第05話 その抱擁に驚然と(1)
「もうこんな時間か……」
ようやく修理を終えたハンスは、時計を確認して頭を掻いた。また時間を忘れて作業に没頭してしまっていたようで、夕飯の時刻をすっかり過ぎている。遅くなっても食事を残しておいてくれるのは有り難かったが、逆に老齢のイルマに遅くまで対応させるのは申し訳なくも感じるのだ。
――放っといてくれて構わないと言っても、おかみさんは何だかんだいつも待っててくれてるんだよな。申し訳ない……。
そう考えながら食堂へと急ぐと、案の定、薄暗い廊下に光が漏れている。だがいつもは静かなそこに、今日は楽しげな若い女の声が響いていた。
――これは……俺、入ってもいいのか?
急に人見知りを発動させたハンスが、入口付近でまごついていると。その様子に気付いたイルマが、中から声をかけた。
「そんなところでどうしたんだいハンス、早く入っといで!」
「ハンス……?」
入口に背を向けて食卓に着いていた女は、その名を聞いて振り返る。そしてハンスの顔を見た瞬間、弾かれたように立ち上がった。
見た目の年の頃は、十代後半といったところだろうか。スラリとした肢体はハンスより頭一つぶん低いくらいの女性にしては長身で、いわゆるモデルのような美少女である。
肩にわずかに届かない程度のボブヘアに切り揃えられた髪、そして睫毛は淡い亜麻色で、ブルーグリーンの瞳を濃く縁取っている。たが彼女は人形のように整った外見に似つかわしくない、へにゃりと弛んだ笑みを浮かべると……何のためらいもなくハンスに抱きついた。
「なっ、なにを……っ!!」
「ハンス! やっと見つけたっ……!!」
そのままむぎゅっと強く抱きしめられて、ハンスは思いきりたじろいだ。
「ど、どちらさまですか!?」
声を裏返しながらハンスが問うと、彼女はぱっと顔を上げる。そして満面の笑みで答えた。
「フィアだよ! ハンスってば急にいなくなるから、追っかけて来ちゃった!」
「フィア、さん……確かに俺の名はハンスだが、人違いでは……」
極限まで身を反らしながら、ハンスは言葉を絞り出す。そんな彼を見上げたまま、『フィア』と名乗った女は悲しそうに首をかしげた。
「ハンスは……いつもフィアの乗機を整備してくれてたでしょ?」
「整備って、まさか……四番目の人形……」
「うん!」
そう言った自分が信じられなくて、ハンスは至近距離にある顔をようやくまじまじと見る。すると微かに見覚えのある面影を見付けて、彼は驚いた。
あの頃は『人形』という呼び名の似合う冷ややかな美人という印象だったのだが……人は表情や言葉遣いでこれほどまでに雰囲気が変わるものなのか。
「俺の知ってる四番とは、全然性格が違う気がするんだが……」
「そりゃあお仕事のときは、ちゃんとやらなきゃ怒られちゃうでしょ。でも今は、お仕事じゃないし!」
嬉しくてたまらないと言わんばかりのその顔は、かつての彼女とは似ても似つかないもので……その変貌ぶりに、ハンスは盛大に困惑した。どう接したらいいのか、全く分からない。
ハンスがすっかり固まっていると、おかみさんから助けの船が出た。
「まあまあ二人とも、そんなとこ突っ立ってないでさ、座って早く食べちまいな!」
食べながら聞いた二人の話によると、フィアはこの家の近くの道端で、空腹のあまりうずくまっていたらしい。心配したイルマに声をかけられて、彼女は開口一番、こう尋ねた。
『このへんでハンスっていうひと、知りませんか?』
この国の男性名として、ハンスはよくある名前である。
『うちにいるハンスとあんたが探してるハンスが同じかは分からないがね、せっかくだからうちでご飯でも食べながら、帰りを待ってみるかい?』
そんなやりとりの結果が、この食堂での遭遇に繋がっていたというのだ。
「ハンスがなかなか帰ってこないから、すっかり遅くなっちまったねぇ。今日はもう泊まっておいきよ。ただ、ええと……フィアちゃんの齢はいくつかねぇ?」
フィアの見た目は、自己の判断に責任が持てそうな年齢のものである。ただ彼女の振る舞いにどうにも子供っぽさを感じたイルマは、確認しておくことにしたのだろう。
「んーとね、フィアはね、ええと……」
齢を問われたフィアはしばらく指折り数えて見せると、よしとばかりにうなずいて言う。
「十歳かな!」
「おやまあ! こりゃまた大人びた十歳だねぇ。てっきりもっとお姉さんだと思っていたよ」
驚きのあまり目を丸めるイルマを見て、フィアは再び笑って言った。
「あははっ、冗談だよ~! あのね、フィアは外に出たときもう七歳だったの。んで、それから十年経ったってかんじかな!」
「ええっ!?」