DoMワレザー、ペドウィン
モニタの表示は光回線の帯域を限界まで使って大量のファイルを外部から引っ張っていることを示していた。
どれも違法ファイルばかりだ。
使う予定もないアプリケーション、たまに使うエロゲ。ロリコン向けの画像が詰まったZIPファイルや動画、全て無修正。
露見すれば犯罪になるものばかりだ。特に最後のはまずい。社会のクズだとバレることは確実だ。
もっとも、このファイルを落とそうと決めた太っちょの根暗男――コテハン名「ペドウィン」の周囲からの評価は、元からそんな感じではある。
重度のペド。
そしてワレザー。
それが彼、ペドウィンだ。ネット中毒になっている人間からクズとしての属性を抜き出して寄せ集めたらどうなるかを体現するような男である。人生最大の不幸と思っていることは、そんな生きる価値すら見いだせない社会のクズが自分だということだ。
無論彼女はいないし友達もいない。いるはずもない。いるのは利用している他のワレザーたちとペドサイトの管理人だけだ。どの人間も屑ばかり。屑でなければ、人間以下の蛆虫、あるいはどうにもならない糞だ。屑の他人を、屑の自分が利用する。そんな人間関係だけがある。
「よいしょ……」
ブラックの安物マウスを脂ぎった右手で動かす。チェックしたばかりの掲示板をまたチェックするためだ。
掲示板には新規の書き込みがあった。新顔の割れ神が登場していた。おそらく新顔だが、あるいは出戻りかもしれない。
「また馬鹿が来たよ」
吐き捨てるような口調で嘲る。もちろんその馬鹿がアップロードしたファイルはちゃんとダウンロードする。
感謝の気持ちなどない。割れ神と言ったところで所詮感謝される価値もない屑だ。そんな屑に感謝する必要がどこにあるだろうか。調子に乗った屑を、逮捕されるまでの間、体よく利用する。ただそれだけのことだ。彼が逮捕されたと知ったら、ペドウィンはこうして追悼するだろう。
「アップロードなんかしたら捕まるに決まってるじゃねえかwww馬鹿じゃね?wwww」
馬鹿を馬鹿にして何が悪いだろう?
ペドウィンは絶対にダウンロードしかしない。
割れに手を出すようになってから長いが、アップロードは一度もしたことがない。それなら捕まることがないからだ。
アップロードをする奴は馬鹿だと確信している。おだてられて良いように使われ、逮捕されるリスクを背負いこむのが馬鹿でなくてなんだろう。本当の神は己のような男なのだ。ダウンロードオンリーの、搾取する側のワレザー。安全。徹底的に安全。ただアップロードをする非可触賤民の上前をはねるだけ。アップロードしたところでなにか得られるわけでもないのだ。危険なだけだ。
もっとも、アップロードしたワレザーにはときどき報酬を与えてやっている。適当に神とかうp職人と呼びつつたまにレスをつけておくのだ。ただそれだけだが、そうするだけで、このカーストの最下層で蠢く糞虫たちはなぜか逮捕されるリスクを背負って、せっせと違法アップロードを繰り返す。彼らは糞虫だが、扱いやすい糞虫ではある。
違法ダウンロードに罰則ができるとまずいかな、とは思っている。だが大丈夫だろうとも思っている。自分だけは大丈夫だ。割れをやっている奴はいっぱいいるのだから。
もちろん、一足先に捕まったワレザーたちの多くは同じことを思っていたのだろう。
小便から戻って、机の前の定位置に腰を据える。また増えていたアップロードファイルをさっそく落としにかかる。
割れと簡単に言うが、その実態は超巨大犯罪組織のようなものだ。
少なくともペドウィンはそう思っている。
割れの組織はヤクザと違ってきわめてゆるい。明確な組織としての形もない。だがたしかに組織なのだ。
・浅いコミット
・多頭式
・莫大な人数
・高度に情報化
・低い必要性
・低い結びつき
そんな存在様式だ。暴力団が有するややこしい人間関係と縦割り組織の対極といえる。
ポイントは莫大な人数がいることにある。
30万弱。
P2Pで割れを積極的に行っている屑の人数だ。P2Pソフトの利用ノード数がそれくらい確認されている。まっとうな用途にだけ使っている者もいないことはないだろうが、そんな奇特な人間の数は誤差の範囲に収まるだろうから無視していい。
これにP2Pを使わない半端な屑も加わるから、実数はさらに増えるわけだ。
この人数はまったくもって脅威だ。
実際力もある。
誰かがブログや掲示板で割れに反対するとする。実にまっとうな意見だ。彼は正しい。
だが、どこからともなくワレザーがやってきて、割れを擁護する。しかも一人二人ではない。きわめて大勢だ。積極的な奴は自作自演で頭数を水増しする。そうして自分たちに逆らった愚かな正義の味方を一斉に攻撃して黙らせる。めでたしめでたし。世はこともなし。
これを打ち合わせをするでもなく行えるのだ。おそるべきことだ。
言うまでもなく割れは悪だ。ワレザーは汚い犯罪者だ。当たり前だ。グレーですらなく真っ黒だ。屁理屈ならたっぷり持っているが、まともに通るものでもない。出るところに出ればあっさり豚箱に入れられる。
しかし数が多い。
いくら公権力でもそのすべてを豚箱にぶちこむことはできない。数は力だ。だからこそ無敵なのだ。ワレザー一人一人はみじめな屑だ。だが総体として見れば公権力にすら手を出しがたいほどの超巨大犯罪組織となる。構成員の数だけで言えば日本最大だろう。暴力団員ですら10万人もいない。
しかも構成員がいたるところにいる。学生にも生徒にも会社員にも公務員にも。警察官の中にもたぶんいるだろう。普段自覚はないが、そういった人間たちが、いざというときには己がワレザーであることを思い出し、自分たちに反抗を試みる正義の味方を屠る――匿名の場合に限るが。
「中には本気で自分たちがやっていることが犯罪じゃないと思ってる馬鹿もいるんだろうな」
そんな独り言を口にする。どうせ部屋にいるのは一人だ。いくらだってつぶやくことができる。もっとも、この前いつものくせで街中でやらかして変な目で見られたばかりではあった。
「割れで手に入れればタダだし」
ペドウィンは何度も他のワレザーがうそぶくのを聞いたことがある。
その度に、「なにを当たり前なことを言ってるんだろう、この馬鹿は」と内心で馬鹿にしたものだ。
盗めばタダだ。
そんなのは当たり前だ。割れに限らない。スーパーに行って豆腐をふところに仕舞い込み、そのまま外に出れば金を払わずに済むのと同じだ。
もちろん最後までタダで済むとは限らない。追いかけてきた店員から必死に走って逃げるイベントが発生するかもしれない。あるいは部屋に警察がお迎えにくるかもしれない。とはいえ、品物を手に入れたとき金を払わないことだけはたしかである。
ワンクリックでできる万引き。ソフトによればオートで可能な万引き。とても手軽にできる犯罪。それが割れだ。
実のところ、ワレザーが好んで用いる言い訳も、万引き犯の開き直り方と大差ない。「みんなやってるじゃないか」「盗まれるのが悪い」「盗めるものを盗んで何が悪い」。もっとも、「広告してやってるんだ」はワレザー独自かもしれない。ド○ンゴあたりが言い出したことに乗っただけかもしれないが、そこはワレザーが万引き犯より上回っている点と言えなくもない。より悪びれない屑という意味で。
もっとも万引き犯よりは捕まりにくいらしい。だから先述の寝言をほざく馬鹿が出るのだろう。犯罪は引き合わないということに気づけるのは捕まった後、というわけだ。そういうことは捕まる前に気づいたほうがいいのだが。
「でもマジな話」
ペドウィンは椅子に深くもたれかけ、みしみしと音を鳴らせながらひとりごちた。
「増えすぎなんだよな」
割れははびこりすぎている。そろそろ間引かれねばならないとワレザーのペドウィンですら考えるほどなのだ。ワレザーが何の役にも立たない寄生虫なのは昔からだが、それでも昔はメーカーの黒字をいくらか削る程度だった。最近は増殖しすぎてメーカーを倒産させるようになった――そこまでいかなくても開発費は削減されている。
おかげで最近はダウソするもののクオリティが下がる一方だ。音楽業界はすでに壊滅状態だと聞く。ほかのコンテンツ業界はまだもちこたえているようだが、たぶん時間の問題だろう。あまりにも迷惑な結果だ。
俺以外はちゃんと金を払いやがれ。まともなものが作れられなくなってるじゃないか。金を払わずにダウンロードするのは俺だけでいいんだ。
それがペドウィンの偽らざる本音だ。糞のような発想だが、屑の頭の中はこの程度だ。
だが、ワレザーを撲滅することは可能だろうか?
ノーだ。なにをしようともワレザーがいなくなることはありえない。古今、盗人を根絶できた国がないのと同じようにだ。
なら、規模を縮小させることは?
それなら可能だろう――と、ペドウィンは考える。
ペドウィンが考える手順はこうだ。
まずは違法性を喧伝する。
もちろん低能なサルであるワレザーがそんなことで改心すると思うほどペドウィンは楽天家ではない。言われるだけでわかるようなまともな人間は最初から割れになど手を出さないのだ。
取り締まりを強めるための下地を整えるということだ。
社会にはワレザー以外にも公権力嫌いがいる。いきなり一斉検挙を行うと思わぬ反発を受けるおそれがある。まずは厳しい対応を受けても仕方がないことなのだというコンセンサスを作っておかねばならない。じっくり時間をかけてだ。社会に対するメッセージは、根気よく何度も、時間をかけて、発信するに限る。いったん定着すればしめたものだ。それで足場が固まったことになる。
それから大規模な一斉検挙だ。状況が変わったことにも気づかずに我が物顔で跳ねまわる割れ豚を片っ端から豚箱に入れる。
もちろん今でも一斉検挙は行われているが、もっと規模を大きくする。
お前たちは黒だ。逮捕できるんだ。それを周知できるだけの逮捕者を揃えねばならない。見せしめにはさらし首が有効だが、それにはある程度まとまった数がいる。
だから実力で構成員のうちの何名かを処理する。
ヤクザと違ってワレザーは縦横のつながりがないに等しい。捕まった者に同情するどころか逆に馬鹿にするほどだ。出所者を出迎えるヤクザより非道だが、そういうものなのだ。協力し合って検挙に抵抗しようとはすまい。起訴される前のワレザーは鼻息を荒くするかもしれない。だが、起訴されたワレザーはケツの穴にガラス棒を突っ込まれるまでもなくシュンとするに違いない。
対象は重度活用者が望ましい。だが、軽度活用者を見逃す必要もない。とにかく処理できる者を片っ端から処理すればいいだろう。要は頭数が揃うことだ。ワレザーなど掃いて捨てるほどいるから、堂々と身元を晒している間抜けを捕まえるだけでも十分な数の首が集まるだろう。
ポイントはダウンロードの罰則付与だ。アップロードする屑よりもダウンロードする屑のほうがずっと多い。首の数を集めるならダウンロード者も含められたほうが絶対に良い。
ある程度数を用意できたなら、それを大いに喧伝する。割れは危険なんだとサルでもわかるようにだ。危ないことなんだと理解できれば、サルだってその行為をやめる。どうせ割れなど生活に必要ないことなのだから、その気になればいつでも辞められるのだ。要はその気にならないからやめないだけで。
あとはそれを繰り返すだけだ。
もちろん重度の屑はそれでもやめない。しょっ引かれても尚反省しないキチガイも世の中にはわずかながらいるのだ。だがそんなアレな人間はそこまで多くない。数は確実に減る。確実にだ。
そして被害を極小化することができるだけでも成功と言っていいのだから、撲滅できなくても意義は大いにあるはずだ。
「あるいは」
とも思う。告訴がペイするようになってもいい。そうすれば後は勝手にコンテンツ保有者が動くのではないか。つまるところ、今の割れの放置はあまりにもペイしないことが大きな問題となっている。これがペイできるようになれば相当違うはずだ。サラ金が過払い金返還訴訟の嵐で追い詰められたのと同じことが起こるかもしれない。
これもカギはダウンロードの罰則化だろう。今はアップロードした者しかしょっぴけない。これでは数が少ない。ダウンロードした者もしょっぴけるようになれば、対象は一気に増える。
たとえばツールやだうそ板などで割れ行為を見つけて、刑事告訴する。
警察が運の悪い割れ豚を数匹ひったててくる。そこへコンテンツ保有者がこういうわけだ。
「示談金を払うか前科者になるか、どちらかを選びたまえ」
何割かは金を払うだろう。払えなかった割れ豚は人生で支払わせればいい。つまりさらし首にして、ワレザーの末路を示すための広告ポスターにするわけだ。それはそれで意義のあることだ。次に捕まった割れ豚は積極的に示談金を払いたくなるに違いない。
チャイムが鳴った。
友人のないペドウィンの部屋には珍しいことだ。
妄想に耽るのをやめて、誰だろう、と外に出た。
そして顔を凍りつかせた。
玄関の前には、にこりともしないで写真付きの手帳を見せる警察官が二人立っていた。
ペドウィン、本名西村としあき(26)は逮捕された。罪状は著作権法違反だが、押収されたパソコンや通信記録などを精査されたあとは児ポ法違反も加わるだろう。
使っていたP2Pソフトの設定をしくじり、違法ファイルを次々と知らないうちにアップロードしていたことが、彼の命取りとなった。
馬鹿のやることなどこんなものである。
※ 著作権放棄作品