどこの店に行ったんですかぁ?」


 男は嬉々とした声で弟子の質問ににへらと笑った。


「リーバスんとこのマーガレットちゃん。あそこの店、いい女の子揃ってて遣り甲斐あるんだよなぁ。おっ? もしかしてノヌンちゃん、焼きもちかなぁ?」


 もう慣れたものと思いつつも、完徹状態の脳に男との阿呆らしい会話はついていけなかった。そろそろ本気で公式に集中したい。


「焼きもちなんかやきませんって。それに、私どこの子かなんて聞いてないじゃないですか」

「そーか、そーか。じゃあ、そういうことにしといてやろう。俺は上にもどるからな」


 実験室の扉に向かいつつ、去り際に「起こすなよ」と付け加える。


「ご指導有難うございました。おやすみなさい」


 ノヌンは男の背中に向かって頭を下げる。


「早く寝ろよぉー」


 何だかんだ言いつつ男の根は優しい。寝不足の少女を気遣う、何気ない一言が嬉しかった。


 もう夜も明け始めている。男が起きたら自分は叩き起こされ、男より起きるのが遅ければ、一日中それを言われ続けるのは少女には目に見えている。

 だがヒントを聞いていなかったことがばれるのだけはまずい。非常にまずい。このバトリスノの公式は昨日男が出した課題公式である。彼女にとっては少々難しい。けれどもいくら難しい公式でも男のヒントをよく聞き注意深く考えれば今までに開けなかった公式は無い。彼のヒントはノヌンの解らなかった部分を的確に付いているのだ。


「どーっしよう。ぜんぜんわかんない……」


 紙片に書いてある公式を開くために必要なのであろう魔文を見る。いくつかの魔文字は見覚えがあるような気がする。しかし他の魔文字は知っているような、知らないようなあやふやな文字ばかりだ。せめてもの救いが、魔学古代文字が使われていないことだった。


 魔学古代文字の中には現在の魔文字には使われなくなって久しいものも多くある。その上、やたらと複雑で読み方も難しく魔学字典でも見つからないものも少なくない。


 とりあえず、魔文字を調べていくが、この作業がなかなかつらい。字典はノヌンの掌ほどの厚さであるのに文字の大きさは極小だ。一つの文字を探すだけで神経をすり減らしていく。しかし、ノヌンは必然と低くなっていく集中力を総動員し全ての魔文字を調べあげた。この公式は《炎+雷系》だけあり、炎系や雷系を表す魔文字が多い。だが、それだけで暗号と化したヒントの紙片を理解できるはずもない。

 思い当たる限り、『魔学参考書』や『魔術公式の開き方 千型』といった分厚い本のそれらしい頁に目を通してみるがそれでもわからない。

 結果、魔術公式を開くこと自体が馬鹿馬鹿しくなる。こんな事は初めてだ。寝不足も原因の一つに違いない。一回諦めてしまうと、全てのことがどうでもよくなってしまう。


 親方に怒られてもいい。

 罵倒を浴びせられたっていい。

 追い出されたっていい――


 そう思うと同時にノヌンは動き出した。棚から迷うことなくぽんぽんと材料を掴み、一番大きなフラスコとビーカーを用意する。その中に、同様に迷うことなく手にした、どろっとした魔原液を入れる。量などは気にしない。空気に触れただけで、紫と緑を混ぜたような色の液はフラスコの中で無数の気泡を作り始めた。それに加え、鼻の奥を刺激する臭いも微かにする。もちろん、いい匂いではない。

 それを火にかけると、今度はナイフを取り出し、棚から取り出した薬草をすべて細かく刻み、ビーカーの中に少々の酸を加え一緒に煮込む。そうすることにより、材料同士が混ざりあいやすくなるのだ。


「ふふっ、炎系と雷系の材料も入れたし、私の属性の材料も入れたから、絶対、いいのができるに決まっているわぁ。そして親方をびっくりさせてやるんだから。ふふっ、ふふふふふ……」


 不気味な笑いを含みつつ呟いている少女は他人から見れば、気が触れたとしか見えないだろう。


 ビーカーに入れた材料がすべて溶け、フラスコ内部と同じような液体を作り出す。この場合、液体と言っていいのかは、定かではないが。

 それをフラスコの内部にすべて入れ込み、液体同士が混ざりあうまで火にかける。

 フラスコの口から赤みを帯びた煙が立ち始める。液体の色はどすの利いたなんとも形容し難い色になっていた。敢えて色の名前をつけるとしたら、橙色に近いかもしれない。


「いいぞぉ、いいぞぉ……。炎+雷系っぽい色になってきたじゃなぁい」


 ノヌンは呪文詠唱のために本をぱらぱらと捲る。目に飛び込んできた言葉と彼女の直感とを組み合わせ、詠唱を始めた。


「《バルイノの実、ベルセイルの根、クラスーハの若葉、リズの枝、バーサの茎、ブッカの種、タリグスラの花弁、ベックーサ魔原液に包まれし愛を、炎雷を司りし女神ズーラディエタに捧げる。また、水の女神アンシレイアにも等しく捧げ、かの女神から貰い受けた清き恵みの涙、我と共に導きを。雷炎浄翔爆化!》」


 目を瞑り、魔術を創造する。そこに、空気の型が生まれる。混ざり合いつつ、それは渦まき層を作り出す。

 詠唱を終えた少女がそうっと目を開くと同時にぼふんっという耳慣れた音を拾う。先ほどの爆発より音は大きかった。もしかしたら、今までで一番大きい爆発かもしれない。周りは薄紅色の煙で、全く周囲を確認する事が出来ない。


「やっぱり爆発するに決まってるわよね。こんなに適当に魔術詠唱したんだから……」


 少女は爆発してしまったフラスコに目をやる。

 そこからはまだ、残煙が天井に向かって昇っていた。


 しかし、何かが違う。


 いつもだと、爆発して部屋にこもった煙が、すぐに部屋にかかった魔術により浄化される。だが、ノヌン自身に大した怪我がないことを考慮すると、部屋にかかっている術はいつもどおり作動しているらしい。また、匂いも焦げ臭い薬品の匂いではなく、どことなく甘い花の香りがする気がした。


 ――おかしい。

 一度そうと認識してしまうと、寝不足な頭が一気に覚めた。


 フラスコからは、まだ煙が出ている。明らかに煙の量が異常だった。周りが全く見えないくらいに薄紅色の煙が部屋を満たす。


 呆然としていると、ドアが開かれた。彼女の師匠であることは、疑いようがない。


「はっ、まぁた爆発か……って、おいっっ! ノヌン、なんなんだ、この煙の量は!?」

「親方ぁ……」

「煙たくて何も見えねぇ。おいっ、お前どこにいる?」

「もう、私、何が何だか……」


 まだ煙は、増え続けているように見える。

 そのとき、フラスコの方から鈴の音を転がすような音が聞こえた。


「もう、何よこれぇ……早く喚起してくれない? 何も見えないじゃなぁい」


 不信に思いながらも部屋の喚起をする方が先だった。行動に移った男は手探りで窓の位置を探り、両開きの窓を大きく開く。


 薄紅色の煙が徐々に窓から抜けていき、代わりに朝の森の匂いを含んだ空気が入り込んでくる。


 ノヌンは目を疑った。薄まった煙の向こうに人影が浮き上がってきたからだ。それは人の形で女性としか疑いようのない美しい曲線を描いていた。この家にこのような姿を持つ人間は存在しない。


「ああん、もう、やっぱり嫌なのよねぇ。これ、けむったくってぇ……」


 どうやら、声はその影から聞こえるらしい。


 煙の中から出てきたモノ。いやヒトを少女も男も凝視する。彼らは同時に息を呑んだ。


 美しい曲線を描いたそのヒトは長身だった。小さな顔の中に納まっているすべてが一つひとつ美しい。現実のものとは思えない美貌である。

 長い睫毛に縁取られた瞳の色は深い紅色で、奇妙な形の帽子から出ている長くまっすぐな髪は、濃い金色だ。胸の部分は赤を基調とした細かい模様の描かれた布で覆われており、首や腕を紅玉が嵌め込まれた黄金の豪奢な装飾品が飾っている。細い腰には金鎖が幾重にも無造作に巻かれ、その下は白の光沢のある布の穿き物が覆っている。まるで、幻想の世界から抜け出てきたかのようだった。


「きれい……」


 ノヌンは見蕩れ、率直な感想が口から漏らす。


「はっあ~い。わたくし、炎アンド雷の魔人フルースアでぇす。えっと、呼び出してくれたのは……そこの可愛いあなたね?」


 自らを魔人と名乗る美女は、男の隣にいる少女に目をやり片目を瞑る。その異様なモノを前にし、十三歳のときに前線に立ったことのある男も呆気に取られた。


「お前……一体何したんだ?」

「えっとぉ……。そのぅ……何したんでしたっけ?」

「俺に聞くなっての……」


 放心状態で二人は会話をする。


「ちょっとぉ、そこ。わたくしを無視しないで下さる? もう一度聞くわよ? わたくしを呼び出したのは、あなたね?」


 ノヌンに呼び出したという認識はないがとりあえず頷く。煙を出したのが彼女であることに間違いは無い。


「よかったわぁ。今回は可愛い女の子で。そうそう、あなた、お名前は?」


 魔人は腰に手をあて、少女に目線を合わせるために少し前かがみになる。その際に模様の描かれた布から大きな胸の谷間が覗きノヌンは顔を赤らめつつ答えた。


「私?」

「そう、あなた」


 名前を告げると魔人は満足そうな笑顔を顔に浮かべ上体を戻した。師匠である男と背丈があまり変わらない。


「ふぅん。ノヌンちゃんね。今日から、五年間よろしくお願い致しますわ。わたくし、魔人フルースアはあなたの僕です、御主人様」


 絶世の美女である魔人はそう告げた。一拍置いて、少女が言葉を発する。


「えぇっ!?」

「はぁん、もう。わたくしを呼び出してくれた人って何千年ぶりかしら? 自分で言うのも可笑しいけれど、わたくしを呼び出すのって、偶然に偶然が重ならないと無理なのよねぇ。それに加え、水系魔術使いの呪文詠唱が必要だしぃ。今まで大勢の魔学研究者たちが、わたくしたち魔人を呼び出そうとして、失敗しているみたいだけれど……」


 魔人と名乗る美女は男に目をやり、くすりと笑う。


「そこのあなたも……そうよねぇ?」


 男は何も言わない。決まり悪そうに魔人から目を反らした。


「何で分かるのかって? だって、わたくしは魔人ですものぉ。わかるに決まっているわぁ。あなた、馬鹿ねぇ」


 それを聞いて少女が男を見上げる。


「えぇっ!? 親方でも失敗することってあるんですか!?」

「昔の事だよ。昔の……。一回、試そうと思ったが……若気の至りってやつだよ」

「でも、失敗したのよねぇ?」


 魔人と名乗る美女は意地悪そうに、口元に笑みを浮かべている。そして、ノヌンの方に向き直り、彼女の前でゆっくりと優雅に礼をとった。魔神が動く度に、周りの空気がかすかに光って見えた。


「魔人フルースア、主人ノヌンと盟約を交わす」


 言い終え、白く長い指が少女の小さな顔を優しく包み込んだ。ノヌンは目を丸くする。動けなかった。女の美しい顔を近づき、紅い唇が少女のそれに重なって――


 その瞬間。辺りに光が満ちた。そして光が収縮した後、ノヌンの額の中央に小指の先ほどの痣が現れる。四枚花弁の紅い花。

 ノヌンは額と唇を押さえ、目を見開き何度も瞬く。額が熱を持ったかのように熱い。


「えっ、えっ、えぇぇぇっ!?」

「これで盟約終了ですわ」


 美しい笑顔だった。


「わ、私のふぁーすときすぅ……」


 ノヌンはへなへなとその場に座り込む。


「あら?」

「お前、そんなのもまだだったのかよ。俺の弟子なのになさけねぇ」


 口元を右手で押さえたノヌンは何の関係があるのかと、男をじろりと睨み上げる。男は言い終えると何かを思い出したように言った。


「おっ、でもお前この魔人呼び出したこと委員会に申告すれば、町の裏通りで職探ししなくてもすむぞ。委員会に魔術使いとして、確実に認められるに違いねぇから、就職にはこまらねぇぞ、絶対。良かったなぁ」

「良くないですよぉ……」


 少女のファーストキスを奪った魔人はにこりと笑い飄々と言った。


「まっ、ノヌンちゃん。あっ、こう呼ばせてもらうわね。御主人様って堅苦しいじゃない? いいかしら? いいわよね。今日から五年間、改めて宜しくお願いしますわ。魔人フルースアはあなたを守護致します」


 ノヌンはやる気なさげに答える。


「はぁ、こちらこそ……。それより、頭痛くて眠い……」


 寝不足と緊張状態の糸がぷつんと切れたのか、ノヌンはその場に崩れ落ちた。すぐに小さな寝息が聞こえてくる。


 男は注意深げに少女を抱き上げ、窓の外に目をやった。辺りには夏の朝の光が木々から透け、鳥の囀りが小さく聞こえてくる。


 やわらかい陽光が差し込む部屋で、魔人フルースアはそっと少女の手を取る。


 そして何千年もの時から解放してくれた主人に感謝と敬愛の接吻を送った。


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― 新着の感想 ―
[一言]  こんにちはっ、小野宮と申しますっ。  拝読させていただきましたっ。    とても面白かったですっ!  読み始めたら止まらなくなり、すぐに読み終えてしまいましたっ。  設定がきちんとしていて…
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