3話 天使にも質量はあるらしい
——案外重い。
少女を指して形容するには、いささか不適切な表現だなとは思いつつも、異性に馬乗りにされるという初めての経験に対して、真っ先に頭に浮かんだ感想がそれだった。
いい加減どいてくれませんかね。そんな意味合いも込めて、もう一度少女の姿を眺めてみるも、向こうはこちらに気づいていないのかもしれない。何かを探すようにきょろきょろとあちこち視線を動かしている。
華奢な躰に、西日を反射して煌めくブロンド、およそこの世のものとは思えないほどに均整の取れた顔立ち、こちらを見透かすような透き通った碧眼——
「……綺麗だ」
反射的にこぼれてしまった言葉が耳に届いたかどうかは定かではないが、未だ俺のことをクッションにしていた少女と俺と目が合うとぱぁっと笑みを浮かべた。
「おかえり。遅かったね。何かあった?」
ここだけ切り取ってみると、まるで新婚夫婦にでもなったかのような気分になるのだが、そもそも俺にこんな天使みたいな美人の知り合いはいない。俺がアンデッド属性だったら天に召されていたところだ。
きっと美人局やエウリアンといった類の人種に違いない。もしくは天使直々に宗教の勧誘といった線も考えられる。
虚を突かれたせいかぼんやりとしていた思考も次第にクリアになってきた。
「帰りに色々買ってたんだよ。じゃなくて、君は? ていうか、その前にとりあえずどいてもらえませんか?」
刺激しないよう言葉を選びながらも、取り急ぎこの第三者から見られたとして、弁明の仕様がないこの状況から抜け出そうと、そう提案する。
「…………り」
「え? 何だって? もうちょっと大きな声で話してくれ」
「お・か・え・り! はい! 返事ッ!」
「あ、ああ。ただいま……」
詰められる形で仕方なくそう返したが、お気に召していただけたようで少女はよしよしとばかりに数回頷いて見せたあと、立ち上がった。
「じゃ、これにて失礼」
ああいう関わってはいけないタイプの輩からは逃げるが一番だ。もしかするとお隣さんかもしれない。背中越しに色々と煩くしているのを感じながら、そんなのは知ったことではない。
そそくさと部屋の前まで向かい、流れるような動作で鍵穴に鍵を差し込み、ドアを開け、身を滑らせる。あとはそのままの勢いで後ろ手にドアノブを掴んで引く。
やっと一息つける。なんて俺の思いとは裏腹にそいつは済んでのところでピタリとその動きを止めた。
なにか引っかけたか、ドアの隙間に目を向けても特に変わった様子はない。何度かぐいと力を加えてはみる。が、びくともしない。
(うーん。この感じはつっかえてるっていうよりも――)
途端、今度は反対方向に物凄い力が加わってくる。
「なんで無視するんですか」
「だから誰だよ。ほんとマジ勘弁してくれ」
「説明しようとしてるのに、あなたが逃げるからでしょ」
「わかった。わかったから。一旦手を放してくれ」
「ははーん。そんなこと言って、また逃げるつもりなんですよね」
「待て。どうしてバレてんだよ。なに? メンタリストなの?」
「やっぱり!」
扉を引き合いながら、こうも押し問答を続けていれば、自ずと息も上がってくるし、握力だって弱まってくる。
ただ、それは相手も同じのはず……と隙間から様子を覗き込むも彼女は余裕綽々といった表情で軽く舌を出してこちらを煽ってきた。
ならば俺も付き合ってやろうじゃないか。長期戦になることも覚悟したが、このままいけば敗戦濃厚。勝てない勝負はするもんじゃない。
それによくよく考えてみればそこまで必死になるからには、俺に余程大事な用があるのかもしれない。
「……俺の負けだ。まぁ、なんだ。話ぐらいなら聞いてやるよ」
バキッという耳障りな金属音が聞こえた時にはもう遅かった。100から0、一気に力を抜いたのがいけなかったのだ。
「危ない……っ!」
こんな状況で何ができるのかわからない。どうにもならないと分かりつつ、それでもただただ無心に手を伸ばした。けど——届かない。
おそるおそる目を開いてみると、そこには凄惨な——おかしい、扉が宙に浮いている。
想像の斜め上の展開に開いた口が塞がらない。
「あのー、大丈夫?」
信じられない話だが、事実、扉の向こう側から、ひょっこりと顔を出した少女は、片手で、ドアノブだけを持って、心配そうな顔でこちらを見ている。
「失礼しまーす」
よいしょっと、軽く荷物を動かす程度の掛け声とともに手に持ったそれを壁に立てかけた彼女は、しばらく物言わぬ彫像になった俺の横をほんの少しだけ申し訳なさそうな表情で通り抜けていくのだった。