第三話
翌日。私は、自室のベッドで惰眠を貪っていた。プー太郎の分際でまったく優雅なものだ。ウトウト浅い眠りを繰り返しながら、日本にいた頃の夢を見ていた。
自宅と職場を往復するだけの退屈な毎日。福利厚生なんてない会社で、毎日当然のようにサービス残業を強いられていた。今考えると超がつくブラックだったなと思う。
お陰で趣味の料理やヨガから遠ざかってしまった。あのまま社畜として使い捨てられていたかも知れないと思うとゾッとする。
ハッと目を覚ますと、最近ようやく見慣れてきた天井が見えた。
「あー、嫌な夢を見た……」
もうあの頃には戻れないし、戻りたいとも思わない。家族に別れを告げられなかったのは悲しいけれど、こっちの世界は豊かな自然に囲まれていて空気も綺麗だし、新天地でのスタートとしては悪くない。
「美醜の感覚が、かなりズレているけどね」
などと考えていると、宰相さんのお宅からお呼びが掛かり、再びフェイリム様とお会いすることになった。私は急いで支度すると、用意された馬車に乗って屋敷へと向かった。到着した私を執事は出迎え、フェイリム様の部屋に案内する。
コンコン
「坊っちゃま。マイ様がお見えになりました」
執事がそう告げると、部屋の中から「入れ」という声が聞こえた。入室の許可を得た執事が、部屋に入るよう私に促す。
私はゴクリと唾を呑み込んで、両開きのドアを開けると部屋の中に入った。
「失礼します」
広い部屋の中央に彼がいた。やっぱり今日も仮面をつけている。
「……今日は来てくれてありがとう」
「いえ。こちらこそ、お呼びくださりありがとうございます」
「…………」
そのまま黙ってしまった彼は、ジッと私の様子をうかがっているようだった。つけている仮面のせいで、彼が何を考えているのかさっぱり分からない。
うう、沈黙が辛い……。なんか手に変な汗かいてきた……。
「……マイ殿」
「ひゃいっ!」
突然名前を呼ばれておかしな返事をしてしまった。
「その、マイ殿は私を見て……不快にならないのだろうか」
「不快ではありません。そもそも、不快になる理由が分かりません」
私は、真っ直ぐに彼を見てそう答えた。スラリとした体躯にさらさらの金髪。声は繊細なアルト。まだお顔を拝見出来ていないけれど、美丈夫で間違いないだろう。そんな彼を見て不快になるって、意味わからん。
「そ、そうか。つまり貴方は、私の顔を見ても平気であると?」
「問題ありません。私は外見で人を判断するようなことはしませんから」
言い切った!言い切ったぞ!!さあ、もう何の憂いもないよね?仮面に隠されたその顔を、さっさと私に見せなさい!!
フェイリム様はようやく決心がついたようで、ゆっくりと仮面を外した。
「…………」
「…………」
な、な、なんと!!まさか、ここまでとは思わなかった。くっきり二重のアーモンド型の目。そこに嵌められた宝石のような青い瞳が、不安げにこちらを見つめている。
彫りが深く、スッと通った鼻筋や高い頬骨、そして薄い唇が北欧人を連想させた。神に愛された美の造形とは、彼のことを表す言葉なのではないだろうか。
突如現れた美しい顔をポカーンと見ていると、勘違いした彼が慌てて仮面を顔に戻そうとした。
「違います!全く問題ありませんから、どうかそのままでいてください!」
ふー、危ない危ない。もうちょっとで誤解されるところだった。ここでフェイリム様の勇気を潰してしまったら、きっともう次はないだろう。
「仮面を外してくださって、ありがとうございます。私はフェイリム様が醜いとは思いませんし、不快になったりもしません」
「……嘘だ」
そうだよね。今まで受けてきた仕打ちを考えれば、信じられなくて当然だよね。
私は少しでも彼の不安を和らげたくて、少しだけ歩み寄って微笑んだ。
「嘘じゃありません。どうすれば信じてもらえますか?」
己を守るために築き上げた心の壁は高い。でも、このままでいて良いはずがなかった。本人もそれを分かっているからこそ、こうして私と向き合おうとしている。
出来るのであれば、ボロボロにされたフェイリム様の自尊心を救い上げてあげたい。こんな平々凡々なアラサー女子で申し訳ないけれど。
「既にご存知かと思いますけど、私はこの世界の住人ではないんです。間違えて呼び出されちゃいまして……。だから、私の美的感覚はこっちの人達とはズレているみたいなんですよね」
話しながら、再びフェイリム様との距離を詰めた。私はあなたの味方だよ。どうか怖がらないで。
不安そうな顔の彼をジッと私を見つめ返した。
「……それじゃあ貴方は……、こんな私に……触れることが出来るのか」
自分でも気づく前に、私の体は勝手に動いていた。フェイリム様の前に来た私は、固く握り締めている彼の拳を手に取った。
顔をあげると、フェイリム様は驚きに目を見開いて私を見下ろしている。
「信じてくれました?」
にっこり笑って骨張った大きな手を両手で包み込む。すると彼の顔がみるみる赤くなっていった。そして慌てた様子で手を引っ込めた。
「な、なぜ……なぜ平気なんだ!?」
「申し上げたでしょう、別の世界から来たので美の感性がここの人たちと違うんですって。私にはフェイリム様はとても美しく見えています」
「そんなわけがない!!私は……私は自分がどれだけ醜いのかを知っている」
あらら、これは重症だわ。でも少しずつ慣れていってもらわないと。私はにっこり笑って彼を見上げると、改めてよろしくお願いしますと挨拶をした。
それに対してフェイリム様は顔を真っ赤にしてよろしくと返してくれた。
こうして私はフェイリム様の専属メイド、兼カウンセラーのような役職を務めることになった。
そして彼が自信を取り戻し、私と恋に落ちるのはもう少し先の話……。
【完】
ありがとうございました。