4話 肉じゃがの次の日は大体カレー
スパイスの刺激的な香りが鼻孔をくすぐる。
ご飯が炊きあがるまであと5分程度。我ながら素晴らしい時間管理である。
料理ができる男子はモテる! なんてどこぞの雑誌の後ろのほうにでも載っていそうな謳い文句に騙された俺も悪い。
母親は年に数回しか帰ってこず、妹はまだ小学生、姉に至っては台所に立たせるとその何倍も仕事が増える。
始めたばかりの頃はそれなりに楽しんでいた料理も今となってはただの作業になっていた。
(ま、こんなもんか)
沸々と鍋が煮立ったのを確認して、一口味見をしてから火を止める。
カレーは寝かせて二日目からが美味いというのが常識だが、あれは玉ねぎに含まれる「グルタミン酸」やじゃがいもの「でんぷん」が……って今はそんなうんちくはどうでもいい。
なぜか二人分のカレーを作らされていた。
「まだですか? おなかが空きました」
「もうできるから待ってろって」
オリエンテーションでの一件のせいで昼飯を食べ損ねていた。その点については俺も悪い。
もともと帰ってすぐに夕食にしようとしていたのだった。しかし、彼女を放って自分だけ、というのも少々気が引ける。
結果、今に至るわけだ。
こちらから提案しておいてなんだが、ここまで我が物顔で居座る彼女を見ていると、悪態の一つでも付きたい気分になる。
「食うもん食って、話すこと話したら帰ってくれよ」
「はい、いただきます」
幼い子供のように口元を汚しながら、カレーを頬張っているのには存外悪い気はしない。
「俺もそろそろ食べるか……」
試しに自分も口に運んでみるが、いつもと変わらず、それなりに美味い。
「おいおい、そんなにがっつくなって」
「ははひは――」
「口に物を入れながら話すなよ。行儀悪いぞ。とりあえずこれでも飲め」
数日分にはなるはずだと思って、いくらか買っておいたペットボトルのお茶を一本渡してやる。彼女はそれを一気に飲み干した。
「わたしはアリス。シンギュラリティの到達点と呼ばれています」
「は?」
「わたしはアリス。シンギュラリティの――」
「いや、聞こえてるよ」
「……? ならどうしてそんな間の抜けた顔をしてらっしゃるんですか?」
シンギュラリティ――確か人工知能が人間を超えるとかなんとかいうアレか。
別段そういった分野に詳しいわけでもないため、ネットで拾える程度の知識しか持ち合わせていない。
そして、アリス? と名乗る少女によると自分こそがそうだという。
……困った。かわいそうなことにこの金髪碧眼美少女は電波さんらしい。現在進行形で黒歴史を刻んでいるという線も考えられる。
だとすると、ここに至るまでの一連の行動にも多少ではあるが納得がいかなくもない。
「今、すごく失礼なことを考えてませんか?」
「い、いや、気にしないで続けてくれ」
「本当に?」
「マジ、マジ、大マジ」
「……釈然としませんが、まぁ、いいです」
ごまかせたかどうかは怪しいものの、どうやらご納得いただけたらしい。
それにいい加減、話を先に進めたほうが良いだろう。
「で、アリスさんとやらは一体俺に何用で?」
差し当たって、そう疑問を投げかけながら、改めて記憶を辿ってみる。
しかしというか、やはり、どれほど過去を思い起こそうとも初対面の女の子に部屋まで押しかけられている原因はわからなかった。
鏡瀬学園の制服、加えて緑のリボンをしていることから、おそらく俺と同じ学園の新入生だというところまではわかる。教室では見かけなかった。つまり、他のクラスの生徒なのだろう。
とはいえ、それ以上の情報は見当たらない。
「理由? ここに行けと言われたから来ただけですよ」
「ここって……俺の部屋に? もしかして部屋番号間違ってるんじゃねぇの?」
不思議に思って、もう一度、寮生名簿を確認してみるも、503号室の横には天草碧唯としか書かれていない。
それどころか、アリスと読める名前はどこにも載っていなかった。
「なにお前……勝手に入ってきちゃったの? 荷物に成りすまして侵入ってスパイ映画?」
「……へ?」
「だってどこにも載ってないぞ」
「そんなはずありません!」
自分の目で見たほうが早いだろう。名簿を差し出すと彼女はそれをさっと奪い取った。
なにをご冗談をといった表情が一回、また一回とその目で名簿を辿るうちにみるみるうちに青ざめていく。
「…………ない」
「だろ?」
「「…………」」
ではお帰りはこちらと、軽々しく言える雰囲気ではなくなってしまった。見ると彼女は少し涙目になっている。
どう切り出したものか、そう頭を抱えていると、
「あっ」
彼女は何かを思い出したといった風に立ち上がった。
そのまま玄関のほうにすたすたと歩いていったので、やっと帰ってくれるのかとも思い、後を追うと、頭を自分が先ほどまで入っていた箱に頭を突っ込んでガサゴソと何かを探している。
(あの、その体勢だと、なんかこう、色々とまずくないですか?)
決して、全く、断じて下心でもなんでもなく、ただ何をしているのか気になってしばらく様子を眺めていると、探し物が見つかったのだろう、彼女は箱から取り出したものを、はいと手渡してきた。
見ると、それは差出人の書かれていない封筒だった。
「俺に? 誰から?」
「私のお母さんからです」
「なるほど、わからん」
知らない女の子の母親からの手紙なんて、まったく訳が分からない。
しかし、中身を確認するまで、帰って貰えないなら仕方ない。
『そこにいるアリスは新しい妹です。一緒に住んでもらうのでよろしく 天草栞理』
天草栞理、そこには俺の母親の名があった。なんならご丁寧に天草という押印まで添えられて。
「というわけで改めまして、シンギュラリティの到達点であり、あなたの妹、天草アリスです」
「はい?」
「では、話も終わったので自分の部屋に帰ります。カレー、ごちそうさまでした」
そう言ってアリスは玄関ではなく、共用スペースとは別に設けられた二つの部屋のうちの一つに帰っていった。