えぴろーぐ
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やかましい携帯の音で目を覚ました。
時刻は午前六時三十分。表示されている名前は九ノ瀬渚。応答するかどうか一瞬迷ってから俺は、仕方なしに通話ボタンを押しこんだ。
『よお、おはよう律』
「なんの用だ……こんな朝早くに」
聞くまでもないことだったが、俺は敢えて尋ねた。
九ノ瀬はおどけたようにしらを切って、
『おいおい。昨日話しただろ。寝惚けてるのか?』
「おまえがやり残した雑務の手伝いなら、昨日断ったはずだ。もう切るぞ」
俺は朝は十分でも長く寝ていたい人なのだ。
『そうか。だが悪いな俺は既に刺客を放った』
「刺客……?」
それが何のことなのかは数秒後に知ることとなる。
依然携帯は九ノ瀬と通話中で、そんな中、部屋のインターホンが鳴る。
「おーい! 律ー! 起きているのだろ? 開けてくれっ!」
この声は明らかに蒼爽架だ。
蒼は扉を外側から殴打しながら開けろ開けろと繰り返している。ご近所迷惑もさることながら、これはこれでホラー染みた怖さがある。電話の向こうで九ノ瀬が喉を鳴らして笑っている。耳障りなので通話を終了してやった。
なるほど。九ノ瀬が電話を俺を起こし、蒼が家に押しかけてくるという作戦だったのか。
ふむ。
知るか。俺は寝る。
「……おかしいな。渚の言っていたのと違うではないか……」
聞こえないふり聞こえないふり。居留守ならぬ居眠りを決め込む。
「仕方ないな……。竹刀は持ってるから、これで扉を斬って――」
「おはよう蒼! 今開けるよ!」
一般常識で考えれば竹刀でアパートの扉を切り裂くなんてことは不可能だろうが、相手が蒼爽架だとそうも言っていられない。俺は大慌てで鍵を解除して蒼を迎え入れた。侍頭の剣道少女は、どこまで本気だったのか竹刀を振り被った姿勢で静止していた。いや、冗談になっていない。
冬休み最後の一日だっていうのに、これで休日出勤が決定してしまった。
図々しくも部屋に上がり込んでは茶を要求してくる蒼にほとほと呆れつつ、俺は明日から袖を通すはずだった制服に着替える。蒼は朝練に向かう途中だったのだろうか、体操服のジャージに上はタンクトップというコーディネートだ。寒くないのか、それ。
登校中に俺が寒そうにしているのに気付いた蒼に、俺は逆にそのことを質問してみた。
「うん。私はだいたい走って登校しているからな」
「……」
「正直、律といっしょに歩いてると寒い」
「……」
「よし! 走るか!」
「勝手にしろ」
俺は歩いて行くぞ。
「解った! では学校で待ってるぞ、律!」
そうして蒼は風になった。いや、速い速い。
学校で、と言われても今日は授業がある訳ではないのだから、会うこともないだろうに。
さて、見張りは消えた。俺は進路を今歩いてきた方向へと返す。さっさと帰ってラスト冬休みを楽しもう。主に二度寝という形で。などと考えていたので不意に後ろからやってきた誰かにぶつかってしまった。反射的に謝ってから、そいつのサイドテール頭に気が付いた。
「なんだ、遊季か」
「おはよ、律」
双色遊季はぶつけた額を撫でながら上目遣いに時頃の挨拶をしてきた。その姿は俺と同じく制服に身を包んでいる。ということは、こいつもまた九ノ瀬の雑務を手伝いに学校へ向かっている途中なのだろう。あるいは俺のお目付け役その二だろうか。どっちにしても、退路は断たれた。
「すっごい眠そうだね」
「まあな」
生徒会長様の無慈悲なモーニングコールで叩き起こされた俺は、その後現れた蒼に連行される羽目になったから朝飯も食べていないのだ。眠い上に少し腹が減り始めている頃合いだ。
「へっへー。そっかー」
「なんで楽しそうなんだよ」
遊季は何がそんなに愉快なのかと問いたくなるくらいに笑顔だ。いつから人の不幸を楽しむような残忍な性格になってしまったんだおまえは。
「人聞きが悪いな……。いいよ、もう。ふん。折角律の為にお弁当作って来たのに」
「なんだと?」
どうにも聞き捨てならない言葉が混じっていたので聞き返す。
「弁当? おまえがか?」
「うん。そうだよ」
俺の腹は自然と空腹さを加速させた。遊季の料理の腕は実際のところどうか知らない。だがこいつの姉である紗季の料理の実力はかなりのものだ。同じ血統を受け継ぐ遊季にもその才能は期待できる。これはかったるいだけの生徒会業務の後に楽しみが出来たというものだ。
内心でうきうきしているのが顔に出てしまっていたのだろう。遊季にはそんな心中を一瞬で看破されてしまった。からかうようにくすくすと笑われる。
「ほら行こ、律っ」
走り出しそうにうきうきと、溌剌とした笑顔で手を出される。が、俺はそれを無視して歩を進めた。さすがにそれは不味い。何せ双色遊季はいくら外見が美少女であろうと、正真正銘双色紗季の弟なのだから。もちろん、それは本人も自覚しているところだ。その証拠に遊季は、あの一件以来スカートを履かなくなったのだから。
――昼が過ぎる頃になって、俺はもしもタイムマシンに乗れるなら半日前の自分に忠告してやりに過去へと遡行したい衝動に駆られる事態に直面した。有り体に言うなら、遊季の弁当に胸を躍らせていた自分に真実を告げてやろうということだ。
どうやら双色姉弟の料理の才能は一方的に姉に傾いてしまったらしい。俺は何とか自分に与えられた分を空にして生徒会室を飛び出してきた。まさか本音など言えまい。あんな楽しそうに弁当を差し出してくる遊季を前にしては。
校舎を出て自販機へ向かう。自販機は食堂の前と中庭に設置されていて、ここからだと中庭が近い。
ブラックの缶コーヒーを買ったところで俺は何となく空を見上げた。
今から三週間ほど前に十年彗星が横切った位置を――
「――」
そして屋上にその人影を発見する。
体は考えるよりも先に駆けだしていた。
階段なんて二段飛ばしで、さらに脚を伸ばして三段飛ばしに駆け上がる。するとさすがに転びそうになるがスピードを落とす気にはなれなかった。長い階段を一息に駆けあがって、踊り場で少しだけ息を整えた。心臓が跳ね回る。走ってきたからだろうか、それとも緊張しているのだろうか。なにを今更。
俺は扉を開く。
冬の冷たい空気が流れ込んでくると同時に眩しい日差しに目を細めた。
けれど確かに、白い光の中に彼女の姿を見つける。
長い黒髪はストレートに背に流れて風にそよぐ。
少女がこちらに気付いて振り向き、琥珀色の瞳と目が合った。
「あ、律だ」
そいつは無邪気に俺を持っていたペンで刺す。もう片方の手にはスケッチブック。
何をしていたのかなんて聞くまでもないことだ。こいつがここでしていることなんて、それしかない。そもそもその為にこの高校に入ったのだから。無垢に笑って夢を語った少女を俺は思い出した。
「退院は明日じゃなかったのかよ、紗季」
「無理言って今朝帰して貰ったんだ。えへへ」
前科持ちのこいつをよくあっさり釈放したな。
双色紗季の病気は、十年彗星の到来したあの日以来まるで初めから何もなかったかのように回復した。屋上で気を失ってから三日ほどの昏睡状態にあった紗季だが、目を覚ましてからは健康そのもので、医師も何が起こったのか解らないと言った。だが、医療関係には素人の俺はその前例を一つ知っていた。十年前の双色遊季のことを。
星が願いを叶えてくれた。生きていたいという彼女の願いを。
そんな奇跡を信じるなんて笑えてくる。所詮はお伽話だ。けれど、それも悪くない気がした。
「それで、早速創作活動か? 精が出るな」
「まあね。誰かさんがちゃんと完成させなきゃ、て言うからさ」
む。意識朦朧としていたくせに、そんなことは覚えているのかこいつは。
紗季はむー、と言いながらペンを立てて片目を閉じる。なんかよく画家がやってるあのポーズだ。
「ねえ、律。思ったんだけどね、みんなの絵を描くって言っても、描いてるわたしはどうしてもその絵に入れないよね」
「いや、それは……」
なんかおまえの想像とかそんなんで描くんじゃないのか?
「だーめ。出来ないの」
「なんでだよ」
「で、き、な、い、の!」
「……そうかよ」
「だから!」
紗季は子供みたいにはしゃいで俺の手を摑まえるとペンを握らせてきた。
次に何を言われるかは瞬時に予想が付いた。
「律が描いてよ! わたしの絵!」
「はあ? おまえ、俺はそういうの、全くの素人だぞ?」
「だったら教えるじゃん、わたしが! ね? いいでしょっ!」
紗季の言葉には否定を許さない力が込められていた。
自然とため息が零れて、どうしても口元が吊り上ってしまう。さっきから自分の顔の筋肉が緩みっぱなしなのを感じた。当然だろ。紗季がここにいる。それだけのことが、こんなにも嬉しいんだ。紗季の頼みを断ることが出来ない理由は、密かな高揚とは別なのだが。
なんてたって、ここは彼女の夢が叶う場所だ。
そしてその夢を叶える役目を得られるなら、それはこれ以上ない幸せだと思う。
俺は紗季からペンを受け取った。それが、少女の夢が二人の夢になった瞬間。
星に願うまでもない、小さな願いだけれど、叶えるにはまだまだ時間が要りそうだ。
だから。
この夢が叶うまでの間、ずっと、紗季といっしょにいたいと思う。
もちろん、大切な五人の仲間で、ずっと。
「ねえ、律」
「なんだ?」
「ありがとう。大好きだよっ!」
fin




