バイト終わりの、十四分間
22時前にいつもやってくる、お客に恋した話です。
九時四十五分になると、そわそわする。
コンビニのレジの液晶モニターを見ると、デジタル時計には「21:46」と書かれていた。そろそろ夜勤のバイトの人が来るはずだ。
わたしは高校生なので十時以降は働けない。いつも五時からバイトに入って十時にバイトが終わる。だいたいが平日に週に三日か四日くらいのペースでシフトが入るけれど、たまに土日にもバイトが入ることがある。
できれば土日は友達と買い物に出かけたり遊びに行きたいから、シフト表が出て土日にわたしの名前があるとがっかりする。紋子や奈々と遊びに行こうよと話していた日にバイトが入っていてしまったときは、もうその日にバイトを辞めようかなといつも思う。でも辞めてしまったら遊びに行くお金もできないから、やっぱり辞めるわけにはいかない。
本当に土日のバイトは苦痛だ。
平日の夕方からのときは男の子も女の子も高校生ばかりだから話も合うし、うちのコンビニは夜勤の男の人もみんな年が近いから話しやすい。
年が近くて話しやすいのに夜勤の人は大人だなとも思う。何度か夜勤の男の人たちが居酒屋に連れて行ってくれた。もちろんわたし一人だけではなくて、夕方シフトのみんなを連れて。
いつも奢ってくれるわけじゃないんだけれど、ぽいっと一万円札を出して、あとはみんなで払ってねという素振りが、大人なんだなという感じがするし、たまに夕方のシフトにも入るときがあって、そのときにわたしにはできないような難しいことをさらっとやってみせる姿をすごいなと思う。
それに比べて平日に一緒に働くおばちゃんたちはつまらない。どこから聞いたのか、わたしたちを居酒屋に連れて行ったという話を知っていて、そういうことはしちゃダメだよ、今度は誘われても行っちゃダメだよ、全く金沢君も河野君も一体なにを考えてるんだろうね、と言う。
それも一度ではなくて、事あるごとにくどくどと言う。あの芸能人がまさか覚醒剤やってるなんてね、あのタレントが浮気してたなんてね、あの女優は別居してるなんてね。わたしにも好きなモデルさんがいるし、その人の着ている服とか趣味とか、おもしろかったと言っていた映画とかチェックするけど、おばちゃんたちが言っているようなことはあまりチェックしない。
芸能人の人たちにも、きっとそういうことをしてしまう理由とかいろいろあると思うし、そんなことにおばちゃんたちが言うような想像をふくらませて話していたって楽しくない。
自動ドアが開いた。少しだけどきっとした。うちのお店の自動ドアは調子が悪いから、がらがらと大きな音を立てて開く。いらっしゃいませ、自動ドアの音に消されないように大きな声で言おうとしたら、入ってきたのはお客さんじゃなくて夜勤の河野さんだった。なので、いらっしゃいませと言うのはやめて、河野さんがレジの前を通るときに、おはようございますと普通の声で言った。
朝じゃなくて昼でも夜でも、挨拶はおはようございますと言うことをバイトを始めてから知った。きっと、これから仕事に入る人にとっては、ある意味でその時間が朝だからなのかもしれない。河野さんは笑顔で軽く手をあげてわたしに挨拶をしてから、奥の事務室に入って行った。
うちのコンビニは、みんな仲が良いと思う。昼間のおばちゃんたちも決して人が悪いわけではないなとは思っている。
ただ、わたしたちとはジェネレーションギャップのせいで少しズレがあるだけだと思う。きっとわたしが好きなモデルさんの話をしてもおばちゃんたちは軽く眉をひそめて、内心つまらないと思いながらも笑ってくれるはずだ。
だから、わたしからはそういう話をしない。話の通じる紋子とか奈々に話せばいい。だけど、おばちゃんたちは芸能人のそういう話を話したくても誰にも話せないから、きっとバイトのときに誰かれ構わずに話しているだけなんだろうなと思いながら聞いている。
きっと居酒屋に連れて行った話をくどくど言うのも、おばちゃんたちが行くかどうかは別の問題で、誘われなかったからちょっとすねてるだけなんじゃないのかなという気がしてきた。交代のときに河野さんに相談してみよう。きっと次に居酒屋に行く計画を立てたときには、おばちゃんたちにも何か気を使ってくれるだろう。
無理に仲を良くすることもないけれど、悪いよりも良いほうがわたしは嬉しい。だって同じコンビニの仲間だから。
金沢さんがまだ来てないのは珍しい。時計は「21:49」になっている。別に五分前に来ても間に合うけれど、金沢さんはいつも三十分前くらいには来て、事務室で誰かとおしゃべりしていることが多い。それに忙しいときは早めに出てくれて手伝ってくれる。十時からのシフトだから早めに出て手伝ってくれてもお金にはならない。だから悪いなという気もするけど、すごく助かるし、優しいなと思う。
わたしのいるレジの横にある、にくまんの入ったケースに貼ってあるメモを見ると、三つ並べてあるにくまんが廃棄になる時間だった。あんまんとピザまんはまだ大丈夫。まだ食べられるのにもったいないなと思いながら肉まんの入ったケースを開けて、トレイごと引き出してからゴミ箱に入れた。
レシートやキッチンペーパーが入っている紙だらけのゴミ箱の中に、たくさん水分を含んで湯気が立っているにくまん三つが、深く落ちた。残りのあんまんとピザまんは無事に誰かに食べてもらえるといいな、そう心の中で呟いた。
わたしは顔を上げて店内を見渡した。奥の缶ビールコーナーには一人の中年サラリーマンがいて、缶ビール籠の中に入れているところだった。カップラーメンのコーナーでは細いデニムパンツを履いた男の人、大学生だろうか、平たいカップラーメンを手に取ってパッケージを熟読しているように見えた。窓際の雑誌コーナーには仕事帰りのお姉さんといった感じで、高いヒールを履いた人がファッション誌を読んでいる。となりのレジでは隆太がレジのキャッシャーを開いている。隆太の向かいにいる作業着を着た男の人は財布の中を覗いている。わたしがまだ食べられるにくまんを捨てたところは、誰も見てないようだった。
がらがらと大きな音が響いた。わたしは自動ドアの方へ向いて、いらっしゃいませと言おうとしたが、喉から言葉が出てこなかった。
ほんの一瞬だけ時間が止まったような気がしたけれど、スーツを着た男の人は入り口をくぐって雑誌コーナーに曲がったから、時間が止まっていたのはわたしだけだった。その一瞬の間を置いてから、いらっしゃいませと言ったが思ったよりも細く高い声になってしまって、誰の耳にも届いてないようだった。
男の人をよく見るといつものスーツ姿とはちょっとだけ違った。丈が短めのグレーのジャケットを羽織って、太くて青いストライプのシャツを着ているけれど、いつも付けているネクタイはしていなかった。履いているのもデニムパンツなのでスーツという感じがしない。手にはいつも持っている四角のバッグではなくて、薄いイエロー色の大きな紙袋を持っていた。
今日は間違いなく平日なのに、どうしてだろうと思った。
今日はたまたま休みの日で、誰か女の人と出かけていたのだろうかと考えがよぎると、それが頭から離れなくなった。考えないようにすればするほど、あの紙袋の中身がプレゼントだったんじゃないのかなとか、これから渡すプレゼントなのかなとか、ひっきりなしに湧き出てくる。
でも今日もこの時間にやってきたのだから、仕事だったことに違いないと自分に言い聞かせた。仕事のなにかで格好がいつもと違うだけなんだ、と。
男の人は紙袋を足下に置いて女性向けのファッション誌を手に取った。その男の人はこのお店に来たときは必ず女性向けのファッション誌を見る。五分くらいしか読まないときもあれば、わたしが帰りの支度をしてからお店を出るときにも、まだ読んでることもある。
最初にその男の人を気になったのは、それだった。たぶん三十歳くらい、もしかしたら若く見えるだけでもう少し年上かもしれない。恋人同士のようなお客さんが二人で一緒に女性向けのファッション誌を見ていることはあるけれど、わたしは、男の人が一人で女性向けのファッション誌を読むのはあの男の人以外では見たことがない。きっと好きなモデルさんが出ていて、それをチェックしているんだろうと思っていた。
だから初めはちょっと気持ち悪いなと思っていたけれど、どんな雑誌を見ているのかが気になって、雑誌を整理するふりをしてチェックしたことがあった。男の人が読んでいたのはわたしが読むような物ではなくて、もう少し年上の女の人が出ている物だった。十代の若い子ばかりが出ている雑誌を見ていても気持ち悪いけれど、綺麗な女性ばかりが出ていた雑誌を読んでいても気持ちが悪い気がした。顔をちらっと見てみると、あれっと思った。男の人は険しい顔をしながらページをめくっていた。
わたしが手に取った雑誌が男の人のそばに並べてある雑誌だったので、わきから手を伸ばして置こうとした。体にかすめるように腕を伸ばすと、嗅いだことの無い香水だったのだろうか、男の人から心地の良い匂いがした。ちょいっと置こうとしたのだけれど、わたしの腕が男の人の腕にぶつかってしまった。ほんのちょっとぶつかっただけだと思ったのに、男の人の持つ雑誌が大きく揺れた。
男の人は整理しているわたしを見た。わたしはなにか言われるような気がして怖くなって俯いてしまった。男の人が口を開いた。一言、「ごめんねー」と明るい口調で言った。
それから、読んでいた女性誌をあった場所に丁寧に戻した。わたしが男の人の顔を見ると、優しい目をして笑っていた。
デジタル時計は「21:55」と表示されている。わたしは男の人を見て、雑誌を早く置いてと願う。
あの男の人は、必ずお弁当かカップラーメンと、キャメルというラクダの絵が書いてあるタバコを買って行く。また自動ドアが開いた。金沢さんが来た。
わたしは何かを言うような気分になれなかったので、何も言わずに頭だけを下げた。あの男の人がレジに来たときに、これですよねと言って、ラクダの絵の書いてあるタバコを注文される前に出そうと思っているけれど、思っているだけでまだできたことがない。
今日こそはできるだろうか。
そう考えるだけで心臓が耳もとにあるような気がしてきた。
男の人は、いつもお弁当かカップラーメンを買って行くからきっと一人で暮らしているのだろう。余計なことだとは分かっているのにどこから出てくるのだろう、わたしがあの人にお弁当か家で料理を作ってあげたいなと思ってしまう。きっとこの間の家庭科の点数が良かったのは、そういうことなのかもしれない。
事務所から河野さんが出てきた。隆太がわたしのことを見ているのが視線の端に見える。いま目を合わせたら、そろそろあがろうよと言ってくるだろう。だから隆太の視線に気が付いてはいるけれど、わたしは気が付かない素振りをして、カウンターの下の引き出しを開けたり閉めたりしたり、レジの横を整頓したりしている。
高いヒール履いている女の人が、読んでいた雑誌を本棚に戻してから、男の人の目の前にある情報誌へ手を向けた。男の人が女の人のことを少しだけ見た。わたしはその様子を見ていたくないような気分になったけれど、視線はそらさなかった。女の人に気を使うように男の人が少し体をずらしてから、手に持っていた雑誌を丁寧に戻した。
読んでくださいまして、ありがとうございます。