第七章「夏色の秘密、海辺のふたり」
八月のある朝。セミの鳴き声と、開け放たれた窓からの風が、夏の訪れを告げていた。
「うわ……もう、日焼け止めしっかり塗らないと……!」
琴葉はバスの座席で、鏡をのぞきながら慌てて腕に白いクリームを塗り始める。
「大丈夫だよ、琴葉の肌、すっごくきれいだもん。焼けても可愛いと思うけどな」
咲良は窓の外を見ながら、少し照れたように笑った。
今日ふたりは、夏休みを使って一泊二日の小旅行に出かけるのだ。
目的地は、咲良が小さい頃に家族で訪れたという、静かな海辺の町。
「先輩の思い出の場所って、どんなとこなんだろ。楽しみ……」
「ふふ、琴葉と一緒なら、どこでも新しい思い出になるよ」
ふたりの指先が、バスの座席の影でそっと触れ合う。
海の駅に降り立つと、潮風がふたりを包む。
空はどこまでも青く、蝉の声さえも祝福のようだった。
「……すっごい。海、ほんとに綺麗……!」
琴葉の目が輝いているのを見て、咲良は静かに嬉しくなった。
「この町ね、昔はね、おばあちゃんと一緒に来ててさ。あの堤防の上でアイス食べたり、夜は浜辺で線香花火したり……」
「じゃあ、今日はその“咲良先輩ルート”でお願いしますっ」
ふたりは手をつなぎ、白い道を笑いながら歩き出す。
午後の海。
「……ねえ、先輩、日焼けしたら……」
「キスで冷ましてあげる」
「えっ……もう、そんなのズルい……っ」
ふたりは誰もいない入り江で、水を掛け合って遊んだ。
琴葉の水着姿にどぎまぎする咲良と、そんな先輩に気づいてさらに笑う琴葉。
ふと、波打ち際で見つめ合ったその瞬間。
「ここなら、誰にも見られないね……」
「うん……」
唇がそっと重なり、潮の香りと夏の陽射しの中で、世界が溶けていくようだった。
夜。民宿の一室。窓の外には波音が静かに響く。
「今日は、いっぱい思い出、作れたね」
「……でも、まだ足りない」
そう言って、咲良は琴葉の肩に顔をうずめた。
「琴葉といると、どんどん欲張りになってく。もっと一緒にいたいし、もっと……近づきたい」
「……うん。私も」
灯りを落とした部屋で、手が重なり、唇が重なり、体が密着して鼓動が伝わっていく。
まるで夢のような夜――
けれどそれは、現実だった。
ふたりが選んだ、確かな現実だった。
朝。ふたりで布団の中で迎える夏の朝は、静かで、やさしかった。
「……先輩、起きてください」
「もう少しだけ……琴葉の匂い、幸せすぎて動けない……」
「えっ、ちょ、やめて、恥ずかしい……っ」
じゃれあいながらも、どこか照れたその笑顔に、ふたりはまた恋をした。