3. 彼女との出会い
不思議なことが起きたことへの興奮が冷めやらず、僕たちを含めて、5人の生徒が図書コーナーから離れられずにいると、階段の影から、高校生くらいの女の子が突然、ふわりと出現したのが見えた。
その女の子を見て、僕は明らかにおかしいとすぐに思った。
だって、ここは学校にも関わらず、彼女は私服だったし、階段を下りてきたというよりも、階段から湧き出てきたように見えたからだ。
彼女は集まっている僕たちにはまったく目もくれず、まっすぐに図書コーナーへと近づいていった。
そして、本棚の前に立ち、立ち尽くす。数秒、そこから動かない。
位置的には、隼人たちの真後ろに居る。でも、隼人たちは彼女が図書コーナーに近づいたことにすら気付いていないようだ。
本棚の前にいた彼女は、本棚の中を指で探るようにタイトルを眺めながら、首をかしげる。
そして、本棚の中を探っていた指を耳元に持っていき、顔にかかった髪を耳にかけた。
僕はそんな彼女の仕草から目を離せずに見てしまっていた。
髪を耳にかけたことによって見えた彼女の横顔に吸い込まれる。
彼女はそのあと、肩をすくめたかと思ったら、こちらに向き直り、僕と目が合った気がした。
いや、実際には目は合っていない。彼女は真後ろにいた隼人たちとぶつかったが接触することもなくすり抜けて、こちらに向かってきている。
やはり彼女は他の人には見えない存在だと分かった。
それなのに、僕はいつもと違って、彼女から目を離せずにいた。
透き通った肌。整った顔立ち。凛とした立ち姿に、綺麗な大きな瞳が印象的だった。
芯の通った、全てを見透かしてしまうような目。片側に大きく三つ編みされた黒髪が白いブラウスの上でかすかに揺れる。
僕は向かってくる彼女を立ち尽くしたまま見つめていて、自分の傍までまっすぐに歩いてくる彼女の顔が僕の目の前までぐっと近づいて、僕はやっとハッとして、慌てて目を閉じる。
もちろんぶつかる衝撃は起きるはずない。彼女はするりと僕をすり抜けていく、はずだった。
一瞬だけだ。
一瞬、彼女の身体が僕の身体にぶつかった感触があった。
それはそよ風が僕に吹いたくらいの軽い感じで、ぶつかった時のようなものではなかった。
だけど、確かに何かを感じたのだ。僕はその感覚に反射的に、すり抜けたはずの彼女の方へと振り返った。
彼女は僕の方を振り返らず、そのまま進行方向を向いていた。
だから、そのまま離れていくのかと思った。僕の胸はどこか切なさを感じていたけれど、離れていく彼女を見送ろうと、彼女の背中を見つめる。
すると、彼女が突然振り返り、僕を見た。彼女の大きな瞳とパチリと目が合う。その瞬間、彼女が驚いた顔をした。
「ん?……あれ? もしかして、ぶつかりましたか?」
しかも、話しかけられた。
「……え?」
僕は息が止まるほどに驚いて、産まれてから一度も起きたことがなかったこの事態に動揺し、勢いよくその場から逃げ出していた。
教室まで止まることなく戻ると、僕は自分の席に座った。
はぁっと大きく息を吐き、バクバクしている鼓動を抑えようと試みる。
彼女と目が合った。しかも話しかけられた。
もしかして彼女は僕らと同じ普通の存在だったのか?
いや、隼人たちは気付いてなかったと思うし、なにより隼人たちの間をすり抜けたはずだ。
こんなこと今までなかった。
なかったはずなのに、どうして……。
っとふと脳裏に遥か前に、誰かに話しかけられた記憶がフラッシュバックした。
僕はまだ幼くて、そして大きな手のひらが僕の頭を撫でた。そんな光景だ。でも、ハッキリしない。
「結人」
「ぎゃぁーーー」
いつの間にか隣にいた隼人に声をかけられて、僕は大きな声をあげる。
教室にいる生徒たちが一斉に僕らを見た。僕は気まずい様子をふんだんに醸し出してから、机に視線を落とす。
「驚かせて、ごめん。結人」
隼人がそう言うと、教室の空気は元通りになって、教室の生徒たちはまた、友人たちと雑談をし始めた。僕はどっと疲れて、机の上に突っ伏した。隼人は空いていた僕の前の席に座り、僕をのぞき込む。
「大丈夫か?何か見たのか?」
「……いや、なにも見てない」
僕は突っ伏したまま、答える。
隼人とそれ以上、話す気力もなくて、黙り込む。
隼人はこれはそっとしておいた方がいいと思ってくれたようで、さらに追求してくることはなかった。
例の彼女との出来事が気になり、それからの僕の授業は散々だった。
授業中、先生に指名されたとしても、ぼぉーとしてしまい、答えることができない。
体育の授業中には、うわの空で、ボールを頭に当てられる。
僕があまりにもこんな調子だったせいで、放課後、僕が帰宅しようとすると、隼人が、一人で帰すのは心配だからと、有無を言わずについてきたくらいだ。
彼女は本当に何だったのだろう。
彼女はあの場所で何をしていたのだろう。
彼女の可愛らしい姿も相まって、僕は彼女のことをまた考えてしまう。
そんなこともあってか、僕は自宅への帰り道を一本間違えて曲がっていた。
「あ、そーいや、この空地だ。いろんな不思議なネタを聞く場所」
隼人が立ち止まってそう言ったことで、僕はその時、道を間違えていたことに気付いたくらいだ。
「結人、ちょっと俺、中を見てきていいか?」
「え? 中に入るのか?」
僕が呼び止める前に、隼人はもう中に入ってしまっていた。
その空地は周囲が白いフェンスに囲まれていて、いかにも関係者立ち入り禁止といった雰囲気だ。だが、人ひとりが通れるような入口が解放されていて、これまでも誰かが入っているような形跡がある。
僕はその入口から、中に入っていった隼人を見る。
隼人は空地の中をあちこち眺めながら、歩いている。隼人を呼び戻すために、入口から少し中に入る。
隼人に声をかけようとすると、隼人よりも奥の方に、人影があるのに気付いた。その人影をじっと見ると、僕の鼓動は小さく跳ね上がった。
彼女だった。さっきまでずっと考えていた彼女だ。僕はそっと息をのむ。
彼女はどこか思いつめた様子で、空地の隅から、奥を見ていた。
その先に見えるのは、僕の景色ではなんてこともない住居の裏側の壁だ。でも彼女はじっとそちらを見ている。
「なんにもないな」
隼人がそう言って、戻ってきた。どこかをじっと見ていた僕に気付き、
「どうした?」と聞いてくる。
「い、いや」
そう答えながら、彼女の方を見ていると、彼女が振り返りそうな気配がした。
僕は慌てて、目をそらす。
「行こう」
僕は隼人にそう言うと、すぐさま踵を返し、その場を離れた。
「じゃあ、今日はゆっくり休めよ」
隼人は僕の肩を軽くたたくと、来た道を戻っていった。
隼人はこれから自宅に帰るのだろうか。もしくは学校に戻るのだろうか。
勝手に付いてきたとはいえ、わざわざ僕のためにここまで来てくれた隼人に申し訳なく思い、彼が見えなくなるところまで見送る。
彼が見えなくなった後、後ろを振り返ると、そこには例の彼女が立っていて、パチリと目があった。
「こんにちは」
彼女がにこりと微笑む。
「うわぁ!」
僕はまた驚いてしまって、声をあげてしまう。
そして、どうしようもない恐さが溢れてきて、その場から逃げ出そうとしてしまった。
「ま、待って! お願い、逃げないで!」
そう呼び止めれてしまい、僕は彼女の方へ、ビクつきながらも振り返る。
「お願い。私の話を聞いて欲しいの」
彼女は大きな瞳を僕にじっと向けて、切実な声を出した。