第09話 その狂気は隠然と(1)
「オットー・ギーセン上席主任技師」
「はっ!」
ソワソワと周囲を見回していたオットーは、名を呼ばれ慌てて姿勢を正した。薄暗い研究室には大きなガラス製の円筒が立ち並び、それぞれが淡く光を帯びている。円筒の中はごく薄い緑色の培養液で満たされていて、それぞれに一塊の何かが浮かんでいた。
――魔術師なんざいけ好かねぇ野郎ばかりだが、この部屋の主はマジもんにヤベぇからな。
この部屋の持つ異様な雰囲気にすっかり呑み込まれたオットーは、今すぐ逃げ出したい衝動に駆られながら次の言葉を待った。部屋の奥に立っているのは、どこにでもいそうに平凡な……むしろどこか気弱で人の良さげな雰囲気を持つ、中年男である。彼は眼鏡の奥の瞳をわずかに細めると、口を開いた。
「ハンスという名に、心当たりはありませんか?」
「はい、ございます! 先々月までそういった名の職人が、巨人兵の製造工房で働いておりました!」
「どうやら僕の娘は、ハンスとかいうその元技師を追いかけて行ってしまったようで」
「ま、まさか! あの四番目の人形様が、わざわざハンスなんかを追いかけて行くなんて、ありえませんや!」
「しかしねぇ、複数の証言があるんですよ。失踪する前の娘に、そのハンスとかいう元技師のことを聞かれたと。それに僕もね、心当たりがあるんです。娘が言っていたんですよ。最近戦績が落ちているのは、整備担当の技師が変わったのが原因だと」
「で、でもそれでなぜ、自分が呼ばれて……」
「件の技師の解雇を決定したのは巨人兵工房の現場責任者、オットー・ギーセン上席主任技師……違いますか?」
「は、はい。確かにそうでありますが……」
「つまり、僕のかわいいかわいい最後の娘が家出してしまった原因は、君であったのだ。と」
「そ、そんな! 言いがかりにもほどがありますよ!」
――ハンスなんかの奴のために、オレは変態野郎のお人形遊びに巻き込まれるってぇのか!?
焦りを隠せないオットーに向かい、博士はニッコリ笑ってみせた。
「組織というものはね、問題が発生したら必ず誰かが責任を取らねばならないのです。それでは我らが軍の主席操縦師を失った責任、取って頂きましょうか?」
*****
協力者たちの手によって集められた、巨人兵のスクラップ置き場。ハンスはそこから使えそうなものを見繕うと、見習い職人の青少年たちと共に、工作室へと運び込んだ。最近のものはまだ新しいうちに壊れたものばかりのようで、素材の劣化もひかえめである。これならちょっとしたひずみを直してやるだけで、すぐに利用可能だろう。
ハンスは足踏み旋盤の前に腰を下ろすと、見習いたちの手によって分解され、キレイに汚れが落とされた部品のひとつを手に取った。
――確かに量産機の部品は互換性に優れていて、それは利点なんだよな。こうやってしっかり掃除してやるだけで、組み立てりゃ一応は動くんだから。だが……。
今回選んだスクラップたちは、この解放戦線において不動のエースであるカスパル機の、交換部品として使われる。これを元に修繕と微調整を加え、専用部品へと仕上げるのだ。
いくつかの部品の調整を終えたハンスは、隣の作業台の上を見た。そこに置かれているのは、酷使に耐えかね歯車の溝がわずかに磨耗した、カスパル機の古いギヤボックスである。使うほどに擦り減る一方の歯車たち……こればかりはどうにも、流用がきかないのだ。
小さな部品一つ残さず分解し整然と並べられたそれを横目で見ながら、ハンスは鋳潰され円筒型に再形成された金属塊を旋盤に取り付けた。必要な大きさに合うよう旋削を終えると、次は歯切りの加工である。
そうして粗方の加工を終えると、ハンスは削り出した歯車たちに今度は熱を加え始めた。蓄積したデータと豊富な経験を元に加熱と冷却を繰り返し、素材の強度を高めてゆく。
そして最後に行う研磨こそが、彼の真骨頂である。お手製の標準器と計測器を傍らに、ミクロンレベルでサイズを合わせてゆくのだ。ようやく吸い付くように噛み合い始めた部品たちを眺めて、ハンスはわずかに口角を上げた。
――確かに、時間がかかりすぎるよな。だがここは、それを必要としてくれる。
通常であれば機体の製造は職人が、機体の整備は整備士が分業して行うものだ。機体の製造自体のことだって、各パーツの製造や組み立てごとに担当が細かく分けられて、それぞれ別の職人が行うものである。そういった分業体制による効率化こそが、大きな組織の強みなのだ。
だがハンスは、装甲以外の内部部品ひとつひとつの削り出しから、組み立て、そして完成後の整備までをも、今も昔も一貫して行っていた。この『専任担当制』を導入したのは、巨人兵工房の初代責任者だったバルドル親方である。
当時は『人形』が最も多い時で六体同時に稼働していたため、高精度調整が必要な『専用機』に需要があったのだ。だが親方が組織を去り、『人形』が数を減らしていくにつれ……効率的に一般兵向けの量産機を増やすようにと、方針が転換されたのである。
ハンスは完成した部品を乗せた台車を工作室から格納庫へと運び込むと、奥の方へと歩いて行った。巨大な地下遺跡に浮かび上がる巨人の前に、赤髪の青年が立っている。
「今回も大活躍だったな、カスパル」
振り向いた青年は一瞬驚いたような表情を浮かべると、すぐにニヤリと笑って言った。
「ああ、今回もいい仕事だったぜ、ハンス」
そう言って上げられた手に、ハンスは応えるように自らの手を打ち付ける。パシッと乾いた音だけが、夜を迎えた格納庫へと響いていった。