第03話 その選択は決然と
――翌朝。
ハンスが他の住み込みの職人たちと共に、与えられた部屋から下の階の食堂へと降りていくと。いつも弟子の誰よりも早く起床するバルドル親方は、すでに朝食を終えたところだった。
「おう、よく眠れたか!?」
「はい。寝床まで用意してもらって、本当に助かりました」
「いや、とりあえず大部屋で悪ぃな。今手頃な部屋が空いてねぇんだ」
バルドル親方の家は、見習い職人たちの下宿にもなっている。まだ紹介を受けていないせいだろうか。何故かあからさまにこちらを警戒している見習い達に囲まれながら、ハンスはところ狭しと並ぶ二段ベッドのひとつで一夜を過ごしていた。
だが周りの空気をあまり気にする質ではないハンスは、遠慮するように頭を振った。
「別に、俺は寝られれば相部屋でも十分です」
「それじゃあ若ぇもんに示しがつかねぇだろ。なるだけ早く物置んなってる部屋ぁ片付けるからよ。じゃあ、飯食ったら工房の方に来い」
「はい!」
その後、急いで食事を終えたハンスが裏手の工房へと向かうと、親方が笑った。
「おう、来たな! お前ら、ちょっとこっち向け!」
親方の声に、作業を始めようとしていた数名の職人たちが手を止めてこちらを向いた。その目には、やはり明らかな警戒が灯ったままである。そこでハンスは、ようやく彼らの左耳に少数民族が着けるピアスが光っていることに気が付いた。
耳にピアスが見えないハンスを警戒しているのは、そのせいだろうか。だが親方の次の言葉を聞くと、彼らの表情は一変したものとなった。
「こいつはハンス。前から話してただろ? 俺の一番弟子だ!」
「親方、この人が、例の……!」
興奮したように声を上げる見習いの方を見て、バルドルはうなずいた。
「ああ、巨人兵の調整にかけちゃあ、俺を超えるヤツだ。今日からは兄弟子だと思って、こいつからも技術を盗んでいけよ!」
急に慣れない絶賛を受けたハンスはどう反応していいのか分からなくなって、思わず皆から隠すように顔を逸らす。耳がカッと熱を持つのを感じながら、彼はボソボソと言い訳を口にした。
「いや、一番弟子はオットーじゃ……」
「なんだぁ、不服か!? 実力順で言やぁ、確かにお前が一番だろが! まだ、文句はあるか!?」
「いえ……」
――あの親方が、俺をここまで買ってくれていたとはな。あの頃は、叱られてばかりだったのに。
まだ少し顔を火照らせたままハンスは強く口を引き結び、崩れそうになる相好を耐えるように食いしばる。そうして皆の方を向くと、努めて落ち着いた声音で言った。
「ハンスだ。よろしく頼む」
「「よろしくお願いします!!」」
その後に続いた見習いたちがみな自己紹介を終えたところを見計らい、親方が工房のさらに奥へと続く扉を親指で指し示した。
「顔合わせが済んだら、次はこっちだ」
扉を開くと、そこは雑多に物が置かれた倉庫だった。
「ちょっと待ってろよ」
親方は壁際に置かれた大きな木箱を横へ押しやると、薄暗い足元にしゃがみ込む。そうして石造りの床を小さく引っ掻いたかと思うと、ぐっと力を込めて四角い蓋を持ち上げた。つい先ほどまで蓋で覆われていた奥の暗闇に目を凝らすと、どうやら地下へと階段が続いているようである。
「ついて来い」
親方の後に付いて暗闇の階段を手探りで慎重に降りてゆくと、やがて進行方向に小さな灯りが見えた。等間隔に灯された魔術の光で、ようやく周囲が見えてくる。親方の話によるとここは古代に作られた地下水道で、今はもう干上がって久しいらしい。
細い通路を進んでいくと、やがて眼前に大きな空間が広がった。その高い壁際に吊り下げられるようにして、魔術の灯火に浮かび上がっていたものは。
錆止めだけで塗装すらされていない鈍色の、無骨で愚直なシルエットたち――数体の巨大な、魔動兵器の姿だった。
「これは……巨人兵じゃないか!」
この世界には、魔術という概念がある。いや、正確には、魔術こそがこの世界を支える基幹技術であった。
そんな世界でこれまでの戦争といえば、魔術師の多寡がすなわち戦力の多寡とされていた。圧倒的多数派であるユーゲル人の皇帝が治めるこのユーゲルヴァルト帝国で、少数民族であるロカナン族が自治を認められていたのは……貴重な魔術師を数多く輩出し、魔術兵として帝国軍に提供していたためである。
だがそこに、一人の天才が現れた。
アロイス・フランツ・フォン・ベルツ博士――魔術研究者にして稀代の錬金術師でもある彼は、専門の魔術師でなくとも動かせる金属製の人型兵器を作り出したのだ。
魔術が使えないレベルの一般人にも、生まれながらに持った魔力が少しある。術者の持つ魔力ではなく『石の油』と呼ばれる燃料を主な動力とするそのゴーレムは、一般人のわずかな魔力だけで制御し運用することができるという、革新的なものだった。こうして魔術の時代から技術の時代へと、この国は産業革命へと向かい始めたのである。
さて『巨人兵』と名付けられたそのゴーレムだが、遠隔操作が可能な魔術師たちのそれとは、少しだけ異なる点がある。それは操るためには必ず、サッカーボール大の『核』に両手を触れている、つまり中に乗り込む必要があるという点だ。だがその巨人兵の出現により、魔術師ではない一般兵が魔術師並の戦力を持つようになったのである。
一般兵を決戦戦力として数えられるようになったユーゲルヴァルト帝国は、あっという間に周辺諸国を恐怖で支配した。民族浄化を謳う帝国は、国際社会の批判を跳ね除け、少数民族、つまりロカナン族への弾圧を、強めて行ったのである。
だが昨年のこと、さらに状況は泥沼化した。どこから手に入れたのか、ロカナン族解放戦線の武装グループのうちひとつが、巨人兵を使い抵抗を始めたのである。
「帝国軍にしかないはずの巨人兵技術がどこからロカナン族に流出したのか不思議だったが……親方、あんたが持ち出したのか!」
「持ち出しちゃいねぇよ。ただ、戦場に打ち捨てられてたのを拾ってちょちょいと修理しただけだ。……俺を告発するか?」
「いえ……ですが、多数民族のあんたが、なぜ少数民族にここまで肩入れしてるんですか?」
「俺の娘と孫はな、バカげた民族浄化なんかのために……帝国軍に殺されたんだ」
親方はハンスに背を向けたまま、巨人兵に向かって歩き始めた。
「ロカナン族の男と駆け落ちした娘から、ある日孫の顔を見せたいと手紙が来た。これが会ってみると、可愛くてなぁ。あんなに反対したのも忘れて、俺ぁすっかりジジバカよ。だが娘一家が暮らすロカナン族の自治区の一つが、帝国軍の巨人兵部隊の襲撃に遭ったんだ。解放戦線の活動家を匿ったってぇお題目でな」
親方は拳に血管を浮き上がらせると、巨人兵が背にする石壁へと叩きつけた。
「俺の作った巨人兵が、俺の娘と孫を殺したんだ!!」
岩を積み上げて作られた壁が鈍い音を立て、拳の跡からパラパラと乾いた土くずが落ちてゆく。
「もちろん帝国兵たちにだって、親はいるだろう。軍時代の顔見知りのヤツだって、中にはいるはずだ。ここで俺が修理した巨人兵はな、今度はそいつらを殺すんだ。でもな、ロカナン族も巨人兵を持つようになってから……一方的な殺戮はあきらかに減ったんだ。戦力が均衡に近づくにつれ、一般人の虐殺への抑止力になっている……そう思うとな、もう引き返せねぇんだよ」
親方はそう吐き捨てるように言うと、その硬く節くれだった両手で自らの顔を覆った。
「これが贖罪なのか、復讐なのか、自分でももうよく分からねぇ……。だが俺は、こうでもしてねぇと……正気でいられねぇんだ」
やがてため息と共に手を離すと、親方はハンスの方へと向き直る。
「悪いな、ユーゲル人のお前を反帝国活動なんかに巻き込んで。……やっぱ辞めると言っても、止めねぇよ」
「こんなもん見せといて、すんなり辞めさせてくれるんですか?」
「口封じを疑うのも、無理はねぇ。だが、信じてもらえねぇかも知れねぇが……お前の身の安全は、俺が保障する」
親方の言っていることは、おそらく本心からのものだろう。だがハンスは、首を横に振った。
「その言葉は、信じます。でも……辞めはしません。田舎の親から口減らしで軍に売られた俺には、バルドル親方、あんたが親みたいなもんですから」
「ハッ、お前はホント親に恵まれねぇんだなぁ。……こんな酷い親があるかよ」
自嘲気味に笑う親方に、ハンスは言った。
「で、俺の仕事は、何ですか?」