第一章:春、出会いと秘密の芽吹き
◇Scene 1:はじまりの図書室
四月の風はまだ少し肌寒く、けれど桜の香りが混じるその空気は、どこか期待に満ちていた。
新入生の葉山琴葉は、早く着きすぎた校舎で迷いながらも、静かな図書室にたどり着いた。
無人かと思われた空間の隅で、窓辺に佇むひとりの少女。その姿に、琴葉の鼓動はほんの少しだけ、音を立てた。
「……綺麗」
そう、思わず呟いていた。淡い桜色の髪が、窓から差し込む光に揺れ、彼女の横顔を縁取っている。
少女は本から目を離し、ゆっくりと顔を上げた。
「こんにちは、新入生さん?」
その声は、優しくて、どこか包み込むようだった。
「はい……あ、はい! あの、迷って……」
「ふふ、春はみんな迷うの。よかったら、ここで少し休んでいって」
少女──藤崎咲良は、そう言って隣の席をぽんと叩いた。
それが、すべての始まりだった。
◇Scene 2:傘の共有と、心の距離
放課後、突然の雨に戸惑っていた琴葉に、一つの傘が差し出される。
「困ってる顔、見てられなかったから」
微笑む咲良に、胸がきゅっと締め付けられる。
二人で歩く帰り道。傘の下、肩が触れるほどの距離。
咲良の匂い。息遣い。目を見つめられるだけで、心が熱くなる。
(私……この人のこと……)
まだ“恋”という言葉を知らなかった琴葉の心が、静かに芽吹き始めていた。
◇Scene 3:秘密の午後、お茶の時間
図書室の片隅で、二人きりの時間が増えていく。
「今日ね、好きなお菓子持ってきたの。琴葉ちゃんに食べてほしくて」
「……わたし、先輩といる時間、すごく好きです」
咲良が、ほんの一瞬だけ驚いたように目を開いた。
でも、すぐに穏やかに笑って言った。
「わたしも。琴葉ちゃんといると、心が落ち着くの」
そう言って、咲良がそっと琴葉の手に触れる。
温度が、伝わる。
(もっと触れたい。この手を、離したくない……)
心の中の秘密が、また一つ増えた。
◇Scene 4:はじめてのドキドキ
中庭で、春風に吹かれながらの昼休み。
咲良がふと、琴葉の髪に手を伸ばし、落ち葉を取る。
「無防備すぎるんだから……琴葉ちゃんって、ほんと可愛い」
「えっ、ええっ!? さ、咲良先輩!? か、可愛いって……」
「ふふっ、真っ赤。ほんとに、愛おしい」
咲良の声は柔らかく、けれど確かに「特別」だった。
その瞬間、琴葉は確信する。
(わたし、先輩が……好きなんだ)
◇Scene 5:夜空に祈る想い
夜、自室のベッドの上。
琴葉は絵日記を広げて、今日の出来事を描いていく。
ある日、放課後の図書室で偶然居合わせた二人は、一緒に本を探していた。
「この作家さん、好きなの?」
「はい……前に読んだ本が、すごく綺麗な話で……」
咲良は琴葉の瞳をじっと見つめる。
「そっか。琴葉ちゃんがそう言うなら、読んでみようかな」
──名前、呼ばれた。
心臓が跳ねるような感覚。誰かに名前で呼ばれるだけで、こんなに世界が違って見えるなんて。
その日の帰り道。校門を出たあと、二人は並んで歩いた。
春の風が頬をなで、沈黙が二人の間に流れる。
ふと、咲良が立ち止まる。
「……ねえ、琴葉ちゃん」
「はい?」
「その……まだ、新しい学園って、緊張するよね」
「……はい、でも……先輩がいてくれるから、少し、安心です」
咲良は微笑んだ。
「それ、私も同じ。琴葉ちゃんがいてくれて、嬉しい」
その笑顔が、胸を優しく締めつける。
──この気持ちは、何?
まだ知らない。だけど、きっとそれは──春の訪れと共に、確かに芽吹き始めた気持ちだった。
そしてその夜、琴葉は日記にこう書いた。
『有栖川先輩の笑顔を思い出すと、胸がふわっとする。こんな気持ち、初めてかもしれない』
──その一文が、静かにページを照らす光になった。
春は始まったばかり。
咲良と琴葉の一年が、ここからゆっくりと動き出す。