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3/星の御伽噺

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 翌朝、某月某日の寒い土曜日、アラームもなしに自然と目が覚めた。予定調和みたいにちょうど午前八時の起床である。友と図書館に行く約束はしているが、明確な時間指定をしていなかったことに気付いたのは、時計で時間を確認しながら、図書館の開館時間を思い出している最中だった。

 図書館が開くのは午前十時。いや、休日だともっと遅いのだったか? 何にしたって今の時間に目が覚めたなら人間生活を平常営業していれば突然の呼び出しがあっても対応できるはずだ。いくら友でも、開館の二時間も前から理不尽に呼びつけたりはしないだろう。

 などと楽観していたのがいけなかったのだろうか。休日の朝食は軽めに済ませるか抜いてしまうかの生活をしている俺が、さて今日はどうするかなどと考えている頃だった。インターホンの音が狭い室内に響き渡る。無意識に溜息を吐くと同時に相手の顔が想像できて、自分の予想が半分は当たっていたことに落胆する。理不尽に呼び出したりはしないものの、理不尽に訪問してきたりはするらしい。

 立ち上がって扉へ向かう途中、さらに催促のベルが三回追加される。どんだけせっかちなんだよ、と思うと故意に行動を遅らせたくなったが、後で報復があるのも怖いので気持ちに反して速足での移動を体は行っていた。四度目の呼び出しがなされる前に施錠を解除する。勢いよく扉が開いた。

 我が家は安アパートだ。いつからノブ式自動ドアなど設備されたのか。などと考えていると、予想通りの姿が一つと罵声が耳を劈く。

「遅いこのバカ!」

 髪の長い童顔の女。

「友……」

 は予想通りとして、

「蒼?」

 学校指定のジャージ(しかし上半身は半袖体操服)姿の蒼はまったくの予想外だ。

「おはよう律、いい朝だな」

 きりっ、として、しゃきっと体育会系な仕草で挨拶される。

 といっても片手を思い切り振り上げただけなのだが。

「ん? どうしたそんな顔をして。まるでインパラでも見ているみたいな表情だ。私がそんなに珍しいか?」

 人が珍しいものを見るときの表情として、インパラを見るような、などという比喩は聞いたことがない。

「友は解るが……蒼、おまえは俺に何の用があって来たんだ?」

「ん? 用がないと来たらいけないのか?」

「別にそういうわけじゃないが」

 つうか寒い。冬の朝を侮るなよ、玄関開けっ放しで立ち話は本気で凍える。よくもまあそんな恰好で出歩けたものだ。しかし服装から察するに、部活の途中でランニングにでも出ていると考えるのが妥当だ。だが何故こいつが友につれてこられたのかという疑問は残る。

「たまたま爽架と会って、道を訊いたのよ」

 それまで蒼の隣で空気になっていた友が、俺の心中を読んでそう答えた。

「あたし、あんたの家って場所知らなかったから」

「そうだったか……?」

 言われてみれば友が訪ねてきた記憶はない。昨日も思ったことだが、俺も友の家を知らない。長いこと幼馴染みをやってて、これは意外な新事実の発掘だった。

 ほどなくして蒼は部屋を出た。部活に熱心な女部長は催促して俺に茶を注がせ、一気飲みして颯爽と姿を消す。発つ鳥後を濁さずといった風に、はじめから居なかったみたいに完璧な立ち去り具合だ。しかし何故あの女は毎回扉を全開にして去っていくのだろう。寒い。迷惑極まりない。

 一通りの文句を今は無き背中に視線で放つ。部屋に上がり込んで座っている友に意識を向ける。さて何を言ったものか。とりあえずまずは、

「朝飯、もう食べたか?」

 現在、午前八時三十分を少し回った頃。返答を予測するのが少しだけ難しい今の時間である。が、俺は何となく予感していたのだ。果たして、友の返答に伴って俺は台所に立つこととなったのであった。

 確か、豆腐と味噌ならあったよな?




 *




 軽い朝食を終えてから、これは図書館を目指して移動している間の俺と友の会話である。

「爽架だけどさ、今のところはまだ誰も殴ってないわよ」

「そいつは意外だな。既に二、三人は病院送りにしているものだと思ってた」

 一応、蒼の名誉の為に補足しておくが、あいつはあの悪癖によって他人に怪我を負わせた前科はない。そもそも蒼の男性恐怖症は剣道を始める前の苛められていた経験に由来している。剣道はそれの荒療治みたいなもので、紗希曰く「己を制御する為の鍛練」らしい。実家が剣道場だったこともあって丁度よかったのだ。素人意見で申し訳ないが、あの類いのスポーツは自己の研鑽であるらしいからな。

 話を戻すと、蒼の戦闘能力が一般女子の範疇を越えてフィクション染みて来る頃には、つまり並行して男性恐怖症の方も抑えが利いて来ていたのだ。だがまあその過程で俺が数え切れない痣を作ったりしたわけだが。

 改めて、俺は前回と今回との危険度の違いを理解する。

 前回の蒼には拒絶反応による暴力はあっても、その程度は高が知れていた。だが今は違う。奴は全国区の剣道部部長を務める身体能力で拒絶反応の暴力を振るうのだ。……おいおい、本当に大丈夫なのか。

「今のところは、律以外の男には極端な症状はないみたい。ちょっと肩がぶつかったりとか、そんな程度なら何もなかったしね」

 そういえば友は昨日の朝、蒼といっしょに登校したのだったか。九ノ瀬や遊季と違ってこいつもまた俺と同じように現状に危機感を感じているのだ。だとしたら、とある仮説が生まれる。

「昨日、校門のところにいたのは蒼を待ってたのか?」

「うん……まぁ、そうだけど?」

 俺も昨日は下校時間ぎりぎりまで屋上にいたから、門で友と会ったときは変だと思ったがそういう理由があったのか。けれども、だとしたら、新たな疑問がここで発生する。蒼を待っていたはずの友が結局いっしょに帰ったのは俺だ。そのことについて質問してみると友はびくり、と小さな肩を弾ませた。目を逸らす。

「爽架――ほら、部活の子達といっしょにいるのが見えたし、大丈夫かな、と思って」

 そうなのか? 俺は全然気が付かなかったぞそんな光景。

「ちょうどあんたが馬鹿みたいな顔でのこのこやってきたから、声かけてあげたのよッ」

「……」

 なぜだか怒り口調な語尾で言われる。俺は友をじっと見詰めてみた。そっぽを向いた顔がちらりとこちらを伺い、視線に気付いてびくりとすぐまた方向転換する。

「な、なんなのよッ?」

「いや、おまえって相変わらず人見知りなんだな、と思ってさ」

「そ――んなこと……っ!」

 反応が予想出来すぎて面白い。顔を赤くして否定しようとするのに否定出来ないのは、こいつが変なところで素直だからだ。

 俺はぷんすかし始めた友を笑いを堪えながら眺めつつ、こいつと初めて会ったときのことを思い出す。今でこそ尊大で威風堂々な態度を取っているこいつだが、初対面の時は肩を竦めてもじもじしながら俯き加減に涙目で見上げてきたりしたものだ。まるで内気な子供が初めて会う歳上の従兄弟でも見るような姿で恐る恐る――白い壁やシーツにカーテン、薬品の匂い――友と初めて会ったのは――

「……ッ」

 頭の隅っこにまた小さな痛みが転がる。俺の回想は残像も残さずに白い光に溶けて消えた。

「どうしたの?」

「……いや、別に何でもない」

 口ではそう言いつつ、俺は友にされた質問で自問する。どうしたと言うのか。最近、特定の何かを思い出そうとすると頭痛がして遮られる。結局その事柄については思い出せず終いだ。友と最初に会った時の記憶なんて……

「なあ友」

「なに?」

「俺たち、なんで知り合ったんだっけ?」

「はい?」

 間の抜けた俺の質問に、友は小鳥のように小首を傾げて怪訝な顔をするのだった。




 *




 図書館に着くと直ぐに友が単独行動を開始した。別にここから先は別行動だとどちらが明言した訳ではない。一人でずかずかと本棚の奥へと進撃していく友の小さな背中は何故かついてくんな、と言っているように感じたのでそれに従ったのだ。

 最初の十分くらいは適当に座って時間を潰そうかとも考えてみたが、それでは生産性に乏しすぎる。なので折角だ、俺も調べ事に勤しむとしよう。決定から、その本を発見するまでにはそれなりの時間が掛かった。ケースがケースである為、それらしい記述を見付けるのが難しかったのである。適当な医学書をぱらぱら流し見てようやく俺はその一文に目を止めた。

『精神的ショックによるトラウマの再発』

 今の蒼の状態を表すにはこれ程になく相応しい一文が踊るページを読み進める。

『トラウマにより形成されたPTSDが何らかの形で解消された場合でも、同一の症状が再発するケースがある。

 主な原因としてはトラウマを抑えていた要因の消失が挙げられる――』

 記述された内容を要約するのならば次のようになる。

 トラウマを封じ込める際、大抵の場合は心的傷害をケアする最大の要因となった事象が存在する。チープな例えになるが、親を亡くした子供がそれが原因で引き籠りになったとする。しかし子供は新しい親や学校の先生や友達の優しさから、親を亡くしたという孤独や悲しみから解放され、無事に社会復帰を果たせたとしよう。この場合トラウマの原因は親の死であり、それを抑え込んだのは周囲の環境となる。そして子供のトラウマが再発するとしたら、その原因として考えられるのは周囲の環境に何らかの変化があったか、それが失われたかだ。

 さて……と俺は本を片手に考える。この内容を実際に蒼のケースに当て嵌めて考えたとき、答えは見えてくるのだろうか。蒼のトラウマによって生じた結果はあの拒絶反応だ。あれは例えに言う子供の引き籠りに当たる。では、他は? 親の死は幼少期のいじめだとして、周囲の環境は何に置換されるだろう。いや、全く心当たりがないわけではないんだ。あれを治す為に俺は紗希の発案で散々ぼろぼろになったのだから。

 紗希の考えた治療法はこうである。

『――男の子は怖くない、て思えばいいんだよ』

 嬉々として言って、

『爽架は誰よりも強くなればいい。男の子にも負けないくらい強く。そうすればもう、怖くないでしょ』

 ――もしかすると。

 その治療の効果が時間の経過で薄れてきたのではないか。俺はふとそんなことを考えてみる。元々、紗希の考えた治療法はただ竹刀で毎日俺を殴り続けるだけのようなものだ。部活として剣道を始めてからは蒼も男と対戦をしていない。その結果が積もって今に至るのではないか。なら解決策は――

「蒼に男を殴らせる……」

 い、いやいやいやいやいやいや。

 ふざけるのも大概にしろ。殴らせる? 殺害させるの間違いじゃないか。昔と今とでは違うんだ。今の奴なら竹刀で人を殺すのは容易い。あの時みたいな治療法が使える訳がない。

「どーすんだよこれ……」

 解決策を探しに来た結果が絶望しか生まなかった。洒落になっていない。あいつのトラウマを取り除くには俺の命を差し出す他にないと言うのか。笑い事じゃねえ。

 ぱたり、と本を閉じて棚に返す。こうなると催眠術師にでも頼るしかない。……悠久なる時の流れが全てを解決してくれればいいのだが。そうもいかないのだろう。

 それからはしばらく適当に本棚を漁ってみた。けれど男性恐怖症による暴力症状などというフィクションチックな事柄を、それも一度治ったはずの症状の再発なんて条件を付け加えて検索しているのだ。ヒット数が限りなくゼロだったとは言うまでもない。

 そろそろ引き時かと本と本の隙間の空間を抜け出して友の姿を探す。一度エントランスに戻ってみたが、あいつが先に調べものを終えて待っているなどということはなかった。来たときと同じように司書の女性が暇そうにパソコンを弄っている様子は、切り抜いてそのまま数時間前に転用可能だ。

 このまま待ってみるのも悪くはないが、そうしているのも退屈である。それにあいつが休日の午前を潰してまで調べたいものには少しばかり興味もあった。なので俺は自分が来た方とは逆の、数時間前友の背中が消えていった先へと脚を向かわせる。市立の街で唯一の図書館はそれなりに規模も大きくて広い。友を見付けるなら奴が調べたがっていたことが何だったか思い出す必要がある。

 確か――この街について調べたいのよ――とか言っていた気がする。ならなんだ。歴史民族資料みたいなところへ行けばいいのだろうか。

 手早く近くにあったパソコンを操作して目当てのコーナーを割り出す。脚を運んでみると友の姿は案外簡単に見付けることが出来た。華奢な体を直立させて、開いた本に目を通している。そんなに本気で読むなら持ち出して座って読めばいいのに、という指摘は一切受け付けないだろう。友の横顔はそれくらい真剣に見えた。

 図書館内という場所柄声を出して呼び掛けるのは憚られる。ある程度近付けば向こうが気付くだろうと思いつつ歩み寄るが一向に気付く気配はない。簡単に直ぐ傍まで接近できてしまった。肩を叩こうとして先に本の見開きに注意が行く。それは無機質な字体で綴られた、他愛もないお伽噺だった。

「十年彗星?」

 思わず太字のゴシック体を読み上げてしまう。すると流石の友もそれに反応して俺を振り向き、そこでようやくこちらの存在を感知したらしい。目を見開いてやや後ろに飛び退いた。

「……あんた、いつの間に近付いたのよ。ストーカーの才能ありありね」

 半目は液体窒素が蠢いているみたいだった。

「人の読んでる本を盗み見るくらいだから、自分の方はもう済んだのよね?」

 何故そんなにも怒り口調なんだろう。そんなに悪いことはしてないはずだと思うが。

「で、爽架のことについて何か解ったの? 善後策は?」

 捲し立てるように詰問されてたじろぐと友は俺が退いた分を直ぐに詰めてくる。どころかむしろ踏み込んで接近してきているくらいだから、俺は下がり続けるしかなくなった。一歩また一歩としている間に本棚を抜ける。俺はふと、友の手にさっきまであった筈の本が握られていないことが気になった。俺を押し出す過程で返却したのだろう。器用な真似をする奴である。

 しかし、と俺は思う。

「蒼のことは……まあ、収穫がなかったわけではない。一応今後の方針は固まった」

「そう。で、どうするの?」

 俺を本棚の狭間から追い出して、友はようやく前進を止める。両手は腰に当てられて仁王立ちしてはいるけれど表情はさっきほど怒っていない。平常時だ。だからこそ俺の疑問は確信に変わったのだ。友としては窮地を脱してほっとしているのかもしれないが、その心中に不意打ちを掛けるように俺は訊く。

「で、友。おまえは何を調べてたんだ?」

 ぴくり、と友の眉が動く。

 質問される前に話を逸らそうとしているように感じたのは間違いではなかった。

 友の表情が再び強張る。

「別に……何でもいいじゃない」

「十年彗星ってなんだ?」

「だから――別にいいでしょほっといてよッ!」

 図書館に、友の憤慨がこだまする。閑静だった館内がにわかにざわつく。それまで人の気配がなかった空間が人気を帯びるのが解った。本棚の間から迷惑そうに、あるいは興味ありげにこちらを覗く人影も散見される。友はこれ以上追及すればどんな風に爆発するか解らない。もう下手につつかない方がいいのは明らかだ。

「帰る」

 だから、そう言った友の発言に黙って従うのが今は得策だろう。

 何も言わずに後ろに続いた俺に友は振り返らないで念を押した。

「……調べないでよね。あたしが調べてたこと」

「解ったよ」

「絶対だから。司書の人に言って、あんたが入ってきたら監視するように頼んどくから」

 おまえ、あの司書と知り合いなのか……。

「まだ……」

 ぽつり、とそれは多分余計な言葉。彼女の意識に関係なく期せずして零れた心情だったのだと思う。

「駄目だよまだ。駄目なんだから」

 泣きそうな声が強く誰かを鼓舞していた。そんな風に聞こえる声はきっと、この館内で俺だけが聞いていたのだと思う。


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