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ヴァレンタイン・ギフト  作者: まきの・えり


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1/7

今夜は一人かい?   Are You Lonesome Tonight?


 「昨日は、会社の人らと酒三合ほど飲んでから、ビール2本飲んで、皆の後を追い掛けるはずやったんやけど、皆、車でどこかに消えてしもて、どこ行ったんやろ思って、バイク飛ばしてたら、おまわりに追い掛けられて、しゃーないなあと観念したら、『酒、飲んでるやろ。』て言うから、『いいえ、飲んでませんよ。オレ、そういうたらアサリの酒蒸し食べたわ。オレ、アルコール弱いから、あれで酔うたんかもしれへん。』て言うてんやんか。そしたら、『ちょっとこの袋、吹いてみ。』て言うから、しゃーないわ。袋吹いたら、あれ面白いな、ちゃんとわかるみたいやな。『ビール2本ぐらい飲んだやろ。』てい

うから、『はい、飲みました。』て言うたら、何でか釈放してもろた。ほんまは酒も飲んでんけどな。」

「あかんわ、ケンちゃん。また、何も食べてへんで、仕事行ってお酒飲んできたんでしょう。」と私は言った。

「そんなん、食べる暇なんかあるかい。警察から帰ってきたのが夜中の4時前やで。家に着いたら、もう5時や。朝は、9時から仕事入ってる。暑いから、またクーラーの取りつけや。ちょっとでも寝とこと思ったけど、そんな時に限って寝られへん。仕事道具揃えて、会社行って車にクーラー積んで、着いたら9時半や。遅刻やがな。」

「もう、遅刻してもいいから、朝、ちゃんと食べていかなアカンわ。」

「そやから、ちゃんと夕方に来て食うとるやろが。」

「もっとちゃんと、一日に三回くらい来て食べなアカンわ。」

「アホか。そんなことしとったら、いつ仕事するねん。おばちゃーん、おばちゃーん、ええ娘持ったなあ。」とケンちゃんは、奥にいる私の母に向かって叫ぶ。

「何やのん、大きな声で。な、早、嫁にでももらったってくれへんか。もう毎日毎日、ケンちゃんが、ケンちゃんが言うて、うるそうてカナンわ。」

「お母ちゃん、何言うの!」

 自分でも顔が真っ赤になるのがわかる。けど、いつか言いたい、と思うてたから、まあいいか、とも思う。

「そやかて、そうやないか。毎日毎日、ああケンちゃん、また朝食べてへんわ。また夜も食べんとお酒飲んでるわ。お昼ちゃんと食べたやろか、て毎度毎度聞かされる身にもなって欲しいわ。」

「おばちゃん呼んだん、間違いやったわ。ご馳走さん。」とケンちゃんは言う。何を考えているのか、私にはわからない。

「ケンちゃん、悪い話と違うで。うちの看板娘と結婚したら、三度のごはん付きやで。」

「おお、ええ話や。考えとくわ。」

「いつも、それやからな。誰か好きな人でもいてるんか?」とお母ちゃんの追求は厳しい。

「そんなもん、おるかい。忙しいて、そんなもん作ってる暇ないわ。こう見えても、高校中退して、16の時から、腕一本で食べてんねんからな。」

「へえ、16いうたら、えらい若い時から働いてんねんな。」

「そや。大したもんやろう。」

 ケンちゃんは、話し過ぎたな、とかブツブツ口の中で呟きながら、テーブルの上にお金を置いて、店から出て行った。

「もうお母ちゃんいうたら、恥ずかしい。そんなこと言うたら、ケンちゃんが困るやないの。」

「あんたがウジウジして、本人のいてる前で、色目使うなり何なりせえへんから、もう、私見てて、イライライライラして血圧が上がるわ。」

「いやらしいわ、色目やなんて。」

「何がいやらしいねんな。直接行動にでも出んと、今日ビの若い子に伝わるかいさ。」

「けど、こんな話して、もう来てくれへんかったら、どないしよう。」

「けどなあ、高校ぐらい卒業しとかんとなあ。前、この仕事5年やってるて言うてたな。そしたら、ええと・・・まだ21かそこらやで。」

「21やて。私、ショックやわ。ケンちゃん若見えるけど、せめて5か6か思ってたわ。」

「そら、3才や4才違いぐらいかまへんけど、高校ぐらいなあ。」

「私、高校は行ってたけど、大学行く人の予備校みたいなもんで、何習うたなんか覚えてへんし、別に中退でもかまへんやんか。」

「そやなあ。大卒や何や言うてたかて、会社潰れたら終いやし、今何たらかんたら文句ばっかりいうて仕事コロコロ変える人もようけいてることやし、腕に職があるいうん、ええかもしれへんな。」

「な、そやろ? そう思うやろ?」

「けど、肝心のケンちゃん、全然煮えきらへんなあ。」

「うん・・・」

「そう急に、肩落とさんでもええがな。」

「やっぱり、遊びたい盛りなんか、または、私みたいな年上、イヤなんかなあ。」

「そやな。21いうたら、まだ結婚やの何やの考える年と違うわな。」

「うん。けど、待ってたら、私、行き後れになるわ。」

「そやなあ。タケさんとか安井さんぐらいとやったら、すぐまとまるやろけど。タケさんは、生活力あるし、安井さんは一応大学出て、給料安いけど、堅い会社に勤めてはるし。あんたが、その気やったら、声かけてみるけど。向こうは、その気充分やからな。」

「私、イヤやわ。タケさん、もうハゲかけてるし、安井さん、何か骸骨みたいにやせてるもん。」

「はいはい。ま、そら、ケンちゃんに比べたら、皆、多少劣るわな。けどな、前、どっかのお兄さんが言うてはったけど、『ハンサムは三日で飽きるけど、ブスは三日で慣れる』いうことらしいで。」

「そう言うた人、ハンサムやったんかいさ。」

「うーん。難しいとこやな。そういうたら、『金が全てやない言うてる人皆貧乏』とかいう川柳、どっかで聞いたことある。お金ある人が、そんなこと言うたん、聞いたことないな、そういうたら。」

「字数が合うてへんやないの。」

「ええがな。そんなキッチリした記憶力違うても。生き死にに関係ないことなんか、皆、しょうもないことや。」

「もう、お母ちゃんにかかったら、皆これやもんな。」

「オーイ、ええ加減にせんかい。さっきから、お客待たしたままやろ。」と奥から父の声が聞こえてきた。

「あ、ほんま。えらいことや。」

 いつの間に現れたのか、客の一人が座って、ニコニコしている。

「かまへん、かまへん。おばさんとユウちゃんの話聞いてるん、ほんまオモロイわ。」

「いややわ。聞いてはったん? ほんま、えらいすみません。待たしてしもて。」

「ユウちゃんぐらい、ベッピンさんやったら、何ぼでも男いてるやろ。」

「いややわあ。」と私の代わりに、母がドンと客の背中を叩く。

 何の仕事かわからないけれど、ケンちゃん同様、いつも夕方の早い時間に来てくれる馴染みの客だった。

「こんなん、ベッピンさんやなんか言うてたら、私の若い時なんか、ほんま、掃溜めに鶴、いうとこやったわ。」

「掃溜めやったら、鶴でも蝶々でもしゃーないがな。ユウちゃんやったら、どこ行っても、美人で通るで。」

「お客さん、名前知らんけど、今日は何でも食べて。店の奢りや。」

「いや。金は払うわ。そんなんで奢ってもろたら、今度来られへんし、思ったことも言われへんようになってしまうし。」

「へえ。キッチリしたはるなあ。独身ですか? いつも食べに来てはるけど。」

「まあな、独身いうたら独身や。」

「へえ。ほな、いつもの日変わり定食ね。飲み物は?」

「ビール、いや、今日は酒にしよか。」

 母は、この得体の知れない客に、以前から好奇心を持っているみたいだったが、私は気味が悪いと思っていた。何を考えているのかわからない。

 ケンちゃんの考えていることは、わからないけれど、もっともっと知りたいと思う。けれど、こういうお客の考えていることは、知るのが怖いような気がする。

「女なんかな、ま、そう言うたら男もそやけど、誰かて同じやわ。最近、健康診断で脳の断層写真撮ってもろてんけど、おお、立派な頭蓋骨やて思うたわ。他にも頭蓋骨の写真が何枚もあったけど、人間一皮むいてしもたら、全部どれがどれかわからん頭蓋骨やねんなあ、と悟ったような気になったわ。」

「へえ、脳の写真ねえ。CDとかいうやつやねえ。」と母が相槌を打った。

「お母ちゃん、CDいうたら音楽やんか。CT言うんやろ。」と私は小声で言った。

「どっちでもかまへんやんか。」

「そうや。人間のことばいうもんは、人間が作ったもんなんやから、どう変えてもかまわへん。あんまり変えすぎて意味が通じへんようになったら困るけど、意味が通じてたら、CD言うても、CT言うても同じことや。気持ちが通じてたら、好きや言うても嫌いや言うても同じことやいうんと一緒やな。」

 ハハハハ、とその変な客は、余り面白くもなさそうに笑った。

「いや、お客さん、何て呼んだらええんかな。私と考え一緒ですわ。」と母の方は大きな口を開けて、本気になって笑った。こういう時、私は母に負けた、と思う。

「大木言いますねん。大きな木と書いて、大木ね。」

「仕事は、会社員とは違うわね。」といつまでたっても好奇心だけは人一倍の母。

「ああ、フィットネス・クラブのもんです。来はるんやったら、割引さしてもらいますわ。」

「何ですのん、そのヒット何とかクラブいうんは。キャバレーみたいなもんですか?」

「もう、お母ちゃん。」と私は口の中でブツブツと言った。

「スポーツ・クラブみたいなもんです。サウナもあるし、痩せたい女の人やら、体力つけたい男の人なんかが来るんですわ。」

「へええ。また一つ、賢うなった。」

 店が急に立て込んできて、大木という男性と母の話は立ち消えになった。 立ち仕事のせいか、私は自分の脚の太いことを気に病んでいた。そのフィットネス・クラブに行けば、太い脚が細くなったりするのだろうか。しかし、私は、その質問をすることはないだろう、と思った。母はどう思ったか知らないが、大木という人の目は、レントゲンのように、人の心を見透かしてしまうように思えた。そして、客商売をしていれば、大抵の人間の職種や性格、または懐具合までも、透けて見えてしまうものだったが、大木という男は、そ

のどれもが不透明で、謎めいて見えた。一つだけわかったことは、彼は穏やかで腰が低く、喜怒哀楽を表面には表さなかったが、その奥に巨大なエネルギーが隠れている休火山のように、私には不気味な存在に思えた。

 

 大木という得体の知れない客や、母の気に入りのタケさんと安井さんは、毎日、店に顔を出していた。それなのに、ケンちゃんは、あれから顔を見せない。

 どないしたんやろ。また、警察に捕まったのか、また、どこかで飲んだくれているのか、または・・・どこかの女と仲良くしているのではないか。それとも・・・もういい。そんなことはもういいから、ケンちゃんがキチンとごはんを食べていたらいい。できたら、三度三度、それが無理なら、せめて一日に一回でも、ちゃんと栄養のあるものを食べていたらいい。

 自分の気持ちは、かなり複雑だと思う。何でかわからないけれど、多分、ケンちゃんのことが好きなんだ。けど、本当に、ちゃんと余所で栄養を取っているなら、それでいいとも思う。でも、ケンちゃんには、どこか人生なげやりのところがあって、私はそれが、すごく気になる。そんなことではいけない、と思っている。人生を投げるのは、もっと歳をとってからでいい。ケンちゃんみたいな私よりも・・・4つも若い人が、人生を投げるのは間違っている。そんなことは、よくないことだし、本当に間違っていると思う。

「いやあ、参った。」

 そう言って、ケンちゃんが元気な顔で店に来た日、私は、嬉しくて大声で泣いてしまいそうだった。

「何してたん、ずっとごはんも食べんと!」とつい大きな声で怒鳴ってしまったりする。

「いやあ、エライ食堂や。メシ食うてないと、怒鳴られる。」とケンちゃんは、屈託なく笑う。

 私が、この私が、どれだけ心配したかなんて、一度も考えてない顔で。

「この夏、どれだけ忙しいか、わかってるか。何でもいいから食わしてくれ。」

「ケンちゃんに食べさすもんなんか、何もないわ。」とつい憎まれ口をきいてしまう。

「ほお、エライ食堂やな。客を腹減ったままで追い返す気か。」

「追い返してやるわ、と言いたいとこやけど、何食べる?」

「何でもええわ。もう夏バテで、全然食欲あらへん。ビールやら酒みたいな流動食しか喉通らへん。」

「冷奴やったら食べられる?」

「オレ、豆腐嫌いや。まずビールくれ。」

「まず食べなアカン。雑炊作ってあげよか。」

「アホか。雑炊でビールが飲めるか。やあやあ言うてんと、ビール飲ませや。」

「アカン。食べてから。」

 ケンちゃんは、ガタンと椅子を蹴った。私は、目に涙が滲みそうになった。

「さっさとビール持って来いへんかったら、よそに行くぞ。」

「ここは、食堂やわ。ビールしか飲まへんのやったら、よそで飲んで。」

 ケンちゃんは私を睨んでいた。私も、ケンちゃんを睨んだ。もう、ケンちゃんは二度とこの店には来ない、と思いながら、私は精一杯、この世での見おさめだとでもいうように、ケンちゃんを睨んだ。ケンちゃんの方が、先に目を逸らした。意外だった。

「わかった、わかった。」とケンちゃんは、椅子に座り直した。

「雑炊でも豆腐でも、持って来い。酒飲みはなあ、何アテにしたかて飲めるんじゃ。」

「うん。」

 私は、ケンちゃんに気付かれないように、エプロンで涙を拭きながら、奥に入った。

「ど、どないしたんや、由子。」と父が声をかけた。

「冷やっこと雑炊。コレ、目、目にゴミはいった。アハハ。」

「お父ちゃん、お父ちゃん。」と母が父を呼んで、小声でささやいている。

「何! あのガキ、ただではおかへんで。うちの大事な娘、泣かしやがって。」

「何の話してるの。」

「何のて・・・」と母は口ごもりかけたが、胸の中にことばのしまい場所のない母は、話してしまわなければ気がすまなかった。

「ケンちゃんに打ち明けて、振られたんやろ。」

「違うて。ケンちゃんが、私の言うた通り、食べてくれるのが嬉しかったん。」

「何や、アホらしい。」

「心配さしなや。」

「ヘヘヘ。何か今流動食しか喉通らへんねんて。お父ちゃん、腕ふるってな。」

「よし、見とれ。うちの婿になりたいて言わしたる。」

 私がビールと冷やっこを運んで行くと、大木という客が来ていて、ケンちゃんと話しているところだった。

 私は、ようやくできた二人きりの時間を邪魔されたような気分になった。

「いらっしゃいませ、いつもの定食ですか。お飲み物は?」とつい、話し方もツッケンドンになる。

「ビールを先に。今日は生で。」

「はい。日替わり一丁、生大一丁!」と私は、奥に向かって叫んだ。

「ケンちゃん、ビールは後やからね。」と私はケンちゃんに言った。

「やかましいなあ。オレは客や。今、客と客が話してるとこや。話しかけるな。」

「フン。」

 何よ! 何よ、何よ! 私が、どれだけ心配して・・・どれだけ毎日心配してると思てんのよ!

 それが、今話してるとこやから、話しかけるな、やて!

 ケンちゃんのアホ! 大木のおっさんのアホ! 大木のおっさんなんか、馬に蹴られて死んでしまえ!

「お待たせしました!」と私は、大木さんの前に、ドンと大ジョッキを置き、ドスンと定食のプレートを置いた。はずみで味噌汁が少しこぼれたけど、いい気味やわ。

「・・・それで、まあ、こんなことになったんやけど、今でも、後悔してるわ。けどな・・・」という大木さんの声が、途切れ途切れに聞こえてくる。

 ケンちゃんのあんな真剣な顔は見たことがなかったので、私は、かなり動揺した。

 あんなおっさんの話のどこがいいんやろ。もしかすると、あのおっさんは、バラ族いうヤツで・・・考えただけでゲエとなるけど・・・ケンちゃんをその道に引きずり込もうとしているのでは・・・または、悪い遊びを教えようとしている・・・

 そうや! と突然思う。

 フィットネス・クラブに勧誘してるんや。

 そうや、そうや、そうに決まってる。と勝手に、そう決めてしまった。

「ケンちゃん、これ野菜の煮物。」とお母ちゃん登場。

「おばちゃん、オレ、野菜嫌いやねん。」

「何やの! 好き嫌いばっかりして! ちょっとだけやから食べ!」

「おお。怖。食べたらええんやろ、食べたら。オレ、今、ユウちゃんの将来見えた気がしたわ。うん。うまい。うまいけど、何か喉通らへん。」

 ケンちゃんの顔色が一瞬変わり、「あ、いかん。」と大木さんが言った。

「おばさん、洗面所。」

「あ、あそこにあるけど。」

 大木さんは、軽々とケンちゃんを抱きかかえると、洗面所にまで連れて行った。

「ケンちゃん、ケンちゃん。」と私は泣くばかりだった。

 そやから、普段からキチンとごはん食べ、て言うてるのに。

「こら、アカンわ。骨と皮だけや。」と大木さんが言った。

「どこかで休ませてやった方がいいわ。このままやったら、倒れよる。」

「私の部屋、開けます。」と私は叫ぶと同時に部屋に飛び込んで、布団を敷いた。

 何となく大木という男に、私の部屋に入られるのは、気がすすまなかったけれど、いくら痩せているとはいえ、大の大人のケンちゃんを軽々と運ぶのは、私には無理だった。

「アホ、放せ。」とケンちゃんは、私の布団に寝かせられようとして、叫ぶ。「人を病人扱いにすな。」

「それやったら、一人で立って、歩いてみい。」と大木さんは、変にドスのきいた声で言った。

 この人、怖い、と私は大木さんのことを思った。

 ケンちゃんは、身体の力が抜けてしまったみたいに、大木さんの一喝で身動きがとれなくなったようだった。

「しばらく、ここで休ませてもらえ。自分ぐらい腕がよかったら、少々休んだかてクビになんかなるかい。それでも、仕事クビになったら、ウチで雇う。」

「オレの仕事を勝手に決めんといてくれ。」

「明日、うちのモン迎えに寄越すから、車で病院まで行って診てもらえ。膵臓か肝臓やられてるかもしれへんぞ。偉そうなこと言うてても、若い身空でイチコロや。酒も仕事もホドホドにしとけ。」

「そやかて、オレが行かへんかったら、夏越されへん家がようけ出てきて、会社にも迷惑かける。」

「アホか。クーラーが無いぐらいで、人間死ぬか。そやけどな、自分みたいな生活してたら、近いうちに確実に死ぬで。」

 ケンちゃんは、グッと黙った。

「明日、車寄越すから、食べやすいもん作ってもろて、休んどけ。わかったな。」

「うん。」

 客が集まり始める時間だった。

「ええから、ええから。」と母は言った。

「ケンちゃんのそば、ついててやり。由子、これは、ほんまに天から降ってわいたみたいなチャンスやで。」

「もう、お母ちゃん、人が病気で苦しんでる時に、アホなこと言わんとって。」

 そう言いながら、ケンちゃんが私の部屋にいる、と思うと、嬉しいのか悲しいのか、胸がドキドキして、フツーに息ができないような感じがする。

「お。とうとうユウちゃんが、婿とったか。残念やなあ。この店も終いや。」という大きな声が店の奥から聞こえて来る。それから、ドッと笑い声。

「オレ、帰るわ。」とケンちゃんが言った。

「アカン。」と私は言う。

「こんなとこで寝てられるか。」

「お願いやから寝てて。私が邪魔やったら、よそに行ってる。お母ちゃんやお客さんの言うことなんか、気にせんでいい。自分の身体のことだけ考えて。お願いやから、大木さんの言うこと聞いて。」

「そやけど。」とケンちゃんは口ごもった。

「オレが、こんなとこおったら、ユウちゃん、変な噂たてられて・・・」

「慣れてる、慣れてる。小さい時から、男の人には慣れてるし、変な噂にも慣れ切ってる。ケンちゃんが思ってるほど、私、純情やないもん。今までに寝た男の数かて、一人や二人と違う。両方の指で数えきれへんほどや。今思い出せるだけで、6人いる。」

 私は、指折り数えるふりをしながら、精一杯、口から出てくる限りの嘘をついた。

「そうか。見掛けによらへんもんやな。大木さんの目も、当てにならへんな。」

「大木さんの目て?」

「いや。何でもない。大木さんはなあ、若い時、好きな人がおって、一緒になろうかどうしようかて、随分悩んだらしい。あの人、元プロボクサーや。どこかで見た顔や、思うたわ。相手の女の家が堅い家で、門限は5時いう家やったて言うてた。二人で結婚の約束までしたんやけど、相手の両親に反対されて、それで、よし世界チャンピオンになって迎えに行ったろ、て考えたんやて。それで、自分の方から連絡せんようになって・・・」

「ケンちゃん?」

「・・・ある日、その女が死んだ、ていう知らせを受け取ったんやて。狐につままれたみたいやった、て言うてた。事故かなんかで死んだらしいけど、その時、自分のいてる世界が、急にガラガラ崩れるみたいに思えて、ボクサーもやめてもうた。それからのことは聞いてへんけど、今でも、その女のこと、『わしの嫁はんが』『わしの嫁はんが』て話してるのを聞いてたら、オレ、何か悲しいなって・・・」

「ケンちゃん・・・」

「ハハ。オレ、アホみたいやな。人に泣くとこ見られたん、生まれて初めてや。オレかって、オレかってな、高校の時、好きな女がいて、将来結婚しよか、なんてアホなこと言うてたけど、オレが高校中退したら、とたんに冷たくなってしもた。電話にも出よらへん。訪ねて行っても、追い返される。家族ぐるみで無視されたみたいなもんや。けど、本人だけは違うやろ、思て、恥をしのんで学校の前で待ってたら、『あんた、誰やの?』という顔された。それどころか、何かオレが危害を加える動物か何かみたいに、友達の後ろに隠

れてしまいよった。」

「何やの、その女! 高校や大学が好きやったら、高校や大学と結婚したらいいんやんか! ケンちゃんのいいとこなんか全然知らんくせに、何やの、その女!」

「昔のことやて。ユウちゃんは、すぐ感情的になるな。」

「そやかって、そんな話聞いたら黙ってられへんやないの。そばにおったら、張り倒したる。」

「おお、怖。」

「私やったら・・・」

「え?」

「私やったら、親捨ててでも、学校やめてでも、ついていく。好きな人の後やったら。」

「そんなん、今時、古いねんで。」

「古くてもええもん。」

「そんなんもなあ・・・男にとったら、ちょっと重荷やと思うで。」

 私は、ウッとことばに詰まった。

 重荷・・・男にとったら、重荷。私は、重荷・・・

「あ、何か食べるもん、持ってくるわ。」

 追いかけてくる『重荷』『重荷』の大合唱から逃れるために、私は部屋から逃げようとしていた。

「オレ・・・何も食べられへん。ビールなら飲めるやろけど。」

「ビールは、アカン。」

「オレ、もうアル中や。アルコール切れたら、身体、震えてくるねん。」

「・・・ちょっと待ってて。」

 私は、自分の部屋のドアを閉めた。この部屋から逃げようとしたら、お父ちゃんのいる台所か、お母ちゃんのいる店を通らないと出られへん。そやから、大丈夫。

 大木さん、大木さん、と私は店中捜した。

「ユウちゃん、初夜の感想はどうや。」と酔っぱらった客がからむ。

「うるさいわね、それどころやないでしょ!」と私は怒鳴った。

「おお、怖。」

「ここらへんでフィットネス・クラブいうたら、どこ?」

「フィットネス・クラブて何やねん。ああ、あの変なおっさんが経営しとる店か。」

「そうそう。」

「駅の向こうとちゃうか。」

「へえ、あのおっさん、あんなでかい店やってんのか。」

 駅の向こう、駅の向こう・・・

「あのう・・・」と見慣れぬ客が声をかけた。

「大木に用でしたら、ボクが連絡しますけど。ここで、閉店まで飲んどけて言われてるもんやから。」

「ちょっと来て。」と私は、その若い男を店の外に連れ出した。というより、引きずり出した。

「膵臓やら肝臓やらが悪いアル中に、ビール飲ませていいかどうか聞いてきて。」

「あ。かまいません。」と若い男は、アッサリ言った。

「社長、ちょっと脅かしといたから、て言うてました。あれ、腹減ってるんやから、何か食べさすように言うといて、とのことです。」

 私は、急に、ムカムカムカッと腹が立った。

「あのね! あんた、そんな大事なことを、何でもっと早く伝えへんの!」

「そ、そんな、ボクの首締めたかて知りません。もし、そういうことを聞かれたら、そう答ええて言われただけですから。」

「そ、そしたら、今、病院に連れて行かへんでも大丈夫やねんね!」

「そう思います。近いうちに一度検査してもうといた方がええやろ、て言うてはっただけです。けど、本人には言わん方がええ、とも言うてはったから。」

「何で!」

「そんな、ボクに怒ったかて・・・本人の一生がかかってるかもしれへんから、とか何とかブツブツ言うてはったけど。」

「ほ、本人の一生がかかってる?」

「はあ、何かそんなことを、ブツブツと。ボクかて、社長が何考えてるかなんか、全然わかりませんよ。」

「そう・・・ありがとう。」

 突然、私の耳に、『重荷』ということばが鳴り響いた。ほんま。ファンファーレみたいに。

 店に入った私と若い男に、「いよ、間男!」とか、「ユウちゃん、新婚早々に、やるなあ。」という声が飛んだ。

「やかましい!」と怒鳴ると、辺りはシーンとした。

「いや、おばちゃんソックリやで、ユウちゃん。」

 台所に入ると、「何してんねん、病人ほっといて。」とお父ちゃんに叱られた。そんなこと言うたって、心配なもんは心配やんか。

「ほら、雑炊。カニ入れといたで。」

「ケンちゃん、カニ、嫌いや。」

「ほんまに、何でもかんでも嫌いなもんの多い男やな。カニだけ残せ、言うとけ。」

「はい。」

「うまいことやるんやで、由子。」とお父ちゃんが、お尻を触る。

「もう!」

 誰も彼も!

 部屋に入ると、ケンちゃんが、子供みたいな顔をして眠っていた。

 『重荷』ということばが、また耳に蘇るけど、かまへん、かまへん。私は、重荷なんかにならへんて決めた。

 今だけで、もう充分幸せ。ケンちゃんと一杯話ができたし、ケンちゃんの寝顔も見れた。

ケンちゃんが、そんなヒドイ病気やないてわかったし、ビールかて、ほんの一杯だけやったら飲ませてあげてもいい。


 ケンちゃんが初めて店に来た時、ほんまにおなかをすかせた子供みたいに見えた。

 ビールもようけ飲んだけど、おかずもようけ食べた。あんな細い身体して、どこに入っていくんやろうか、て不思議やった。それから毎日やってきて、毎日ようけ飲んで、ようけ食べた。

 店の暇な時間やったから、よく仕事の話、聞かせてくれた。

「この間、ファン・ヒーターが動かへん言うんで行ったんやんか。そしたら、買うてから一回もフィルター掃除しとらへんねん。掃除機貸してもうて、ゴミ取ったら、ちゃんと動くねんで。『いやあ、奇跡みたい。』て奥さん言うてたけど、ゴミたまってるんぐらい、気、つけよな、て言いたかったわ。」

「アハハハ。そんなんやったら、私かて修理できるわ。」

「アホか。もっと専門的知識がないとアカンもんの方が多いんやぞ。」

 そうやな。ケンちゃん、ずっと働いてるんやもんな。お父さんとかお母さんとか兄弟の話、聞いたことないけど、言いたくないことは聞かん方がいいよね。

 雑炊が冷めていく。時間が経ってるんや。

 店の方からは話し声が途絶えて、台所でガチャガチャいう音がしている。その音も止んで、もう真夜中や。ケンちゃんは、まだ寝てる。

 おなかすいたまま寝てても、いいもんやろか。

 ほんま。可愛い顔してる。もし、ほっぺたにでもキスしたら、目さましてしまうやろか。

 いややわ。私、何、考えてるんやろ。

 私は、ずっとお母ちゃんやお父ちゃんや、お客さん達とガチャガチャワイワイ言うて過ごしてきたけれど、一人で暮らすのて、どんな気持ちなんやろか。

 淋しい時は、どないしてるんやろか。病気になったら、どうするんやろか。

 今でも、その別れた彼女のこと、思ってるんやろか。いつもいつも、私がケンちゃんのこと、夢に見るみたいに、夢に見てるんやろか。

「ユウちゃん、ユウちゃん。」

「え?」

 ああ、夢か。夢見てるんや。ケンちゃん、今、私の夢見てるんや。もう、これ以上の幸せなことない。これ以上のこと望んだら、ほんまにバチ当たる。

 けど、別れた彼女の名前も、ユウコいうんかもしれへんな。どんな字書くんか知らんけど。

「ユウちゃん、腹減った。」

 いや。嬉しい。これ、ほんまに私の夢や。

「ユウちゃん、腹減った。」

 え? あ、これは、夢と違う。ケンちゃん、目開けてる。

「あ、おなかすいた? それやったら、雑炊温めてくる。」

「今、何時や?」

「今? ええと、もう2時回ってるわ。」

「オレ、寝てたんか?」

「そうや。」

 ユウちゃん、ユウちゃん、言いながら寝てた。

「ああ。」とケンちゃんは言った。

「こんなにゆっくり寝たん、初めてや。」

「あ、そう。それは良かったね。」

「オレ、何か言うてへんかったか?」

「う、ううん。別に、何も。」

「そうか。何か、すごい幸せな夢、見てたような気がする。」

「ほんま。よかったなあ。」

「うん。」

「ぞ、雑炊、温めてくるわ。」

「オレ、冷たい方がいい。」

「そ、そうか。それやったら、アーンしたら食べさせてあげる。」

「うん。」

 ケンちゃんは、口を開けて、私は、ケンちゃんの口に雑炊を運んだ。

「何で泣いてんねん。」

「いや、別に泣いてへん。時々、目から水分が出るん。病気かもしれへん。」

 ヘヘヘと私は笑った。

「ユウちゃん、寝てへんのやろ。オレが、布団取ってしもたから。」

 それを聞いたとたん、私は、ワアワアと泣いた。重荷になる、重荷になると思いながら、涙は止まらなかった。

「オレ、何にもせえへんから、一緒に寝よか。」

「うん。」

 何にもせえへんのは淋しいけど、一度でいいから一緒に寝たい。

「オレ、高校も出てへんねん。」

「それがどないしたんよ。」

「どうもせえへんけどな。大木さんが、高校ぐらい出とけ、て言うた。」

「何やの、大木さん、大木さんて。大木さんは・・・」

「大木さんも高校出てへんねん。」

 私は黙った。

「オレ、夜間に通うわ。ちょっと酒飲むの止めて。毎日、メシ食いに来るわ。」

「う、うん。それがいいと思う。」

 大木さんて、何ていい人なの!

「ユウちゃん、ほんまに、一杯男知ってんのか?」

「う、うん。」

 嘘はついたらアカンなあ。

「オレ、まだ、知らんねん。」

「ああ。」と私は言うたけど、こういう場合、どういうたらいいんやろ。

「オレなんか、物足りへんやろな。」

「ええと・・・」と次に言うことばが、思い浮かばへん。

「オレ、知らんから、全然自信ないねん。」

「うん。」

 私かて知らんから、そんなことわからへん。

「けど、オレ、もう死ぬんやったら、ユウちゃんとやって死にたいわ。」

 ちょっと胸がズキズキする。

『ほんまはね、大木さんは脅かしただけで、ケンちゃん、死ぬような病気違うんやで。』と本当のこと、言うた方がいいんやろか。

「いいよ。」と私は、頭で考えるより先に答えていた。

「そんなん客商売やったら、一種のサービスやんか。」

「一種のサービスか・・・」

「そうや。パアッとやって、後は忘れたらいいんやんか。」

「そうか・・・そんなもんなんか。」

「そうや・・・」

 ほんまは、嘘やけど。

「オレ、キスしたんも、三回ぐらいしかない。」

「へえ。」

 三回も。クソ。誰としたんや! 誰と!

「キスぐらいしてもいいか?」

「キ、キスなんか日常些判事やわ、客商売なんやから。」

「オレ、下手でも笑わんとってな。」

 ここは、笑って、年上の女の余裕と思ったけれど、や、やっぱり初めては初めて。

 ケンちゃんの唇が震えてるんで、多少は誤魔化せたけれど、私の口も震えてる。

「ア、アカンわ。」とケンちゃんは笑った。

「身体が震えてきよる。」

「だ、大丈夫や。誰でも、最初は初めてなんやから。」と自分でも、何を言ってるのかわからない。

「こんなんおかしいわ。皆、オレラが何かすると思ってるんやから。」

「い、いつも、こんなんや。」

「そうか。」とケンちゃんは、黙った。

「も、もう一回、雑炊作ってくるわ。お父ちゃんほど上手やないけど、私かて・・・」

 ぞ、雑炊ぐらい作れる・・・

 あ、やめて。

「失敗しても、笑わんとってな。」

「う、うん。」笑う余裕なんかない。

「こ、子供ができたらどないしよう。」と自分でもわけのわからんことを言うている。

「その時は、オレ、責任取るわ。けど、今まで、よう子供できへんかったな。」

「そら・・・」何もしてへんもん。

 わあ。もう何も、わけわからへん。けど、かまへんねん。ケンちゃんやから、かまへんねん。

「ごめんな、オレ、下手やったやろ。」

「顔見たらイヤ。」

「オレ、ユウちゃんに相応しくなって、おじさんやおばちゃんに話しにくるわ。オレ、帰るわ。朝までおったら、また、こんな気になるかもしれへんし。ユウちゃん、怒ったんか?」

 私は、布団に顔を埋めて、泣くまいとして頑張っていた。

「か、帰ったら、イヤや。」

「こんな時、いつも、泣くんか? オレ、そういうん、わからへん。」

「泣いてないわ。」と私は言った。

「私は、ちょっと目から水が出る病気やねん。」

「オレ、ユウちゃんの今までの男、羨ましいわ。」

 帰ったら、イヤや! と心の中で叫びながら、身から出たサビ。

「また、来てね。」と笑ってしまった。


「いらっしゃい。」

「毎度。」

「はい。定食2、大瓶2。」

 針のむしろや、と思う。あれ以来、お父ちゃんもお母ちゃんも、何も言わない。

「ユウちゃん、新婚初夜、どうやった?」と聞く客は、「アホか!」と私が張り飛ばしている。

 そうや。私は、どの客かって相手にする経験豊富な女やねん!

 文句あるか!

「由子、由子、ケンちゃんが来たで。」と母が言った。

 フン。ケンちゃんて、誰やのん。あの何人もの男の一人か。アレ以来、一度も姿を見せへん冷たい男の一人か。

「ユウちゃん、卒業証書や。アル中からも卒業証書や。」

 そ、それがどないしたん。そんなもん、何やのん。そんなもん、何や・・・のん、と思いながら、私は、台所の方に逃げてしまった。

 頭は冷静なつもりなのに、アア、アアと涙が出てくる。

「おじさん、おばさん、ボク、高校卒業しました。ユウちゃんと結婚させてください。」

「おお。」と父が言い、「待ってたんやで。」と母が泣く。

「ユウちゃんは?」

「おお、ほんまの初夜の準備じゃ。」という父の声が聞こえている。

「ユウちゃん?」

 このアホのケンジロウ、私はもう26になってしもたやないの。もう行き遅れやわ。

 どないしてくれるんよ!

「オレ、ユウちゃんが必要やねん。」

「何やの! 私は、必需品か。」と憎まれ口をききながら、私の部屋に入ってきたケンちゃんを、私は両腕で抱き締めていた。

 そやかて、ずっとずっと待ってたんやもん。

「おかえり、ケンちゃん。」





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