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「馬鹿よねえあんた」
冬も間近だってのに、友は俺の額に冷却シートを張りながら憐れみの呟きを漏らした。蒼のげんこつを額に貰った直後、俺は薄れ行く意識の中で友の声を聞いた。「しまった――! 遂に犠牲者が!? ……てなんだ、律じゃない。心配して損した」「……いや、助けろよ」というやり取りを経て友に助け起こされた俺は今、ホームルーム終了後の教室で自席に座りながら友の手当てを受けている最中だった。そこにとことこ蒼がやってくる。
「なんだ律。どうした。朝から闇討ちでもされたのか?」
「ああ。面と向かって真正面からな」
報復に粋がる拳を、あくまでこいつは自覚なくやっているのだ、と自制心で押さえつける。
ひんやりと冷たい額の感触は触れると痛い。瘤になってやがる。しかしこの姿はあまりにも間抜けじゃないか。ほら見ろ、こっち見て笑ってる奴らがいるじゃないか。
「我慢しなさい」
「痛ッ……おまえなあ、怪我人は優しく扱え」
「そんな口利いていいの? 爽架、竹刀貸して」
「友、俺が悪かった」
よろしい、と友は上機嫌。悪魔だ。
「爽架のこと聞いてたから、今朝は家まで迎えに行ったのよ。だから被害者は出てないわ。あと万が一に備えて色々用意しておいたけど正解ね」
犠牲者ならここに一人出ているなうだ。
「あんたは別よ。別にいいじゃない律の一人や二人」
生まれ変わっても俺を殺すのか蒼は。
「なんだ。私がどうかしたのか二人とも?」
当の本人は全く自覚がないから恐ろしい。
俺は冷却シートのジェルを指で突付きながら授業が始まる頃には剥がしてやろうと思いつつ、
「そうだ友、悪いがノートを写させてくれ」
「いいけど……。あんた欠席とかあったかしら?」
欠席はしていないが、昨日の板書はほとんど取れていない。それどころではなかったからな。頼む相手としてはその原因たる友で間違っていない。午前中の授業を思い出しながら催促する教科を告げると、友は直ぐにそれを手渡してくれた。
一応、原因を悟られないように「昨日午前中にあった授業」とは言わなかったが、友は感づいているのだろうか。雰囲気としては気取られていないみたいだが。俺がそんな邪推をしていると割り込むように、そして思い出したみたいに蒼が言った。
「ああ、それなら私も頼む。教科は世界史だ」
世界史といえば昨日の最後の授業だが、蒼に限って睡眠授業で過ごした何てことはないと思う。いったい何があったんだろう。と少しだけ興味が沸いたので訊いてみた。すると蒼は特に隠すこともせずにあっさりと、
「日誌を書いてたんだよ、日直日誌を」
日誌程度で授業が一つ潰れるか?
「いや、ちょっと熱が入ってしまってな」
「何に?」
「聞きたいか?」
「少しだけ」
「『好みで解る男の本性』だ」
神様、こいつは本当に男性恐怖症なのでしょうか。
「律、おまえは女の子に対して『可愛さ』と『美しさ』のどっちを求める?」
「そんなことから何が解るんだよ」
「『可愛さ』派の男は根がえろい男だ」
「……その根拠は?」
「律、おまえは『可愛い』という言葉の意味をどう捉える?」
「愛くるしいとか、そんなんじゃねえの」
「違う。『可愛い』とは性的欲求を一言に凝縮した心情吐露だ」
おそらく俺の目は点だ。
「『可愛い』から連想される言葉は『はぁはぁ』だ。これは間違いなく相手に対して邪な感情を抱いているとしか思えない。故に『可愛さ』派の男は総じてえろえろなのだ」
「極論な上に筋道が立っていない。ちなみに『美しさ』派の男はどうなんだ?」
「インテリ気取りの隠れえろすだ」
「おまえの主観……男はみんな変態じゃねえかよ」
「勝手に男の本性を捏造するな」
「なあに、隠すことはない。解き放て、律! おまえのエロスの射す方向こそがおまえの覇道だ!」
「んな覇道はねえ!」
ポニーテールを振り上げて蒼が言い放つ。胸を張って腕を伸ばして、指先は窓の外。遥か彼方の空の果て。見ろ、突然指差されたかと勘違いした女子生徒が恐縮しているじゃないか。いや、別に道を空ける必要はない。蒼の宣言と同時にチャイムが鳴った。今日も時間通りに入ってくる担任教師は蒼の豪快な笑い声に何事かと一歩たじろぐ。どこの大王だよおまえ。
やがて友が蒼を黙らせて席に着かせ、それだけで復活した日常に咳払いをした担任がホームルームの開始を告げる。俺は殴られたこととは別に痛む頭を抱えながら適当に朝の報告を聞き流していた。すると隣から友が小声で話しかけてくる。
「ねえ……律はさ、どっちなの?」
「なにが?」
「ほら……えっと」
わずかに赤くなった頬でそっぽを向いて。
「あんたは『えろえろ』か『隠れえろす』かって聞いてんのよっ!」
なるほど。
馬鹿ばっかりだ。