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2/季節巡る歪の音

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 蒼の男性恐怖症は後天的なものである。

 そも今の様子からは微塵も想像は出来ないが、蒼爽架は酷い苛められっ子だった。

 毎日のように同級生の男子に囲まれては暴言を吐かれ、暴力を振るわれることもあったくらいだ。そうして刻み込まれたトラウマの結果が男性恐怖症という形になって蒼に残った。昔は近くに男がいるだけで震えたりもしていた。彼女の転機は紗季と出会ったことにあり、以来、自分の身を自分で守れるよう、実家の道場で剣を学んで今に至る。

 俺が蒼といっしょにいたのはその頃からだ。

 そういったことを思い出しながら、俺は昨日突如として復活した蒼の症状について遊季に話しながら登校している最中だった。遊季はきっちりと締めたマフラーに綺麗な髪と唇を埋めながらごにょごにょとコメントしてくる。

「ごにょごにょごにょ」

「おまえそれ、擬音じゃないよな?」

「ぷはぁ。苦しかった」

「だったら口出せよ」

「だって寒いもん」

 あはは、と暢気に笑う遊季はもしかしたら俺の話を一切合財聞いていなかったのかもしれない。俺の吐いた溜息はすぐに白く霧散するが、胸中を渦巻くもやもやは消えずに蟠る。どうしてそんなに暢気でいられるのだ。今になって蒼のあれが再発しては、俺や九ノ瀬や、ひいては遊季の命すら死の危険に晒されるのだぞ。

「心配し過ぎだって律。爽架のあれはちゃんと克服したでしょ」

 しかし実際に俺は昨日殺されかけているのだ。これは無視できない由々しき事態である。

「もっと爽架を信用しなよ」

 信用しているさ。奴の剣は刺し違えずとも人を殺せる。

「何か律冷たいね。冷めてるよ。友達なのにさ」

 むぅ、と音を上げてしまう。

 遊季はあの状態の蒼を見ていないからそんなことが言えるのだ。剣士として達人の域にまでその実力を昇華させた蒼に、本物の殺意を向けられるというその恐怖を知らないから。理性をなくして錯乱した蒼は……下手をすれば今朝までに犠牲者を出しているかもしれない。

「大袈裟だよ」

 遊季は驚くほどドライだ。現状の危険性を全く理解していない。

「ていうか、律こそ昨日は変だったって聞いたよ」

「んん? ……ああ、ちょっとな」

「はあ。僕は律の方が心配だよ。あのね、律は人のことばっかり気にし過ぎ。自分が可笑しいときくらい」

 心配してくれているのだろうがなんだろう、その言い方には腹が立つ。

「自分の心配をしなよ」

 はあ、とまた新たに溜息を吐いて締め括る。係りと結びが同じ音で閉じられた。

 さらに遊季はぶつくさ言いながら歩を進める。あえて聞き取りづらいようにそうしたのか、またマフラーで口元を隠しながら。なので俺にはまたごにょごにょとしか聞こえず、それ以上気にかけなかった。だが不意に一言だけ聞き取れた言葉には反論せざるを得ない。遊季はマフラーの奥から確かに一言、次のようにのたまった。

「なんだかお姉ちゃんに似てきたよね」

「それを言うならおまえの方こそだろ」

「あれ、聞こえちゃった?」

 聞き取らせないつもりだったらしい。ならばマフラーで口元を覆っていたのは故意か。

 俺は、あはー、と笑って誤魔化そうとしている遊季に反論する。

「最近髪伸ばしてるだろ。もう肩の下まであるじゃないか。それに仕草とかも似てきたし」

 ぱさり、と首筋の髪を払って、

「何のことだがさっぱり」

「それだよ、それ」

 ぎくぅ、とこれまた擬音を口に出してたじろぐ遊季だが表情がにこやかだ。俺の指摘に対して本当に図星をつかれたというより、むきになっている俺をからかっている風だ。ならばこれ以上は何も言わん。双子に揃ってからかわれるのも癪だ。

 寒い。早く学校に行こう。

 俺は口数を減らして先を急いだ。歩幅の狭い遊季がやや駆け足気味に追ってくる。ぱたぱたと軽い足音とやや上がり気味の呼吸音が聞こえた。

「でもさでもさ」

 まだ何か言っているが無視を決め込む。どうせ禄でもないことを言ってくるに違いない。

 耳を塞いでやろうかとも思ったが、そうしている自分の姿を想像すると気が引けた。もうすぐ学校につくのだ。登校中の生徒に見られるのは気恥ずかしい。だから耳を塞ぐことのなかった俺は、ばっちりと遊季の言葉を聞いてしまった。

「律は、お姉ちゃんにはなれないよ」

 そんな当たり前のことが胸に重い。不意に脚を止めてしまうほどに。

 俺を追い越した遊季はくつくつと笑いながら手を出してくる。手を繋ごうという意思が見えていたが冗談のつもりか。俺はそれに応えることなく歩みを再開させる。いつから遊季はこんなにも紗季に似てきたのだろう。俺をからかうのが日に日に巧くなっていきやがる。

 校門を潜ってエントランスに入ると、俺と遊季は背中合わせで下駄箱を開いた。冷たい取っ手と引いて中にある上履きを取り出し、そして外靴をしまう。腰を折るのが億劫だった俺が上履きをすのこの上に落とす音に紛れて、何か軽い音が背後から聞こえる。

 ぱさり、とそれは封筒が落下した音だった。

「はあ……またか。もうー」

 と言いながら遊季がそれを拾い上げる。下駄箱に手紙とはまた、時代に似合わないべたな手を使う輩はまだ存在しているらしい。というかこの学校ではこれが風習になっているのだろうか。今月になって遊季の下駄箱に封書が入っていた回数は、俺が知る限りでも二桁を突破していた。

「むー……。よし、律、上げる!」

「いらん」

「あれ、なになに嫉妬?」

「んな訳あるか」

 てか嫉妬てどういう意味のだよ。

「せめて内容だけでも読んでやれ」

「はーい」

 こういう時の遊季は無邪気だ。

「どうせ、返事は決まってるけどね。僕の好きな人は一人だけだから」

 なのにこんな風に続けるときは無邪気さも幼さも影さえ残さない。

 双色遊季とはそんな二面性の持ち主だった。

「ちなみに差出人は」

「男の子だよ」

「ご愁傷様」

 それだけ言って後は足早に教室へと向かった。待ってよー、と言いながら遊季が追いかけてくるが待ってなどやらない。この校内で遊季と並んで歩こうものなら、誰に何をされるか解らないからだ。それぐらいに遊季は人気がある。異性にも同性にも。さっきの手紙は男子からだったそうだが、女子から届くことも稀ではない。中性的な顔立ちでそれがとびきり整っている遊季は、男女どちらからもニーズが絶大なのだ。

 ともあれ、彼ら彼女らの願いは叶うことがない。

 それには二つほどの理由がある。

 一つはさっき遊季自身が言っていたこと。遊季には心に決めた相手とやらがいるのだ。だから誰かの恋路は叶うことはない。それともう一つは、これは特に男子に限ったことであるが――

 などと考え事をしながら歩いていたのが不味かったのだろう。教室の前まで言って扉をスライドさせると、ちょうど出てこようとしていた誰かにぶつかった。それが他の誰であっても本来なら、「あ、悪い」程度で済むはずなのだが、この相手に限ってはそれで済まなかった。

 なぜなら言葉に対して彼女が返してきたのは唸る拳だったのだから。

 一つ解ったことがある。

 どうやら蒼の男性恐怖症は偶然的にでも一時的にでもなく完全に、再発症してしまったらしい……。


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