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「俺はどっちでもいけるから、『えろえろ隠れえろす』だな」

「もういい。面倒だからその話を引っ張り出すな」

「えー」

「えー、じゃねえ」

 蒼の男性恐怖症について知る人物の一人である九ノ瀬に昨日からのことを話し、その延長として今朝のことも話してやったが、この女好き生徒会長が食い付いたのはそっちだった。なんでどいつもこいつもことの重大性を理解していないんだ。このままではこの街の男が一人残らず命を落とすぞ。

「大丈夫だよ、友もついてるんだろ?」

 確かに友がいる分にはまだ少しましかもしれない。考えてみれば事態の危険さを解っているのは俺以外では友くらいのものだ。今のところ死傷者が出ていないのは友のお陰と言える。

「で、おまえは俺にその話をしに、珍しく二日続けて昼休みにここまで来たのか?」

 茶化すように九ノ瀬は言うが、何か不味いことがあるだろうか。どうせこいつはここを完全に私室化して利用しているんだし。人目を避けたい今の俺にしてみたら昼休みを過ごすのにもってこいだ。

「なあ律、おまえ頭のそれは剥がさないのか?」

「言うな九ノ瀬」

 俺の額には依然冷却シートが健在だった。休み時間になるたび友が新しいものに貼り直してきて、無断で剥がそうものなら手酷い仕打ちを加えてくるのだ。一応昼休みが終われば剥がしていいことになっている。ここでの隠居を終える頃には晴れて俺もこの辱しめから解放されるわけだ。

「律儀に今すぐ剥がさないから、つくづく友に甘いなおまえは。まあ友に限った話じゃないけど」

 九ノ瀬はパックに入った紅茶をストローで吸い上げる。半透明の筒を赤茶色の液体が昇っていき、落ちた。俺はそれを機にするようにして話を本題へと戻す。しかし九ノ瀬は相変わらず蒼の話題に興味を示そうとしない。俺だけが現状を危惧して仮にも幼馴染みのこいつはまともに取り合おうとしないというのは気分のいい話じゃなかった。

「考えすぎなんだって律は。そんな他人のことばっかり気にしてたら、肝心の自分の中身がすかすかになるぞ」

「……」

「ああ、そっか。もう手遅れだったな」

 どこまでもノリの軽い九ノ瀬を非難するように無言に依る冷たい視線で攻めてみることおよそ十数秒を費やすと、耐えきれなくなった九ノ瀬が肩を竦めて降参を申し出た。

「悪い悪い、今のは撤回する」

 別に俺は自分のことをどうこう言われたことが気に食わなかったわけじゃない。九ノ瀬が言ったことを一笑に伏すことが出来ないのも事実なのだ。だから俺が腹を立てたいのはそれ以前のことで、要はことに当たる姿勢の、その温度差が気に入らないのである。他のことならともかくこれは俺たちの問題だ。

 蒼の努力の結果が壊れそうになっているのを見過ごすのはなんだろう、彼女への冒涜のような気がする。そこに何か大切なものがある気がして。

「大丈夫だよ」

 諌めているつもりなのか穏やかな口調で言いながら九ノ瀬は煎餅の袋を開けていた。

「大丈夫」

 繰り返す言葉には軽薄さがない。

 普段はふざけた雰囲気の抜けない九ノ瀬だがたまにこんな風に真剣な空気を纏うことがある。そうなるとこいつの言葉はいつになく重厚になって、あっさり聞き流す気にはならない。オンオフの切り替えは人一倍が得意なのは、生徒会長のルックスに続く取り柄だった。

「あれは紗季が導いて、爽架が努力して克服したものだろ。そんな簡単にまた出てきたりするかよ。特に爽架を変えたのは紗季だろ。あいつが人に及ぼす影響は絶大だ。おまえは紗季や爽架が信用できないのか?」

「いや……」

 信用できないはずなんてない。

 俺も紗季に変えられた誰かの一人だ。少なくとも俺を含み、俺たちは全員紗季に救われた過去がある。九ノ瀬も例外ではないからここまで堂々と言えるのだろう。自分も紗季に会って変わった。その紗季を信用しているから、九ノ瀬はここまで動揺せずに居られるのだ。

 ……では俺は。

 俺だってその意味では同じはずだ。なのに俺だけが慌てている。九ノ瀬や遊季や蒼自身のように軽く構えることが出来ない。思えばそうだ。俺は蒼の男性恐怖症によって被害者が出ることよりもむしろ、蒼が男性恐怖症に戻ったこと自体を気にしていた。何故か俺だけに温度差がある。この感覚はなんというか――昨日のあれに似ている気がした。

「……ッ」

 思考が意識の裏側に手を伸ばし掛けた時、理不尽な痛みがそれを妨害した。

「大丈夫かよ律、随分と寒そうだが……暖房なら入ってるぞ?」

「……ああ、すまん」

 なんだと言うのか。

 自分でもよく解らない。だが何かに納得がいかないのだ。急がなければならない気がする。早くしなくてはならない気がする。だがそれが何なのかが全く解らない。

 こんこん、と俺の心境にはあまりにも不似合いなノックの音が転がる。

「どうぞ」

 と体裁上はこの部屋の主である生徒会長が入室を許可すると、そろりと扉が開く。わざと時間をかけているみたいにやけにゆっくりと開く扉の先にいたのは、今朝方教室の前で別れた遊季だった。僅かに開けた隙間から身を滑らすようにして入ってきた遊季は後ろ手に扉を閉めてから、ほっと胸を撫で下ろした。

「どうした遊――」

 季、と訊くに先んじて部屋の外から大量の足音、そしてそれに続いて複数人の男たちの話し声が聞こえてくる。「くそ、遊季ちゃんがいないぞ」「信じられない……神隠しだ」「おいおいもう月に帰ったのか? 七夕には早いぞ」「いやむしろクリスマスを前に女神として天上に帰られたのか――!?」馬鹿どもがアホな推測をしている。「それだ!」んなわけねえだろ。

 再び砂塵を巻き上げんばかりの勢いで足音が動き出し、やがて外に人の気配がなくなったのを感じ取った俺はそれでも一応の用心を忘れずに扉の隙間から外を窺い、連中が過ぎ去ったのを確認すると部屋の中に向き直った。事情はだいたい把握できたが俄に信じ難くもある。まさか本当に『双色遊季ファンクラブ』が存在していたとは。

「おまえも大変だな……遊季」

「クリスマスの夜更け過ぎに、雨が雪に変わるのを見に行こうって言われた……」

 かける言葉が見つからない。そんな馬鹿どもは一人きりのクリスマスナイトを過ごすべきだろう。

「後は『僕の心』をプレゼントするよって」

「次の日にはもう要らないな」

 というかネタが解りにくいぞそれは。英語ならまだ解るが。

「絶好調真冬の恋」

 それはまた違う。

 とかそんなやり取りを一通り挟んでから、遊季は盛大に溜息を吐いた。ここまで走ってきたからなのか、一気に撒くし立てたからか息が上がっているように見える。俺はまだ口を付けていない自分の湯飲みを手渡してやり、手近な椅子を引いて座らせてやった。既に冷めているだろう緑茶をぐいっと仰いで遊季は、

「……死ぬかと思ったよ」

「ご愁傷様」

 遊季の表情はその言葉を決して冗談に聞こえさせない。確かに死にかねないなあれは。時折風で窓が揺れたりする音にも遊季は肩を弾ませる。さっきまで廊下ではさぞかし壮絶な逃走劇が繰り広げられていたことだろうと思うとぞっとしない。

「しかしまだいるんだな、おまえのこと好きな男ってのは」

「……」

 泣きそうな目で遊季は自分の肩を抱く。まあ、大勢の男に追い掛け回されながら意味不明な愛の言葉を投げられるというのは悪夢に他ならない。どんな悪いことをしたらそんな罪に問われるのだろうという次元だ。

 新しく湯飲みに茶を淹れた俺は、同じようなことで悩んでいそうな九ノ瀬に視線を送る。こいつはこいつでこの時期、クリスマスや大晦日などというイベント事が連なる時期には誘いの声が掛かる頃だろう。もっとも遊季と違ってこの男の場合はむしろそれは喜ばしいことのはずだが。

「おまえはどうなんだ九ノ瀬」

「俺か? まぁ、大したことはないさ」

 と徐に立ち上がると部屋の脇にあるロッカーへ向かっていってその取手を引く。ばさばさばさ、と比喩ではなくそんな音がして雪崩のように封書が溢れ出る。

「なんだそいつは、脅迫文書か」

「それもある」

 あるのかよ。

「だったら残りは不幸の手紙か」

「半分はラブレターだ」

 不幸の手紙は否定しないのか。

 ごほん、と咳払い。九ノ瀬は自慢するように溢した手紙の山を拾い上げる。それらを一枚一枚感慨もなさげに鞄へ放り込んでいく。

「どうするつもりだ?」

「それなりの対応をな」

 手紙をくれた女の子を一人一人口説き落とすつもりなのかと問うと九ノ瀬は何を今更と言った感じに、それはとっくに済んでる、と一言だけ返事をした。いやまあ何とも手の早いことだな生徒会長様は。それにしても、と俺は考える。九ノ瀬は本気か冗談か解らないが、あの手紙の山には恐らく脅迫文書も不幸の手紙も含まれていない。真面目に九ノ瀬へと思いを寄せる女子からの手紙が十割だろう。それはいい。いやいいとか悪いとかの問題ではないが。九ノ瀬が女子から手紙を受け取るなんてことは昔からよくあることだ。けれど遊季は。遊季が男子に追い掛け回されるなんてことは。それに近いことがなかったわけではない。だがそれは最近となれば話が違う。今でも遊季に言い寄る男が稀有ではないにしろ、あんな大勢からアプローチされるなんてことはなかった。

 だって遊季は紗季の反面だから。

「ところでさ、遊季」

 ごちゃごちゃと考え出すと回りが見えなくなるのは俺の癖だ。九ノ瀬の声で烏乱だった俺の目の焦点が定まる。

「おまえさ、最近髪伸ばしてるの?」

 後ろで団子みたいにしている遊季の髪を見ながら九ノ瀬が言う。確かにそうやって纏めている分には解り辛いが、遊季の髪が長くなっているのは間違いない。指摘された遊季は自分の髪の房に触れて、自分の尻尾を追い掛け回す犬みたいに体を捻ってくるくる回り始めた。ある程度回ってからそれが無駄だと気付いたのか遊季は、

「目が回ったー」

 知らん。

 ふらふらしている遊季をとりあえず落ち着かせる。ふわわー、とか言いながら目を回している遊季を介抱しながら俺は九ノ瀬に同意する。すると九ノ瀬は、その時俺が考えていてけれどあえて口に出さなかったことと全く同じことを呟いた。

「なんか遊季さ」

 流し見た九ノ瀬は、遊季を見ながらどこかを遠望するような目で、

「紗季に似てきたよな」

 もともとが双子で顔立ちもかなり似ていた二人だ。髪の長さと瞳の色が二人を見分ける有力なポイントだったのに、その違いがなくなってしまうと視覚的に現れる二人の差は皆無だ。だからと言って二人を見間違えることは俺たちに限ってはないことだろうが、遊季が本気で紗季の振りをするようなら話が変わってくる。過去に二人は悪戯と称してよく入れ替わりをしていたが、その際に二人を一目で見分けることは出来た例がない。

 紗季の瞳は琥珀色。

 遊季の瞳は紺碧色。

 二人の異なる色がそれぞれのアイデンティティ。

 目の前にいるのは深い青の瞳をした遊季だった。

 九ノ瀬は一呼吸ほどの間隔を空けてから頭を掻きながら、この色男にしては珍しく照れるような仕草を見せながら、遊季から軽く眼を逸らして言う。

「なんか日に日に綺麗になってくよな、遊季」

「こいつを口説くほど女に飢えてる訳じゃないだろおまえは」

 よりにもよって遊季にそんな口を利くとは。

 解ってはいたがいたがいよいよ呼吸間隔で女を口説く男である。……いや、正確にはそれも違う。遊季の外見に釣られた哀れな男たちと九ノ瀬は明らかに違う。なぜなら俺たちは幼馴染みだ。十数年も同じ時を過ごしてきた腐れ縁なのだ。ならば九ノ瀬も当然遊季のことはよく知っている。だから俺がわざわざ諭すように言ってやる必要はないと思ったが、それでもあえて口にしたのは、時々それを忘れそうになる自分への戒めだったのかもしれない。

 俺は閉ざされた扉の向こうを駆け抜けて行った男たちを嘲笑するように、あるいは哀れむようにして言った。


「そもそも遊季は男だろ。それとも女に飽きて、今度は男に手を出そうってか、九ノ瀬」


 九ノ瀬は苦笑して、遊季はなぜか頬を赤らめた。

 双色遊季。

 見た目も中身も女染みているがしかし、確かにこいつは双色紗季の弟なのだった。


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