第07話 その日常は漫然と(1)
「「おかわり!!」」
フィアが来てから半月ほどが経った、ある工房の定休日でのことである。お昼どきの食堂に数名の若者たちの声が響き、一斉に器が突き出された。
「はいはい、ちょっと待ってねぇ」
それをおかみさんは片っぱしから受け取ると、次々と器におかわりを盛り付けてゆく。
「ありがとー!」
その光景へ当然のように混ざりおかわりを受け取っているフィアを見て、ハンスは呆れたように言った。
「それ、何杯目だよ……」
「ま、まだ三杯めだし……」
フィアは一瞬後ろめたそうに首をすくめてから、それでも大盛りの器の中に匙を入れた。
彼女の食欲は、外見からするとちょっと、いやかなり旺盛である。毎日まだ育ち盛りの見習いたちと競うようにして、おかわりを重ねているのだ。
「ん~、美味しー!」
もう三杯目にも関わらず、まるでひと口目のようにうっとりとした顔をすると……フィアは左頬に手を当てた。これでは食費がひとり分増えたどころではない。ハンスはそう考えると席を立ち、空になった食器を炊事場のイルマに返しながら小声で言った。
「おかみさん、すいません……食費、増えた分は俺に請求して下さい」
「ああ、気にしなくていいんだよ! フィアちゃんは毎日おさんどんの手伝いをしてくれてるからねぇ。今月ぶんからは少ないけどお給金も出すつりだよ」
「いや、手伝いと言っても迷惑ばかりかけてるんじゃ……」
手伝いをはじめたばかりの頃のフィアを思い出して、ハンスは困ったように眉をひそめた。彼女はやる気はあるのだが何かと力み過ぎていて、洗濯を任せりゃ縫い目を破くし、掃除を任せりゃ物を壊すしの状態だったのである。そんなわけで、ハンスはてっきり彼女は巨人兵の操縦以外ポンコツなのかと思っていたのだが。
「何言ってんだい、フィアちゃんはやる気があるからさ、今じゃあすっかり戦力だよ。ここんとこ膝が辛くなってきてたからねぇ、本当に大助かりさ!」
「そう、だったんですか……」
――この様子なら、思ったより早く自活可能になるかもしれないな。
それに一抹の寂しさを覚えて、ハンスは慌ててその感情を否定するかのように頭を振った。面倒事とはなるだけ早くおさらばしたかったはずである。
「おかみさんっ、ごちそうさまー!」
そこへ早くも空になった食器をトレイにのせて、フィアが炊事場に現れた。他人の分までまとめて回収してきたのか、何枚もの皿が積み上がっている。だが常人より身体能力に長けた彼女は片手で器用にトレイのバランスを取ると、手際よく食器を洗い場に移し始めた。
「この煮込み、すっごくおいしかった!」
「あら、そう言ってもらえりゃ、作りがいがあるねぇ! じゃあここの片づけは頼んだよ」
「りょーかいであります!」
フィアはぴっと小さく片手を挙げると、山のような皿を手際よく片付け始める。そのまま立ち去るのもなんだか心配で、ハンスは言った。
「……何か手伝おうか?」
「だいじょーぶ! これはフィアのお仕事だから、ぜんぶ自分でやるの!」
「そうか……」
得意げに笑うフィアにそう低く答えると、ハンスは途端に手持ち無沙汰である。彼女が作業している横で用もなくただじっと見ているのには気が引けて、炊事場を後にした。
――暇だ。
軍では休日も自主的に作業場に籠っているのが常だったが、ここでは休めるときに休んどけが合言葉になっている。急ぎの作業のない今日は、地下水道への入り口は閉鎖されているのだ。
実はハンスがここに来てから起こっているのは小さな小競り合いばっかりで、未だ大きな武力衝突は経験していなかった。恐らく最後の『人形』を失った帝国軍は、混乱のさなかにあるのだろう。だがそれも、今だけのことである。急に体制が崩れたから対応が遅れているだけで、立て直されたらまた元の状況に逆戻りだ。
――だからこそ、今のうちに新しいヤツを一体でも多く組み上げときたいんだがな。せめて午後はあっちに行かせてくれと親方に交渉してみるか。
そう考えたハンスは意外に広い工房の敷地をすみずみまで歩き回ってみたのだが、どこにもバルドルの姿はない。外に出かけてしまったのだろうか。
しばらくして。ようやく諦めたハンスが部屋へ戻ろうと、母屋と工房との間にある中庭を通りかかった、その時である。中庭にある植え込みの影から何かをじっと見ている見習いたちを見つけて、ハンスはそちらに目をやった。
彼らの目線の先にあったのは、新緑が芽吹いたばかりの庭木の間に吊るされた、一枚のハンモックである。その網にもたれるように座って、フィアが軽い寝息を立てていた。
「……お前ら、何やってるんだ」
「あっ、ハンスさん! いや、フィアちゃんの寝顔かわいいな~って、つい……」
「兄貴の彼女さん、じっと見ちまっててすいません!」
慌てたように弁明する見習いたちに、とっさに違うと言いかけて……ハンスは口をつぐんだ。ここでのフィアの設定を、思い出したからである。ハンスはあえてその件には触れないようにして、彼らへ向かいパタパタと伏せた手を振った。
「いいから、さっさと散れ」
「「サーセンした!!」」
蜘蛛の子を散らすように去る見習いたちを見送って、ハンスはフィアに近づいた。大方ハンモックに揺られて読書していたら、うっかり居眠りしてしまったのだろう。そう考えながらハンスは地面に落ちていた本を拾い上げると、見覚えのあるそれをパラパラとめくった。
――懐かしいな。
これは親方が入ったばかりの見習いに字を教えるときに使っていた、絵本である。庶民の識字率が低いこの国で、バルドル親方はいつか必ず必要になるからと、時間を割いて弟子たちにまず文字から教えていたのだった。
おかげでハンスは実地での豊富な経験からだけでなく書物からも知識を吸収し、巨人兵の調整にかけては偏執的とも言えるレベルの技術を手に入れることができたのである。
――親方のもとで学べた俺は、幸運だったのかもしれないな。
ハンスはそうしみじみと考えながら、フィアの眠るハンモックの端をつかんで綱を揺らした。