第32話 婚約者の窮地
私、クレハ・フラウレンはお世話係としてアリア様に同行しています。
まあ、お世話と言っても名ばかりです。
実際にアリア様の着替えを手伝うのは、日頃から専属でその任についているメイドの方々です。
私の役目は、メイドの方々に身支度を整えられているアリア様とお話しすること。
要するに暇つぶしの相手です。
「そういえば、クレハ姉様の言うとおりにしてみたらうまくいったよ!」
王宮内のホールから少し離れた場所にある控え室にて。
アリア様は鏡台の前に座って、今も3人のメイドたちに髪をセットされながら化粧を施されています。
メイド服を着た私はその隣に椅子を置いて、話を聞いていました。
隣には、同じくお世話係のフレデリカさんも座っています。
……彼女がメイド服を着ていないのは何故でしょう。
もしかして私だけハメられましたか、これは。
「うまくいった……とはもしかして、今回婚約する王子様との関係についてですか?」
「うん。姉様が言ってたとおり、素直になって話してみたらお互いの誤解が解けたの! 私たちは嫌いあってると思ってたけど、実は両想いだったみたい」
「おめでとうございます。だからアリア様はご機嫌だったのですね」
私は喜ぶ一方で、別の感情も抱いていました。
確かに、アリア様の恋が順調なのは喜ぶべきことです。
しかし、せっかく仲良くなった妹のようなかわいい女の子の気持ちが、他の人に向くのは少しモヤモヤとした気分になります。
「アリア様はお人形のようにかわいらしいですし、お相手の方も好きになって当然ですね」
「へへ、そうかな?」
アリア様は嬉しそうにはにかみます。
この笑顔を見ていたら、妙な気持ちはすぐに吹き飛んで、応援したい気持ちに変わりました。
私では熟練のメイドさんのようにアリア様の身支度を整えることはできませんが、今のところ話し相手としての役割は果たせていると思います。
フレデリカさんもいますが、基本的には黙って様子を見ているだけです。
私がいるから充分だと思っているのでしょうか。
「ところでクレハ姉様はリュート兄様とはどうなの?」
ふと、アリア様が話題を変えました。
「どう、とは」
「仲良くなれた?」
「元から仲良しですよ。最近も順調のつもりです」
「つもり……ってことは何か気になることがあるの?」
さすがアリア様、耳聡いです。
「先ほど、リュートくんがパーティーに参加しているご令嬢たちに囲まれてデレデレしていたんです」
「わたしも兄様が囲まれているのは見かけたけど、デレデレはしてなかったと思うけど……」
「ですが、今日は使用人の一人として仕事をしているのですから、私的なやり取りは丁重にお断りすべきです」
「うーん……確かに、婚約者である姉様をもっと大切にするべきかも?」
「わ、私はそこまで言っていませんが……」
「でも、兄様ともっと仲良くなりたいでしょ?」
アリア様は無邪気に質問を投げかけてきます。
「それは……婚約者である以上、円満な関係を維持するに越したことはないですが……」
「だったら、今回のパーティーを機に恋人になって、他の人が付け入る隙がない姿を見せつけるしかないよ!」
アリア様は名案を思いついたとばかりにポンと手を叩きながら立ち上がろうとします。
「アリア様、立ち上がらないでください」
「あ、ごめん」
アリア様は髪をセットしていたメイドから叱られてしまいました。
「そう言われても私は今回、招待客ではなくアリア様のお世話係ですから」
「でも、パーティーの最中にちょっとリュート兄様と会う時間くらいは作れるでしょ?」
「その気になれば……少しは」
「だったら、何かしら口実を作って二人きりになるべきだよ! そうしたら、後はリュート兄様の方からきっと……」
アリア様はその先は口にせず、頭の中で想像を働かせていました。
「なるほど……だからと言って私がリュートくんに二人きりになりたいと誘えるかは別の話です」
「変なところで意志が強いですわね……」
きっぱりと言う私の隣で、フレデリカさんがボソリと呟いていました。
私は気を取り直すように咳払いをしてから、続けます。
「こほん……そもそも、アリア様はなぜ私とリュートくんをくっつけることに積極的なのですか?」
「それは……ただ、兄様と姉様が仲良しだと嬉しいから」
「お気持ちだけありがたく受け取っておきます。が、アリア様は何もしなくていいですからね」
「えー……善処はするね」
一応アリア様は引き下がってくれたんでしょうか。
でもどこか釈然としない様子です。
それでも、アリア様は落ち着いて化粧や着替えを受けているので、とりあえずお世話係としての役目は果たせているでしょう……と思ったら。
「そう言えば、今日はいつもと違う部屋だね?」
おもむろにアリア様がそう呟きました。
確かに、この部屋は王宮の一角にありますが、アリア様が普段過ごしている部屋ではありません。
「恐らく、このお部屋の方が着替えに都合がいいのでしょう。パーティーの会場からも近いですし」
「そうなんだ? パーティーの途中で抜け出して着替えるなんて初めてだから、変な感じー」
アリア様はそう言うと、きょろきょろと首を動かして、部屋の中を見回します。
「今日の主役はアリア様ですから、着飾った可愛らしい姿を何度でも披露しましょう。それと、化粧がずれるので動かないでください」
私がそう言うと、アリア様は動かなくなりました。
しかしアリア様は正面の鏡ではなく、横を見ています。
「うーん……」
「アリア様、どうしましたか? できれば鏡の方を向いてくれるとありがたいのですが……」
「あの人、見たことないんだけど……姉様と同じクラスの人?」
アリア様が指したのは、部屋の隅に控えるメイドの一人でした。
私にとっても今日初めて見た顔です。
少なくともクラスメイトではありません。
「てっきり王宮の方だと思っていましたが……違うのですか?」
私はメイドの中でも、今も直接アリア様の化粧をしている側近の方に尋ねます。
「職場体験に来た学生の方だと思っていましたが……」
アリア様の側近は、化粧をする手を止めて困惑の声をあげます。
「いえ、職場体験でアリア様のお世話係を担当しているのは私とフレデリカさんだけです」
「では、あの方は一体……貴女、所属は?」
側近の方が正体不明のメイドにそう問いかけた瞬間、室内の空気が張り詰めるのを感じました。
「……」
正体不明のメイドが無言で、こちらに向かって駆け出します。
その手にはいつの間にか、鋭利な刃の短剣が握られていました。
「まさか、暗殺者ですか……!?」
私は、直感的に危険を察知しました。
どこの誰が送り込んだのかは知りませんが、メイドの正体は潜入した暗殺者だと理解します。
狙いは間違いなく……アリア様でしょう。
「あ、暗殺者……!?」
アリア様は突然の事態に困惑している様子です。
「アリア様に手出しはさせません……!」
私は咄嗟に、迫りくる暗殺者との間に入るようにしてアリア様の前に立ちました。
お世話係の仕事には護衛なんて含まれていませんが、関係ありません。
アリア様は、この国の王女という尊い方です。
しかし、それ以上に私個人にとって、妹のようなかわいい年下の女の子なのですから。
「……邪魔をするならお前から殺す」
暗殺者の禍々しい気配が、私の方に向いたのを感じました。
これが殺気というやつなのでしょうか。
あれ。
夢中で体を動かして、暗殺者の前に立ち塞がるのはいいですが。
このままだと私、刺されて死ぬのでは。
そんなことを考えている間に、目の前に迫ってきた暗殺者が短剣を私の胸元に突き刺そうとした……次の瞬間。
私の右手にはめられた、リュートくんからもらった指輪が突然光り出しました。
「いったい何事ですか……!?」
その眩さに目を細めている間に、私の前面に紫色のバリアのような魔法が展開されました。
暗殺者の短剣は、私に刺さる直前でそのバリアと衝突します。
その瞬間、大きな破裂音が響き渡りました。
短剣が粉々になると同時に、暗殺者はその衝撃で後方に吹き飛ばされて壁に激突します。
「ね、姉様すごい……!」
背後から、アリア様が興奮気味の声を漏らしていました。
「これはもしかして、アークライト家の防御魔法……ですか?」
「は、はい……恐らく」
私はフレデリカ様の問いにうなずきます。
「今の音は一体……!? お着替え中のところ失礼いたします!」
部屋の外から、そんな声が聞こえてきます。
衝撃音を聞いて、アリア様の着替えを待つために部屋の外に控えていた護衛の兵士が入ってきました。
「邪魔だ……」
兵士のすぐ横で、吹き飛ばされて壁に激突していた暗殺者が立ち上がりました。
衝撃の影響か、心なしか動きが鈍く見えます……と思ったのも束の間。
「なんだお前は……うっ」
部屋に入ってきた兵士が状況を把握する前に、素早い体術で昏倒させました。
暗殺者は兵士が腰に携えていた剣を手に取ると、再びアリア様に目を向けました。
「……!」
私はまたアリア様と暗殺者の間に入ろうとして、気づきます。
今度は、指輪が何の反応も示しません。
暗殺者の攻撃を跳ね除ける強力な防御魔法は、無制限に使えるほど都合の良い代物ではないということでしょうか。
私にできることは……せいぜい、身を挺してアリア様を守って、少しでも時間を稼ぐことくらいでしょう。
(だとしても……アリア様を見捨てて逃げるわけにはいきません)
けど。
前世は事故死。
今回は、暗殺に巻き込まれる。
「……我ながら、運がないですね」
暗殺者が振り上げる剣を前にそう呟きながら、私は気づきました。
……結局、またリュートくんに思いを伝えられませんでしたね、私。
そんなことが頭をよぎる中、目を閉じた次の瞬間。
すぐ隣に、誰かの気配を感じました。
気のせい……ではありません。
肩を抱き寄せられる、確かな温もりを感じます。
目を開けると、そこには。
「遅くなってごめん」
私の婚約者であり、大好きな人である、リュートくんが立っていました。
「どうしてリュートくんがここに……」
「指輪でクレハの危険を感知したから、転移魔法で慌てて跳んできた」
「転移魔法って、確かアークライト家の秘奥義では……」
「細かいことは、後から話す。だから少し待っててくれ」
リュートくんは私ではなく、正面を見据えながらそう言います。
その視線の先には、剣を持った暗殺者。
リュートくんはまさに、暗殺者と剣を交えていたところでした。
間一髪。
切り捨てられる直前に、リュートくんは私を助けるために転移魔法で駆けつけてくれたのでしょう。
リュートくんが来てくれたなら、もう大丈夫。
私はリュートくんが暗殺者を華麗に撃退する光景を一番近くで眺めながら、安堵するのでした。




