第15話 婚約者の弁当とお礼
高等部に進学して以降、俺、リュート・アークライトはクレハと別々で昼食を済ませることが多かった。
しかし、今日は違う。
なんと今朝、始業前にクレハから「今日は一緒に昼休みを過ごしましょう」と誘われたのだ。
大好きな婚約者からの誘いとあって、俺としては心踊らざるをえない。
そんなわけで、あっという間に時間が過ぎて迎えた昼休み。
直前まで受けていた軍事学の教室にて。
クレハとは別の授業を受けていたので、これから合流する必要があるんだけど。
(そう言えば、待ち合わせ場所を決めてなかったな……)
俺は自分の失態に気づいた。
どうしようかと悩んでいたのも束の間、俺は教室の外が騒がしいことに気づく。
ふと、窓から廊下の方を見てみると。
「すみません、リュートくんがどこにいるか知りませんか」
明らかに俺のことを探している、クレハ・フラウレンがいた。
小柄な体躯の割に大きい鞄を持って、教室から出ていく学生に呼びかけている。
話しかけられた生徒が、俺の方を指さした。
クレハと目が合う。
「あ、いました。リュートくん!」
片手を目一杯伸ばして振りながら、呼びかけてきた。
なぜだろう。
俺の婚約者が、いつにも増して張り切っているように見える。
あと、いつもながらかわいい。
「今行くよ」
俺は荷物をまとめて立ち上がると、クレハの方に向かう。
クレハほどの美少女が身振り手振りと大きな声を出した結果、当然のことながら俺たちは目立っていた。
元々、校内の人間から広く知られていることもあって、周囲からの注目を集めている。
前世の俺なら他人からの視線に煩わしさやこそばゆさを感じたかもしれないが、今世ではどちらかと言えば人に見られる立場で生きてきたので、さほど気にならなかった。
「悪い、待たせたか?」
「いえ、お構いなく!」
やはり、今日のクレハはどこかテンションが高い。
「じゃあ行くか」
俺が食堂の方に向かって歩き出そうとすると、後ろから制服の袖を掴まれた。
「そっちではありません」
「どうしてだ。今から昼ごはんを食べるんだろ?」
「お昼を食べるのは間違いないですが……今日は中庭の方に行きましょう」
そう言われて目に留まったのは、クレハが手に持ったやや大きめの鞄。
「もしかして、その中身って」
「……すぐに分かります」
クレハは答えることなく、中庭の方に向かって歩き出した。
俺は一歩後ろから、ついていく。
今日のクレハは後ろ髪をお団子風に束ねていた。
……後ろ姿も、見ていて飽きないな。
すぐに、中庭に到着した。
学園の食堂は無料な上に、舌の肥えた貴族でも満足できる質のため、ほとんどの学生はそちらに行く。
おかげでこの時間、緑に包まれた中庭は至って静かだった。
俺とクレハは誰もいないベンチに並んで座る。
「今日は私がお弁当を作ってきました」
「クレハが、弁当……!?」
つまり、俺は今から婚約者の手料理が食べられるってことか。
「む、何か文句でもあるんですか」
「いや、そんなのあるわけないだろ」
クレハの手料理なんて、嬉しいに決まっている。
嬉しいに決まっているんだけど。
いつもはツンツンしているのに、いったいどういう風の吹き回しなんだ。
俺の胸中で歓喜と困惑が入り混じる中、クレハは鞄から木製の小箱を取り出した。
「文句がないなら、さっそくお昼にしましょう」
「なんかそれっぽい箱だな?」
「はい。この世界にはちゃんとした弁当箱がなかったので、用意するのに苦労したんですよ?」
クレハが取り出した箱は、ちょうど前世で男性が使用する弁当箱くらいのサイズ感だった。
俺は受け取って、箱を開ける。
「おお……」
中身は、白米に唐揚げ、卵焼き、焼き魚、ミニハンバーグ……などなど。
前世で見た覚えがあるような料理の詰め合わせだ。
今世には同じ料理は存在しないはずだが、一目でそれと分かる出来栄えだった。
「実はフレデリカさんから、リュートくんと仲良くなりたかったらまず胃袋を掴めと言われまして……口車に乗せられるような形で、お弁当を作ることになったんです」
「仲良く、なりたい……? クレハが俺と?」
「あ、今のは違います。言葉の綾です。フレデリカさんから、最近私が彼女と、リュートくんがテレンスさんと過ごす機会が増えたせいで、あのお二人が一緒に過ごす時間が減っていると苦情を受けまして……」
俺が真意を問う前に、クレハは早口で説明してくれた。
「それは……申し訳ないことをしたかもな」
「そうでしょう! だから私たちは二人でいる時間をもっと増やす必要があるんです! あくまでも、フレデリカさんとテレンスさんのために」
クレハはうんうんと激しくうなずく。
あくまでも、フレデリカとテレンスのため。
そこは残念だが、二人きりの時間が増えるのもクレハの手料理が食べられるのも俺としては嬉しい話だ。
「とにかく、それで今日は仕方なくお弁当を作ってきたのですが、あまり上手にできなくて……」
「そうなのか?」
さっきまで高かったはずのクレハのテンションが急激に下がっていく。
少なくとも、見た目は前世で定番だった弁当のおかずが再現されている。
まあ、クレハは優秀すぎるあまり妥協を許さないタイプだから、普通においしいのに細かい味の再現が微妙に失敗して納得していない可能性が高い。
とりあえず、食べてみよう。
「だから本当は、今日も持ってくるのをやめようかと思ったくらいで――」
「うん、やっぱりうまいな」
「へっ?」
しおらしくなっていたクレハが、変な声を出した。
やはり、食べてみたらおいしい。
微妙に前世に存在した同じ料理と味付けが違う気がするけど、八割方は再現されていると言っていいだろう。
俺は次々と食べ進める。
「……本当においしいんですか?」
「ああ。この世界には便利な冷凍食品なんて存在しないから、全部手作りしたんだろ?」
「はい……そうですね」
「そう考えたら、このクオリティは自信を持っていいと思う」
なぜだろう。
クレハが喧嘩腰だと張り合いたくなるのに、おとなしいと励ましたくなってしまう。
「リュートくん、もしかしてお世辞を言ってますか?」
「俺がクレハにお世辞を言ったことなんてあったか?」
「確かに、リュートくんは私に文句を言うことはあっても、無駄におだてたりする人ではありませんでしたね」
口ぶりだけは毅然とした調子のクレハは、一転して朗らかな表情を見せていた。
「やはり持ってきて正解でした。寮の食堂にある厨房を借りて、この私が昨日の夜から準備をして作ったんですからおいしいに決まっています。八割程度の再現度に留まったのは残念ですが、リュートくんが相手ならそれで十分でしょう」
急にクレハが饒舌に語り始めた。
作った料理が褒められて、よほど嬉しかったらしい。
「昨日の夜からって……まさか俺のためにそこまで手間をかけてくれたのか?」
「い、いえ!? これはリュートくんのためではなく、あくまでも世間体と親友たちのためです!」
ほのかな期待を込めて聞いてみたが、やっぱり否定された。
「だとしても、ありがとう」
「……!? どうしたんですか急に……ちゃんとお礼を言えるとか、いつものリュートくんじゃないみたいです」
「いや、俺だってお礼くらい言うだろ」
確かに、いつもクレハと張り合ってしまいがちではあるけれど。
「言われてみれば、リュートくんはそこまで人でなしではなかったですね……ふふっ」
……ひどい言われようだ。
呆れる俺の横で、クレハはどういうわけか楽しそうに笑っていた。
「リュートくん。私の手料理を食べてくれて、ありがとうございます」
「……!?」
俺はクレハの急なデレに対応できず、動揺のあまり返事ができない。
そんな俺の感情が、伝播したんだろうか。
「い、今のはリュートくんがいきなりお礼を言ってきたことへの仕返しです!」
なぜか慌てた様子のクレハが、言葉を付け加えてきた。
どういう理屈でお礼を言うことが仕返しに繋がるのかは分からないけど、両手を振って説明する姿がかわいかったからなんでもいいか。
何より、色々建前はあったけどクレハの方から俺に対して何かしてくれた事実が嬉しい。
この先、少しだけ二人の距離が縮まるんじゃないか。
俺はそんな予感を抱いていた。




