第三章「気づき、揺れる放課後」
四月の終わり、桜はすっかり散って、校舎の窓から見える木々が若葉に覆われる頃。生徒たちも新しい学年に少しずつ慣れ、放課後の時間にそれぞれの居場所を見つけるようになっていた。
琴葉は、図書委員の活動が終わると、校舎裏のベンチに向かうのが日課になっていた。そこには、いつも待っていてくれる人がいた。
「……また来てくれたね、琴葉ちゃん」
やわらかく微笑むのは、三年生の咲良。制服のスカートを丁寧に整えながら腰かけて、手には二本のペットボトル。琴葉の好きなミルクティーを、当然のように差し出してくる。
「ありがとうございます、咲良先輩。……今日も暑かったですね」
「うん、でも琴葉ちゃんに会えると、心がスーッとするから、不思議」
咲良は、そう言って細く微笑む。風に揺れる前髪の隙間から覗くその瞳が、ほんの少しだけ潤んで見えるのは、夕陽のせいか、それとも――
琴葉の胸がキュッと締めつけられる。
最初はただ、図書室で本の配置を手伝ってくれた先輩。その笑顔に安心して、少しずつ話すようになって、今では放課後を一緒に過ごすことが「当たり前」になってしまっている。
でも、――こんな感情って、普通なの?
友達でも、先輩後輩でも、こんなにドキドキしてしまうものなんだろうか?
「……咲良先輩って、ほんとに綺麗で……優しくて……」
琴葉が無意識に口にすると、咲良は少し驚いたように、そして恥ずかしそうに頬を染めた。
「えっ、そんなこと……言われると、嬉しいけど……困っちゃうな」
「え、困りますか……?」
「ううん。……困るけど、嫌じゃない。琴葉ちゃんが言うと、すごくドキドキしちゃうの」
その言葉に、琴葉の胸が跳ねた。
ドキドキしているのは、自分だけじゃなかった。
嬉しさと怖さが入り混じった感情に揺れながら、琴葉は手にしたミルクティーをぎゅっと握った。
二人の距離は、確かに少しずつ近づいている――けれど、まだ「先輩と後輩」の枠を越えられない。
咲良の周りには、たくさんの人がいる。男子からも女子からも人気があって、休み時間にはいつも誰かに囲まれている。
その中に、自分は……入っていけるんだろうか?
───
その日の夜、琴葉はスマホを見つめながら布団の中で悶々としていた。
咲良先輩と一緒にいると、心があたたかくて、でも同時に不安にもなる。今日、少しだけ触れた咲良先輩の手の感触が、まだ指先に残っていて、それだけで心臓がバクバクしていた。
そんなとき、咲良からメッセージが届いた。
咲良先輩:今日もありがとう。琴葉ちゃんと話す時間、すごく楽しかったよ。
咲良先輩:また明日も、会えるよね?
琴葉は、小さく息を呑んで、返事を打つ。
琴葉:はい、私も楽しかったです。また明日、校舎裏で。
咲良先輩:うん、楽しみにしてるね。
そのやりとりだけで、今日の不安は少しだけ溶けていった。
――でも、胸の奥に、少しずつ芽吹いているこの感情を、咲良先輩に伝える日は、もう少し先になるかもしれない。
けれど。
それでも。
明日も、会いたいと思ってしまう。
きっとそれが、「恋」の始まりだった。