Act.2 Wind
俺は、この東京に出てきて初めてつき合った女と、一生分の約束をしようとしている。
独身生活もそろそろ佳境を迎えつつある今夜。
仕事帰りに同僚や先輩達に誘われた飲み会の帰り、六本木。
夜、11:00。・・・・・その、1時間後。
「なんでこんなことになったんだろうって顔、・・・してますね。」
・・・・・ラブホテル街の、あるホテルの一室。
「そんなことないよ。」
俺は顔を上げ、自分の座るソファの真向かいのベッドに腰かけている彼女に言った。
「うそ。」
そして彼女は、そんな俺に笑って返したんだ。
そう。すべての始まりは
「結婚したらそうそう簡単に浮気なんてできねーぞ。・・・そうだ。今夜、誰か適当な女でも抱いて、独身生活のしめくくりでもしたらどうだ?」
などという先輩の言葉から始まった。
「プロっていう手もあるが、・・・おまえ、彼女とか風俗嬢以外、あんまり女を知らねークチだろ?否定したってムダだ。顔に書いてある。」
「それなら、ここら界隈は格好の場所じゃね?お前くらいのヤツとなら一晩の情事くらいなんとも思わない女がゴロゴロいるだろうさ。」
俺は必死で否定した。そんなことやるつもりなんてさっぱりなかったし、それに、その誘いに簡単にのってくる女なんて、そう簡単にはいやしないだろうと思ったんだ。
けど。
「わかってますよ。あなたは私を抱く気なんてない。・・・でしょ?」
こういう事態になったのは・・・
「だからOKしたんです。あなたはあのおじさん達から逃げたかった。」
先輩に呼び止められた彼女のカオを見て、そんな気が薄れていったから・・・。
「そうなんでしょ?・・・違いますか?」
「・・・・・あ、・・・まぁ。」
俺だって、彼女がこんな誘いにのってくる女には見えなかった。・・・・・いや。なんて表現すればいいんだろう。彼女がそんな女に見えなかったのは、別に、彼女が純粋そうだとか、汚れてなさそうだとか、そんな類の意味からじゃない。むしろ、逆だ。
「事情はわからないけど、困ってたみたいなんで。大丈夫。もう逃げられますよ。」
彼女って、とてつもなく“オンナ”に見えるんだ。
「・・・・・あぁ・・・、ありがとう・・・。」
正直俺の人生って、先輩達が言ってたようなものだ。女の経験も少ないし、かといってそれぞれが濃い経験というわけでもない。平凡に恋して、平凡に失恋して、平凡にまた恋して・・・。
ジュンスイってヤツなんだろうか。実際、さっき先輩が言ってたような風俗にも、あまり行ったことがない。
・・・・・だから、なんだろうか。
きっとだからだろう。彼女を見た時、俺の中の誰かが、何かを囁いた・・・。
「じゃ、早く帰らないと。フィアンセの方、心配しますよ?」
ベッドから立ち上がってバックを肩にかけながら、彼女はそう言う。俺はその肩に目をやった。・・・・・反射的、だった。
「待って。」
“おまえの人生、これでいいのか?”と、もう一人の誰かは言ったんだ。
「・・・・・え?」
「・・・もう少し・・。・・・話でも、しようよ。」
“このまま平凡な結婚をして、平凡に人生を終わらせてもいいのか?”と。
彼女は俺を不思議そうに見つめる。俺はその彼女のその瞳に、確信のようなものを感じていた。・・・・・“彼女は俺を変えてくれる”と。
「・・・別に、いいですけど・・・・・。」
俺は、こんな自分を狂わせてみたかった。いつも安全牌ばかりを選んで、平凡な道を歩こうとしてしまう自分を。さっきだってそうだ。もし“彼女”が通りかからなければ、俺はきっといつものようにその場をやり過ごしていただろう。
どうしてだろう。俺にはその時から確信があった。
彼女なら、確実に俺をどこか他の世界に連れて行ってくれる。
・・・それは、一生一緒に居るという約束をした女と出会った時よりも、より、鮮明な確信だった。
とは言っても、彼女の“おんなのにおい”に、誘われて、俺はその彼女の瞳を直視することすらできないのが現実なんだけれど。
「あの・・・、失礼かもしれないけど。歳・・・、聞いてもいいかな。」
だけど、どうしたんだろう。どうして俺は、こんなにいつもと違う行動をしているんだろう。普段の俺なら、こんな風に初対面の女の人と二人でまともに会話なんてできないはずだ。おまけに、シチュエーションもシチュエーションだし。
「23です。・・・けど、あなたよりはこんなとこに慣れてるみたい。」
ずばり、言い当てられた。
「・・・そうだね・・、おれもう28だけど、あんまりこんな場所には慣れてない。」
23歳。俺よりも5歳も年下なんて。
「大人っぽいんだね・・・。そんなに若いとは思わなかった。」
言いながら彼女を見ると、偶然、視線が合ってしまった。合って・・・、そして、彼女は微笑む。
「・・・・・どうして私を“こんなとこ”に誘ったりしたんですか?」
そして、核心をついてくるのだ。
「だってそうでしょう?あなたは“こんなとこ”に慣れてないくらいの生活をしてきた。それに、一晩限りの女を抱くようには思えない。・・・そんな人に見えるのに・・・。」
少し、さみしそうで・・・・・。
俺だってわかんないよ。どうしてなのかなんて。・・・そんな困る質問、しないでくれ。
「私がもしその気だったら、どうしたんですか?」
なのに、余計困るような質問・・・。
俺は貝のように口を噤んだまま、じっと両手の指を組んで彼女の言葉を聞いていた。だって、ものすごく返答に困る。俺は、いったい何を考えて彼女とこんなところに来てしまったんだろう。先輩達が消えた時点で彼女と別れることはできたはずなのに。
「何も言わないんですね。」
すると、彼女は仕方なさそうにそう言った。
「ごめん。・・・なんか、自分でもよくわからなくて。」
素直にそう返すと
「・・・・・じゃぁ、私を抱く気、少しはあったんですね。」
と、彼女はその瞳で俺にそう言った。俺は何故か、ものすごい羞恥心を感じてしまった。・・・きっと、彼女の言葉が図星だったからだろう。
「・・・・・・・ごめん。」
「さっきから謝ってばっかり。」
「ごめん。・・・あ、ごめん。」
無意識に“ごめん”を連発してしまう俺に、彼女は初めて楽しそうに笑った。
その笑顔に、やっと歳相応のものを見出して、俺も思わず笑ってしまう。笑うとオンナが薄れて・・・、少女にさえ見えてしまう。
「君の言うとおりかもしれない。・・・俺、君みたいな女の人とこんなシチュエーションになったことないから・・・・・何か、知りたかったのかもしれない。」
だから、思わず素直にそう言った俺に、彼女は一瞬、また、さみしそうなカオをした。
「・・・私みたいに軽そうな女を、抱いてみたくなったんですね。」
「違うよ。・・・違う、君がそんな女に見えたからじゃない。」
俺は必死で否定しようとする。彼女があからさまに傷ついたような顔をして・・・、そして、すぐに平常心を保とうとしたからだ。自分をおしこめようと・・・。
「うまく言葉にできないけど・・・、でも、そんなんじゃない。」
“君みたいな女の人”それは、俺なりの褒め言葉だった。
うまくは表現できない。でも、そう言うしかなかった。
君は綺麗なんだ。俺が今まで見た女の人のなかで、一番、綺麗なんだ。カオとかカラダじゃなく・・・、キレイ、なんだ。
「・・・・・俺、自分に自信なくてさ。・・・だから・・、その、女性も自分のこと好きになってくれそうな人としか付き合ったことなくて・・・。君みたいに綺麗な人・・・、初めて会ったから・・・。」
見ると、彼女はおどろいたような顔をして俺を見ていた。
「いや。外見とかじゃなくて・・・、その、雰囲気が・・・・・、キレイ。って、俺なに言ってんだろう。ごめん。気にしなくていいから。」
まじ、俺はなに言ってんだろう。こんなに恥ずかしいこと、今の彼女にだって言ったことない。けど、彼女が俺にそんな話をさせるんだ。
「・・・・・だから、君と一緒の時間を、過ごしてみたくなったんだろうと思う。」
上目使いで恐る恐る彼女を見上げてみると、彼女はさっきの表情を解き、今度は新しい表情で俺から視線をはずしていた。
・・・・・困惑した、表情。
「私なんて・・・、キレイな人間なんかじゃないですよ。」
そのカオのまま、彼女はそう言った。・・・・・傷ついたような、そんな表情だった。
「気に障ったならごめん。・・・でも、さっき道で会った時・・・、君から、なんかキレイな匂いを感じたんだ。うまく言葉にできないんだけど、君からは“おんな”の匂いがする。・・・・・こんな俺でも、君は、変えてくれそうな気がした・・・。」
彼女は俺を見つめる。その瞳で。
俺は、その瞳をちゃんと見つめ返した。
「・・・それはきっと・・・、さっき、他の男の人に抱かれてきたからですよ。」
そして、彼女はそんな言葉を俺に投げかける。
「・・・・・え?」
「私はキレイなんかじゃない。でも女は、男の人に抱かれて、・・・おんなになる。」
そして、さみしそうに目を伏せて・・・・・。
「“そういう”関係をもう半年以上も続けてる女が、キレイなはずないでしょう・・・?」
俺はその表情を見て、より、彼女から“おんな”を感じてしまった。・・・こんなにさみしそうな顔をしてるのに・・・・・。
「・・・だから、君はそんなに綺麗なんだ・・・・・・・。」
俺は思わずそう言っていた。その哀しげなカオを見て、彼女が発する空気を感じて。
「・・・・・その人のことが、好き、なんでしょ?」
俺のその言葉に、彼女は俺を見つめる。俺を・・・、唖然とした表情で、見つめる。
「だから君はそんなに綺麗なんだね。」
彼女はまた、俺から視線をはずした。はずして、唇を噛みしめる。
「・・・・・“好き”という感情が、人をキレイにするとは思えない。」
なにか哀しいものを抱えているから・・・、彼女はもっと綺麗に見えるのかもしれない。
「身体だけあればいい。・・・あなたもそうでしょう?身体さえ手に入れば・・・、女なんてそれ以上の価値はない。」
「まさか。」
「じゃあ、どうしてあなたは婚約者がいるのに私とこんなとこに来たの?その人を愛してるのなら、簡単にこんなとこには来れないでしょ?」
「・・・・・・・。」
「“あい”なんて信じない。・・・“好き”なんて言葉、軽々しく使わないで。」
強い、瞳だった。男の俺のほうが負けてしまいそうなくらい、強い瞳。俺は何も言えずに、ただ、その瞳に心を射ぬかれているしかなかった。
彼女の言うことは・・・、多分、当っている。きっと、そうなんだ。俺は“あい”を知らない。結婚を決めたのだって、もうそろそろ30だってことと、今の彼女以外の女の人から愛される自信がなかったからだ。・・・・・それは多分、“あい”じゃない。
「・・・・・だったら、どうして君はその人と“そういう”関係を続けてるの?」
そこに身体以上のなにかがないと、彼女はこんなにも綺麗でいられるはずがない。・・・彼女は、俺の言葉にその瞳から力を抜いた。
「君はキレイだよ。なにかに哀しみを抱いていて・・・、誰かを“すき”だから・・・。」
それだけは、譲れない。・・・でないと、俺が抱きたいと思ったはずがない。
彼女は黙りこんだ。だから俺も黙って・・・、俺たちの間に、静かな時間だけが過ぎていった。ただ、ベッドのけばけばしい色使いだけが時を埋めて・・・・・。
「なんで俺たち、こんな話してるんだろね。」
長い時間の後、俺はついにその色に耐えられなくなって、努めて明るくそう言った。
「もっと楽しい話しようか。・・・たとえば・・、仕事の話とか。」
だって、彼女との時間は今夜一晩しかないんだから。
俺は彼女を見る。俺が初めて彼女を見た時の思いを確かめるため、彼女を見る。
「あなたはやさしいんですね。」
すると、彼女はやわらかい声でそう言った。・・・初めて聞く、彼女のその声。
「・・・弱いから、優しくなることでしか自分を守れないんだよ。」
俺のその言葉に、彼女はさみしそうに笑った。
その時、俺は思ったんだ。
俺の結婚は、多分、これでいいんだろう・・・と。
彼女がこんなふうに生きているように、俺もそんなふうに生きていくしかない。“あい”を抱いていてもそれを隠す彼女と、“あい”なんて知らないのにそれを証明しようとする俺。俺たちは反対だけど、多分同じ。それを知らないもの同士、同じ・・・なんだ。
そして、そんな彼女のキレイな瞳を見て、俺は“あい”が何かを見たような気がした。人をあいするってどんなことなのか、あいが人をどんなふうにするのか。そう。カラダだけだと偽っても、それが“あい”だから彼女はこんなにも綺麗なんだって・・・・・。
俺が一生一緒にいると誓った女は、彼女のように綺麗だろうか。俺はあのひとを綺麗にできているだろうか。・・・・・わからないけど、いつか俺は“あい”を見つけることができるだろう。やっとそれがどんなものかわかったから。・・・・・彼女の哀しみが、それに形を与えてくれたから。誰もが胸に抱いているはずの、目には見えない、気付かないあの感情に・・・・・。
「・・・・・弱いから、ひとをあいしてしまうんだろうね。」
だから俺は、彼女に魅かれたんだろう。彼女が、俺に“あい”を教えてくれるから。
ふと、彼女と俺の間に風が吹いたような気がした。
・・・・・やさしい、夜の風。
彼女の哀しい瞳の中に吹くその風は・・・、やわらかく、俺の心を動かした。
3部作の2話目です。
宜しかったら、1&3話目も読んでいただけると嬉しいです♪




